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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・




8、明日は明日(Domani e Un´Altro Giorno, Si Vedra)


 『Se Rimani Con Noi, Mi Fa Piacere.(もし、私たちとここに残るのだったら大歓迎なんだけど)』

 窓から差し込む朝日のあまりもの強烈さに目を覆いながらも、昨日の夜のサンドラのセリフが頭をよぎる。 さて、どうするべきなのかな、こんな時に口から出る言葉はただ一つ"Bo?(さあ)"、これしかないし、第一僕が決めることが出来る問題ではもな。 そういえば、KIKIからもう一つ、素敵な言い回しを教わったっけ、なんだっけかな。確か、40件以上仕事を聞きに回って結果が上がらなかったある夜に言われたと思うのだけど。 あっ、思い出した。

 『Domani e Un`altro Giorno, Si Vedra.(明日は明日、また別の日)』 だ。

 よしこれで行こう。 人生何が起きるか予測出来るものか。 と、毎度の事だが、素直に開き直って下に降りると、僕を見るやいなや満面の笑顔のパオロが駆け寄ってきた。

  『Buon Giorno! Chika. Ti Aspettavo,(おはよう、チカ。 君のこと待っていたよ)』 ナンダナンダ一体何事だ。

  『Tu Sai Cucinare Ostriche, Vero?(君は牡蛎の料理の仕方知ってるよね)』それはまた唐突に、

 『Siccome, Ho Lavorato Tanti Anni in Francia, Le Amo Veramente Io. Poi, L´ho Comprate Stamattina. Perche, Credevo Che Tu Sapessi Cucinarle Bene. (いや、フランスで長いこと働いたから、牡蛎に目がなくてねえ。 そこで君なら料理出来ると思って今日の朝買ってきたという訳だ)』と、一ケースの牡蛎を僕に見せる。 しかもどうやら今すぐ食べたいらしい。 まあいいか、でもその前に自分で用意するから朝食はしてもいいかな。

  『Certo! Ma, Te Lo Preparo Io.(もちろんさ、でも私が用意するよ)』そう言い、まるで僕が商売上の大事なお客さんであるかのような気味の悪い気のつかいようで、ただちに朝食を運んできて目の前に陣取ったかと思ったら、まだ夢うつつ状態の僕に向かって、過去にフランスで食べた牡蛎が、いったいどれほど美食自慢の彼の喉を潤したかをしきりに語っている。 寝起きすぐに美味しい料理を作る自信はまったくなかったが、まあいいや、やりましょう、とやる気のない腰を上げ厨房に入り、何の材料が他にあるかを確認して働かない頭にカツを与え、何を作るか思案しながら牡蛎を開けていると、サンドラとロベルタが昼食の準備を始めに入ってきて、

  『Che Cavolo Stai Facendo? Chika,(イッタイゼンタイ、何をしているの、チカ)』 と、目をひん剥いて驚いている。 事情を説明すると、たちまち2人、特にサンドラの顔色が曇り、今までに見たことがないほど悪意に満ちた表情で、

  『Bastardo, Stronzo, Testa di Cazzo, Paolo,(バカでマヌケの糞野郎、パオロ)』 と、物凄い見幕。

  『Potevi Rifiutarlo eh, Chika. Paolo Solamente Ti Sta Approfittando.(断ることが出来たのに、チカ。 パオロは単にあなたのこと利用しているだけなんだから)』 と、少しばかり大袈裟な事を言う。 僕としては寝起きでよく考えもしなかったし、断る理由などなかった。それに別にそんなに大した事でも嫌な事でもない。 と答えると、それならいいけど、とにかくあの人はそういう人よ、気を付けなさい、との厳しい忠告。 大体この時だろうか、僕がこの二人の間に流れる何か後ろ暗いものをはっきりと認識しだしたのは、いや、きっと初めて二人の会話を聞いた一昨日の夜、サンドラの硬直したその表情から解っていたのだと思う。 ただこの時は単にこの2人は仲が悪いのだな、としか考えなかった。 まさか、それがあの様な悲しい結果に繋がるなんてまして・・・・。

