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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・


5、ママ・サンドラと子供たち (IL MONDO CHE VORREI)



 オステッロに戻ると、まず目に飛び込んできたのは、トドタバタ忙しそうに走り回っているロベルタの姿で 『Ciao! Come Stai?(元気)』 と一言残し、返事もしていないのにもうすぐさまどこかに消えてしまった。
 あっけにとられながら再び足を部屋に向けて戻し廊下を進むと5人位の女の子の視線を感じたので、目を向けると全員がパッと目をそらし、それまでしていた作業に没頭しているふりをしている。絵や手紙を書いたり、学校の宿題らしきものをしたり、日本人が珍しいのか、それとも"イイ男"が珍しいのかな、などと戯言を思っていると、突然ある部屋から3人の男の子たちが叫びながら飛び出してきて、その後を追うのはなんと太い棒切れを担いだあのパオロである。一瞬、あまりにも"絵"になっていたので、まじめに驚いたが、どうやら幸い遊びのようである。

  『Buona Sera, Signor´CHIKA SAN,(今晩は、Mr,チカさん)』

 パオロが僕に気が付き、とても響く声で話かけると、今度は全員が僕を見ている。少し照れ臭かったが、挨拶しかえし、お腹が空いたけど何時に食事か、と聞き返すと、

  『HA,HA,HA, Ancora Presto, Pero, Un´Aperitivo Possiamo Prendere, Andiamo Giu, (すこし早いけど、食前酒にはちょうどいいかな,さあ、下に行こう)』

 と、またまた僕の返事も待たずにエレベーターに乗り出してしまった。まあ、悪くないアイデアなので、彼について下に降りると、食堂からは既に、心地よい匂いと熱気が立ち込めていて(おいしく食事をするのに欠かせないまず最初の条件がこの2つである、と僕は思う)、それをすかさず嗅いだパオロは『HUOON』と喉を鳴らし、カウンター越しに、

  『Sandra, Cosa Si Mangia Srasera?(サンドラ、夕食はなんだい)』 と、25メートル先の食堂のカーテンが揺れそうなほど大きな声で質問すると、厨房から一人の女性が出てきた。ついに噂のサンドラとの対面である。

  『Ciao, Paolo, Eh・・・Si Mangia ・・・、Va Bene? (やあ、パオロ、今夜は・・・、それでいいかしら)』 コック服に身をかためたサンドラは、歳の功は35歳位で中背、黒髪の整った小さな顔をした素敵な女性である。両手を横に"く"の字に構え、くるっとと回した拳を腰骨のところに置くのが、彼女の話す時の癖みたいで、この時もこの姿勢で話していた。ズバリ第一印象としてはっきり思ったのは、"非常に頭の良さそうな女性"だということ。当然、この場合の"頭の良い"の意するところは、何か国語も話すだとか、どこそこを卒業したとか、そういう俗めいたものではなく、頭の回転が早く、適切な状況判断力と頑固なリーダー・シップをもって、いかなる困難でもくまなく対処することが出来るということ。そういうのって人の話方で案外判るものである。ただ、同時に思ったのはこの時のサンドラの顔に何か"躊躇"らしきものが見えたこと。それが疲れや体調の悪さからくるものなのか、なにか他の要因があるのかは、判断しきれず、気になったのを覚えている。

  『Va Benissimo! Ma Oggi Ce Un Cuoco a Mangiare, Fai Per Bene eh,(いいに決まってるさ、だけど、今日は食卓にコックがいるから、覚悟して作るように)』 こう、僕を指して余計な一言を言うパオロ。どうやら彼には、数カ国語を話す"頭の良さ"はあっても、適切な発言をする人間性に欠けているところがあるらしい。

  『Certo, Come Sempre,(もちろんよ、いつもみたいにね)』 とのサンドラの台詞からも、ピクリときたのが分かる。バー・カウンターに向かいながらパオロにビールと"ネグローニ"のどちらが良いか聞かれ、寒いのでネグローニを選ぶと、

  『"Neguroni"Che Faccio Io e Molto Buono, Perche Facevo Il Capo"Garcon" Quando Lavoravo In Grande Hotel di Francia,(私の作る"ネグローニ"は、ものすごくおいしいよ。フランスの大ホテルで働いていた頃は、チーフ・ギャリソンをしてたくらいだからね)』だんだんこの人が好きになってきた。流して聞いていれば、なかなか笑えるかもしれない。そして彼が細部まで丹念に講釈しながら作ったその偉大なるネグローニは、いわゆるただの"ネグローニ"であったけれども。

