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  とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・


9、楽園"ヴィッラ・マーニャ"と天使ルクレッティア(MANGIA CHIKA?)


  今日は日曜日、我らが子供たちは昨日の授業の後から、それぞれの実家に帰っているし(小さいアリーシェを除いて、彼女は外食すると言っていた)、2月のこの時期に観光客はまず来なく、これといって何も特別なこともないので、ホテルは夕方の5時まで休業、ということでパオロの家でのランチに招待された。
 午後に一人でブラブラとドライブ出来るように自分の車で彼の後に続いて、ヴォルテッラから20分ほどを今にも猪が飛び出してきそうな林を突らぬく峠道を走ると、一面を小麦畑に囲まれた小さな村に着く。
 幾つも続く低い穏やかな丘陵を駆け抜けるキジに、そのこだまする囀りを残し飛び上がるツグミたち、ここは一体、何処だろう、天国かな。 それにしても何て素敵な村なんだ、歴史を語る城壁や絢爛豪華な教会の代わりに、錆びれたバーと集会所がひとつずつあって、家々がそう、20件位。 ここにあるのは語り過ぎることを知らない"無"に、永遠に変わらぬことを好み、何者によっても汚されることのない"平和"、そして、知り過ぎることを恐れる"頑固さ"であろうか。
  どこの家の台所からもオリーヴ油の中ではじけるローズマリーとニンニク、そして注がれるヴィン・サントと共にソテーされる名物トリ・レバーの癖になる匂いが一斉に立ちこめ、バーで友達とのおしゃべりに尽きない怠け者の男たちを家へと誘いかけている。
 パオロの家はちょうど村の中心部(と言っても50メートル歩けば終わる村だが)にあり、質素だが花々に彩られた素敵なカガーデンを持ち、そこから見上げるのは "天空の城、ヴォルテッラ"、見下ろすのは彼の儀父の耕す一面の畑。 家鶏が泣きわめき、家ウサギが網からその鼻を覗かすその軒下では"プッペ"というふざけた名前(乳房の意)のダックス・フンドがトカゲを追いかけ大騒ぎし、お勝手からは小さな女の子のものらしき泣き声を包む家族団欒のやりとりが聞こえてくる。
 いまだに"理想の田舎の家"の話をしたら、頭に思い浮かぶもののひとつであるこの楽園は婿入りしたパオロの奥さん、金髪に青い瞳をして、とてもふくよかで存在感のあるティッツイアーナの実家である。 そこに住むのは、その両親モランドとローザ、僕と同い年位と伺える美人の妹のパトリツイアの一家、夫スターファノと5才の息子フィリッポ、そしてフォレンツエで学業に励み週末に帰ってくる、20才だが既にその母同様にふくよかさの芽が生え始めているパオロの長女バレンティーナと3才を迎えようとしている天使のようにかわいらしい次女のルクレッティア。

 んっ、ちょっと待って、3才!!!パオロ、だってあなた50才越えてるでしょ、ティッツイアーアだって45才前後だと見えるし、なんてこの人らしいことだ。 そういえば、ティッツイアーナとパトリッツジアの姉妹にもかなりの年齢さがあるし、この辺りではこれは当たり前なのかな、深く詮索するのは止めよう。 とにかく、パオロは皆に僕の紹介を済ますやいなや、僕を納戸に引き連れ、この村の長老がこの冬に仕込んだというプロシュットやサラミ、自分で昨年に刈り取り漬け込んだというキノコの酢漬け、トスカーナNo,1(あくまで自称、そして事実ではない)と言うこの村のオリーヴ油の大瓶等など、色んなものを自慢げに見せたと思ったら、今度は"カメラは持ってきたか"の質問。 ああ、それはどうも気が付きませんで、とすぐさま車に引き返し、取り出したカメラでパチパチ始めるともう、大満足。 だんだん、この人の扱い方が解ってきたかな。
 パオロはもともと同じトスカーナでも都会フィレンツエの中心の出身で、外国での生活も長かったのだろうから、トスカーナに別荘を持ちたがる生活水準の高い国柄の人達、例えば、ドイツ人やスイス人同様に"このような楽園"での生活に一種の"成功"を感じているのだと思う。 それに仕事がらここで生活し始めてからも、ここで眠ることはそうないらしい彼にとって、事実"別荘"みたいなものなのでもあろう。

