女の子の後ろ姿を、なるべく離れずに追いかける。
着ている服が黒っぽい上、髪の色も黒系。闇に紛れて見にくいことこの上ない。短めのツインテールが、歩くたびにピョコピョコと跳ねるのが印象的だった。
(あたしの髪は短いから結べないけど、少し伸ばしてこんな髪型にするのもいいな)
美樹は、そんなことを考えて気を紛らせたりしていた。
(でも……どこまで行くんだろう……?)
もう15分は歩いただろうか。女の子は時折、美樹の様子を伺いつつ、道無き道を慣れた足どりで歩いてゆく。ずいぶん、付近に詳しいみたいだ。
だが、勝手がわからない美樹にとっては苦難の道である。暗い足元に目を凝らし、何度も転びそうになった。足の痛みもピークに達している。これ以上、夜の森を歩き続けるのは無理だ。いや、もう美樹には、その気力がなかった。
意識せず、足がもつれて膝をつく。
「もう……ムリ。もう、歩けないよ……」
少し湿った地面にお尻を降ろす。冷たい感触が、火照った体に心地よかった。
その態度を見て、女の子はすぐに戻ってくる。
「立てない……?」
傍らに立ち大きな黒い眼で美樹を見おろす。不思議とこの眼を見ると、自分の全てを見透かされているような感覚に陥る。確かに5歳ぐらいの女の子なのに……それ以上の存在に感じていた。
(やっぱり……幽霊なのかなぁ)
いくら慣れていても、こんな深い闇の中を迷うことなく、それも5歳児の足で、足をもつらせることもなく歩いていけることがおかしい。幽霊の類でなければ実行不可能だ。
美樹が1人で納得して、ウンウンと頷いていると、
「きゃ……」
いきなり体が宙に浮いた。
「な……うそぉ!?」
美樹の全体重は2本の細い腕に支えられていた。いわゆる、お姫様だっこ状態。
腕の持ち主は、この不思議な女の子のモノで間違いはなさそうだった。
「これなら、大丈夫……」
一言そう呟くと、女の子は美樹を抱えたまま歩きだす。
足取りは軽やかだ。美樹の体重など問題ないとばかりに、歩くペースは変わらない。いや、むしろ先程よりも早い。美樹の怪我を案じて、ゆっくり歩いていたのだろうか。
茫然とする瞳の中、闇に一筋の光が走る。
「…………?」
「結界を通ったから」
まるで美樹の心情が分かっているようなタイミングで解説をしてくれた。
そこからは、闇ではなかった。
相変わらず森は続いているものの、薄く青く優しい光に満たされた世界……木々も大地も、全てがその光を放っているかのように「影」が見あたらない。とてもこの世の光景とは思えない世界だった。
「ここって……もしかしてあの世……とか言わないよね〜……」
女の子を幽霊だと思っている美樹は、一抹の不安を覚える。
「あたし、まだまだやり残したことが……」
と、突然木々のカーテンが途切れた。
森のなかにポッカリとあいた広場……その中央に、古びた洋館が建っていた。
壁には蔦がまとわりつき、庭らしき場所は無造作に放置されている。門は錆び、半開きのまま固まって役割を果たしていない。いかにも幽霊が棲みそうな場所──
そして、全てが光を放っていた。
青く、優しい光を──
ゴオォォォォォォォォォォッ!
「きゃぁぁぁ! 何、この風……」
前兆なく襲ってきた突風に、美樹は悲鳴をあげる。
しかし、女の子は予め風の出現を知っていたのか、冷静に言葉を発する。
「あ、望(のぞみ)……ただいま」
「ただいま、じゃないわよ」
少し怒気を含んだセリフ。
今まで誰もいなかった空間に突然現れた少女──美樹と同年齢ぐらいだろうか、青の世界に短い黄色の髪が鮮やかに映える。
「ここに人間を連れてくるなって、何度も言ったでしょ? どうして暦(こよみ)はそうなの?」
この金髪の少女は望というらしい。そして、ここまで美樹を連れてきた女の子は、どうやら暦という名前だ。
(人間を連れてくるな……か。つまり、この子たちは人間じゃない……ってこと……?)
