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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・


23、悲劇・・・再び(LE MINACCE)

  翌日の午後、パオロの姿が見えなかった。 夕食の時間になっても現れず、初めての出来事に心配してクラウディオに問うと、今日は体調を崩して家に帰った、と言う。 確かに昼食後、いつもと違ってうつろだったものだから、この一言を信じていた。 翌日、そして更に翌々日もその姿を見せることはなく、さすがにおかしい、と気が付き始めた矢先の木曜日の午後、本会社の重役を迎えての役員会議が行われるために、昼食後、本格化しつつあるシーズンに向けて、オープンされるこの管轄全ての施設の従業員が一人、また一人と集まりだし、宿敵シンチアを含む全員が揃ったかと思われる頃、ネクタイ姿のパオロが姿を現した。 パオロ、どこで何してたの、どうよ、身体の調子は。

  『Ah・・・Ciao, Chika. Si,Sto・・・Bene(あっ・・・チャオ、チカ。 い・・いいさ、大丈夫)』 僕に振り向いてからしばらく空を見つめてからの返答であった。 明らかに何かがおかしい、それは身体の調子などではない、彼は何かを恐れている。 パオロ、一体何が起きているのさ。

  『Non Lo So, Chika, Non Lo So・・・.(分からない、チカ、分からない・・・)』 それは、前にも一度聞いた、何かとても不吉なセリフであった。 ただ前回それを口にしたのはパオロではなくて、そう、サンドラであっただけれど。

  会議は3人の重役からの励ましの挨拶から始まった。 続いて役員の自己紹介、当然僕も含めて全員のことなのだが、パオロの順番だけは回ってこず、代わりに呼ばれたのはイザベラ、幸先の悪いスタートである。 次に、クラウディオからこの時点での収益、改善案などの報告があり、突然、重役から僕の名が呼ばれたかと思えば、この2カ月の支出削減、売上倍増の結果の表彰が行われた後、今後予想される問題への検討、例えば、シンチアが、年間を通して毎日変わることのない20人程度の客に、最大でも20種類位のお決まりのメニューを、お手伝いのパオラと共に二人で提供しては、あり余る時間の暇つぶしに彼女がしてるような窓ガラスの毎日清掃の徹底、みたいな間の抜けた戯言を提案しては、クラウディオに制止されていたのだが、が全員で行われた後、今度は重役の一人がパオロの名を呼び付けた。 僕の目に写るのはすっかり脅えて、以前には想像すら出来なかった、微かに震えてさえいるパオロの姿。 重役が一連の書類を取り上げ、読み始めた。それはまさに結果のしれてる公開裁判における処刑宣告とも呼べる罪状の陳列であり、聞いててあまりの馬鹿馬鹿しさに席を立ちたくなるような代物であった。
  まず、最初にサンドラ、シンチア、ロベルタなどに対する、脅迫罪。 アホらしすぎる、ここトスカーナはもともと口が悪いから、例えば 『Ti Ammazzo!(殺すぞ)』 だとか 『Stai Attenta a Buio(夜道には気をつけな)』、 『Lo Vedrai(今に見てろよ)』 みたいな言葉は、結構冗談で飛び交うところなのに、とにかくパオロが放ったその手の言葉を全て、おそらく多少の脚色と共に列挙している。
  次なるは、諸費横領罪。 今初めて、ロベルタの退社後、毎週来るようになった、経理らしき女性のしてたことが分かった。 酒類の購買による領収書や、その他細かい買い物におけるそれを可能な限り集め(どうやって集めたかは謎、第一、酒類の多くは小口店で直に買っていたことが多く、そんな領収書は大抵パオロが管理してたはずだから)売上との差額を記したもの。 これだって、反吐が出る。 そんな経費はクラウディオがイザベラと出掛ける時のガス代や外食費、ここの従業員ではなかったその彼女に毎日ここで済まさせていた食事代。 かつてサンドラが家に持ち帰っていた食材費、ほぼ毎日来ては食事していたジョバンニやミンモへのそれ等、暗黙のうちに了解されていた全員の係わる悪習と大して差のあることではないし、
 極めつけは、大きなパーティーがある時に毎度、パオロがジョバンニ等に払っていた裏金やおける証言、なんてことだ、彼らだってそれをアテにして手伝っていたし、これだって必要に応じた暗黙の了解で、もし、これがなければ逆にサンドラは黙っていなかっただろう。 そして困ったことに当然僕の名も証言者のなかに見られ、しかも金額が一番デカい。 しまった、こんなことに利用され得るとは思っていなかったとはいえ迂闊だった。 パオロは僕が彼らに喜んで彼を売ったと思っているのだろうか。

