聖幽戯館〜自然の理想2〜
聖幽戯館に来て2度目の夜。
 あいかわらず、青い光は綺麗で、時折フワフワと光の玉が転げ落ちては消えてゆく。
 その光の玉を手で受けとめてみたくなり、何度も挑戦してみた。しかし、まるで手をすりぬけるように落ちていってしまう。
 諦め、庭にあるコケの生えた岩に腰掛け、聖幽戯館を見上げた。
 屋根の上では、光の玉が踊っている。
 これが単独で、暗い中を漂っていたならば、きっと美樹は逃げ出していただろう。幽霊とか人魂とか、そういうものは苦手だ。でも……。
「母神は、そういう感じには思えないんだよねー」
 人間ではないが、幽霊でもない。はある意味魂の塊みたいだが、怖いどころかすごく親しみを感じてしまう。
 実際、母神とはそうなのかもしれない。
 自然を統括する存在として怖れられるが――あの時、熊が逃げたように――本当はすごく優しい。との会話の中で、美樹の中にそんなイメージが生まれていた。まだ、美樹の知らないところで。
 夜の涼しい風が、美樹の肌をなでる。
 そう、あのでさえ……風はこんなにも優しいのだから。
 まだ怒っているところしか見たことがないが……そうであって欲しいという希望でもあるだろうか。
「そんなところでボーっとして、どうしたんだい?」
 まさにボーっとしていた美樹。突然話しかけられ、意識が現実を取り戻す。
 すぐ横に、水色の髪のがいた。長いその髪は、水の流れを思わせる。
は?」
 1人でいる美樹を不思議に思ったのか、キョロキョロと辺りに視線を走らせている。
「散歩に行くって言ってましたよ」
「あー、そういや、この時間は良く出てるなー」
 そう。良く散歩に出ているらしく、結界から出られない美樹――母神と一緒なら出られるのだが、禁止されているので――は1人ここに残っていた。美樹と出会ったあの時も、散歩の最中だったらしい。
 この母神は、液体の管理をしているということだが、性格のほうも流れる水のように自由奔放に見える。しかし、その分、親しみやすい所もあるのは確かだ。妙にかしこまったりされると、付き合いづらいもの。
「あの、水を汚してすいませんでした」
 何気なく出た言葉はそれだった。
 突然の謝罪に驚いたのか、はポカンとしていたが、
「あはははは。別に美樹ちゃんが謝ることじゃないって」
 美樹の頭をポンポンと叩いて笑う。
「でも、あたしだって、少しは水を汚す原因を……」
「だ・か・ら」
 座っている美樹に合わせ、屈んで顔の高さを同じにする。そして、2人の間で指を振り、
「汚したのは仕方のないことだ。今の人間にとって、今の生活が普通になってる以上、これは必然的な現象なんだからな」
 ひとまず美樹のセリフを制すると、再び立ちあがる。
「私たちが人間に好意を持っていないのは、そういうことじゃない。そんな社会を構成してしまった人間たちの身勝手さなんだ。だから、人間たち一人一人の問題じゃない」
 なんだか、難しいことを言い始める
「それに、私は水が汚れようが、別になんともないからね」
「えぇ? でも、だって……水を管理しているんでしょ?」
「いや、水も管理している、が正しいな。昨日も言っただろう? 私はマグマみたいな液体は全て管理しているんだって」
 確かに言っていた。
「それに、水が汚れようがどうしようが、私の方には影響はないんだ。汚れるのは不純物が混ざるからで、水の性質に変化が出るわけじゃないしね。問題があるとすれば、それによって生態系を崩される動植物のほうだな」
「じゃあ、ちゃんや……さんが?」
 が小さく頷いて返したのが、答えとなっていた。
「その2人が、最たるものだな」
 こうして説明を聞いていると、確かにそう思えてくる。
 人間の行動で、自然のいろいろな物が壊れたりしているけれど、空気や水は、それ自体にはほとんど影響はないかもしれない。水や空気が減ったりしているわけではないのだから。問題なのは、やはり、動植物のほうなのか……。
 だが……それならどうしてはあんなに怒っているのだろうか。彼女は空気の管理をしていたはずなのに……。
「じゃあ、ちゃんには悪いことしたかな……」
 さっき自分で偉そうなことを言っておいて、いちばん人間に迷惑していたのはではないか。それでも人間が好きだなんて……なんだか、切なくなってしまう。
「だーかーらー、美樹ちゃんが気にすることじゃない……おっと」
 短期間で2度目の同じセリフをいいかけて、ふと上空を見上げる。と、美樹の後ろに回りこみ、
「そろそろ雨が降ってくるぞ。濡れたくないなら、中に入ったほうがいい」
 脇に手をつっこんで、ムリヤリ立たせた。どうやら、濡れてもいいと美樹が言っても、中まで連れて行かれそうだ。……いや、濡れるのはイヤだが。とりあえず、自分から中に避難することにする。
 その美樹を追って、もまた聖幽戯館に戻ってきた。そして、程なく天から雫が落ちる音が、パラパラと響いてくる。
 未来予知……母神が持つという力の1つ。これだけタイミング良く雨を回避できるとは……。
「あの、未来を見たんですか?」
 なにげなく質問をする。
「ん? あぁ。このくらいの近い未来だったら、意識しなくても見えるからな」
 少し自慢気に左手を腰に当てて答えてくれた。少なくとも、美樹には自慢気に見えた。
 ザー……
 雨は急に激しくなったようだ。屋根から滴る雨だれの音も大きく聞こえてくる。
「未来を見るって、予想が出来るってことなんですか?」
 の時とは違い、見た目が年上というせいか敬語が出てしまう。
「予想……とは違うなぁ」
 ポリポリと頭をかきつつ、スッと目の前の階段を指差す。
「例えば、だ。階段の上から、ボールを転がしたとする」
 指は少しずつ下に降り、階段の一番下を示す。
「で、ボールは階段から床に転がって……いずれどこかで止まるわけだ」
 美樹は、指が示す先を目で追って、説明に耳を傾けている。わざわざ例を出してまで説明してくれてるのだ。ちゃんと聞かないと失礼になる。
 ……怒らせたくないという気持ちも、ほんの少しだけあるが。
「じゃ、ボールはどこに止まる?」
「え? ……えーと……」
 そんなこと、わかるわけがない。
「わからないだろう。でも、私たちなら、止まる場所を1ミリの誤差なく事前にわかる。そういうことだ」
 どういうことだ?
