その柱とも塔ともつかぬ物体は、巨大な石碑だった。
近くまで行くと、ちょうど目線の高さに文字が書かれていたのだ。
どうやら透明だった湖の澄んだ水で髪を洗った2人は、服についたススも払い落とし、巨大な石碑を見あげて立ちつくしている。
「大きければいい……そんな機能性も考えないような、権力にモノをいわせてバカでかいお墓を造った時の支配者……って感じですわね」
文字が書いてあるという以外、ただバカでかいだけの柱をルルカはそう形容する。まだほこりっぽい服を気にしながらも、自分のペースは見失っていない。
ティナは、そこに刻みこまれた文字を覗き込んだ。これまた意味深な文面である。
「『同族の心を以て知己とせん 心と肉体 我が前で分離すべし』……だってさ」
「ふむふむ……知己とは、おそらくマインドオーブで間違いなさそうですわね。心で造るから、マインドオーブなんですわね。勉強になりますわ」
「意味わかったの、ルルカ?」
「きっと、ここで幽体離脱すればいいんですわ」
「それ、たぶん違うと思う……」
「そんなことありませんわ。ここに幽体離脱のツボが……」
「言うなぁぁぁぁぁ! 知りたくないぃぃぃぃぃ!」
いつもの漫才のような会話が続く。メイプルがいないのが残念だ。
それにしても、ティナが知りたかった『理由』となるものが見あたらない。
ここに来れば分かる……ウイント導師はそう言っていたのだが……
いったいどこに……?
「危ない、ティナさん!」
考え込むティナの頭を、ルルカが思いっきりはたいた。
「ぱぎゅぁっ!」
顔面が地面にめり込んだティナは、意味不明な音をあげる。そしてガバッと立ち上がり、
「何すんのよルルカ!」
「虫ですわ」
ルルカの声はティナの後ろから聞こえてくる。
ルルカだと思って睨んだはずの視線に入ったものは、確かに虫であった。
ただし、体長5メートルぐらいの。
鋭い爪が、さっきまでティナが立っていた地面に突き刺さっている。
「うひょえぇぇぇぇぇ!」
ズザザーッとルルカのいる所まで後ずさり。
虫の怪物は爪を引き抜き、ギチギチと気持ち悪い音を立ててこちらを見ている。そのボディは漆黒に染まり、巨大なカブトムシを連想させた。
ビィィィィィィィィィン!
ひとたび羽根を羽ばたかせれば、数千匹もの虫が一斉に飛び立ったかのような騒音が発生する。鋭い爪をひらめかせ、怪物は2人に突撃してきた。
「きゃあぁぁ!」
猛スピードで飛び回る怪物に、ティナとルルカは逃げ回るだけ。呪文を唱えるひますらない。
「うっとーしいですわ!」
しつこい怪物にルルカが蹴りをぶちかます……と思ったら、相手のスピードについていけず、高速で動く羽根に直撃し逆にはたき落とされてしまった。
「ぎゃぅ……」
ルルカは地面に突っ伏した。
しかし、怪物のほうも羽根を痛めたらしく、少しはなれた位置に墜落した。
「ふ……ふふふ、計算どおりですわ!」
「ホントに〜?」
不審な目を向けるティナにはお構いなく、ルルカはマジカルオーブを取り出して、
「さあティナさん、今こそ攻撃のチャンスですわ!」
「よ、よーし!」
ティナもルルカと同じマジカルオーブを取り出す。
そして、同時にそれを放った。
「『熱き光よ、我が眼前を疾れ』!」
マジカルオーブから収束した光の糸が放たれる。言ってしまえばレーザー。光の魔法としては最も低級なものだが、攻撃力はそこそこで比較的扱いやすい。
ジュバアァァァァァッ!
2条のレーザーが、ものの見事に漆黒のボディをとらえる。
「よっしゃあ!」
2人してガッツポーズ。
しかし、それは虚しく終わった。
ギシャァァァァァッ!
