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魚津から白馬へ 

2011.04.22

美味しい料理と温泉のおかげなのか、前夜は見事に爆睡。
目覚めは珍しいくらいに爽やかでしたが、空模様の方は何だかドンヨリしておりました。

宿を発つと、今度は長野を目指して走る事になりました。
JR北陸本線に沿った国道8号線をしばらく走ると、海岸間近まで山が迫ってきています。
日本アルプスの北端が、こんな所まで迫ってきているんですよね。

徒歩で旅をするのが一般的だった時代、日本の旧街道において「三大難所」と言われているところが、土佐の「淀ヶ磯」、房総の「おせんこかし」、そして越後の「親不知子不知」。
「子不知(こしらず)」はもう少し東の方にあり、洞門の中から写真を撮る事は出来ませんでしたが、「親不知(おやしらず)」には小さな展望台のような処がありました。
「親不知」の開始地点から延々とこのような洞門が築かれていて、中からの見晴らしはメッチャ悪い。
その代わり、落石や雪崩、又は強風からは守られているので、道が凍結してさえいなければ安心して走る事が出来ます。

外から洞門に覆われた道を眺めると、半ばトンネルのような道が断崖絶壁にへばりついているように見える。
もの凄い難工事の末に開通したのでは無かろうか・・・・、なんて感じてしまいます。
そして初めて見た「親不知」。
謂われは諸説ある中に、源平時代を舞台にした伝承が残っています。
平清盛と仲の悪かった異母弟である平頼盛は、兄の支配する都を出て越後の国に逃げ込んでおりました。
それを知った奥方は、子供を連れて夫の元へ行く途中、この難所に差し掛かりました。
しかしこの難所を越える際に、連れていた子供を波にさらわれてしまったのだそうです。

その時に詠んだ歌が
「親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消え行く」

それ以降、この難所を「親不知」と呼ぶようになったとか。

   


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見ての通りの断崖絶壁で、このように波の穏やかな時でさえ、この下の海岸縁を歩くのはかなりの危険が伴います。
しかし近年まで、富山から新潟まで行くにはこの難所を通るしかなく、かつては源義経が、上杉謙信が、そして松尾芭蕉もこの難所を越えたと史書に記されています。






近くの「道の駅」を通りかかると、その後の長丁場に備えてトイレ休憩。
せっかくなのでショップに立ち寄ると、店内はまるで魚介類の総合販売所。
生きたお魚が発泡容器のなかで暴れてるは、捌いたばかりのように見える新鮮な一夜干し。
所狭しと並んだ現地の名産物の中から、オヤツ代わりになるを見つけて購入しました。
それが美味いんだわ!

富山湾の宝石と呼ばれているシロエビを素干しにした物なんですが、なんて香ばしいんだろ!
相方はその場のオヤツ代わりとし、私は少し残しておいて晩酌の肴にとの思惑でしたが、アカーン!
手が勝手に動いて、口も勝手に動く(苦笑)
白馬に着く遙か前に、一匹残らず平らげてしまってました。
あーあ。o○
お取り寄せが可能みたいですが、これはイチオシでお奨めです。

しばし相方とオヤツの取り合いをしているうちに、車はいつの間にか糸魚川市に達しておりました。
そして右折・・・、姫川沿いを遡り始めた頃、左の車窓には「鉾ヶ岳」の堂々とした姿が間近に見え始めました。


大阪では見られないので、雪を被った山の姿が珍しく、キャピキャピ騒いでいると、あら懐かしや!
うちの会社名と同じ熟語が、屋号や社名に使われているところが数件もある。



ナビを見ても、土地名ではなさげだし・・・・
携帯で探してみたら、近所に「明星山」という名の山が・・・



ちょっと嬉しくなるほどの、堂々としたお山でした。

姫川に沿った国道148号線をどんどんと南下すると同時に、車は坂道を登り始めました。
長距離を走った上に、こんな山道を走る事になって、うちの社用車が口を利いたらきっと文句タラタラと思われ・・・・
なんて考えていると、エンジン音がやたらに大きい。
やはり、人間の言葉は発せられなくても、ブーブーと文句は言っているらしい (^w^) ぶぶぶ・・・

