暦の部屋は2階にあった。
この部屋も、やはり青い光で満たされている。中央に丸テーブル、その円弧に沿って3脚の椅子が均等に並ぶ。奥の窓際にベッドが1つ。家具と呼べるものはそれだけで、窓にカーテンもなければ、カーペットも電気もない。かなり殺風景な部屋なのに、この青い光のせいか、それを感じさせない。
先に部屋へ入った暦は椅子の1つに腰かける。
促すでもなく、ただ座って美樹の顔を眺めている。
追って部屋に入った美樹は、余っている椅子の背もたれに手をかけ、
(いいのかな……?)
少し迷い、結局、自分も倣って腰をかけた。
暗い森の方から、風になびく木々のざわめきが聞こえてくる。
ちょっとした沈黙──
向かいに座った暦を見れば、向こうもこちらを見ていた。2人の視線が出会う。
慌てて美樹は視線をはずした。
自然が発する優しい音だけに支配され、部屋は耳なりがするぐらい静かだ。都会では絶対に味わえない環境である。
それだけに、時間の流れは、妙に遅く感じる。
(何か、話さないと……)
なんとなく重苦しい雰囲気に耐えかねて、美樹は会話のキッカケを探した。
「えっと……助けてくれて、ありがとう、暦ちゃん」
まだお礼を言っていなかったことを思いだし、そう切り出した。
暦は相変わらず美樹を見たままで……表情から、心を見取ることは非常に難しいぐらい無表情のままで、美樹のセリフに反応する。
「私は、私の配下を護っただけ」
「お礼ぐらい言わせて…………配下……?」
危うく聞き流してしまうところだった。
その意味を考えてみるが、答えにつながる糸口も見えない。
「ねぇ……暦ちゃんたちって、幽霊?」
出会った少女たちに感じていた不思議な雰囲気……ずっと気になっていたことを、もう1度、美樹は尋ねてみる。美樹自身は幽霊だと感じているが、先程の暦の答えは「違う」だった。それなら、いったい何なのか……
答えを待つ美樹、少し視線を落とす暦。
また、時間が停まったような間──
静かな空間に、美樹の息づかいだけがある。
「名前は?」
そういえば、美樹が自己紹介する場面がなかった。
「あ、ゴメンね。あたし、鳥羽美樹。美樹でいいからね」
「自然は、好き?」
聞いたか聞かないかのタイミングで、間髪いれずに次の質問が与えられた。
美樹が先に質問しているというのに、暦はまるで美樹を確かめるかのように質問を浴びせた。
「自然は好きだよ……」
(心が読めるわけじゃないのかな)
連続で質問をされたことで、また確信がなくなってくる。
「私たちは」
暦は視線を外した状態で美樹の問いかけに答えた。
「自然の母なる存在……母神(もじん)」
「もじん?」
聞き慣れない言葉に首を捻る。
「自然の摂理・エネルギー・秩序を管理している。私たちは、いわば自然の化身」
「ふ〜ん……」
今の答えを理解したわけではない。
自然の化身……という部分で、精霊かなにか、というイメージは持ったものの、それがどういうものなのか解らない。解らないのだが、いったい何を訊けばいいのかも分からない。
その結果、なんとなく気のない返事になってしまったのだ。
ただ、目の前の少女たちから感じていた不思議な感触……それは、美樹の思い違いではなかったようだ。
「それじゃあ……自然と一心同体ってことだね」
本当なら信じられないような暦の説明なのに、美樹はなぜか簡単に信じていた。美樹が単純だからではないだろう、そうさせる雰囲気が暦から感じられたのだ。
それに何より、今まで出会った少女たちの常識外れな行動がそうさせた。
「それは違う」
美樹がアッサリと受け入れたことで、暦は再び美樹に視線を向けていた。
「私たちは母神。自然の母なる存在。今在る自然は、すべて私たちの子と言える」
もう1度同じ説明を、別の表現でおこなう。
「自然は私たち母神が作ったもの。母神と自然はお互い独立している。自然が消えても、私たちが果てることはない。もちろん、その逆も」
例えるなら、本当の親子のような関係だろうか。
子も親も、お互いに関係しあっている。が、身体的ダメージまで共有することはない。
暦たちが作った自然は、暦たちの分身として独自の世界を歩んでいる……そういうこと。
