頬に降り注ぐ暖かさが目覚ましになった。
瞼を開くと太陽が目に入り、眩しさに涙があふれる。
今度は体ごと転がり太陽から逃げる。家具のない、ガランとした部屋だけが視界に入った。
聖幽戯館の青い光も、強い太陽の光にかき消されるようにハッキリしない。影になった所が、わずかにソレと解る程度だった。
何時ごろだろう?
そう思って、時間を確認する術がないことを知った。
聖幽戯館には時計どころか、人間が使うような家具も電化製品もないのだ。あるのは、剥き出しの木目と白っぽい壁ばかり。イスとテーブルはあるものの、インテリアも何もあったものじゃない。
美樹は足をベッドから降ろし、その力を利用するように上体を起こす。ちょうどベッドに腰掛けるような形だ。
その時、ポケットに何か入っている感触を覚えた。
「あ、そうだ。携帯」
ハーフパンツのポケットに忍ばせた携帯電話のことを、すっかり忘れていた。
取り出して見ると、デジタルの数字が10時37分を示している。やはり昨夜の疲れがたまっていたのだろう。もうすぐお昼になろうかという時間だった。
もしかしたら、これで家族や友達と話せるかもしれない……
「圏外かぁ……」
その想いは簡単に砕けた。
なにげなく、保存されている写真を見てみる。
そこには、笑顔の友達の顔。
少し照れた母親の顔。
今まで美樹が過ごしてきた時間が、そこにはあった。
ケーキの壁紙もあった。
くぅぅぅ〜……
それを待っていたように、美樹のお腹が鳴る。よく考えてみれば、昨日のお昼を最後に何も食べていないのだから当然だ。そう思ったとたん、キリキリと痛みにも似た感触が発生する。
「お腹すいたなー……」
美樹は携帯をポケットに戻そうとして……少し考えて電源を切った。充電はできないだろうから、少しでも長持ちさせようと思ったのだ。話せないと知っていても、写真は見れる。それだけで、美樹には少しだけ安心感が芽生えた。
それを、出窓の脇へ置いた。
もう一度窓の外を見てみる。太陽は森の木々から顔を出したばかりのようだ。生い茂る木々のせいで、この時間にならないと日光が当たらないらしい。
ともかく、何か食べないことには始まらない。美樹は食べ物探索にに行こうと立ちあがる。
カチャ。
その動きをまっていたかのようないいタイミングで扉が開き、暦が部屋に顔を出した。そして、もう1人、緑色の服を着た少女、植物の母神、茂も。
「おはようございます」
まず笑顔で挨拶したのは茂だった。澄んだその声に、美樹も慌てて挨拶を返す。
「よく眠っていましたね。お腹が空いたと思いますし、お食事、食べに行きますか?」
「はい、喜んで!」
お食事という言葉に反応して、特に何も考えずに返事をしてしまった。
昨日のことを思うと、あまり彼女たちを信用するのはキケンかもしれないが……返事をしてから、しまったと思っても、撤回するのは失礼……というか、断って「はいサヨナラ」で何も食べられないのは悲しすぎる。
こうなったら、食べられるのなら、もう何でもいい。
結局、空腹に負けた美樹は、2人の母神と共に部屋を出た。
「ここが食堂なんですよ」
茂の案内でやってきたのは、1階廊下の突き当たり。開いた扉の奥には、テーブルと6脚のイス。その上には……何かテキトーな料理みたいなモノがあった。
「……………………」
「私、人間が作る料理というものに興味があるんです。それで、こうして毎日挑戦しているんですよ」
少し自慢気に説明している脇で、美樹は究極の選択を前に大いに悩んでいた。
原因は、目の前に並んだ黒く変色した炒め物。
(なんだか、茂さんは料理が自慢みたいだけど……コレってどう見ても失敗作よ。でも、そんなこと言ったら怒られ……ううん、また昨日みたいなことになるかも知れないし……かといって、ヨイショしたらコレ食べないといけなそうだし…………あー、どうしよう〜)
「是非、美樹さんに食べてもらって感想を聞いてみたいんです。やっぱり、本職の人間に聞くのが一番でしょうから」
そんな美樹の心の声も知らず、茂はその炒め物を勧めるセリフを、相変わらずの笑顔を向けて投げかけていた。
(う〜……もう、食べるしかないのかな……でも、コレ食べたらお腹こわすかも……ううん、ヘタしたら死ぬかも?)