姫川沿いは、中央地溝帯あるいはフォッサマグナと呼ばれる地域の西端で、北アメリカプレートとユーラシアプレートがぶつかり合ってできた地域です。
数百万年前は海だったところが持ち上げられ、今のような陸地になったのだそうですが、むしろ、陸地と言うよりも山岳地帯になっちゃっているわけで、プレート同士のぶつかり合ったエネルギーの凄さって、凡人の私には想像すら出来ません。
ただ考えられるのは、先だっての東日本大震災が千年に一度の大地殻変動だったとして、万年に一度クラスのもっと凄い地殻変動が過去にあったように思えます。
所以、この先にも同様の事は起こらないなんて、絶対に考えられないとも思うし・・・

ま、要するに、自然の力を甘く見ちゃイカンって事ですな。


上り坂を走り続ける軽四のエンジンはブーブーと文句を言いまくってるけど、気候は穏やかでホカホカと暖かく、目に入る景色は益々綺麗になってくる。

そうこうするうちに、道路表示板にはスキー場の案内が目に付くようになった。
何だか、やたらに遠いところへ来たような。


タバコを吸うたびに窓を開けて煙を逃がしているんだけど、車の中に吹き込んでくる風がだんだんと冷たくなってくる。
4月の下旬だというのに、溶け残った雪がすぐそばの山肌にへばりついていて、高地らしい風情が満々。
てか、この頃から、窓を開けると運転をしている相方から「寒いから閉めてくれ。」と言われるようになりました。
私自身、写真撮りたさに窓を開けまくってましたが、10分毎に1度くらいの気温の低下が感じられたほどでした。

国道148号線、「小滝」。
姫川に架かる橋の向こうに、もう一本の橋のような、しかしその端っこが建物と繋がっているので、橋でも無さそうな・・・
何だろう?と考えているうちに、肝心の建物を撮りのがしてしまった。 
建物には「黒部」「第六発電所」の文字が見て取れたけど・・・・
ん? 黒部はもっと西の筈だし・・・
なんか惜しいような、狐につままれたような(汗)

後日に調べたところ、「黒部川電力(株)」という大正5年創業の電力会社が所有する「姫川第六発電所」という事が判りました。
橋のようで橋ではなかった構造物は、取水堰から引かれた水を通すパイプのようでした。
それにしても、「黒部」「発電所」というキーワードが並ぶと、私と同等から上の世代では「黒部の太陽」と映画や小説を思い出す人が多いのでは無かろうか。

主演・三船敏郎、石原裕次郎という、豪華二大キャストの映画が公開された頃は、私はまだまだオコチャマでしたが、ラスト近くで涙がダー!
なんて記憶が残ってますわ。
嗚呼、くろよんダム、見てみたいー。

発電所を通り過ぎた辺りから、山間は狭くなるに伴って、「洞門」時々「トンネル」なんて状態に突入してしまいました。

洞門を走っている間は、車窓からの景色はすごく良いんですよ。
雪解けの水が真上から落ちてきていて、まるで滝の裏側にでも入り込んだよう。
窓を開けていると、ごくたまに冷たい水しぶきの一部さえ感じる事もありました。

しかしそれをカメラに収めようとすると、車は走る揺れる、撮り手の腕前ヘタクソ。
何を撮ったのかワカラン写真ばかりが、メディアに記録されまくり。
    
   


そして、発電所の取水口付近で小休憩。
貼り出されている大きなロードマップを見ると、至る所に「ヒスイ」の3文字が目立ちます。

柵の傍から河面を見下ろすと、雪解けの澄み切った水が、キラキラとしぶきを上げながら流れていました。
こんなきれいな川なら、シーズンになれば山女やイワナ、アナゴなんかがいっぱい釣れそうに思えます。
このお出かけが仕事じゃなかったら、相方は間違いなく釣り道具一式を持ってくるだろう。
私は多分、胸まである長靴とザルを持ってくるでしょうね(笑)。

というか・・・
私がヒスイ取りのザルを持参していると分かると、相方は間違いなく、即行でブルドーザーとその乗務員を用意するに違いない。
(相方ってば、物資の現地調達と友達作りは上手やもんね〜。)

それにしても、遠いところまで来たもんだわ(感)。

大きく伸びをして深呼吸、写真を撮り終えたら、休憩は終わり。

   
   

