2008.01.09
ままは去年まで、『厄年』とかいう、
得体の知れないモノと戦ってたらしい。
『厄年』って何?とくーじぃがままに聞いたら
『知らない。』と言ってた。
知らないんだけど、やたらと周りの人達から
『あんた厄年なんだから気をつけなよ。』
と、沢山言われたらしい。
ままのぱぱからは不気味なキーホルダーを
お守りにしなさいと送って来たらしい。
で、『後厄』とやらの去年の年末。
『あとひと月で厄年も終わりじゃん!』
と、何事も無かった事を喜んでた。
しかし、ひと月もあったんだね、今思えば。・・・
12月2日の夜、ままは何か喉が苦しくて咳が出た。
でも、そんなに酷くないし、熱も無いのであまり気にしないで焼酎を呑んで寝た。
厄とやらの忍び足に気づかなかったんだね・・・。
次の日起きたら、とにかく身体がだるくて呼吸が苦しかった。
熱を計ったら39度を軽く超えてた。
『えっ!?何で!?』と本人がビックリ。
フラフラして歩けないので、タクシーを呼んで病院へ。
待合室で待ってる間に受付のおねーさんが死にそうなままを見て、
処置室の方で横になってお待ちくださいね、と言ってくれた。
それからの事は朦朧としててあまり覚えてないんだけど、医師から言われた
『インフルエンザと気管支炎ですね。』と言われた瞬間の事はくっきりと覚えているらしい。
何故なら、まったく身に覚えが無かったから。
家族にも同僚にもインフルエンザの人は誰もいなくて、いつ感染したのか、全然分からなかった。
点滴を受けてる間、ままは考えた。いつ感染したのか。
ハッと思った。
前の日に、5分ほど混んでるスーパーに立ち寄った。
その時に感染してしまったのだ。
何と恐ろしい。たった5分間の間にインフルエンザウイルスはままの身体へ侵入したのか。
スーパーに立ち寄った以外には、ベニヒワを探して、人がいない場所ばかりに行ってたので、人との接触は全然無かった。
タミフルを処方してもらった。
『コレは劇的に効きますから。効いてすぐ熱が下がると思いますが下がったからって飲むのを止めては駄目ですよ。』
と自信たっぷりに言われた。
その日、ぱぱがお昼で会社を早退してきてくれた。
弱りきってるままにはスーパーマンに見えたらしい。
子供達にインフルエンザワクチンを受けに連れてってくれた。
遅いかもしれないけど、子供達にこんなに苦しい思いを自分のせいでさせたら大変だと思うと頼まずにはいられなかったらしい。
結局それから5日間、39度から熱は下がらなかった。加えて全身の関節に激痛。寝てても痛くて目が覚める。
鎮痛剤を飲めば下がるけど、効き目が切れたらまた39度。
タミフル・・・。厄年のままには効かなかった。え?厄年は関係無い?だって、ままが厄年のせいにしたいって言うんだもん。
厄年のせいというより、気管支炎のせいもあったんじゃないの?とくーじぃは思う。
結局ままは熱がある間全く食欲が無くて、ほとんど食べられなかった。
おかげで体重がかなり落ちた。体力も一緒にガタ落ちしてたのには気づかなかったらしい。
12月22日。
何となく頭が痛くて、お腹がシクシクと痛かったまま。
でもインフルエンザの時の激痛に比べたら全然何とも無いので、アルコール消毒だ!なーんつって、
いつもの様に焼酎を呑み、スルメに唐辛子を沢山かけて食べてたまま。
12月25日。子供達の終業式の日。
ままはとにかくお腹が痛った。身体を前のめりにたたんでないと痛くて痛くてどうしょうもなかった。
熱を計ったら、またもや39度!
またもや身に覚えが無いまま。
やはり歩けないのでタクシーを呼んで病院へ。
『感冒性胃腸炎ですね。インフルエンザが治ったばかりなのに、踏んだり蹴ったりですね。』
と、医師から言われた。
そんなのにかかってるなんて知らないから、焼酎に唐辛子にスルメ・・・。
39度も出たのはそれで一気に悪化したんだろうね、多分。
いつ、そんなのに感染したんだろう?
