風のない庭は、太陽の日差しを全体に受け、まだ若い新緑の葉に仕事を与えていた。
快晴の今日、この時期にしては不思議と暑くない。聖幽戯館に来てから思っていたことだが、昼夜でも温度差がほとんどないように思える。空調が効いているような感じだ。
さて、本分を忘れてはいけない。
「う〜ん……あっちの方は隠れやすそうだな」
美樹は聖幽戯館の横手、水が湧く池とは反対側に向かう。池の側はスッキリと地面が露出しているが、こちらには茂みが多い。普段なら通ることはないだろうが、こういう場合は別というもの。
腰ほどの背丈の草を掻き分け、目の前の枝を腕で払い、ヤブの中の探索を始める。
少し入るだけで、強い草の香りが鼻につく。美樹の動きから避けるように、名も知らぬ虫たちが飛びまわる。
「うわ〜、すごい虫……」
美樹自身、虫は苦手というわけではない。ただ、これほどの集まりの中に飛びこんだのは初めての経験だった。目や鼻に、虫がかすめてくる。
木陰に入ると、日差しがさえぎられて涼しくなると想像していたが、ヤブの中は思いのほか蒸しかえしていた。空気の流れが少ないため、湿度が高いのだ。
葉の側面が鋭い草が肌をなで、少しヒリヒリする。
自然が好きな美樹だが、なかなかこういった機会がなかったため、貴重な体験であった。
館の横手を、周囲を囲む塀との間をまんべんなく歩き、裏手へと進む。
草の壁はここまで。ヒンヤリとした風が吹いていた。
「裏って、こうなってたんだ……」
聖幽戯館の裏側は、地面がむき出しになっている所が多く、石が転がっていたり、コケが張り付いていたり、表の煩雑さと対照的に殺風景なものだった。
目立ったモノといえば、いくつか並んだ四角い石。墓地だ。
そして、その中央付近に居座る、大きな岩。
昼間の明るさのせいで気付きにくいが、どうも周囲よりも強く蒼い光を放っているように見える。
「なんだろう、この岩……」
自分が触れてもいい物なのか。判断ができないので、しばらく離れて観察していた。
「……それは、アンテナだよ」
すぐ後ろに、突然気配がうまれた。美樹の背に緊張が走る。
「暦が魂を回収しやすくするために、浮遊する魂を呼び寄せる媒体だ」
振り向いた美樹は、一歩二歩とあとずさり。
黄色く映える髪の少女、望との距離を取る。
望は、しかし美樹を見ていなかった。その大岩だけを見ている。
それにつられたのか、美樹も大岩を振りかえった。先ほどと、特に変わったところは、なにもない。
唐突に、望の視線が美樹に向く。
「お前、暦に何か言った?」
「え……っと……」
「お前が来てから、暦の様子が変わった」
話ながら、美樹との距離をつめていく。
「何か、暦の考え方を変えるような事があったとしか思えない」
「あ、あたしは……ただ……」
「お前が何を言ったとしても……」
美樹の言葉を無視し、なお話を続ける。怒っているのか、笑んでいるのか、なんとも微妙な表情で。
「いい加減な気持ちで言ったのなら、歩がなんと言おうと、私はお前を消す」
淡々と話すだけに、今のセリフは恐かった。
今までの望は怒りをあらわにしていたのに、今日は何か違う。
「暦はね、人間の成長を楽しみにしていたんだ。ずっと大切にしてきた人間の成長をね。その人間に裏切られ、なお護ろうとしている」
すっと、望は体をひるがえす。
「そんな暦の傷を、人間のお前に癒せるとは思えないね。もしできるというなら……」
周囲に風が集まってくる。
「半端なことは許さないからね」
フワッと空気に溶け込んでいった。
初めて会った時の突風と違う、爽やかな風があたりに残った。
結局、美樹は何も言えなかった。
しかし、1つわかったことがある。
(人間が自然をいじってるから、人間が嫌い……ってわけじゃないのかな?)
人間嫌いの理由が別にある気がした。
ただ恐いだけだと思っていたけれど、違う面を見ることができた。
(暦ちゃんの期待を、人間が裏切った……から?)
「望が人間を嫌いな理由、わかったかい?」
また、唐突な声掛けだ。母神というのは、いつ現れるかわからない。
「あ、泉さん……」
透き通った髪を揺らしながら、こちらへと歩み寄ってくる。
「望さんって……暦ちゃんのことを心配して、あんなに人間が嫌いになっちゃったんですか?」
「ま……そんなとこだね。私たちと違って、望は人間の存在そのものには、たいして感心がないんだ。ただ、暦がね……あれだけ悩ませている、それが許せないんだな」
それで、原因を取り払うべく、あれほどの敵意を持つに至った、ということか。
「望にとってみれば、美樹ちゃんと仲良くしているってこと自体、耐えられないことのはずだ。でも……」
泉の言葉が、途切れた。ちょっと考えるように。
「なんですか?」
「いや……さっきの望はね、美樹ちゃんを試しているような気がしたね。人間が嫌いとはいえ、暦の心を救えるような存在なら、望にしてみれば歓迎の対象になるだろう」
半端なことは許さない……。
去り際に残したセリフを、美樹は改めて思い返す。
「まぁ、美樹ちゃんを歓迎したとしても、人間が好きになるとは思えないけどね」
当然だろう。
今まで嫌いだったものが、たった一人の人間のために好きに転向するとは思えない。
「あ、そういえば、泉さん」
「ん?」
ふと、美樹は自分と泉の立場というものを思い出した。
右手でビシィ! と泉の顔を捉えると、
「泉さん、みーっけ!」
なんとも、あっけない幕切れであった。
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