 突っ込みたくなったものの、言いたいことは解った。
 つまり、それだけ正確な未来を知ることが出来る……予想をはるかに超えた、そんな力だと。
「でも……」
「ん? まだ解らないか?」
「いえ、でも……」
 また別の例を持ってきそうなを制す。そして、少しの間。
「?」
 美樹が訴えかけるように眼を向けるので、様子を伺っている
「それって、つまらなくないですか?」
 は美樹の瞳を見たまま、黙った。美樹の言葉を吟味しているかのように。
 しばらくの間、水の流れる音だけが空間を支配していた。
 やがて、ふっとが力を抜くように視線を逸らし、
「それは、考えたこともなかったな」
 虚空を見上げ、今までのことを思い出すように。
「あたしは未来なんて見えないからわからないけど……でも、全部わかっちゃったら、つまらないと思います。漫画や映画だって、先がわからないからドキドキするし、最初からわかってたら面白くないし……」
 は、一瞬だけ美樹に視線を移すが、すぐにまた上に戻す。漫画や映画がどんなものなのか、よく知らなかったのだが……イメージだけはあったために、言いたいことは解った。
 視線を降ろしてみると、美樹の懇願するような視線があった。
 そんな真摯な視線にあてられたのか、もまた真面目に答えようと考えたようだ。表情に真剣さが入った。
「少し前まで、未来が見えることが普通だったんだ、私たちは」
 人間にとって、少し前というなら数年前だろうが……きっと母神にとっては、数百年単位なのだろう。
「それが、あたり前のことだと思ってたよ。だから、狂いが生じたあたりから、自分たちの管理する自然の未来に不安になってきた」
 広いロビーを見渡し、
「以前は、聖幽戯館にほとんどの母神がいたんだ。でも、直接自分で自然の状態を確認しようと、今では外にいる母神のが多い。その中で、人間の好き勝手な行動に嫌悪を感じる母神も増えたんだな」
 すっかり寂しくなった聖幽戯館に想いをはせた。
 美樹は賑わう当時の聖幽戯館を想像してみたが、パッとしたイメージは浮かばなかったようだ。
「他の母神って、どんな感じなんですか?」
「んー……どんなと言われても…………基本的には私たちと同じだ。性格はいろいろだけどな。自然の未来について、いろいろと構想を話しあったりもしたな」
 何かおかしなことでも思い出したのか、はフフと笑い、
「そういうことで……私たちは、未来が見えることでつまらないと思ったことはないし、逆に困難になって不便を感じている、ってことだな」
「そう、ですか……」
 この答えは、予想できる答えだった。だが、美樹の想いとは逆の感性を持つ母神の想いに、やるせなさを感じたか……言葉にハリがない。
 でも、そうかもしれない。
 に限らず、母神はみな、未来が見えることを普通だと思って存在してきた。それが突然こうなれば、不便に思うのも当然……人間にたとえるならば、ある日突然、世界中からテレビやラジオが消えてしまったようなものかもしれない。
 一目に元気のなくなる美樹を見、
「まぁ、美樹ちゃんが人間のことを想うのは当然」
 階段へと歩み寄りつつ続ける。
「人間に未来を予見する力はない。道具を使ってある程度予測は出来ても、私たちとは正確さが違う。もともと、人間が未来を予測する必要はないからね」
 去りゆくの背を追う、美樹の寂しそうな瞳。
「予見の力がつまらないと思う……それは、あくまでも『娯楽』として考えた場合じゃないのか? 自然を管理統括する私たちにとっては、必要最低限な力だと思ってるよ。でも……」
 階段に足をかけたところで、が振り向いた。
「私たちも、遊びでなら、未来を知らないほうが楽しいかもしれないね」
 ウインクなぞして、場の雰囲気を軽くしてくれた。
 美樹は、が2階へ姿を隠すまで何も言えなかったが、心は少し軽くなった気がした。
 そして、最後のセリフに、少しホッとしていた。
 ただ、自分の意見を言うだけではなく、こちらの意見も極力理解しようとしてくれたみたいに思う。
「やっぱり……母神は優しい、のかな?」
 先ほど感じていた想いを、再確認できた気がした。
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