2002年 ヴェネツィア (12)

思い出の1枚 リアルト橋

お馴染みのリアルト橋を撮影したものです。
こんな感じで写真を撮ろうとしたら…ん?カメラがない。
大変だぁ〜教会に忘れてきちゃった(滝汗)


   サンティッシマ・ジョバンニ・エ・パオロ教会   地図…ジョバンニ・エ・パオロ教会

ミラーコリ教会を出て小さな運河をいくつか渡ると、少し大きな通りの正面にジョバンニ・エ・パオロ教会の大きなファザードが見えてきます。

この教会には、ムラーノ島のガラス職人が作った見事なステンドグラスがあります。この、街に唯一残された16世紀のステンドグラスは、陽が差し込む午前中に見に行くと非常にきれいです。

中に入ってみると観光客は少なく、正装した20人くらいの人たちが、パイプオルガンの伴奏で讃美歌の練習をしていました。先程ミラーコリ教会で耳にしたのはこの音のようでした。
売店で絵葉書などを売っていたおばあさんに、何かあるのかと尋ねると「結婚式があるのよ」と教えてくれました。

内部の写真撮影は禁止。しかたなく、私たちは椅子に座り、売店で買ったパンフレットを広げました。そして、ステンドグラスや祭壇の絵画と見比べていました。すると、暇だったのか、先程のおばあさんが売店から出てきました。彼女は私の隣に腰掛け、絵の解説をはじめました。あまり(というか、ほとんど)理解できなかったのですが、おばあさんは一生懸命説明して下さいました。

重厚な色ガラス越しに柔らかな光が差し込む、午前中のジョバンニ・エ・パオロ教会。讃美歌の練習が荘厳に響く中、そこは、非常に落ち着いた心地よい雰囲気で満たされていました。おばあさんが去った後も、夫と2人、しばらくの間、椅子に腰掛けてぼんやりと過ごしました。



  デジカメ忘れました 

ジョバンニ・エ・パオロ教会を離れた私たちはリアルト橋に向かい、通り慣れたサンポーロ広場経由の道を使ってホテルに戻ることにしました。

リアルト橋を渡ったところで、今日が最後だからと、たもとのゴンドラ乗り場のあたりから橋の写真をとろうとしたときです。「あれ?カメラは…?どこに入れたっけ?」と夫。しばらくバッグの中を探して、次に発した言葉は、「やばい!さっきの教会に置き忘れたかもしれん。」
なに〜ぃ?

置き忘れたカメラが無事であるわけはないと思いつつも、とにかく急いでジョバンニ教会に戻ることにしました。リアルト橋付近は人も多く、早足で進むのが精一杯。教会に続く人通りの少ない脇道に入ってからは小走りになっていました。私は、走りながらも「カメラを置き忘れた。」の伊訳を必死に考えていました。

教会に着くと、結婚式が始まっており、観光客がその様子を遠巻きに眺めていました。
さっき私たちが座っていた椅子の上を見ましたが、カメラはありません。
「やっぱりダメだったかあ…。」
ヴェネツィアの思い出がたくさん入っているカメラです。気持ちが沈みはじめました。
私は、一応教会の人にも尋ねてみようと、先程親切にしてくれた売店のおばあさんのところへ行き…、

「 Ho dimenticato la mia macchina fotografica! 」(カメラを忘れました!)
おばあさん 「 ………………………………………… fotografica! 」
 「 ? ! 」
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おばあさんは「…フォトグラフィカ!」と私と同時に発して、売店の後ろに保管してあった私たちのカメラをとってくれました。
「あったあ〜!」
「あなたたちが座っていた椅子の上にあったのよ。持ち主がすぐわかったから、私がココに保管しておいたのよ。」

私たちは何度もお礼を言い、カメラが戻ったことの幸運に喜び、驚き、感謝しました。
何度お礼を言っても言い足りないくらいだったのですが、ヴェネツィアを離れる時間が迫っていたので、すぐに教会を後にしなければなりません。
教会を出る時、振り返ると、結婚式を眺めていたおばあさんと目が合いました。夫と2人で会釈をすると、おばあさんは手を振って答えてくれました。私たちも手を振り返して、その場を去りましたが、私は思わず涙が出てきてしまいました。(T_T)

またリアルト橋に向かった私たちは、そこで橋の写真をしっかり撮って、ホテルへと急ぎました。
このページの一番上にある写真は、その時撮った思い出の1枚なのです。

おばあさんとの後日談はコチラ

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  ヴェネツィアからミラノへ 

ミラノに向かうICでは、はじめて個室の列車に乗ることができました。テレビなどでコンパートメントの列車を見る度に一度乗ってみたいと思っていたので、乗車して私たちの席が個室だとわかった時は、嬉しくなってしまいました。

