とある物語・・・
INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・
6、ホタルのささやき(SILVIA 2)
『Buon Giorno! Signor´Chika Doi San,(おはよう、Mr,チカ・ドイさん)』
パオロがドアをノックしている。それにしても、このオーバーな呼び方は止めてほしい。昨日、名字を教えたのは間違いだったかもしれない。
『Buon Giorno! Sei In Sveglia? Sono Gia 10 della Mattina, Lo Sai?(おはよう、起きてるかい、もう 朝の10時だよ。 知ってる)』 何、10時だって、また今日も寝坊してしまった。慌てて部屋から飛び出す。
『Mi Sa Che Ti Svegli Male a Mattina eh, Invece Io, Alle 6 Gia Finito La Colazione.(どうやらきみは朝が苦手のようだね。私なんか6時にはすでに朝食を終えてるのに)』
昨夜、12時まであんなに飲んでいたのに、なんとまたタフなことで。とにかくすぐさまシャワーを済ませて下に向かうと、サンドラとロベルタは既に昼食の準備を始めていて、何かしら手伝うことはあるかと質問すると、仕込みの大体は午後始めるし、今日は金曜日なので昼食には昨日の子供たちぐらいしかいないから散歩しに言ってもいいよ、とのこと。たが、まあ、とりあえず見てることに決めて、皆でおしゃべりしていると一輪の薔薇をもった小さな男性が現れた。
『Auguri !!! Buon Compleanno, Sandra(誕生日おめでとう、サンドラ)』 と、どうやらサンドラの旦那さんかな。
『Grazie, Amore!(ありがとう、アモーレ)』 と、すこし照れているサンドラ。 ロベルタも知らなかったみたいで、
『Ma, Non Lo Sapevo Io! Perche Non Me l´avevi Detto, Avrei Fatto Bel Regarino, Comunque Auguri! Ti Do Un Bacione! (知らなかったわ、どうして前もって言ってくれなかったのよ。素敵なプレゼント用意できたのに、とにかくおめでとう。キシしてあげるわ)』 と、手を大きく広げ口唇を尖らせて、あたかもこれから物凄いキスをしますよっといった体勢に入ると、サンドラは、
『No, No, Grazie, Ma, No!(いや、その、、、ありがとう。だけど、よして)』 と逃げ出し、それを追いかけるロベルタ。実に愉快なコンビである。
ロベルタの話のよると、ジョバンニというこの小さな男性は"旦那"ではなくて"彼氏"だとのこと。サンドラには,フェルナンド゙という11才のサッカー大好きの愛息子がいるが、3年前に旦那さんとは離婚に至り、今は女手一つでここの仕事と、お姉さんのバーの手伝いと大変忙しい身らしい。ジョバンニとはここ数カ月の付き合いで、一緒に住んでいるのだが、仕事の少ない南部イタリアから求職で移転してきた、5才サンドラより年下のこの男、心臓にちょっとした問題があるらしく、どうしても仕事にありつけない。だけど、それはそれは優しい男で、どうやら本当にサンドラにぞっこんらしく、まあ、お似合いの2人なのかもしれない。とにかくそんな調子でサンドラの誕生日を皆で祝福していると、外の方から、
『Auguri! Sandra,(誕生日おめでとう)』 と、気味の悪い声と共に、誰かが中に入ってくる。
『Ciao! Tutti,(やあ、みんな)』 姿を現せたその男は、なんと言ったらいいのだろう、体つきは"アリスの不思議な国"に出てくるハンプティ・ダンプティみたいで、その顔もやはり同じ物語りの"トランオウのキング"そのもの。クルッと巻いたその細い揉み上げと、ポケットに両手を突っ込みながら、短い足をヒョコヒョコと動かし歩くその姿に思わず笑いそうになってしまい、足元に置いてあった空のケースにつまずいて転がりそうになった時はつい本当に笑ってしまった。このマッシミリアーノという男、彼のお父さんがこの辺りの大地主らしくて、かなりのお金持ちらしいのだが、少しばかり知恵遅れのため、やはりこれも役所の仲介で、一日の散歩コースの一つとして、ほぼ毎日、この時間に顔をだすとのこと。この男、実際は38才なのだが、その身振りは5才の子供のよう、よく女性たち皆がいったい幾ら貰えたら、情事を試みるか、と冗談で話していたが、実は皆、彼のことが大好きで、とにかく彼が来ると、辺りは笑顔で溢れる。パオロなんか特に大喜びで、いつも"電車ごっこをしよう"といって、彼を紐で引きずりまわしていた。
