「これでどうですか?」
茂の言葉に、連れてこられたキッチンを見渡し驚いた。
昨日見たのとは違う。設備こそそのままだったが、食材と調味料の数がハンパじゃない。世界の食材が集まったような光景だった。言うなら、どんな料理をしたいのか、ジャンル分けの難しい集まりだ。このへんは、やっぱり母神らしいところ。
これを揃えたのは、ほとんど歩のおかげだそうだ。肉にしても野菜にしても、暦や茂の管轄ではあるものの、それは性質を管理しているのであって、固体であるのに違いのない動植物の体は、やはり歩の管理下にあるそうなのだ。そう考えると、歩の管轄はかなり広い。
「とりあえず、人間が食べているモノを中心に集めてみましたが……」
そうでなくては困る。人間が食べていないモノを使って、どう料理しろというのか。
「設備も変えようと思ったのですが、エネルギーの関係は歩では扱えないので、今はこの鉄板でなんとかしてくださいね」
フライパンやらお鍋やら、たいそうなものが並んでいるのに、結局使えないようだ。まぁ、バーベキュー気分でやればいいだろうか。
……そもそも、美樹は料理の心得がさほどあるわけではない。このくらいがちょうどいいかもしれなかった。
とりあえず……気分通りにバーベキューでもしようかと考える。
「それじゃあ……牛肉とキャベツとタマネギと……」
高そうな牛肉だが、歩が出してくれた以上、値段は気にすることはないはず。ぜいたくに使っても問題はなさそう。これには、ちょっと嬉しい美樹だった。
材料を刻むのは茂に任せた。包丁は使ったことないようだが、やってみたいとのこと。今までは、ただちぎったりつぶしたりしていたらしい……まともな料理にならないわけだ。
初めて包丁を持った人間とは違い、茂は安心して見ていられる。上手だったわけではなく、ケガをする心配がないからだ。実際、何度も指のある場所に刃が通っていたが、茂は平気な顔をしている。人間だったら、間違いなく指が切り離されていたことだろう。
美樹は気付いていなかったが、茂の指はなんども切れていた。その瞬間、ただ修復しただけなのだ。
さて、いつまでも見ているわけにもいかない。美樹は調味料の選出を行なう。
まとめて置かれている中には、美樹も知らないような調味料が多くある。その中で、よく知った塩とコショウを取り出した。焼肉のタレがあるとよかったが、見付けることはできなかった。おそらく、調味料として認識されていないのだろう。
「美樹さん、これくらいでいいでしょうか?」
見ると、茂は尋常でないほどの野菜を刻み終えていた。軽く30センチほどの野菜の山ができている。
「こ、これ……多いんじゃないかな……」
「そうですか? ……ま、大丈夫ですよ。美樹さんが食べられなくても、私たちがいますから」
問題ないとばかりに、続けて牛肉のカットを始めるのだった。この作業が面白いのか、なにやら鼻歌でも聞こえてきそうな、ウキウキした顔で。
そういえば、母神は人間とは違う。食べることも必要ないのではないだろうか? もしかしたら、わざわざ料理をするような茂は、人間が好きなほうなのかもしれない。
とりあえず茂の言葉を信じ、美樹は鉄板で野菜を炒めることに。
しかし、この鉄板は危ない。常に熱いということは、洗うこともできないではないか。予想通り、鉄板には元は野菜かなにかだったろう炭がこびりついている。ひとまず、ヘラを使って炭を取り除いた。
「人間はキレイ好きなんですね」
その作業を不思議に思って尋ねてくる茂に、簡単な説明を加える。
キレイ好きという問題でもなさそうだが……いや、そうかもしれない。人間以外の動物は自然の中で不衛生なものを食べて生きているのだから。人間のほうが特殊なのだ。
茂が切った野菜を鉄板に全部乗せると……さすがに炒めにくい。2度に分ければよかったと後悔した。おかげで、あまり火が通ってないものと、焦げたものが共存する炒め物になってしまう。
(あたしも、やっぱり料理ヘタだな〜……)
それでも茂は美樹の料理に感激するのだった。彼女の料理レベルがいかに低いかわかる。