いや、でも、もう感染源とか厄年なんか、どうだっていい!
頼むから家族には感染らないでくれーーーーーーー!
とだけ願ったまま。
それから15日経った。
家族には感染ってない。ままの願いは叶ったみたい。
そして、厄年も終わり。
やったー!!!!!厄年終わったー!!!!!
と、振り上げた手が骨と皮だけになってるが気にしない気にしない。
そして、厄年早見表とやらを見たら、来年からまーた厄年が続くらしいけど
とりあえず来年からの事は考えないで楽しく過ごそうと思ってるまま。
そんなに気になるんなら、厄払いとか行けばいいのにね。
2008.04.12
この前、ままが珍しく一人でにやついてたので、
『何かいい事あったの?』
と聞いてみた。
『いや〜、他の人が聞いたらちっちゃい事だと思うんだけどさ〜。』
と、照れてなかなか言いたがらない。
じゃ、いいよ。と諦めようとしたら、
『あのさ〜。』と話し出した。
何やら、子供達との他愛ない会話で、
もし、来世というのが存在してたら、またままのとこに生まれて来る、と言われたらしい。
『これって、母親業やってる者にとって、最高の褒め言葉だよね〜。』
なんて言って照れ笑いしてた。
褒め言葉っていうか、子供達は特に深い意味なんて持たずに言った言葉だと思うよ。
まぁ、本人喜んでるからいいか。喜ばせておこう。
2008.12.10
今年も、もうすぐ終わるな。
今年、ままが学んだコト、というか、本当に心から思ったコトというのは、
『穏やかな日常に浸る幸せ』だそうだよ。
若い頃のままだったら、変化の無い日常なんてつまんないとか、
もっと刺激が欲しいなんて思ってたらしいけど、今はそう思わないんだって。
何も変化なんていらない。
ただ、こうして過ごしていたい。
それだけなんだってさ。
このままでずっといるってコトは難しいコトなのかな。
変化を求めないというコトは、今のままは幸せな状態なんだと言えるんだろうか。
2010.03.07
もう1年以上も日記を書いてなかったね。
何か↑の日記でくーじぃ的に、この日記は完結したという感じがしてたんだよね。
でも、生きてる限り完結してるはずが無いよね。
変りたくなんか無くても変ってしまうし、衰えたくなくても衰えていってしまう。
それならば、もう動かないでいる方がいいなんて考えた。
でも良い方へ変っていくのなら、努力のし甲斐があるらしい。
半年ほど前からままが新しく始めた事。
『音読』
どうやら、黙読してるより、音読した方が脳に良いらしい。
それを知ったままは、
年々、日本に住んでて日本語しかしゃべってないのに、何故か日本語が不自由になっていく自分を感じていたので
はじめてみようと思ったらしい。
しかし、一人で読むのは寂しいし、
本の内容を誰かと共有したいまま。
で、下の子とはじめた。
下の子も音読する。
ままがご飯作りをしている時、食卓の椅子に座り、ままに本を読んで聞かせる。
大抵、孤独な台所仕事に楽しさが加わった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・半年ほど続けた結果。
脳に良いのかどうかはわからないらしい(笑)
でも、読んでて読み間違える事は減ってきたらしい。
そして、ムズカシイ年頃とやらに入ってるはずの子と、本の内容を共有し、
話の続きを楽しみにし、主人公の行動に驚いたり感心したり、結末に感動したり。
それは一緒にテレビを見てても、できる共有かもしれないけれども、
それとはまたちょっと違う感じで楽しいらしい。
しかし、本選びは慎重にしないと、文の多くを飛ばさなきゃならなくなっちゃうんだよね〜!
とままが笑ってた。
何がおかしいのかわからないけど、笑ってるから大丈夫なんだろうな。