訳も分からず暦という女の子に連れてこられたが、望という少女の態度を見て不安がさらに大きくなっていく。
(人間はダメだけど幽霊ならいい、とかいう理由で殺されたりしないよね……)
さっき命が助かったばかりなのに、そんな展開はイヤだ。
「でも……怪我、してたから」
「怪我?」
言われて望は、睨むように美樹に視線を落とす。頭のてっぺんから足の先まで吟味するように眺め、
「人間を連れてくる理由としては、納得するしかないね」
どうやら認めてくれたようだが……その眼は好感的と思えないものだった。
(この子、なんだか偉そうな口振りだな……それにしても……)
美樹には、どうしても気になる事があった。
望は、態度でも少し偉そうに腕組みをしていたが、問題はそこではない。纏っている服……と言えるのかは不明だが、天女の羽衣を思わせる薄く白い布がヒラヒラと空中を漂って、少女の体を護っている。ただ、それだけだ。インナーでも着用していれば少しはマシだが、望はそれすらない。素肌の上に、羽衣だけを纏っている。
(恥ずかしくないのかなぁ……)
見ている美樹のほうが恥ずかしくなってきた。
「……これ以上は、私の出る幕じゃないね。でも、これだけは忘れないでよ」
望は美樹を瞳だけで威嚇する。
「私は、人間が嫌いだってこと!」
ゴオォォォォォォォォォォッ!
また突風が場を襲った。
その風にかき消されるように、望の姿は虚空へと溶け込んで……消えた。
「消えちゃった……」
絶対に幽霊。この少女たちを、美樹の頭は完全にそう定義していた。
しばし風の余韻が残る空間を眺めて、自分を抱きかかえた女の子に訊いてみた。
「ねぇ……あなたたちって、幽霊なの?」
その質問に、暦は美樹の顔を見て……再び視線を外して答えた。
「違う」
「で、でも……何もない所から現れたり消えたり、暦ちゃんだってあたしを軽々と持ち上げたり……人間業じゃないよ」
女の子は「暦ちゃん」という言葉に少し戸惑いの視線を送ったが、特に気にせず与えられた質問に答えてゆく。
「何も無くはない。空気がある」
なるほど、言われてみれば……なんて、美樹は妙に納得してしまった。
「人間1人の重さぐらい、私には何も感じない」
その納得も長くは続かなかった
「空気から出たり入ったりって、人間には出来ないよ……それに重さを感じないって、どういうこと?」
暦があまりにも簡単に答えてくれるので、ついつい質問責めにしてしまう美樹。しかし、今度は答えが返ってこなかった。
眼前の洋館を眺めたまま……
急に暦の態度が変わったので、なんとも気まずい空気になった。
(あれ……気を悪くしちゃったかな……)
必然と美樹も口をこもらせる。
「そ、そういえば……暦ちゃんって名前、可愛いよね」
いきなり機嫌取り然たるセリフになっていた。
「なんか、こう……女の子、って感じがするし……」
しかし、やはり反応はなかった。別のことに気を取られているかのように。
(何か答えてよぉ〜……これじゃ、あたしバカみたいじゃない、1人でしゃべって……)
「行こう……歩(あゆみ)が呼んでる」
「え、誰が呼んでるの? 誰もいないけど……」
美樹の視界には誰の姿も入ってこない。もちろん、声らしき音も聞こえなかった。
「聖幽戯館……この中に歩はいる」
「セイユウギカン……?」
「歩は、私たちの中心的な存在。聖幽戯館に入るのなら、まず歩に認知してもらったほうがいい」
説明しながら、錆び付いた門を通り抜けていく。
(よく分かんないけど……さっきはテレパシーみたいなことしてたのかなぁ?)
自分の言葉に不備がなかったらしいことがわかり、小さく安堵の息をもらす美樹。
庭らしきその場所には、芽吹いたばかりの緑をつけた灌木が小さな林を作っていた。いくつかに綺麗な花も咲いている。しかし、ほとんどの灌木に蔦がからまり、手入れはなされていない。
右手には湧き水が創り出す池があった。涼しげなせせらぎが美樹の耳にも響いてくる。
所々に石が顔を出す地面には、去年の枯れ草が一面に敷き詰められ、その間を押し分けるように若々しい緑が空を目指す。
暦は、庭の中央の地面が露出しているラインを歩いてゆく。
正面玄関前の石段を2つ上がり、古いが丈夫そうな木の扉に対した。
カチャ……
まるで電動仕掛けのように、その扉は2人の姿を認めると静かに開く。
あまりにも静かだったので、美樹は素直に感心してしまった。
美樹を抱えた暦が通り過ぎると、同じように扉は閉じていく。
正面に2階へ続く階段を臨む広いロビー。壁全体が青い光を放ち、幻想的な舞台を演出している。本当に自分が生きているのか、それすら疑問に思わせられるような……そんな気分になってきた。
誰もいないロビー──そこで暦が足を止める。
静かに両手を降ろし、美樹の体を床に置いた。
ずっと抱えられていて、足の痛みもずいぶん楽になっている。しばらくぶりに自分の足で立った。感覚を確かめるようにつま先でトントンと床を叩いた、ちょうどその時。
目の前の床が大きく波打ち、柱のようなモノが突然、生えてきた!
