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とある物語・・・
INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・
1、 山をめざして (KIKI)
1997年2月11日、午前9時27分、旅立ちは朝早い方がいい。
それにしても完璧なまでに雲ひとつなくよく晴れたこんな冬のある日の空は、本当に映像がくっきりと迫ってくるかのように鮮烈で、思わず息を呑んでしまう。 ブルー・ジンズにロング・ブーツ、襟を立たせたジージャンにM・A1ジャケット、更にレイバンのグラサンと、思いっきりめかし込んで、我がオンボロ車"フィアット・パンダ30"の窓を全開にし、山に向けて旅立つ時に受けたその冷たい風は、頭の片隅にちらついていた不安しきものを微塵も残さず吹き飛ばしてくれ、この瞬間を人生の中での最高のもののひとつに感じさせてくれたと思う。
この時点で頭の中に何か"計画"と呼べそうなものはかけらもなかった。 どこに行くかも、どこで寝るかも知らず、数日の冒険の後に最終的に帰り着くことの出来る家もなく、正に全てがゼロだった。
前日の夜、僕のイタリア語の急成長の立役者であり、人生最大の親友であったとも言える"KIKI"に涙まじりに言われたセリフがまだ耳に残っている。
『Vuoi Veramente Cominciare Il Secondo Capitolo della Tua Vita eh, Io Ti Dovrei Mandare Via Con La Gioia, vero? (どうしてもあなたの人生の第2章を始めたいのね、私は心から喜んであなたを送りださなきゃいけないのよね)』
後に数々出会う"幸運"の最初の一つと言えるKIKIとの初めての出会いは、昨年の7月の始めのこと。 イタリアに着き真っ先に駆け込んだトスカーナ州はリヴォルノのとある私立語学学校の個人授業の先生をバイトにしていた(ちなみに僕が最初で最後の生徒である)僕と同い年の小さな女性で、僕のことを"チカ"と(NORICHIKAから、とって)呼び始めたのも彼女である。 ちょっぴりディズニー映画の動物たちのようにマンガチックなその顔と、絶えず欠かさぬ笑顔とジョーク、人の話を聞く時のポカーンと開いて閉まらない少しばかり大きめの口、その話に驚いてふくれあがり、そして気が付けばいきなり感に打たれてボロボロと泣き出しているその瞳、とにかく可愛らしかった。
そんなKIKIに始めの授業でどういう風に進めたらいいかを聞かれ、話す語学力もないくせに『Parliamo,(話をしよう)』といって驚かせたのをよく覚えている。 日本出発前に4カ月独学で文法ひととおりと2000の単語を暗記していたわりには、なかなか言いたいことが言葉にならず、始めのうちはかなりにらめっこ状態がつ続いたけれど、そこはKIKIの忍耐力と二人の相性の良さもあってか、一カ月後には、お互いに今まで誰にも話さず、そしてこれからも誰にも話さないだろう事を、涙と笑いまじりに語り合うようになっていた。 KIKIに送る感謝の気持ちは言葉では表せない。 いったい何度、時間外授業をしてくれただろう。
2カ月後"仕事探しを始めるぞ"と言ったら、僕が心配するな、と言っても、
『No,Ti Accompagno Io(いや、私も行く)』
と聞かず、始めの10件くらいはあたかも神妙奇抜な新手の製品を押し売りしまくっているお姉さんのような気合の入りかたでついてきて、僕が一人でやらないといけないことだから、と説得すると今度は、
『Ci Vorrebbe Curriculum, Forse(履歴書が必要よ、たぶん)』
といい、翌週には日本での僕の学歴、職歴がすべて綿密に記入されている完璧すぎるそれをワープロで作ってきたその頑固とも言える執拗さには、思わず笑ってしまったくらいである。 リヴォルノとピサを中心にカガイド・ブックにたよらず行われた(最初はイタリアに"慣れる"ことが第一、との考えから)そのけっこう無茶な仕事探しは、2週間後の53回目(偶然、リヴォルノNo,1の名店との評価をされていた)のトライにて優秀の美を飾るわけだが、そのことを告げたときのKIKIの喜びようったら、ホントに、もしかしたら自分の人生の中で、自分の出したある結果にこんなにも人に喜んでもらえたのは初めてのことかもしれない。
3カ月後その店を辞めることに決め、旅に出るためのオンボロ車を買ったときには、
『 Ti Faccio Un Corso Di Guida!!(イタリアでの走り方を、教えてあげるわ)』
とはしゃいで自動車学校の先生のごとく偉そうに助手席にふんずり返っていたと思えば、いざ車が動きだすと顔が引きつり始め、口数が減ったので、どうしたのかと尋ね顔を覗き込むと、
『 Non Guardare a Me, Guarda Avanti (私を見るな、前を見なさい!)』
と、すっかりシートにへばりついて口から泡でも吹き出しそうに見えたが、それでも僕のミスをつつき、クラクションを鳴らす車を睨みつけては、右手のひらを上にし大きく後ろに向けて振り上げ(基本中の基本)
『Va-Fan-Culo!!(くたばっちまえ)』
と、とても勇ましかったっけ。
そうそう、3時間の走行の後にKIKIを家の前まで送り、そのまま日本での癖で右側から車に乗ろうとした時には、
『Bravo!!Dopo 3 ore di Lezione,(3時間の講習のあとに大したもんだ)』
と、大爆笑もされたし。でも、感謝してる。おかげで、ただただ楽しかった。 実はかなり脅えていたからね。 仕事探しにも、初ドライヴ゙にも。 そしてなによりも、こんなに心を開いて誰かと話しをすることに。
今、11時40分、モンテスクダイオあたりの田舎道。 ちょうど目の前で急停車した車に右手を大きく振り上げたところ。
KIKIに教わったようにね。
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