そこには、何事もなかったかのように佇む巨大虫の姿。
「……………………えっと〜……」
ティナたちが使えるマジカルオーブで、これ以上の攻撃力を持ったものはない。この魔法が効かないとなると……
「もしかして、大ピンチというやつでしょうか?」
ルルカのセリフには余裕がありそうだが、顔だけは引きつっている。
ギチギチギチギチ……
と、後方からも何かが聞こえてくる。
「ル、ルルカ……後ろに何か、いるんじゃない……?」
「そ、そうですか? き、きっと、これは幻聴ですわ……」
おそるおそる振り返ってみると……
……………………
……………………
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
すぐ後ろに接近していた巨大カマキリ(やっぱり色は黒)に叫び声を上げると、カサカサと後ずさりをして間を取る。
カマキリは両腕のカマを振り下ろす寸前で獲物に逃げられ、そのまま巨体を揺らして追ってきた。
今までの経験からしておそらく攻撃は効かないだろう。とにかく逃げる! 逃げるが勝ちだ!
が……
「あれ……ちょっと待てよ……」
2人は何かを思いだした。
ギシャアァァァァァッ!
「あぁぁぁぁぁっ! しまったぁぁぁぁぁっ!」
2匹の巨大な虫に挟まれたティナとルルカは、お互いに肩をつかみ合いながらヘナヘナとその場にへたれこんでしまった。
虫たちは、今度こそ2人を逃がすまいと慎重な足どりで近づいてくる。
「ティ、ティナさん、とにかく逃げましょう」
「そ、そうね……」
2匹の間を横に移動しながら、逃げるチャンスをうかがってみるものの、虫たちも2人の動きにあわせて横移動する。絶対に逃がさないという構えで、ジワジワと間合いをつめてきた。
「逃げ道を塞ぐとは……なんて卑怯な戦法なの!?」
「逃げるのは卑怯ではないんですか、ティナさん?」
「勇気ある撤退と言って!」
「なるほど……そう言えば聞こえがいいですわ」
とかなんとかいいつつ、2人は思い切って湖へと飛び込んでいた。
全速ダッシュの泳ぎで岸辺をはなれると、2匹の虫たちは追ってはこなかった。
どうも水は苦手らしい。
「と、とりあえず……追ってはこないみたいね」
「どうやら人間さまの知恵が、化け物の浅はかな知能を上回ったみたいですわ」
ホッと胸をなでおろすのも束の間、湖面が大きなうねりを始める。
「な……なに……?」
イヤな予感がして振り返ってみると……
クジラのように巨大でやはり漆黒のボディを持つ、サメの化け物が大口を開いて現れた!
顎が外れるぐらい驚いた2人は、完全に逃げ道を失ったことを知る。
「こういう状況を、四面楚歌というんですわよね……あ、いえ、向こうは3匹ですから、三面楚歌と言った方が……」
「この期におよんでおもろかしいこと口走らないでよぉ!」
「14年……長いようで短い人生でしたわ……」
「ルルカってばぁぁぁ!」
窮地においやられどこかに逃避しかけているルルカの襟首をひっつかみ、ガクガクと大きく揺さぶってみるが効果はなかった。
「あーん! こんなことなら、お団子死ぬほど食べまくってくればよかったよぉ!」
こちらはこちらで、なかなか的外れなセリフである。もっと大事なことはないのだろうか?
巨大サメは2人を飲み込むほど接近していた。
あたりが一瞬、暗くなる。
ヌルヌルっとした感触が、ティナの手足に生まれた。
激しい流れとともに、なすすべなく闇に引きずり込まれていく……
刹那──
ズドオオォォォォォォォォォォンッ!
激しい轟音が響いた。
そして、断末魔の叫び。
死を覚悟した2人の前に、再び朱の空が現れる。
飛び散った化け物の残骸が、湖面に溶けるように消えていく。
生あることの喜びよりも、まず何が起こったのかを知りたかった。
湖畔の塔のあたりを遠目に探ってみる。
そこにいたはずの虫たちも既に地に伏し、代わりに1人の女性が立っていた。
ティナよりも濃いピンクの長い髪。
魔法使いを思わせる服飾。
彼女が化け物たちを沈めたのは間違いなかった。
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