聖幽戯館〜自然の棲む場所6〜
バタン!
 半開きだった扉が乱暴に開け放たれる。
 美樹は体をビクッと震わせて、その場から立ち去ろうと背を向ける。
 しかし、真っ先に飛び出してきたが、その姿を捉えていた。
「逃がさない!」
 セリフとともにの姿が揺れ、空気の中へと溶けこんでいく。
 空気の流れが変わった。
「きゃああああっ!」
 ありえない突風が美樹を襲い、体を空中へと持ち上げられてしまった。あっというまに玄関ロビーを越え、反対側の壁に叩きつけられてしまう。
「いったー……」
 起きあがろうとする美樹の前に、空中からが現れる。
「逃げたってことは、自分が何をしたか理解してる……そういう解釈でいんだね?」
 言葉こそ穏やかに聞こえるが、その顔は今まで以上に怖かった。敵意を見せたり、イライラしたり、そんな生やさしいモノじゃない。「怒り」という感情そのままだ。
 もちろん立ち聞きしてました♪ なんて冗談でも答えたら、ただでは済まないだろうことは、美樹でも瞬間に察知できた。
 では、どうするか……?
「ご、ごめんなさい!」
「謝るぐらいなら、最初からするな! 自然が、謝って許してくれるような軟弱な世界だとでも思ったの? 大きな間違いね!」
 何をするのか……右腕を美樹へと向ける。
「犯した行為の罰だけは、受けてもらうからね!」
「待って!」
 後を追って、が走ってくる。声の主に顔を向けたの脇をすり抜け、そのまま美樹を背に立った。
 美樹を、護るように。
「どきなさい、!」
 右腕を振りかざしたままの状態で叫ぶ。矛先はに向いているわけだが、がその場を動けば、すぐにでも美樹に向けて制裁を加える構えだ。
 美樹は心の中でを応援した。
「でも、人間を護るのは、私の責務だから」
「まだ、そんなこと言ってるの?」
 怒りの形相は一瞬だけ消え、本当にあきれたように目を見開いた。そして、
「罪を犯したものをかばうことがどんなことか、解らないわけじゃないでしょ!?」
 まるで、親が子を叱るような……よからぬ道へ進もうとする子を、なんとか引き戻そうとする親……そんな場面がかいま見える。
 は黙っている。
 何も言わないのか、何もいえないのか。
 ジッと目をそらさずに、美樹を背に抱えたままで。
 緊迫なにらみ合いも、長続きはしないものだ。
「とにかく、そこをどきなさい!」
 じれたが、再び同じ指示を出した。
「イヤ!」
 もまた、強く言い返していた。
 それが予想外だったのか、が一瞬ひるんだように見えた。
「少し落ちつきなさい、2人とも」
 興奮したこの2人をたしなめるように、静かな一言が2人の口論をストップさせる。その主は、もちろん。後方にを従え、歩いて近づいてくる。
 慌てなくても問題は解決できる、と確信しているかのように。
「この人間の処置は、私が判断します」
 そう言われては、は納得するしかなかった。
 一方のは、すぐに妥協しなかったものの、結局その場から身を引き結末を見届けることにしたようだ。後ろめたい気持ちを隠すように、足早にの脇へ移動してしまう。
ちゃ〜ん)
 護りがアッサリどこかへいってしまい、美樹は心で涙した。
 かわって、目の前に立つは。床に座り込む美樹を見下ろす瞳は、相変わらず静かなものだった。それが、逆に不気味に感じる。
 その後方から、の怒った顔……と思えばは場の空気を壊すような微笑み。それを正面から見ている美樹は、なんとも不可思議な雰囲気に正直とまどっていた。言ってしまえば、激しくマイペースな集団とでも言えばいいのだろうか。個々が自らのペースを崩さない。
 は美樹を見下ろしたまま様子を見ている。美樹からの言葉を待っているのだろうか?
