「えへへ〜、お姉さま、見てましたよ〜」
当選した料理をカウンターで受け取り席についた2人の向かいに、非常に楽しそうな笑顔を携えてメイプルが腰かけた。
ちょうどスキを見てお団子を奪おうとしていたティナの手を、ルルカがフォークで制して、赤い点々のついた手の甲をさすっている時のことだった。
「くっ……また、やっかいなヤツが現れたもんね……」
メイプルもまた、ダーツに挑戦してきたみたいだ。組み合わせはメチャクチャではあるが、メイプルに限ってそれを気にするはずがない。しかも、キッチリとアイスクリームをゲットしているあたり、ティナに与える屈辱感は大きかった。
「せっかくのお食事なんですから、そんな顔しちゃダメですよぉ。食事は美味しく楽しくが、我が家の家訓なんですから」
「あんたの家の家訓がなんだろうと、こっちには関係ないわ」
「そうですか? それじゃ、あたしだけで美味しく食べることにします」
いただきまーす、と手を合わせて、鼻歌まじりに食事を開始するメイプル。その姿を見ていると、なんだか無性に腹が立ってくるのはなぜだろう。
「……ねえ、メイプル? その家訓って、マズいもの食べた時にも適用されるの?」
「もちろんです! それが料理を作ってくれた人への礼儀ってもんです!」
「ふーん……」
力いっぱい力説するメイプルに、ティナは少しイタズラっぽい笑顔。
「あっ! 空飛ぶピンクのゾウ!」
「ええっ!? どこ!? どこですかぁ!?」
果てしなく怪しいティナの叫び声に、メイプルは天井を見上げてキョロキョロとその物体の探索を始めた。
そのスキに、メイプルのアサリのみそ汁に、テーブルに置いてあったからしを練りこむ。ついでにポタージュを流し込むと、どさくさに紛れてルルカも団子のあんこを放り込み、最後にカエルの刺身を投げ入れた。それをグチャグチャにかき混ぜて完成だ。
そして、何事もなかったように、
「見間違いだったみたい」
「なーんだ。お騒がせなんですからぁ」
探索を中止したメイプルは、笑顔のまま食事へと戻った。
そのみそ汁は、なんとも形容しがたい色に染まり、果たして食べられるのかも怪しい物体へと変貌していた。その変身に何も気づかないメイプルは、その器を手にとってしまう。
「ズズ………………ひきっ……ぷ……」
一口それを口にした途端、全ての動きが停止する。
口の中で織りなす辛さと甘さと生臭さ。どういう反応が起きたのか酸っぱい味に加え、磯の香りがそこに花を添える。それはもう、地獄のような味の狂想曲を奏でているようであった。それがメイプルの味覚の全てを麻痺させ、そのしびれた舌がそのまま脳に伝わり、思考停止状態に陥ったらしい。
メイプルの顔から、目に見えて血の気が引いてゆく。
「メ……メイプル……?」
さすがにやりすぎたと思い、ティナが声をかけてみる。
しかし、何の反応も返ってこない。
硬直したままのメイプルは…………笑顔だった……
「はぁ……これは徹底されていますわねー……すごいですわ、メイプルちゃん」
拷問のような食べ物を食べても、死にそうにマズいものを食べても、笑顔だけは崩さぬメイプルに、ルルカは最大の讃辞を送った。
「そんなこと言ってる場合じゃないわ、ルルカ! ちょっと、メイプル!? 大丈夫なの!?」
両肩をつかんで前後にゆすってみると、はっ、とメイプルが正気を取り戻した。
「…………はぁ…………何か、広いお花畑が見えました……」
「良かった…………」
ここで死なれては、食事中なだけに後味が悪い。
「あ、もしかして、心配してくれたんですか、お姉さま?」
「そ、そんなわけないでしょ!? 誰が、あんたなんかに……」
ぶっきらぼうに言い放つと、照れ隠しなのかポタージュを口に運ぶティナ。
「ぶぅぅぅぅぅ!」
「ああ! お姉さま! 食べ物を吐き出すなんて、なんてことを!」
それは異様に辛かった。尋常ではなかった。原液に近かった。
むせるティナの横で、ルルカがクスクスと笑っている。
「ル……ルルカ……もしかして…………」
「えっ? なんのことですか? 私、からしなんて入れていませんわよ」
「……………………ほほぉ……」
ティナのこめかみに青筋が出た。それを無視してルルカはしらを切り続ける。
「まあまあ、ティナさん。辛いものを食べると、ダイエットできるそうですわ。ちょうど良かったじゃありませんか」
「どーゆー意味か・し・らぁ?」