『Massimiliano!(マッシミリアーノ)』 と叫び、今日はロベルタがナイフでお尻をつついている。
『Chi e Lui?(彼は誰)』 新顔の日本人に興味津々で、サンドラが彼に僕のことを説明すると、
『Ah,Tu Sei"Sampei", (じゃ君は、"三平"なんだね(イタリアで放映されている人気アニメ"釣りきち三平"のこと))』
と、ご満足のようである。突然、またまた外から今度は聞き覚えのある声がする。
『Ciao,Sandra!(チャオ、サンドラ)』 入って来たその女性はまさしく、シルビアであった。今日はポニー・テールを解いていて、そのサラサラの栗色のストレート・ヘアーが黒のセーターの上に羽織っている白衣に眩しく、一昨日の10倍かわいい。
『Ah, Ciao Chika! Cosa Fai Qui?(チャオ、チカ。 ここで何してるの)』 と、僕の名を覚えていることに感激。
『Ma,Vi Conoscete Gia?(あれ、もう知り合いなの)』 不思議に思ったサンドラにシルビアが事のいきさつを説明している。ここでサンドラが手に持つ薔薇の花に気が付いたシルビアにロベルタがその理由を告げ、再び皆で誕生日の祝福を始める。しばらくお喋りが続いた後、シルビアは仕事があるから、と皆に挨拶して、僕にも一言、
『Ciao, Chika, Allora Ci Vediamo!(チカ、それじゃまたね)』 そう言い残し、職場に戻っていったシルビアの後を追いかける僕の視線に気が付いた抜け目ないサンドラがすかさず、
『Chika, Ti Piace Silvia,Vero?(チカ、シルビアのこと気に入ったでしょう)』 との尋問に、気に入ったどころではない、恋をしてしまった、と素直に彼女の思惑以上の答えを返してしまったら、
『Oh,Chika! e Proprio Colpo di Fulmine eh! (チカ、それじゃ本当に一目ぼれしたわけね)』 と、あまりの電撃的な早さにサンドラだけではなく、全員当然とても驚いていたが、そこでマッシミリアーノが放った、
『A Chika Piace La Fica(チカは女(俗語で"fica"は女性を深い意味で指す)が大好き)』 という素晴らしいダジャレに皆、それを言った本人も含めて腹を抱えて大爆笑。しばらく笑いが収まらなく苦しそうなサンドラだったが、やがてなんとか息を取り戻すと、
『Allora! Chika, Perche Non Vai a Visitare Dove Lavora Silvia, Se Vuoi La Telefono Io eh? (チカ、それだったらシルビアに会いに職場を訪ねなよ、もしよかったら電話してあげるよ)』 との助け船にすかさず"お願い、今すぐ"と、協力を求め、そこでサンドラと作戦会議。
どうやらこの建物の1階はピサの文化局が管轄している歴史的文献の修復を行う機関になっていて、シルビアはちょうど我々の厨房の真上にあたる小部屋で、2人の女性と共に働いてるという。ちなみに一昨日の夜2人が出会ったエレベーターの"教室"と記されていた1階はその小部屋の事を指していて、そこの従業員だけに使用されるらしい。とにかくその手の修復作業に興味があるか、と聞かれ"かけらもない"と答えると、でもある振りをしなさい、とのサンドラの忠告を受け入れ作戦開始。電話に一歩一歩向かうサンドラに一同虚心(当然、僕が一番トドキドキしてたけど)、皆で聞き耳を立てて、一粒の水滴の音でも聞き取れそうな沈黙の中、
『Chika, Vacci Subito! Ha Detto "Okey"! Poi Adesso Lei e Da Sola! (チカ、オッケーだって、すぐ行きなさい。 それに今、彼女ひとりみたいよ) サンドラの絶叫に、拍手喝采。 "ありがとう"と一言残して、ただちに出発。
『Chika, Mi Raccomando, Vai Pianino eh!(チカ、お願いだから慎重にね)』 サンドラの忠告を後ろに、エレベータに乗り込み1階へ上がると、ドアがすぐ開いて、
『Ciao、 Chika, Ma、 Come Sei Presto!(チャオ、チカ。 それにしても早いわね)』 と、ビックリのシルビア。