まさに、暦たち母神は、自然の母。
「ってことは……」
以上のことを2分かけてまとめた美樹は、最終回答に行き着いた。
「暦ちゃんたちって、神様!?」
「そうとも言えるし……そうとも言えない」
間髪なく、このセリフ。美樹の解答を予想していたかのようだ。
「私たちは、場合によっては神にも悪魔にもなれる」
「あ……悪魔……?」
「神や悪魔というものは、人間が心で作りだした創造物。その発端は、人間に都合のいい出来事を神と信じ、都合の悪い出来事を悪魔と信じ、解決できない心に決着をつけるようになってから。そのキッカケとなる出来事のほとんどが自然現象。神も悪魔も、もともとは同じモノだと言える」
その過程を実際見たかのような説明……いや、見ていたのかもしれない。
『自然を作った』と言っているのだ。暦は人間が誕生したはるか昔から存在していたのだろうから。
「自然……かぁ……」
目の前に座る、人知を越えた存在。
美樹はそのネームバリューに怖じ気づくことなく、暦との会話を続けた。
不思議な雰囲気は感じても、どこか話しやすいのが暦だった。
「あ……さっき言ってた『配下』っていうのは…………」
トントン
その時、部屋のドアがノックされた。
暦たちが返事をするのを待たずに開いたドアの向こうから、2人の少女が顔を覗かせる。どちらも、美樹とは初対面だ。
見たところ、今まで出会った少女たちの中で一番お姉さんだ。高校生ぐらいの背格好をしている。
長く綺麗な水色の髪、スイムウェアのような衣服を着用する少女。
緑色の髪に葉っぱの髪飾り、緑系のローブ、緑色でまとめた少女。
「よ、暦。この子がさっき連れてきた人間のお嬢ちゃんだよな?」
「あら、可愛らしい方ですわね。たった一晩の宿ですけれど、ご挨拶にあがりました」
話し方が、いままでの少女たちと少し違う。
水色の髪の少女はどこか楽観的に、緑の髪の少女はおっとりと話す。暦のようなしっかりした話し方でも、偉そうでも、威厳のある言葉でも、無言でもなく。
「よ、よろしく……」
この2人の登場で場がいきなり明るくなったように感じた。
「あら、まだ髪に血がついていますよ」
「洗ってやろうか?」
疑問形のセリフなのに、すでに行動に入っていた。
半透明になった指先が、血のついた美樹の髪を撫でる。
ひんやりとした感触が通り過ぎると、綺麗に血は拭い取られていた。
「ありがとうございました」
不思議な現象にも大分なれてきた美樹は、すぐにお礼を言った。
「液体は私の配下だからね。このぐらいは簡単だっつーの」
笑いながら、指先をチャプチャプと揺らしてみせる。
「自己紹介がまだだったな。私は泉(いずみ)。自然界のうち、液体の管理をしてる」
「私は茂(しげみ)と言います。植物の成長・寿命の管理を任されています」
「鳥羽美樹です……あの……」
お互いに自己紹介をしたところで、
「配下って言ってますけど……やっぱり、も……母神によって違うんですよね? 火とか、水とか、風とか、大地とか……」
自然の4大元素とも言われている4つをあげてみる。
以前、何かのマンガで読んだことがあり、それを覚えていたのだ。
しかし、母神たちの反応は、美樹の予想とは少し違うものだった。
「まー……そうと言えばそうだし、そうじゃないと言えばそうじゃないな〜」
泉が指先で頭をコリコリ描きながら言う。意外と人間くさい仕草をするものだ。
「私は液体が配下だ。液体と言えば水、ってわけじゃない。マグマだって液体なんだ。だから、マグマも私の配下になる」
「マグマ……?」
あまりに違うイメージが入ってきて、美樹は少し驚いた。
「さっき美樹さんが会った歩は固体が配下です。大地はもちろんですが、宝石や氷も固体です。形あるものは、全て歩の配下になるんですよ」
今度は茂が解説してくれた。
美樹が思っていたのとは少し違うラインで分けられているらしい。今の説明を頭の中で整理し、何度か頷きながらまとめている。
「じゃ、暦ちゃんって……何が配下なの? さっき、あたしのことを配下だって言ってたような気がするんだけど……人間?」