6人乗りのコンパートメントには、私たちの他に中年の男性2人と女性1人が乗っていました。
ミラノに到着するまでの約3時間、おじさん1人がしゃべりまくり、ご夫婦らしい2人はほとんど聞き役でした。話し手が中座した時、残されたうなずき役は急に無口になって、軽いため息をついていました。あまりの饒舌さに多少閉口していたのでしょう。

ICはESに比べて少しスピードが遅く、飲み物のサービスはありません。(車内販売はあります。)車窓からは葡萄畑やオリーブ畑、湖などの景色が見え、思いがけない列車の旅を楽しむことができました。でも夫はほとんど眠っており、私の問いかけにも生返事を繰り返すだけでした。



  どこに行くのですか? 

ミラノ駅に到着後、私たちはリムジンバスでマルペンサ空港に向かいました。小1時間して空港に到着した〜と思ったら、乗客を降ろさないまま、バスはまた走り出し、来た道を戻りだすではありませんか!運転手からのアナウンスなど一切なく、乗客は(もちろん私たちも)互いに顔を見合わせて不安な様子です。
まさか、ショーペロだからって(?)駅に引き返すんじゃないよね?

「誰かさっさと運転手に事情を聞けよお。」と思いつつ、5分近くも走ったでしょうか。やおら1人の乗客が立ち上がって言いました。「出発ロビーは封鎖されているから、到着ロビーに向かうんだって。」
安堵した乗客からは拍手が起きました。
ああ良かった!

結局、バスを降りるまで運転手からは何の説明もありませんでした。学生の頃、英語の先生が「乗りもの内での親切なアナウンスは日本にしかない。」と言っていたのを思い出したりしました。

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  ボナ〜 

やっとの思いで空港に到着(^_^;)し、チェックインを済ませた私たちは、免税の手続きの窓口を探しました。見つけたと思ったら、今度は窓口が閉まっています。どうしようかと思案していると、同じ目的らしい日本人のツアー客がガイドさんを先頭に現れました。

ガイドさんは手慣れた様子(あたり前)で「窓口が閉まっているから、こちらで手続きしてもらいましょう」とツアー客を誘導していきます。私たちは、ちゃっかりその後ろについていくことにしました。

狭い事務室の中に入ると、担当者の男性が1人で免税のスタンプを押しています。その押し方たるや、頭上まで持ち上げたスタンプを恨みでもあるかのような勢いで振り下ろして、ひとつずつドスン、ドスンと刻印していくという非効率きわまりないものでした。
私の順番がきたので「ボナセーラ(こんばんわ)」と挨拶すると、その男性は不機嫌そうに「ボナセーラ」と挨拶を返してきました。そして私の書類にも、ドス〜ン!
私が判をもらって部屋を出る頃には、順番を待つ人の列がだんだん長くなっているようでした。

待ち時間が長かったので、いろいろ店を覗いているうちに、いつのまにか(?)グッチのバックを買ってしまった私は、また免税手続きをしに先程の部屋に行きました。
そこで相変わらず1人でスタンプを押し続けていた男性は、体力を使い果たしたのか30分前とは別人のような疲れ方で、作業能率はさらに下がっているようでした。また「ボナセーラ」と声を掛けると、彼は掠れた声で言いました。「ボナ〜ァ〜」

ため息をついて見上げた彼の視線の先には、まだまだスタンプ待ちの列が続いています。並んでいたのはスチュワーデスも含め、ほとんど日本人でした。

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  ARRIVEDERCI  ITALIA!(さようならイタリア) 

空港に居合わせた個人旅行者は口々に、「ショーペロで今日は日本に帰れないじゃないかと焦ったね」などと話していましたが、ツアー客の方々はショーペロがあったことすら、ご存知なかった様子です。この時ばかりは、ガイドさんにすべて任せられるツアーをチョッピリうらやましく思いました。

というわけで、私たちは何とか無事に帰国の途につきました。
ほとんど日本人で占められている機内ですっかり安心した私は、急に眠くなり、成田に着くまで機内食の時間以外はほとんど爆睡していました。
こうして、たくさんのハプニングと思い出を残して、私たちのイタリア旅行が終わりました。
アッリヴェデルチ イタ〜リア! また出会える日まで…


ヴェネツィア・エルバリーアの八百屋さん