しかも、炒めるのに必死で味をつけ忘れていたのだが……そこはできあがった炒めものに塩コショウを降ってごまかす。人間相手なら、いろいろ文句を言われそうな料理だ。
その失敗を教訓として、今度はちゃんと適量ずつ炒め、味もちゃんとつけられた。こうして人間は進歩していくのである。
「これで、完成ですね?」
「うん……」
正直、満足のいく料理ではないが……茂は喜んでるみたいだし、よしとしよう。これで、好感度もアップしたに違いない。
「ねぇ、せっかくだから、母神のみんなにも食べてもらわない?」
茂に対して慣れてきたのだろう。言葉に開放感が感じられる。
「そうですね……いいかも知れませんね」
「それじゃ、あたし呼んできます」
「では、私は準備していますね」
お皿などの準備は任せ、母神たちを呼びに走り出る。
まず出会うのは、ロビーにいた暦だ。当然のようにOKしてくれた。
次は、庭にいた泉。多少の抵抗を見せたものの、もともとの世話焼き気質があってか、了解してくれた。
1階の部屋にいる潜にも声をかけたが、相変わらずの無反応ぶり。返事も聞けないまま、美樹は2階へ。
望はどこにもいなかった。出かけているのだろう。
そして……。
「なるほど、作った料理を食べさせるのはいいと思います」
歩は、話を聞くとそう切り出した。
「まずは人間の文化を学ぶことが大切。相手を知らないままで是非を問えば、先入観しか出ないもの。そういう意味でも、正しい選択でしょう」
「そこまで考えてやったわけじゃないけど……ただ、作りすぎただけで」
こんなに褒められてしまうと、かえって恥ずかしい。
ともかく、歩も引き連れてダイニングに戻った。
入ってみると、4人の母神が席についていた。どうやら潜も来ていた。返答こそなかったものの、心がホッと軽くなる思いだ。
「やっぱり望は来ないようだなぁ」
と、泉。
「あいつは、人間はもちろん、人間の生活形態を嫌ってるからなぁ」
「そうですね。本来なら服を着る決まりなのに、ああしているのも望らいしですよね」
あの恥ずかしい格好は、そういうことだったようだ。それでも羽衣みたいなものを巻いていたのは、他の母神たちに対する便宜を図ってのことだろうか。
「さ、それでは食べましょうか」
待ちきれないとばかりに茂が催促する。
ただ炒めただけの野菜とお肉。決して上手な料理ではないものの、コショウの香りがいい塩梅に漂う。
「見た目、茂が作ったのとは雲泥の差だな」
泉も少し興味を持ったようだ。誰よりも早く手をつけた……言葉通り、素手で。
美樹は今になって気付いた。取り分けるための小皿は出ているものの、箸がない。素手で食べるわけだ。
(でも、みんな箸なんて使えるのかなぁ……)
指摘しようかどうか迷っている間にも、母神たちは何のためらいもなく素手での食事を始めてしまった。歩や暦も、気付いているのかいないのか、同じように食べている……。
(まぁ……いっかぁ)
こうなったら、自分もならって素手で食べよう。こういうのも楽しいかもしれない。
まだ少し熱いお肉をつかみ取り、口の中に放りこむ。さすがにいいお肉を使っただけあり、美樹の腕をもってしても、それなりの味わいを見せた。
「さすがですね、美樹さん。人間なだけありますね」
「うん……茂の料理と全然違う」
と、誰もがベタボメ。
「でも、母神には味を管理する人っていないの?」
「いるよ」
口で野菜をかみながらも、泉。
「でも、味といっても、個々が持つものまでだけどね。その味で、動物は危険なものか安全なものかを判断する。人間みたいに、料理という方法で複数の味を組み合わせた場合、どういう味に感じるかまでは計算できないんだ」
「本来、動物は個々の味を見分けていた。でも、人間のように、複数の味を同時に味わい楽しむ行為は、母神の予想できないところ。美味しい、マズイ、そういう感じ方は人間だけ」
後半は、暦がお肉をモグモグやりながら。
「でも、母神ならどんな味になるかくらいは……」
さすがに美樹は、かんでいるモノを飲みこんでから話す。
「ええ、どんな味になるのかは解るんですが……それが美味しいものなのか、マズイものなのか、それが判断できないんです」