 とにかく、話を牡蛎に戻そう、さて、もしこれが夜の出来事だったら、きっと何かしら凝って複雑な料理を作ったのだろうが、朝だったし相手がフランスにいたと言うひとなので(はっきり言って、例の"チーフ・ギャリソン"の話は信じていなかったけど)無難に基本的な"牡蛎のグラタン、ザバイヨン・ソース"みたいなそれらしきものを作って(単に簡単だったから)食べさせてみると、それはそれは大満足で、肘のところから力を抜いた右手を円を描くように大きく顔の前で回しながら(何か議題となっているものの量、若しくは質等が、充分すぎるほどあるラインに達している時、例えば、5人の客に供するワインはあるか、との質問に対して10本のポトルがある時"Ohu"という一言と共にこれをやると"売るほどある"みたいな答えの代わりをする。 そして同じ理屈で何かがとても美味しい時にも使われる)、

 『Lo Sapevo Che Sei Grande, Chika San.(判ってたよ、君が素晴らしいことが、チカさん)』 と、随分と調子の良いことを言いながら、なんと20個目を口に放り込んでいる。 しばらくはその調子で"牡蛎を食することによる精力の増強"のお話しに夢中になっていたパオロだが、ふと声を下げて(それでも、十分大きな声なのだが)、来週の金曜日に少し特別なディナーを企画しないか、と怪しいことを言い出した。

  話を更に進めてみると、客は昔パオロと一緒にフランスに食の旅に出掛けたことがあるという(やはりこれも信じていないが)この町の役所長さん夫妻と当然パオロとその奥さんと彼の親友夫妻。それとこの"ユース・ホテル"を経営している事業団のこの地域(ここのホテルの他にも、この町に幾つかの施設、例のカルチェレの従業員食堂を始めとして、200人もを収容する町最大のキャンプ場、夏季の観光シーズンにだけオープンされる二つの立地条件の最高に良い大型バー等)の責任者、クラウディオという男。そして希望があればもちろんサンドラも、と8人の予定だそう。そして料理の内容は海の幸をふんだんに使った肉料理抜きのフル・コースで、イタリア料理とフランス料理のミックスされた、つまり、イタリア料理の美味しさをフランス料理のテクニックと飾り付けの上品さで表現したものであって欲しい、との希望。

  実は僕、その手の怪しい企画が大好きで、聞いた瞬間からウキウキしていたのだが、ふと思い出して、ハンターたちのパーティーがあるんじゃないの、と聞くとそれは土曜日だとのこと。 少しお金が掛かるのでは、とやる気を試すと、心配ご無用と強きの返事。 それどころか希望はなんと"牡蛎"と"サーモン""オマール海老"に"舌ビラメ"だと言う。 そんなものを使ったら、一人当たりの予算が昨日のパーティーの10倍になる、と驚いてみると、そのくらいの力はあるから問題ないとのお言葉。いいぞ、そうこなくちゃ。 なんだか目が覚めてきた。そうだ、いい機会かもしれない、ずっとずっと知りたくて仕様が無かったことを探ってみよう、と、底無しのお金がある訳ではないから、宿も提供してくれる仕事を探しているところで、いくらユース・ホテルで料金が安いとはいえ、そんなに長期滞在の贅沢する訳にはいかない、と吹っかけてみた。 そしたらなんと、辺りを見回して近くに人がいないのを確認してから、僕の耳を引っ張って、

 『Tutto Ci Penso Io.(すべて私に任せなさい)』

 と期待通りのお言葉。 待ってました、このお言葉を、これでまたしばらくの間は、ここの素敵な皆と共に過ごすことが出来る、サンドラやロベルタ、我らが子供たち、近所の強者奥様たち、そして・・・シルビア。しかもタダで、と心の中でガッツ・ポーズをしていたら更に、突然昨日の分、と100、000リーレ(約8千円)をくれる。 これだけのおいしい話を断るほど、バカでも頭デッカチでも臆病者でもないため、面白そうだね、喜んで、と素直に承諾するやいなや、突然パオロが立ち上がり、

  『Salute a Nostro Incontro!(我らの出会いに乾杯)』 と、いきなりビールを2本持ってくる。 今回は僕の希望も聞かずに運ばれたビールであったが、まあいいや、たしかにそんな気分かもしれない、飲みましょう、と力強い握手を交わしビンを持つ手を組んでの杯をあげる。 はたから見たらきっとおかしな二人だっただろうね、何て言っても朝の11時だ、でも仕方がない、彼が喜んで浮かれていたのも事実だが、僕のほうはそれ以上だ。

  何、この条件に満足かって、"Ohu" 当然、右手を大きく回してね。



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