  ところで、さっきから後ろをウロチョロしてるこれは一体、何であろうか。

 『Ch´a Fai? Chika.(ナニスルノ、チカ)』 ルクレッティアがジャンパーを引っ張っている。

  『Oh! Amore Mio, Dai Un Bacino a Babbo?(おお、アモーレ、パパにキスしておくれ)』

 『No!(ダメ)』 と、指をくわえ断るルクレッティア。

  『Perche No? Allora Dai Un Bacio a Chika?(どうしてダメなの、それじゃ、チカにキスする)』

  『Bacio a Chika. Bacio a Chika.(チカニキス、チカニキス)』 と、真っ赤に染まったアヒルのような頬によだれを垂らしながら、驚くパオロの助けを借りて僕にキスするルクレッティア。

 イッタイナンテカワイラシンダ。

 ここでパオロが説明するには、きっと僕は彼女にとって、テレビの箱から飛び出してきたアニメの主人公みたいなものなのだろう、とのこと。 100%正しい見解だが一言付け加えると、どうも昔から僕はおばさんと子供にはモテルんだよね、同世代の女の子からはイマイチなのに。
 さて、腹の虫の騒ぎが頂点に達するころ、待ちに待った昼食の開始、先程パオロに見せられたプロシュット等の薄切りや、キノコ酢漬け、お約束のトリ・レバーのクロスティーニで始まるアンティパストに続き、プリモ・ピアットはやはりトスカーナ名物の"リボッリータ。 が、しかし、前持って言ってくれればもっと特別なものを作ったのに申し訳ない、とパオロに慎みの一言をいう謙虚なローザの作るこの"リボッリータ"ただ者ではない。 こんなに美味しかったそれは、それまでもこれまでにも、お目にかかってない。
 すかさず、皆の制止をよそにトスカーナにおける"リボッリータ"の意義を語り出すパオロを聞き流しながら、つい、後のことを考えずに新に2杯おかわりすると、さあ大変。すっかり気を良くしているローザの期待を裏切る訳にもいかないのに加え、

  『Chika Mangia, Mangia Chika.(チカタベル、タベナサイチカ)』 と、またよだれを垂らしているルクレッティアに煽られる。 ハイ・・・チカガンバリマス。 と、山のように取り分けてくれる続くセコンド・ピアット、"家鶏のロースト、赤ワイン酢風味"やコントルノの"カルチョーフィのフライ""自家製野菜のサラダ"その他、各種のチーズを全部平らげるはめになってしまうが、ここはイタリア、当然それだけでは終わらず、ヴァレンティーナの手による"自家製リンゴのトルタ"、ヴィン・サントにより引き立てられる名物の乾燥焼き菓子"カントゥッチ"等など、果てしのないこと。

  『Bo-no,Bo-no,Chika?(オイシ、オイシ、チカ)』 ハイ、トテモオイシイデス、ウェップ(でも、美味しかったのは事実)。 そして息継ぎのエスプレッソの後に宴を飾るのはパオロ秘蔵のグラッパにブランデーのオン・パレード。 痩せた身体に似合わず大食い自慢の僕だが、これはおそらく最高記録かな。 時計の針が3時を告げる頃、さすがにパオロも眠気に襲われたらしく、ドライヴでもしてきなさい、とのこと。助かった、これ以上飲めないし、横にでもならないと食べたものが全て口から出てきそう。

  『Do´vai Chika? Do´vai?(ドコイクチカドコイク)』

 チカタイサンスルノデスヨ、アモーレ。


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