月明かりが窓から射し込んでいる。
美樹のために作ってくれたベッドの上にロープを渡し、先ほど洗ったばかりの衣服のシワを伸ばしながら、ていねいにかけてゆく。
今は、倉庫で見つけて洗っておいた浴衣を着ている。今夜はこのまま寝るつもりだ。パジャマがないのだから、仕方がない。
「うん、これでよし」
洗濯など、普段はほとんどしていないが、やればなんとかなるものだ。
ずっと横に張り付き、美樹の行動を眺めていた暦は、今は椅子に座ってこちらを見ている。立っていて疲れたわけじゃなかろうが、暦の落ち付く体勢というものもあるだろう。普段と違うことをすると、落ち付かないのは、人間と同じ感覚かもしれない。
「そろそろ寝るの?」
正確な時間はわからないが、夜になるとすることもなく、すぐベッドに入っていた。みんなで座談会をしようとしても、人間はもう寝る時間だからと言って、なかなか取り合ってくれない。
「うん」
美樹は今日も、当然のようにベッドへと滑りこむ。
「おやすみ、暦ちゃん」
すぐには眠れないだろうが、挨拶はしておく。習性というものか。
昨日までは、美樹が眠るまでの間、部屋にいた暦だったが、この日は違った。美樹の様子を少し伺っただけで、どこかへ出ていった……。
暦がリビングに入った時には、すでに他の母神たちは集まっていた。
望だけは、機嫌が悪そうだ。
「さて」
挨拶もなく、歩の口が動く。
「美樹とは、コミュニケーションはとりましたか?」
自分でも、誰が美樹といたのか、およその見当はついているものの、直接本人の言葉で確認したかった。美樹をどう思っているのか、それを推し測ることができる。
「私は、だいたい一緒にいるから」
言葉少なめの暦だが、少し嬉しそうなニュアンスが感じられる。
「そうですね、料理を一緒に作ったのですが……明るくていい子ですね。物怖じしないというか……」
「それは私も同感だな。私達に警戒するどころか、意見するあたり。でも、まだまだだな」
この二人も、悪い印象は持っていない。話し方に気持ちが乗っている。
潜は何も言わないが、小さく頷いていたのを見逃すことはなかった。小さな動作とはいえ、意思を伝えようとする仕草を取ることは、潜の性格からしても珍しい。
問題は、最後の一人。
当然、全員がそのことを思ったのだろう。視線は望に集まっていた。
当の望はというと、極力話題から距離を置いていたのだが……。
「私も、話はしたよ」
脱衣所での一件のことだ。話したというより、一方的に言葉を押し付けたっぽいが。
「でもね。みんなと違って、慣れ合うつもりはないからね」
「別に慣れ合っちゃいない」
少し呆れたような望のセリフ。しかし、すぐさま言葉を返したのは泉だった。
「共同生活する以上、美樹ちゃんの健康や精神に配慮するのは当然だろう。そんな基本も忘れたのか?」
自然を管理する母神たち。自分の配下はもちろん、全ての自然に対し同等の恵愛を。これは、生まれたその時からの理とされている。いわば、母神たちの習慣みたいなものだろう。
当然、望もそんなことは知っている。
「ともかく、私は私の意思でやる。人間がここで暮らすのなら、必要あらばまかないくらいするよ」
バカにするなと泉をにらみ返し、その視線の矛先を、今度は歩へと向けた。どうしても聞いておきたいことがあったのだ。
「それで……歩はどういうつもり?」
誰もが聞きたかった質問。望らしいというか、単刀直入に質問した。
あの夜、美樹の処分をせず、わざわざこの聖幽戯館に住まわせた……あの行為は、誰が見ても疑問の残るものだったのだから。あえて尋ねることもしなかったが、気にならないわけではない。
やはり興味があるのか、歩が注目された……ただ、一人を除いて。
一度、歩に伺いをたてていた泉。あらかじめ聞いた余裕だろうか、他の母神達の表情を鑑賞しているかのように。
「そうですね……どうやら、皆も望と同じ気持ちのようですが……」
雰囲気を察した歩。
「私の今の本心を話すことはできません」
やっぱりな、と、泉が肩をすくませる。
しかし、質問した当人は、この答えでは納まらないだろう。一瞬、部屋の入口に目をやり、再度歩に対する。どうやら、美樹がいるのではないかと気にしているようだ。
「歩。いつもいつもそんな答えで、納得させられると思わないでよ!」
望のほうも、今回は積極的に攻める。よほど納得いかないのだろう。簡単には退かない覚悟でここにいるかもしれない。
周りの母神はそれを止めはせず……そして、賛同しようともせず、芝居を見る観衆の如く成り行きを見守っている。
「今までは、私たちも多少の譲渡はしてたけど。それも、歩の判断に少なくとも理解があったからね。でも、今回は解からない」
その主人公は、黙っている相手へと一歩ふみだす。
どうも、今までとは違い、わずかでも納得できる部分がなかったらしい。
「…………わかりました」
歩も、このまま説明せずにおけば状況が悪化すると考えたのだろう。珍しく重い口を開く。
「美樹を生かしたのは、人間のことを知る良いチャンスと考えたからです。母神は人間を遠ざけたことで、人間の心を知る機会が制限されてしまいました。美樹との生活は、いい機会だと……あなたたちも、偏った見方で判断したくないでしょう?」
母神の性格をうまくついた説明だった。
自然を平等に扱う母神にとって、『偏った見方』というセリフには敏感に反応する。美樹が偏った考えを修復してくれる存在であることを認識させた上で、自分の考えを受け入れさせる。そう、望も追求をやめるしかないのだ。
「本当は、自然とそうしてもらいたかったのですが、仕方ありませんね。できる限り、美樹とのコミュニケーションを取ってみるといいでしょう。結果、あなたたちがどのような心意を抱くとしても……」
さすがに、自ら美樹へ依頼の意を伝えたことは話さなかった。やはり、自らの立場というものがある。
「寿命を迎えるまで、計画はおあずけ……なんていわないだろうね?」
望は、さっさと計画を実行して地球の害を取り除きたいと思っている。いまさら数十年も遅延されるのは我慢ならないところだ。
歩もそれは解かっていた。必要以上に遅らせれば、母神の中には望のように我慢の限界に達する者も出るだろうことは。
「それは違います。そうですね…………一年を目処に」
「一年…………ね」
それなら、待ってもいい。
最終確認をするように一度復唱し、望も納得したようだ。
「他に意見がなければ、解散します」
一人ずつ、視線を移しながら意思を確認してゆく。
どうやら、なにもないようだ。
「それでは、今夜はここまでにしましょう」
解散の声がかかり、母神たちはリビングを出た。
歩と茂は部屋へと戻り、潜ロビーに腰を落ち付けた。暦と泉は庭に出たようだ。そして望は……。
しばらくの間、リビングにいた。
窓から、暦と泉の姿が見えている。何か話しながらいる二人を目で追って。
「……………………」
いや、暦に目がついている。
「私は……絶対に人間を許さない」
決意を固めるように、しかし小さな声で望はつぶやき、消えた。
蒼い光に溶け込むように……。
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