  『Allora, Ti e Piaciutto Il Paese?(ところで、この町は気にいったかな)』 うん、実にかわいい町だね。

  『Sii, Ma Il Paesino Dove Abito Io, Che Si Chiama"Villamagna" e Molto di Piu ・・・・、 (そうだろう、だけど、私が住んで居る"ヴィッラマーニャ"はさらに・・・・)』 10分位は続いただろうか、お国自慢が。

  『Dunque, hai Visto Sandra Come e, e Molto Brava Come Cuoca, Non Come La Mia Suocera,Ma・・・(さて、どう見えたかな、サンドラは。いや、いいコックだよ。もちろん私のしゅうとめほどでは・・・)』 大丈夫、時間はたっぷりある。もし本当だったら、いつの日かごちそうになろう。

  『Era Buono Vero? "Neguroni", Vuoi Un´altro? (おいしかっただろう、"ネグローニ"は、もう一杯いくか)』ところで、今まで誰にも、料金の話をされていない。宿泊代だとか、朝夕食、そしてこのカクテル。確かに、それなりの蓄えもあって、すこしくらいの贅沢する余裕はない訳ではないが、悪い癖になるのも困る。まあ、いいか、明日の夜が終わるまでは考えるのは止めよう。それになんだか"おごり"になるような予感もするし、あくまで予感だけど。二杯目を啜りながら、パオロの"トスカーナの料理はどんなに素晴らしいか"というお話しに、ありがたく耳を傾けていると、先程、二階の廊下であった若者たちが大騒ぎしながら降りてきた。

  『Ah, Ti Devo Spiegare di Nostri Ragazzi, (あっ、我らが子供たちについて、君に説明しておかないとね)』パオロの話によると、この子たちはこの町にある美術科の学校に通う、16才から19才までの高校生だとのことで、実家がトスカーナにありながら、通学には無理な距離があるため、この町の役所の仲介でここで寝泊まりしているらしい。それが故に、冬季にはほとんどが閉まっているトスカーナの田舎のユース・ホテルにおいて、ここくらいがこの寒い2月でも開いている訳なのだが、それにしても何でこんなに大きくて立派な食堂があるのか不思議である、との僕の質問にパオロが言うには、もともとこの建物は役所の所有であって、このユース・ホテルの開店にあたっての条件が、先程の高校生たちの宿泊の件と、月曜日から水曜日は地元の小、中学生たちへ昼食の配食センターを兼ねているとのこと。当然、我らが子供たちへの配食もで、これは毎朝、昼、夜。それに付け加えて、週末、頻繁に行われる行事(明日のパーティも正にそのうちの一つであるが)に利用されるとのこと。 面白い仕組みだなあ、と感心していると、パオロが子供たちに向かって、

  『Ragazzi, Venite Qua, Vi Presento Vostro Nuovo Amico(みんな、こちらに来なさい。 君たちの新しいお友達を紹介するから)』 おいおい、3日泊まるだけの予定なんですけど、まったく

 『Lui e Chika, Grande "Chef" Dal Giappone!!! (彼の名はチカ、日本から来た偉大な"シェフ"なんだよ)』と、上気元のパオロのセリフは食堂を響きわたり、悲しくも、しばらく空回りしていたが、その沈黙を破ったのは、ある背の高い女の子であった。

  『Ciao Chika! Sono Gabriera, Sei Un Bel Ragazzo,(私、ガブリエラ。イイ男だよ、君)』と、男の子みたいに親指を立てた拳を掲げ、"Good"のサインとウインクをしていた。ガブリエラのおかげで会話の突破口ができて、後はスムーズに紹介が進み、お約束どおり質問ぜめにもあった。
 男の子は3人で、図体と態度のどちらもデカい、ヤンキー顔したダニエレ。金髪のさらりとした髪の毛がにくい、色男のアンドレア。チビで爪楊枝のように細く、色白で引っ込みがちなマッテオ。全員、共に17才。女の子は7人で、年長から、淡い金髪にまれに見る美形で、おしとやかな女性らしさを適えもった、本当に奇麗なエルシリア、19才。小さな体に金髪のツンツン・ヘアーが眩しく、生意気なアリーシェ19才。ニキビずらにメガネの似合った奥手のリタ、アメリカ漫画のベティちゃんそっくりでクールなキアーラのおとなしい18才コンビ。背が高く、もやしのようにヒョロッとしていて、男の子のような話し方をする、先程の救いの神ガブリエラ。金髪のとても奇麗なストレート・ヘアーで、思わずツネりたくなるようなかわいく膨らんだほっぺたをした、一番のイタズラっ子のアリーシェ。チビでよく喋る大きな口をしていて本当にやかましいが、いずれは絶世の美女になるだろうマリアの最強の16才トリオ。そんなことをしていたら、騒ぎを嗅ぎ付けたサンドラとロベルタの二人も駆けつけて、特にロベルタなんか、