問われて、暦は少し考えるふうに視線を落とす。
泉と茂も、互いに視線を交わしたような気がした。
誰が説明するのかを確認しているようにも見えた。
結局、口を開いたのは暦。
「私は……動物の寿命や、魂の管理をしている母神。人間ももちろん配下になる」
視線は美樹から外したまま、口調だけは変わることなく。
「私は生命に魂を与え、体を失った魂を再び回収する。全ての生物は、私の体から放たれた魂によって活動している」
魂……そんなものが本当に存在しているのか、それは美樹にはわからない。
だが、こうして暦が言いきっている以上、それは事実なのだろう。
(ということは……暦ちゃんは魂の塊ってことで……ちょっと怖いかも)
なんとなく、そんなことを考えた時、
「怖いですか?」
暦が問いかけた。
「え……ちょっとだけ、思ったけど……でも、恐怖で逃げ出したいとか、そんな風には思ってないからね」
「そうですか……」
美樹が言いたいことを解ってくれたのか、そうでないのか……無表情な暦の顔を見ただけでは知れなかった。
そして、先程から再三思っていた疑問がまた浮かび上がる。
「ねぇ……暦ちゃんって、あたしの心が読めるの?」
ついにというか、ようやくというか、その質問を暦に投げかけた。
これに対しては、意外と早く答えが帰ってくる。
「読めるわけじゃない。人間を配下に持つ私にとって、その表情や仕草から気持ちを見取ることができるだけ」
言われてみれば、その可能性もなかったわけではない。ただ、美樹は暦のことを幽霊とか、それに近いものだと思っていたため、正確に判断できなくなっていただけだ。
「そっか……あたしの思い違いかぁ。暦ちゃんたちも幽霊じやないみたいだし。よかった、幽霊じゃなくて」
「ん? 幽霊は嫌いなのか?」
泉がちょっと驚いたように尋ねる。
「だって、なんだか怖いし……」
周囲があまりにも友好的なので、ついつい美樹も友達感覚で話すようになってきていた。
美樹のその変化に特に気にすることもなく、母神たちは会話を続けた。
「私たち母神にこれだけまともに接しておいて幽霊が怖いか……人間ってのは、相変わらず不思議なもんだな」
あきれかげんに言う泉。
「まあ、いいじゃないですか。そういう気まぐれなところは、人間の持ち味かもしれませんし……」
「お前も相変わらずだな、茂」
少し、眼差しに真剣みが加わった。
「これだけ配下の植物を失っても、まだ人間に肩入れするようなことを……」
「肩入れするわけじゃないですよ。ただ私は、人間がどういう存在なのかを……」
「泉、茂、その話はここではしないで」
始まりかけた2人の討論を暦が言葉で制した。
泉と茂は美樹の顔に視線を向けると、
「あぁ、ゴメンゴメン。人間の前で話す内容じゃなかったよな」
「そうですね。うっかりしていました」
何かを隠すように笑いながら謝罪すると、
「ま、今夜はゆっくり眠れるといいな」
「ええ。それでは私たちは失礼しますね」
美樹に疑問を投げかける間を与えまいと、そそくさと退室していってしまう。
「…………? いったい、何だったの?」
「美樹……その話は、美樹が知るべきことじゃない」
暦も、話したくないとばかりに立ちあがり、奥のベッドを指差した。
「このベッドは美樹のために用意したもの。自由に使っていい」
「え? いつの間に用意したんだろう……でも、暦ちゃんが寝る場所がないよ?」
「母神は睡眠という行為は行わない」
なるほど。
人間の格好はしていても、生活状況は全くちがうようだ。
「そう……それじゃ、なんだか疲れちゃったし、もう寝ちゃおうかな?」
いろいろと起こって、肉体的にも精神的にも疲れていた美樹は、睡眠の欲求が強くなっていた。横になれば、すぐにでも眠れそうだ。
「……………………」
ベッドに入り込んで行く美樹を無言のまま見守る暦。
「お休みなさい、暦ちゃん」
そのまま、暦は美樹が完全に眠ってしまうまで目を離さなかった。
まるで、美樹に起きていて欲しくないというかのように……
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