どうやら他の2人は、昼食をとりに家へ帰っているため今一人だから、ゆっくり見学していって良いとのこと。それはそれは願ってもない。だけど昼食はどうするの、と質問すると、そんなにお腹が空いていないので、仕事しているほうが気が紛れるとシルビア。ラジカセから流れる"ボン・ジョビ"の名曲"Always"を口ずさみながら仕事場を一通り案内してしてくれて、シルビアの仕事は何なの、と聞くと、見せてあげるから手伝ってとのかわいらしいお誘いに、"何時間でも"と、つい口が滑るとやっぱり笑っていて、"今夜のパーティーの仕込みがあるんでしょ"と、慎みの一言。彼女の仕事は、本の破れた箇所を"和紙"を繋ぎに、極細のやはり日本製の"筆"と"ノリ"を使って、まるで破れてなんかいなかったかのように元どおりに引っ付ける非常に細かい仕事。僕は彼女の希望する形に紙を切り、シルビアがそれを付けていくというようにコンビを組んで作業を進めながら、その間、30分位だろうか、2人で随分といろんな話をした。それは例えば、彼女の"日本"という国へのささやかな疑問であったり、ピサでの大学時代の話であったり、僕が今、何故ここ"ヴォルテッラ"にいるのかであったり、ただどういう訳か彼女とこうして話をしているとまるでほぼ初対面だとは思えないほど時間は静かにゆっくりと流れ、その空気は長年住んだ我が家に数年ぶりに戻ってきたかのように穏やかで、優しく、そして永久的なものに感じられる。シルビアも"なんだか、チカのことは今日知り合ったばかりとは思えない"と同じようなことを言っていた。
とにかくそんな不思議な一時に得もいない幸せを感じていた訳だが、それを中断したのは、どうしてもこの時間になると黙っていることの出来ない僕の腹の虫で、あまりにも響き渡っためシルビアもはっきりと聞き取り、
『Ah,Chika, Hai Fame eh, Vai Giu a Mangia! (チカ、お腹空いてるのね、下に食べにいきなさいよ)』
と、言われ"いや、行かない"とダダこねる訳にもいかないので、そうすることに決めたら、ずっとずっと聞きたくて仕様が無かったことを聞かないといけないような気がして、つい"ところで彼氏はいるのかな"と、またまた口が滑ってしまう。
『Eh, Ma Perche, Chika?(え、だけどどうして)』 どうしてと言われも困る、あの、つまりその、君に恋をしてしまったのから。
『Ma, Grazie Chika, Si, Sei Carino, Pero, Insomma, Si, Sono Fidanzata
Ma, Grazie, (まあ、ありがとう、チカ。 そう、あなたかわいいけど、その、つまり、そう。
彼氏いるのよ、ありがとう、だけど)』
やっぱり、世の中そんなにあまくはない。それにしてもサンドラに慎重にやるように注意されていたのにまったく、どうも口が滑りっぱなしみたいだ。しかし、日本語の20分の1もの会話力をも持たないイタリア語でこんなに電撃的な発言をしてしまうなんて、いったい何でまた、と僕も自分のしたことの、あまりにもの素早さに驚いていたが、それ以上にシルビアはヒビックリしていたみたいで、それはそれは真っ赤になっていた。よかった、とりあえず怒ってはいないよう、すぐさま"だけど、今日から僕たち友達だね"みたいなフォローの言葉を入れ、 『Tanto Ci Vediamo (とにかく、またね)』 と挨拶をしあって、その場は退散。
下に戻り、すでに皆への配食を済ませたサンドラに捕まり一部始終を白状させられると、サンドラまでも真っ赤になって、
『No! Chika, Gliel´hai Detto Gia! T´ho Detto di Andare Pianino, Ah,
Sii, e Fidanzata? Non Fa Niente, Rubala! Ce la farai! (何だって、チカ。もう言っちゃったの、慎重にやるように言ったのに。何、彼氏がいる、なんてことはないわ。奪いなさい、あなたなら出来る。)』と大笑い。挙句の果てに、騒ぎを嗅ぎ付けた小さいほうのアリーシェとマリアの一番うるさい2人にも聞かれてしまって、瞬く間に全員の知るところとなってしまった。パオロには"君には女姓を見る目がある"と感心され、子供たちにはさっそく上に向かって大声で"シルビアー、アイシテル"と叫ばれるし、数人いた知らない男性にも拍手を浴びてしまった。
まだ笑いの収まらないサンドラに食事を用意してもらうが、食べてる最中も話題はひたすらその事で、なんだか、あっと言う間に有名人になってしまったらしい。とにかく結果には少し残念だったけど、楽しかったと言えるかな。シルビアもとりあえず笑っていたし、またサンドラの言うようにチャンスもあるかもしれない。いや、待てよ、根本的で大事なことを忘れてた。そもそも僕はただの"ホテルの客"であって今夜のパーティが終わればここに居ないはずなのに・・・。
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