「いろんな意味があるかと思いますが……あ、その顔は変な意味に取ってますわね? 別に私はそんな意味で言ったわけではありませんわ。でも、ティナさんがそうお考えになったということは、ティナさんが自覚しているということであって、私のせいではちっともありませんから。ええ、ちっとも」
ティナの青筋は、行き場を失いつつあった。
こんなふうに言われては、怒れば怒るほどに墓穴を掘ってしまう。相手に墓穴を掘らせるのがルルカの真骨頂なのだ。握りこぶしを胸に、ティナは大いに悔しがる。
「納得していただいて嬉しいですわ。きっとティナさんなら分かっていただけるとぉ……ぐ……ぅ……」
「? ルルカ?」
突然ルルカが言葉を失った。
ちょうどビーフシチューを口にした瞬間に。
「ま、まさか!」
思い当たることがあって、ティナはバッとメイプルを見る。メイプルはあの事件を忘れてしまったかのような極上の笑顔を振りまき、たった今、ビーフシチューを飲み干したところである。
「はは…………やるね、メイプルも……」
改めてルルカの器を覗いたティナは、引きつった笑みを浮かべた。
器が似ているので気づかなかったのだろう。
話をしている間にすり替えられた地獄の食べ物を、ルルカはシチューと信じて飲んでしまったのだ。
ゴトン……
イスごと倒れ伏したルルカを目で追って、ティナは密かに「よっしゃ」なんて思っていた。
「このスキにお団子をいただき…………ああっ!」
ルルカのガードがなくなった今、お団子は自分のもの。喜び勇んで手にしようとしたのだが、そこには器からこぼれた地獄の液体が容赦なく降りかかり、すでに食することができない状態になっていた。
「な……なんてことを……わたしのお団子ちゃんがぁ………………」
ガックリと両肩を落として涙した。
巡り巡って元をたどれば、自業自得と言えないこともない。
「あ、あの…………」
その近くで一連の成り行きを見守っていた男の子が、おそるおそると声をかけてきたのはその時だった。
「……なに?」
悲しみに暮れるティナの瞳が、その男の子に向けられる。
ティナは知らないが、先日、ティナが行方不明になった時、理事長室に駆け込んだあの男の子だ。
「あの……良かったら、これ……どうぞ」
差し出すそのお皿には…………紛れもない、お団子ちゃん第2号!
ティナの瞳から涙が吹っ飛んだ。
「ええっ!? いいの!? ありがとぉぉぉぉぉ!!」
ひったくるようにお皿を奪うと、遠慮など涙と一緒に宇宙の彼方へ捨ててしまったかのようにかぶりついた。もちもちっとした食感が、上品極まる甘味が、グラデーションしながら口の中いっぱいに広がってゆく。これはもう、ひとつの芸術だろう。
「ああぁ……し・あ・わ・せ」
「お団子……お好きなんですね……」
「お好きなんです! あぁ、もう、食べちゃいたい!」
と、2本目も一気にたいらげる。
そして、最後の3本目を口にした時……
「その……ボクも、好きなんです。…………ティナさんを……」
「はひ?」
真っ赤な顔でそう言い残した男の子は、恥ずかしくなったのか、そのまま食堂を飛び出していってしまう。
しばし茫然と見送るティナ。
「ティナさ〜ん……」
「おね〜さま〜……」
復活したルルカと食事を終えたメイプルが、ティナの背後に暗い影を落とした。
「ひえぇ!」
悪寒を感じて、ティナは背筋を震わせる。
「よもや、あんなチンケなおガキさんに、心を奪われるわけがありませんわよねぇ……」
「ロット先輩はともかく、あんなふてぶてしい態度の輩に流されちゃダメですよぉ……」
目がかなり怖い。
「だ、大丈夫よ! 安心して!」
このまま放置しておいたら何をするか分からない。ともかく心を静めてもらおうと、ティナはそう叫んでいた。
それを聞いた2人は、今までのはいったい何だったのか、まったくいつもの調子に戻ってしまう。
「そうですわね。それでは、やはり私と……」
「いーえ! お姉さまは、あたしのですよ!」
ティナを綱引きの綱に見立てて、両者の引っ張り合いが始まるのであった。
「痛いってば、引っ張らないで! 腕が抜けるうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
結局、こうなる運命だったのかもしれない……
ティナは、自分の境遇を恨んだ。
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