車が走り出すと間もなく、トンネルだらけの道になりました。
仕方ないからカメラは膝に置き、ちょっと退屈な気分になり掛かってました。

でも、意外に退屈はしなかった。
この仕事を始めてから、随分とあちこち走り回ってますけど、トンネルとトンネルの間が交差点になっている道なんて、初めてでした。
かなりビックリした。
トンネル内がもの凄い坂道になっているのも、この道が初めて。
私的には、ちょっと面白怖い道中となりました。

ズーッとトンネルだらけの場所を走っていて、さすがにトンネルに飽きた頃、道の駅にさしかかりました。
「小谷」と書いて「オタリ」。
「深山の湯」というキャッチが、その時の私にとってはとても魅力的。
トイレを拝借しましたが、トイレの中が賑やかでした。

「何々?」と上を見上げると、屋根裏の壁づたいに数個もツバメの巣がありました。
今はまだ巣作りの最中でしたが、子育ての最盛期に入ると、われわれ人間は「頭上注意」です。

「道の駅」を後にして程なく、エーッ! こんな処に発電所の取水パイプが!
しかも、デカイ!
水力発電所って、ものすごい規模なんですねー。

この辺りから退屈なトンネルからは解放されましたが、ビビリの私には超苦手な道が続きました(涙)

景色は良いんですけどねー。。。。
崖っぷちを切り開いて作ったようなクネクネ道が連続してくれました。
   
   

地図をみるとそんなにクネクネ描いてないけど、実際に走ると正直、ヒーーーッです (TOT) ダー
昔はこの道は、千国街道または糸魚川街道と呼ばれ、貴重な塩を運ぶ大事な街道の一つでした。
私が怖い怖いと言ってる道路は、車を走らせるために整備された道ですが、国道に沿って旧街道があり、そちらは酷いつづら折れ。
あんまり騒ぐと、昔の人に申し訳ないかも(汗)

いつの間にか、道路はなだらかになり、そして安曇野郡に入っておりました。
目の前にそびえるは穂高連山。
   
   

あー。やっぱり雄大な景色が好きですわー。

のんびりと走っているうちに、いつしかここは白馬村。


行った事は無くても、知っている地名を目にすると、何となくホッとできます。
しかし、見る角度や距離は違っていても、見える景色は道路沿いを流れる川と、北アルプスの山並み。

「わっ! こりゃ凄いわ!」の声とともに、車の速度が少し落ちた。
「ほらほら。 川の真中。」

そこは姫川の上流域に近い。
糸魚川市内では広かった川も、ここまで来ると淀むような淵は無くなり、川幅も狭くなってきている。
それでも、雪融けを迎えたこの時期は水量も多く、車のエンジンさえ止めれば、大きなせせらぎの音が聞こえそうなほど。
その川の真中に、大きな岩の塊がゴロリと転がってました。
上流から流れてきたのか、それとも、そばにある山の斜面から転げ落ちてきたのか。
いずれにせよ、珍しい光景です。

白馬村の駅近くまでへ来ると、観光客目当てのオシャレっぽいお店が目立ちます。


サンタクロースを看板に、実際は何を売ろうとしてんだろ?

昼時に村に着いたと思った途端、食い気のアンテナがビンビンに張り巡らされるのは、我々コンビの常の事(苦笑)

白馬といえば、戸隠山が近い。
当然、戸隠蕎麦が美味しいに決まってる。

アンテナの感度抜群の相方によって、蕎麦屋が沢山並ぶ中から、一軒のお店をチョイス。


↑ 私が写真を撮り終えるのを待ちかねて・・・、相方はキッチリ箸を持ってスタンバイ・・・。
(ワシはハラがへってんねん。 はよ写真を撮ってしもてくれやぁ。o○)

真っ先に胃袋から生まれてきたと思える相方の、「食い気命」に増幅された動物的嗅覚とでもいうのであろうか。
超人的とも思える「美味い店探し」の能力は、この土地でも見事に発揮され、ここのお蕎麦は大当たり!
お蕎麦はもちろん打ち立ての芳しい香りを放ってましたが、添えられた山葵は、まさしく本山葵。

 
 松庵

やはり、未知の場所で美味しい店を見つけるには、相方に任せてしまうに限る(キッパリ!)

今回も最高に美味しかったですが、お店の雰囲気もとても良い感じ。
もしも機会があったら、また行きたいと思えるお店でした。



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