「でも、食べて美味しいとは感じるんだぁ……」
「それは……」
今まで黙っていた歩が口を開く。とたんに、場の空気が静まった。
「私たち母神も、人間の姿でいる以上は、人間の体の特徴を受け継ぎます。普段はその影響が出ないよう、各々がプロテクトをかけていますが……この場では、味に関するプロテクトを解いたということ」
テーブルの向かいで、泉がウンウンと同意をしている。
「私たちが人間の姿でいるのは、今この地球上での支配種だから。これは、母神の中では暗黙のルールとなっているんですよ」
「そうだったんですか……」
裏を返せば、母神はどんな姿にもなれるということ。茂が指を切り落としても平気なのは、切り離された状態に変形しただけ、と考えていいのだろう。
しかし……美樹は少し食べてお腹いっぱいになったが、母神たちは食べるペースが落ちない。満腹中枢でもいかれてるのかと思わせる量を食べている。暦でさえも。というか、満腹中枢など、最初からないのだろう。大食い対決したら、優勝決定だ。
「美樹は、料理がどんな意味を持っているのかわかる?」
突如、暦が問いかける。
「どういうって……」
料理は料理じゃないか。どんな意味があるのか、と言われても、美味しく食べるだけの美樹に答えなど出ない。困っていると、
「そうだな。料理を作る人間が意味くらい解ってないとね……私達にこうして食べさせてくれてるんだし、解らないわけがないよな、美樹ちゃん?」
「う……」
まるで美樹を試すかのような泉のセリフ……ここでヘタなことを答えたら、印象を悪くしてしまうかも……。
暦を見てみる。何か助言してくれるかと期待したのだが……この場合、助言を受けては意味がない。
茂は、なりゆきを見守るというところ。同じく潜も。
歩は……視線が会うと、小さく頷いてみせた。
『あなたは、あなたらしく、母神に接していけばいいのです。そう、友に接するように……』
昨日言われた言葉だ。自分らしく……ホントにそれでいいのだろうか?
ここに来てまだ間もない美樹だが、母神たちの気さくな性格は理解した。こちらの話を跳ねのけるような母神は望くらいなもの。こちらが真剣に話せば、ちゃんと話を聞いてくれていた……。
「あたしは……」
心を決めた。
「料理は、美味しく食べるためのものだと思います」
言ってしまった。
歩の顔を見るが、今度は何もジェスチャーはなかった。気付かれるとマズイということだろうが……。
他の母神に視線を戻してみる。
「まぁ、近からず遠からず、だな」
どうやら、大はずしはしなかったみたいだ。
しかし、美樹は本当の理由なんて知らない。いったい、どんな理由が……そもそも『美味しく食べる』が近いとは、想定外であった。
「つまり、本来人間が食べるべきでない食糧を食べられるようにするわけですね。加熱すれば、細菌や毒もある程度排除できますから」
茂の言葉に、潜が目だけで抗議したように見えた。細菌も管理している彼女にとって、今の言われ方は面白くないだろう。無口で無表情で、感情がないようにも思える彼女にも、やはり意思はあるのだ。
「それが、人間の過食にもつながったんだけどな」
「そう堅く考えなくてもいいじゃないですか。料理は、食の芸術。私達が楽しむ分には問題ないですよ」
それはある意味、人間はするな、とでも言っているかのような……。
そうこうする間にも、てんこもりの料理は全てなくなっていた。大食いチャンピオンが勢ぞろいしたのかと勘違いするほどのペースであった。やることなすこと、人間業ではない。
「さてと。食べ終わったし、私はちょっと出かけてくるよ」
立ち去ろうとする泉。美樹が慌てて声を上げる。
「あの、これからも来てくれますか?」
「そうだな〜、美樹ちゃんが作ったのなら、いいかもな」
そう言って姿を消した。
「あら。私の料理は食べられないと言うんですね……」
微妙にムッとする茂をよそに、美樹の心は晴れやかだった。
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