「追っ手は…………こないわ。どうやら、向こうも諦めたようね…………」
犯罪をおかした逃亡者さながらのセリフで決めると、ホッとしたように建物の陰から出てくるティナ。そのまま通りをぶらぶらと歩き始める。
材料が足りないというのはもちろん嘘八百で、これから採取に行くなんて面倒なことはしない。季節が違うのだから、まず絶対に取れるわけがない。無駄すぎる労力ということだ。
まあ、バレバレだった気もするが……
「さーてと……どーしよっかなー……」
せっかく街にきたのだから、このまま学園に帰ってしまうのはもったいない。かといって特に欲しい物、必要な物も思い浮かばない。どうしようかと考えながら歩いていると、ふと一軒の服飾ストアが目に入った。
そこから出てきた人間には見覚えがある。いつもの魔法使いルックとは違うためか印象は随分と違うものの、間違いなくフェアリー学園の生徒である。
「そっか……そうだよね……」
誰にともなく呟く。
ティナはウイント導師に育てられ、7歳の時からフェアリー学園に在籍している。そのせいでティナは街娘が普通に着ているような洋服は一切持っていなかった。どうせ魔法使いになるのだ。だったらずっと魔法使いの服装でいればいい…………そう考えていたのだから。
大きな一枚張りのショーウィンドウ。その店のお勧め商品が凝ったレイアウトで展示されている。ヒラヒラの黄色いサマードレスと麦わら帽子が、まるで透明人間が着ているように糸で吊られ、そのお相手は白いTシャツとハーフパンツの透明人間だ。バックには誰が描いたのかベタな青空青い海。ごていねいにビーチボールなんかも飛ばして、それらは全てパラソルの下で揺れていた。
明らかにサマーセールの真っ最中。
その青空の壁の向こう側の空間は、ティナにとっては未知の世界。そこへと続く一つの扉を押し開けると、カラン、と心地よい音が頭上から落ちてくる。
「いらっしゃいませ〜」
音が消えるのをまたずに、奥からあまりヤル気のなさそうな女性の声が響いてきた。
その声が示すように、店内にあまりお客がいない。こういう店は地元のご用達になることが多いので、この程度の街なら入る人間が限られてしかるべきだった。
店内は意外と明るかった。夏物の淡い色彩がさらにそれを感じさせる。なかなか広いスペースにデザイン豊富な衣類が並んでいた。
まず目に付いたのは、女性もののワンピースだ。
いったい今なにがハヤリなのか、着こなしはどうすればいいのか、そんなことティナには分からない。選ぶ基準は、あくまでもティナ自身の好みによる。とにかく初めての経験なので、服を見ているだけではイメージというものが湧かなかった。
すぐそばに試着室なるものがあったが、魔法使いの服というものは、脱ぐのも着るのも手間がかかる。ジャケットなどならともかく、この夏服は下着の上に試着するしかない。いちいち着替えるなんて億劫なことはしたくなかった。
姿見でも置いてあればよかったのだが、あいにく見あたらない。仕方なく、試着室の鏡の前でワンピースを自分に重ねてみる。
どうもしっくりこない。
ワンピースを元の場所にかけなおすと、店の奥の方に向かっていく。
少し行くと、水着のコーナーに辿り着いた。
男物と女物があったが、なぜか女物のスペースが圧倒的に広い。色とりどりの水着は、やはりデザインも多かった。女の子にとって一夏の思い出を高らかに演出するこのアイテムは、非常に重要な意味をもっているのだ。
ティナも水着ぐらいは持っている。たった一着のその水着は紺色のワンピースタイプ。去年の夏、友達みんなで海へ出かけた時、地味だと言われたのにも納得がいった。ここにはティナの水着のように無地のものは、1つとして存在していなかったのだ。
「……いきなり、こんなの着ろって言われても……恥ずかしいな……」
花柄のビキニを手にとって、苦笑する。
ざっと見まわしてみても、全体的にティナの好みではない。今までが今までだったので、どの一着を見ても着てみたいという衝動が湧いてこないのである。
「でも、慣れないとダメ……なのかなぁ……」
ティナは知らないみたいだが、この店はどちらかというと若者向けにハヤリの服ばかりを集めた店なのだ。別の店に入ればティナの感性に合いそうな服も見つかるだろうが、ティナにはそういうことも分からないのだった。
「それなら……これはどうかなぁ……」
「そうねぇ……」
どこからか、聞き慣れた声が響いてくる。
声がしたほうに視線を向けて探ってみると、やはりその2人の姿があった。純白の可愛らしいお嬢様の避暑を思わせる服を見ながら、なにやら相談しているようだ。
(ロットとミスティ……?)
2人の姿を確認するや否や、体が勝手にその死角へと隠れてしまう。
(な、なんで、隠れるのよ……)
自分の行動に戸惑い、しかし、なぜかは分かった。胸の中にあるモヤモヤとした感情がそうさせる。そして、それを出すことができないもどかしさも。
せめて、ミスティが同期でなければ、優しく信頼できる親友でなければ、2人の前に堂々と出ていけたかもしれない。
「よし、OK、これで手を打ちましょう」
ミスティがGOサインを出すが、ロットはまだ何かを迷っている。
「まぁ……ミスティがいいって言うなら…………」
自らを納得させるように何度も頷きながら、その白い服をヒマに花を咲かせている店員のカウンターへと運んだ。
受け取った店員は何やらロットに尋ねている。やがて服を綺麗にたたみ、包み紙とリボンでキッチリと包装してくれる。それと料金分の銀貨を交換すると、2人は一緒になって店の入口に向かっていく。
その動きに合わせて、ティナもまた死角を移動していた。
「ねえ、ロット」
思いついたようにミスティが言った。
「せっかくだから『結婚を前提に』ってことで……」
「な、なにを言うんだ、ミスティ!」
ロットは明らかに動揺した。
「そのほうがいいと思うけど。私たちのウワサにも決着がつくし」
ティナが初めて見るようなロットの顔。まるで小さな子供がはしゃいでいるような、そんな無防備な顔がそこにあった。
「ま、まだ早いって……まだ、16歳だよ、2人とも……」
カラン……
出ていってしまった。
聞きたくなかった会話だけを残して……
急に空気が薄くなったように、ティナは息苦しさを感じた。
頭の中が、貧血を起こしたように真っ白になっていた。
突然異世界に引きずり込まれたかのように、辺りが静かになったような気がした……
自分の想いが届かないと知った瞬間──
ティナの心は、大切な支えを、また1つ失い……
宙づり状態となった心は、ティナの体を小刻みに震わせた。
どうやって帰ってきたのか、あまり覚えていない。
いつの間にか合流した背後霊のごとく2人が、心配そうな顔でティナを眺めている。
ティナはそれすら気付かなかった。
「お姉さま? どうかしたんですか……?」
「なんだか、本気で元気ありませんわ……」
学園までの道中、あの手この手でティナを元気づけようとしていた2人もお手上げ。いつものようにボケてみても、ティナの突っ込みは返ってこない。空振りに終わったボケほど虚しいものはなかった。
ティナに元気がないと、取り巻きを自負する2人の元気も半減してしまう。
まるでお通夜のような帰り道……
なるべく話をしようとするメイプルとルルカ。
その努力もむなしく、その日、ティナが口を開くことはなかった。
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