 『Piacere,Chika! Fidanzaresti Con Me,Se Tu Sei Libero?(はじめまして、チカ。 もし、彼女いなかったら、私と付き合っていただけないかしら)』 と、いきなりキツイ冗談をかませば、

  『Ciao! Mimmo,(チャオ、ミンモ(やきもち焼きナポリ人のロベルタの彼氏))』と、小さい方のアリーシェがすぐさま放った、あたかもミンモが突然現れたかのような、ひっかけの一言に慌てるロベルタに、皆で大爆笑。 笑いの渦が静まったころ、今度はサンドラが

  『Ciao, Chika, Sarai Grande Aiuto, Domani,(チェオ、チカ。 明日の手助けには期待してるわ)』と、握手を交わす。どうやら既にパオロから聞いていたらしいが、いつの間にか手助けをすることになっている。まあいいか、その方が楽しいだろう。

 さて、食事の用意が出来たらしくて、皆一列にカウンターにお盆をもって並びだす。サンドラがその日の献立を説明する間もなく、せっかちな子供たちはあれが良い、これが良いとうるさい。プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、コントルノ(付け合わせ)共に、二者択一の選択方式で、その他にもサラミ類やプロシュット、チーズ等も希望すれば可能で、デザートには季節のフルーツとなかなか豪勢なシステム。この日のメニューのプリモは"ペンネのきこり風""タッリャテッレのホウレン草和え"、セコンドが"ウサギのオリーヴ煮込み"若しくは"七面鳥の鉄板焼き"、コントルノは"ポテト・フライ"及び"サラダ"と内容の充実した夕食。広い食堂の真ん中に長いテーブルを皆で囲んで、絶えることのないお喋りに更けながらのアット・ホームな夕食は、それはそれは楽しかった。
 小さいほうのアリーシェがしきりに歌を唄い、ダニエレがマッテオにもっと食べないと大きくなれないと説教をたれ、ロベルタがエルシリアを普段よりもすましてるのは何故かとからかい、ガブリエラとマリアが一つしかなかったマンダリン・オレンジをとりあって大喧嘩しているのをよそに大きいほうのアリーシェは"うまい、うまい"とひたすらにうさぎの骨をしゃぶっている。そんな中で、なによりも光っていたのはそんな子供たち一人ひとりを気にかけ、話題を掘り起こし、議論が起これば子供たちを尊重しながらも適切な意見で締めるサンドラのママさんぶりであったと思う。皆がサンドラを中心に笑っていた。皆が彼女を必要としていた。皆が彼女の降り注ぐ愛の恩恵を蒙ることを喜びとしていた。果たして今までにこんなに微笑ましい夕食に席をおかしてもらったことがあるだろうか。こんなにものたくさんの素敵な笑顔に囲まれたことがあるだろうか。これほどまでに幸せに満ちた光景に出くわしたことがあるだろうか・・・。
 アリーシェがまた唄っている。

  『Il Mondo che Vorrei, Avrebbe Mille Amori・・ (私が望む世界は幾千もの愛に満ち溢れているはず・・)』

 食後、子供たちが部屋に引き上げてからも、しばらくはパオロのお喋りに数杯のグラッパと共につきあわされ、やっと解放されたのち静まりかえった廊下をひとり自分の部屋に向かっていると、トイレで歯を磨いていたらしいパジャマ姿のガブリエラとマリアが口に泡を残したまま、

 『Ciao, Chika, Buona Notte!!(チカ、おやすみ)』 と、手を振っている。

  おやすみ。 そして、ありがとう。 また明日も素晴らしい日になるといいね。

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