 しかし、美樹はがどう判断を出すのかに全神経が向いていた。
「…………やはり、罪には罰を」
 こちらをジッと見ているだけの美樹に、ついにの右腕が動く。
 胸のあたりに持ち上げた腕は、白い金属質の物へと変化してゆく。
 聖幽戯館の青い光を反射するそれは……鋭い切っ先の剣となる。
 人は、刃物に本能的に恐怖を感じるという。それは、美樹も例外ではない。ス……と振り上げるその動きと共鳴するように、美樹の顔の向きも上へ。
 は全く表情を変えない。人が蚊を殺す時のような、あまりにも無造作に……一刀を振り下ろした。
 空気を切り裂く音に続き、
 スコン……
 木製バットで石を打ったような、軽く乾いた音。
 刃は、床板に突き刺さっていた。
 美樹の足元の床に……
 とっさに避けようとした美樹のファインプレーだった。
「何やってんの、?」
 は、美樹が避けたことよりも、避けらけたに不満顔。他の面々も少し意外そうだが……
 しかし、当のはそんな周囲の反応にはお構いなく、相変わらずの表情で美樹に目を向けた。
「逃げる元気はあるのね」
 床から刃を引き抜きつつ、
「下手に動いてると、あらぬ場所が傷ついて、かえって苦しむ。じっとしていなさい」
 苦しまずに……という温情なのだろうか。
 しかし、そう言われて素直に「はい」と言う人間は自殺志願者ぐらいだろう。
 再びゆっくりと切っ先を向けられ、美樹はプルプルと首を激しく振った。
「あの、べ、別に盗み聞きするつもりじゃ……」
 震える声で必至に言葉を紡ぐ。
 恐怖から、瞳には涙があふれていた。
「話し声が、したから……き、気になって……」
「それで盗み聞きしたんでしょ!?」
 早くも言い訳と判断したが叫ぶ。美樹はそれに怯え、言葉を止める。

 振り向きもせず、ただ静かに名を呼んだだけ。それだけでは不服そうに黙った。母神たちの力関係は絶対のものなのだ。
「説明ぐらいは聞いてあげましょう」
 と、美樹に言葉の続きを促した。しかし、右手の刃はそのまま……話を終えた瞬間に殺されると、美樹は意識せずに感じた。
 話を続け、少しでも命を延ばすか……諦めて素直になるか……。
「あの……さんが、あたしのことで怒ってたから、入りづらくて……それで……」
 美樹が選んだのは、話すこと。
 悪あがき……そう言われても文句は言えないかもしれない。
 しかし、何か話さずにいられなかった……
 がセリフに反応したが、先ほどに止められたばかり。何も言わない。
「人間を滅亡させるとか……話にショックで……人間の悪い部分、考えてて、出ていきそびれて……」
 最後の方は搾り出すように小さな声だった。人が見ていたなら、怒りすら覚えるほど哀れな状況だ。それでも、母神たちは感情のない人形のように、そのような表情に変えることはない。ただ、自分の考えを総じた表情で美樹を見ているだけ。
 それは、人の命を微塵なものと捉えているからに他ならないだろう。
「……………………」
 一通り――と言うには短く説明不足なのだが、今の美樹の精神状態では、これが精一杯なのだろう。半ば諦めたような色が、瞳に漂っていた。
 静かな時間が訪れる。
 美樹の説明は終わった――母神たちもそう感じていたのに、肝心のが動かない。
「……人間は、自然世界の反逆者。それを理解したということかしら?」
 確認なのだろうか。が問い掛ける。
 それに対する答えは、言葉ではなかった。美樹は小さく頷いていた。注意して見ていないとわからないぐらい、小さく。
が右腕を動かした。
 力が抜けたように切っ先は地面に向き、その形は人の手の形へと戻ってゆく。
「………………?」
 なぜ?
 美樹も、も、も、全員がそう思った。だけを除いて。
「……
「は、はい……」
 突然、自分に言葉がかけられ、は少し驚いたふうに返す。
「この人間のことは、あなたに任せます」
、どうして!?」
 おとなしくしていたも、これには不満をあらわにした。当然だろう。今までの流れを見れば、美樹の抹殺は確実だったのだから……。
 声を上げなかった面々も、訝しそうにを見ているが……が振り向いて、一同を見回す。それだけで、すら納得させられるに至った。の存在は、ここまで絶対的なものなのだろう。
 しかし、それはの指示に従うだけであり、自分の意思は別にある。美樹をに任せる……それ以外のことは、個々が自由に判断するのが通例のようだ。
「ともかく、これ以上の問答は無意味だね!」
 言い捨てるとは、空気の中へと溶けて消えた。
 辺りに風の余韻が流れる。
 見えない姿を見送って、が美樹のもとに駆け寄って行った。
「行っちまった……で? どういうことなんだい、?」
 理由をただすは、しかし言葉はあくまでも軽めに、を眺めていた。それは、やんちゃな子供に向ける目にも似ていた。
「…………いずれ話します」
 答えは、それだけだった。
「……ま、お前がそう言うんだったら……ね」
 それ以上は何も聞こうとしなかった。
「では、今夜はここで打ち切りでしょうか?」
 も特にこだわる様子なく、解散の打診を行なった。
「だな。この状態で、計画の審議をしたってしょうがない」