「……美樹?」
この部屋に入ったとたんに、視線をモロに泳がせる美樹の異変に気付いたのは、やはり暦のほうだった。
(あ、そうだ。急にお腹がいたくなったからって断る手も……)
しかし、暦の呼びかけに気付かずに、やっと王道を思い出した。が、
「美樹」
「え?」
服を引っ張られて、現実に引き戻される。
「どうかしましたか?」
小首をかしげ、茂もまた尋ねてくる。美樹から反応が戻ってこないので、さすがにヘンだと思ったようだ。
さて、どうしたものか。
「え〜と…………ぅ、お腹が急に! イタタタタ」
美樹の選択は、学芸会ばりの棒読みで作戦を決行。みるからにわざとらしく、誰が見ても明らかなウソ演技。これでは、だますモノもだませない。
そう思うのは、人間だけなのだろうか?
「まぁ、大丈夫ですか? 何か悪いモノでも食べました?」
なんと、素直に美樹の心配を始めてくれた。悪いモノは目の前の物体の気もするが……ともかく、母神には、王道とか邪道とか、人間のソレとは違うのだろうか? 茂はかなり本気で心配している様子。
すると、右手を軽く握る茂。もう一度開くと、そこには黒っぽい粒が1つ。ちょっと見ると、ウサギのフンのようにも見えるが……
「これを飲めば大丈夫ですよ。お薬です」
と、美樹の口元に近づける。
異様な臭いがした。
「……………………」
良薬は口に苦い。
脳ミソの片隅にこびりついていた、そんな格言を思い出す。
しかし、この臭いでは、そんな先人の知恵も疑いたくなってくる。
いや、それ以前に、美樹の腹痛は演技だ。そもそも、薬など飲む必要などない。しかし、飲まなければ演技がバレてしまうかも……
「茂」
飲むべきか、飲まざるべきか。再度、悩む美樹を見かねたのか、
「美樹は、別に病気ではない」
いとも無造作に伝えてしまった。
美樹の心臓が跳ねた。
「? どういうことなんです?」
「美樹は、病気ではない。ただ、茂が作った料理を食べたくないから、ウソをついたんだと思う」
暦にはバレバレだった。さすがに、人間の行動は良くわかっている。しかし……
「そうなんですか? 私、全然わかりませんでしたが……」
どうやら、母神うんぬんではなく、茂そのものが、どこか抜けているのだろうか……?
ただ、暦の申告によりバレてしまった計画。茂も気分を害したのではないだろうか……そう思い、美樹は慌てる。
「え、えーと……その……」
ジッとこちらを見つめる深緑の瞳を前に、言い訳も思い付かない。
「う〜……………………」
「……………………?」
美樹のセリフを待ち、小首をかしげる茂。
何か言わなきゃいけないのに、なーんにも出てこない。
結局……
「……ゴメンナサイ」
謝った。
茂と暦が視線を交わす。
「つまり、私の料理は食べたくないと、そういうことですね?」
「まー……そ、そう…………」
覚悟を決めて答えてしまった。
暦もいることだし、とりあえず大事にはならないだろうと……そんな考えも手伝ったのだろう。
「そうですか……」
茂が、小さな吐息を漏らしたように感じた。前かがみにしていた体勢を戻しながら。
「それでしたら、是非ともご教授願いたいですね〜」
「へ?」
場の空気が重くなるのは覚悟していた美樹だったが……重くなるどころか、茂はますますウキウキしはじめた。
「今まで、見よう見まねだったのですが、やはり人間に教えてもらうのが一番ですよね。ささ、キッチンはこちらです」
ススッと美樹の後ろに回りこむと、なかば無理矢理に、入ってきた扉とは別の扉に向かってポンポン背中を押す。本人は軽く叩いてるつもりなのだろうが……加減を忘れているのか、少々痛かった。
「わ、わかりました。行きますから、そんなに叩かないでください〜」
料理はさほど得意ではないが……こうなったら教えるしかなさそうだ。まぁ……茂の腕前から考えて、美樹でも充分に先生となれるだろう。
「そうですか。ありがとうございます」
昨夜と今朝のこのギャップ……まだ母神達の思考を把握しきれない美樹だった。
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