2001年 ヴェネツィア (7)

ヴェネツィア4日目は、古くから要人のもてなしの場であったと言われているサン・ジョルジョ・マッジョレー島に向かいました。

サンマルコの隣のサン・ザッカリアから水上バスで5分程度の距離にあるこの島は、真っ白い教会と煉瓦色の鐘楼が印象的な非常に静かなところです。

岸のサンマルコ小広場では、ゴンドラ乗り場の背後に浮かぶこの島の教会を大勢の観光客が眺めています。でも実際に足を運ぶ人は非常に少なく、私たちが訪れたときも数える程度の人しかいませんでした。



   サン・ジョルジョ・マッジョレー教会   地図…マッジョレー島

その優美な外観から「水辺の貴婦人」と称されるマッジョレー教会は、古代ローマ建築を思わせる堂々としたファザードをサンマルコ小広場に向けて建っています。内部の壁も白いせいか、教会にしては明るい印象です。でも訪れる人が少ないので、ひっそりとしています。

ティントレットの晩年の傑作『最後の晩餐』があり、重厚な木製の聖歌隊の椅子には緻密な彫刻が施されていました。   

マッジョレー島とカモメ
サンマルコ小広場から見たマッジョレー島



  アミーコ アミーコ 

マッジョレー教会の中には絵葉書などを売っている売店があり、なぜか、そこでは神父さんが店番をしていました。他に客がいなかったせいか、神父さんは写真を撮ってあげようとジェスチャーを交えて話しかけてきました。私たちが喜んで1枚写してもらうと、次には自分も写真に撮ってくれという仕草。それで私と神父さん、夫と神父さんという順番で写真を撮りました。

私や夫の名前も尋ねてきたのですが、発音は適当にごまかして、「アミーコ!(友達)、アミーコ!」と繰り返していました。そして別の日本人の名前(誰だか忘れた。)を口にして、その人ともアミーコだと言っていました。
その後も神父さんは、私に売店の商品を熱心に勧めたりして、とても気さくに接してくれました。

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マッジョレー島の教会の内部
マッジョレー教会の中。



   マッジョレー島の鐘楼   地図…マッジョレー島の鐘楼

教会の奥からエレベーター(やや興ざめ)で鐘楼に登ることができ、頂上では360度のパノラマを楽しむことができます。

窓からの景色は、サンマルコ広場を囲むように広がるヴェネツィア本島の煉瓦屋根、この島にあるヨットハーバー、運河を進む水上バスや大型の観光船、遠くに霞んで見える多くの島々など変化に富んでおり、鐘楼からの景色はサンマルコのそれ以上だと思います。

この次ヴェネツィアに行くときには、夕暮れに登り、茜色に染まる街並みや沈む夕日を眺めたいと思いました。

マッジョレー島の鐘楼から 1 マッジョレー島の鐘楼から 2
マッジョッレー島の鐘楼から見た
ドゥカーレ宮殿とサンマルコの鐘楼



鐘楼からはラグーナの島が見えます。
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教会の前からヨットハーバーに続く道を散歩しながら、運河を往来する大小様々な船をボーッと眺めていると、サンマルコ広場の喧噪が嘘のようです。
歩き疲れた時など、この島に渡って、一休みするのもいいのではないでしょうか。

マッジョレー島の鐘楼から 3
マッジョレー島のヨットハーバー(鐘楼より)



  迎えにきた車 

最終日は、ヴェネツィア→アムステルダム→新千歳へと飛行機を乗り継いで帰ります。ヴェネツィアを早朝6時半に出発する便だったので、前日にホテルのフロントにタクシーを予約してもらいました。

ロビーで待つ私たちを迎えにきたのは、タクシーではなく普通の乗用車でした。もしかして、これって白タクでは…? 一瞬躊躇しましたが、運転手に料金を確認するとフロントで聞いた値段と変わらなかったので、ひとまず安心してそのタクシーに乗り込みました。

運転手はイタリア人の割に無口な人で(眠たかっただけか?それも少しこわい。)、私たちを乗せた乗用車は早朝の濃い霧の中をスムーズに進んでいきました。一方で、このままどこかに連れ去られるのではないかという妄想にもとらわれ、空港に到着するまでの時間が長く感じられました。

それも、全くの杞憂に終わり、私たちは無事空港に到着しました。車中で運転手と会話ができていれば無用な不安もなかっただろう。このちょっとビビッた体験が、根性のない私にイタリア語の勉強を継続させているのかもしれません。

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   オランダ・スキポール空港  

今回の旅行で乗り換えに利用したスキポール空港は、明るく大きな空港で、免税店が充実しています。行きは乗り換えの時間が短く、免税店に立ち寄ることもできなかったのですが、帰りは空港の中を見て回る余裕が充分にありました。

余談ですが、オランダ人は非常に背が高く、成人男性の平均身長は180センチを超えるそうです。(ちなみに夫の身長は、少し悲しい164センチです。)



  メキシコシティ 

行きの飛行機の中では、フィレンツェに向かう乗り換え便のゲート番号を教えてもらったので迷うことはありませんでした。でも帰りは自分でゲートの番号を確認しなければならず、少々不安でした。
チェックインした後、インフォメーションで航空券を見せ、新千歳行きのゲート番号を教えてもらいました。言われた場所で私たちは出発のアナウンスを待ちました。

しばらくして、周囲に日本人が全くいないことに気づき、不審に思った私があたりを見回すと、電光掲示板にはメキシコシティ行きの文字が表示されているではありませんか。
 どうやら、ゲート番号を聞き違えたようです。

私たちは大急ぎで新千歳行きの文字を探し回り、しわがれ声のおばさん達の会話が妙に浮いている待合室を見つけた時、やっと無事に日本に帰ることができるとほっとしたのでした。

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