「ひやあぁぁぁぁぁ!」
何の心構えもなかった美樹は、ガクッと膝から砕ける。
おかげで、骨折中の左手を、したたかに床に打ちあてた。
「ぅあうぅぅぅぅぅ〜!」
驚いても悲鳴、痛みでも悲鳴。正に踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂状態。
立ち上がった柱は、すぐに人の形へとかわる。
長い髪は深い紫色。和服に似た装いで落ちついた雰囲気を見せるものの、少しつり上がった厳しい目は、周囲に緊張を与える。背格好は中学生の少女、それでいて見る者に悠久の年月を感じさせた。
この聖幽戯館で最も信頼を置くモノ……歩であった。
「まず、その痛みを何とかしなくては……話が出来そうにないですね」
痛がる美樹を見て、歩はロビーの隅を見やる。
誰もいなかったはずの場所に、いつの間に来ていたのか、またも1人の少女。美樹と同年齢ぐらいだろうか。歩の合図により、こちらへと近づいてくる。
着ているワンピースは、長い間放置されていたかのようなくすんだ白色、頭には同色のフード。まるで教会のシスターみたいだった。
1本だけ伸ばした人差し指を、美樹の腕に触れさせる。
「え…………?」
現実離れした現象に、美樹はしばし絶句。
痛みもどこかへ吹っ飛んでしまった。
人差し指が触れたその瞬間、それは美樹の体に突き刺さって──いや、潜り込んできた。
そして、人差し指だけを残し、少女は手を戻す。切り離された指は、なおも美樹の体へと潜り込もうとしていた。
「ええ!?」
我に返ったようだ。
「や……なにこれ!? 気持ち悪い〜!!」
当然の反応で、うごめく指を振り払おうと、美樹は必至だ。
その様子を3方から眺める3人の少女。
美樹はなんだかイジメを受けているような気分になってきた。
指は、完全に美樹の皮膚に同化し……消えてしまった。指は全て、美樹の体に入り込んだ。
傷が残っているわけでもない。特に痛いわけでもない。
が、精神的にダメージを受けた。
美樹はどうしていいか分からず、オロオロと自分の腕と3人の少女の顔に視線を泳がせるだけ。
「……これで痛みはなくなったはず」
目が合ったのをキッカケに、歩が説明をしてくれた。
「一時的な治療を施した。もう、問題なく動くことができるはずです」
「はい? ……あれ? ホントだ……」
足の痛みはなくなっていた。
左腕の骨折部分の痛みも、全く感じられなかった。
恐る恐ると動かしてみる。いつも通り、抵抗なく動かすことができた。
「すごーい、治ってる〜♪」
パッと顔が明るくなり、自由に体を動かせる喜びを表現するように、ピョンと飛び跳ねていた。
「なんだか魔法みたい〜♪」
瞳をキラキラと輝かせて、興味津々に少女たちを見まわしている。
あの場面『黒魔術をかけられた』と思った美樹は、今や好奇心のトリコとなっていた。
が……
美樹の瞳に映ったのは、2人の少女だけ。
歩と暦、この2人だけが、美樹に視線を投げかけていた。傷を治してくれたシスター少女は、どこにも見あたらない。
「あれ……? いない……」
「今日はここに泊まっていきなさい」
歩はこの言葉で、美樹の注意を自分に向けさせる。
「外はもう暗い。私たちが送っていく義理もない。それでも帰ると言うならば、止めはしないけれど……明日、光明の下に出るほうがいいでしょう」
「は、はぁ……」
送っていく義理がない……?
泊めるより送っていくほうが面倒だということだろうか?
ともかく、そのセリフは、美樹をあまり歓迎していないことを思わせる。
この申し出を受け入れていいものか……迷った。
後ろにいた暦が、美樹の隣りに歩み寄ってくる。
「私と一緒の部屋だから……」
やはり、美樹の心情を読みとっているようなセリフ。
この暦は、美樹を助けてくれた。それなら、少しは落ち着けるかもしれない。
美樹は、そう考えた。
「それじゃ……お願いします」
「寝床は、すぐに用意します」
言い残して、再び歩は床に沈んだ。
見送って美樹は、1人残った暦の顔を見おろす。
言葉には出さないが、どこに部屋があるのか知りたい、という視線だ。
「私の部屋へ行こう」
それに対し暦は、すぐに行動として現す。
(やっぱり……心が読めるのかなぁ?)
釈然としないながらも、先導する後ろ姿を追った。
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