 ヤレヤレ、と、肩をすくめるは、いつの間にか開いていた玄関に向かって歩き出す。
「私は少し外行ってくるよ。んじゃ、また後日」
 パタン……
 出ていくを見送るように、扉が閉じられる。やはり、母神たちは手を触れずに開閉できるのだろう。
 それを合図に、も、
「それでは、私も部屋に戻りますね。美樹さん、またあとで」
 右手を小さく振って、まだ立てないでいる美樹に挨拶。階段をのぼって姿を消した。
 用が終ったとたん、あっという間に去っていく面々。無駄を省くというのか、淡白というのか……まだ心が落ち着いていない美樹は、あまりにアッサリした態度に、かえって拍子抜けしていた。
「美樹……立てる?」
「あ、うん、たぶん……」
 もしかしたら腰が抜けてるかもしれない……そう掠めたのだが、どうやら思い過ごしだったようだ。確かめるように、ゆっくり立ちあがる。
「さて……」
 がこちらを見ていた。
。あなたに任せる、ということがどういうことか、理解しているわね?」
「はい」
 の早い返事が答えになったようだ。は納得したように頷き、この場を去った。
「どういうことなの?」
 2人で納得されても困る。わけがわからない美樹は、唯一ここに残ったに尋ねるしかなかった。
 とはなぜか話しやすい。2人だけになったことで、美樹の精神状態も回復に向かっているようだ。
「私が美樹を任されたということは、つまり、美樹をこの聖幽戯館から出さないようにということ。私たち母神が、美樹について外に行くことはないから……」
「え、そんなぁ……」
 突然そんなことを言われてしまうと、やはり受け入れ難い。たとえ、今までの生活に満足していなくとも、やはり慣れ親しんだ生活から離れることは、非常に残念に感じたのだ。
「でも、それを断るなら、は容赦ない」
「うぐ」
 それを言われては従うしかなかった。
 さっきまで、あんなに怖い思いをしていたのだ。あんなのは、2度とゴメンである。
「ともかく、部屋に戻って眠ったほうがいい。美樹の体は、ずいぶん疲れてる」
「う、うん……そうしようかな。緊張がとけたら、なんだか眠いし……あれ、どこ行くの、ちゃん?」
 そのまま立ち去ろうとする。気付いた美樹はすぐに呼びとめていた。
「私はこれから裏の墓地に……魂の回収をしなくては」
 どうやら、母神としての仕事にとりかかるようだ。
「そっか、こんな時間にたいへん……って、ちゃんたちに時間は関係ないんだっけ」
 つい人間の感覚で考えてしまう。母神という存在とはいえ、姿は人間。特には人間を管理下に置くせいか、どことなく同じ匂いがするのだろうか。
 はしばらく美樹ながめ、
「美樹は……ここから帰れないことに不満はないの? 美樹にも家族がいるはず……」
「う〜ん……ないわけじゃないけどぉ……」
 美樹は困って頭の後ろを指でなでる。
「でも、今までの生活にも不満あったし。こうなった以上は、ここにいてもいいかなー、なんて……」
 正直なところ、家族よりもテレビがないことが残念な美樹だった。今度の旅行でも録画予約していたのだが、それももう見ることはできないだろう。
 ……くだらない理由な気がしたので、言わなかったのだが。
「…………そうですか」
 はどう思ったのだろう。少し、返事までに時間がかかっていた。
「それでは、私はそろそろ行かないと」
「うん、お休みなさい」
 玄関から出ていくに手を振って見送る。が自分より上の存在だと知っていながら、どうしても幼い子供のイメージが付きまとい、仕草に現れてしまう。
 美樹は、の姿が見えなくなった時、そのことに気がついた。無意識に振っていた手を、少し気まずそうに降ろす。
「さて……部屋は2階の階段のそばだったよね。なんだか、急に眠たく…………ひゃっ!?」
 部屋へ向かうため階段の手前まで行った美樹は、その脇にいる白い影に驚いて腰砕け。しりもちをついてしまった。
「……………………」
「あ、あなた確か……」
 そこにいたのは、美樹のケガを治してくれた母神だった。いったい、いつからいたのだろうか。
「……………………」
 何も言わないまま、少女が手を伸ばしてくる。
 改めて見ると、彼女の服の袖は広く、そして長い。手を降ろせば指だけが出ているような長さだった。青い光のなかでのソレは、幽霊を連想させるに充分な材料が揃っている。
 しかし、おそらく彼女は美樹を助け起こそうとしているのだろう。
「あ、ありがと」
 こわばった笑顔を無理に作って、その手を握る。
 少女のものと思えない力で引っ張られ、難なく立つことができた。
ちゃんもだけど……この子もすごい力……)
 こんなのが本気になったら、とても勝てるわけがない。良く自分が助かったものだと、改めて思った。
 しかし、美樹のお礼にも、その不自然な笑顔にも、やはり何も反応してくれない。そのままロビーの袖のほうから、どこかに行ってしまった。
「…………なんだか、良くわかんない子だな〜」
 無口無表情すぎるこの少女に、これからも戸惑い続けるかもしれない。

 長かった聖幽戯館での1日目が終った。
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