  『Tutto Qui. Signor´Paolo Compalini. Lei e Licenziato.(以上です。パオロ・コンパリーニさん、あなたは解雇されました)』 その重役の言葉と共に皆が一斉に腰を上げて閉会してしまった。

  なんだって、これで以上? そんな馬鹿げたことが、第一、もしこれで全てなら、2カ月前からここのいる全員が知っていたことだし、サンドラがいた頃からとうに済んでいたことではないか、それを何故、全てが上手く進んでいる今に。 パオロがすっかり立ちすくんでいた。 言い訳や反論などをするどころか、話しかける僕の声に反応する力さえ見受けられずに、悲しげに自分の車に向かって去く彼を何故か、止めることが出来なかった。 自己嫌悪だろうか、僕が彼を弁護しなければいけなかったのか、何故ならば、既に終わったと思われていたためにすっかり忘れていたとは言え、あの醜い戦争で唯一彼の側にいた人間は僕だけであったのだから。

  その夜、クラウディオとイザベラのいない夕食の後、子供たちも全員2階に上がり、一人くつろいでテレビを見ているエドをよそ目に厨房の片付けをしていた時、5時に既に上がっていたグラツイエッラが来た。 それでさえ、充分驚きだったのに、今度はシンチアとその彼氏までもが現れ、パオロがいた時にはあり得なかった前代未聞の出来事に、一体、何が始まるのか、と不思議に思っていると、なんと最後に現れたのはあのサンドラ。

  『Ciao, Chika. Come Stai?(チャオ、チカ。 どうよ、調子は)』 もし、そういうサンドラの顔が、僕の好きなあの素敵な笑顔であったならば、こんなことは起きなかったかもしれない。 だが残念ながら、そうではなかった。 こうなれば、何が起きてるのかは一目瞭然、パオロ追放の成功を祝っているのである。 込み上げてくる怒りに動けなかった。 いや、動いてはいけないことを知っていたのだと思う。 水か何かを取りに来たのだろうアリーシェがサンドラを見つけ、彼女と抱き合って挨拶をした後、厨房に入って来て、僕の様子がおかしいことに気が付いた。

  『Chika, Cosa Hai? Stai Male?(チカ、どうしたの。 具合でも悪いの)』 いや、そうじゃない。 分からないけど、多分キレそうなのかもしれない。
  『Chika, Io Non So Chi Ha Torto. Forse Tutti. Ma Tanto Sono Cazzi Vostri. Pero, Se Hai Qualcosa Con Loro. Dirglielo. Non Voglio Vederti Cosi.(チカ、私には分からないけど、誰が間違っているのか、多分全員だけどね、とにかく、それに結局はあなたたちの問題だし。 でも、もし彼らに文句があるのなら、それ言いな。 チカがそんな風にしてるの見たくない)』 おそらく、彼女が正しかったのだろう。 遅かれ早かれ、きっと起こっていたことだろうから。 厨房を出ると、まっすぐ彼らのところに向かって歩いていった。

  『Chika, Vuoi Anche Te Un Brindisi(チカ、あなたも祝杯上げる)』 出てけ。

  『Cosa?(何だって)』 出てけって言ったんだ。 パオロ追放成功の祝杯だったら、ここでするな。 僕が許さない。 ここの責任者はこの僕だ。
  『Calmati, Chika.(チカ、落ち着いてよ)』 いいか、僕はひとりで働いてるんだ、もしお前たちが陰謀を張り巡らせて、パオロを追放したのなら、代わりにホールの掃除しろとは言わない、邪魔だから出てけ。 少なくともパオロなら僕を手伝っている。 そう、ひとつだけいいこと教えてあげるよ、いいか、パオロはここでは大事な仕事をしてたんだよ。 グラツイエッラ、お前みたいに半分の仕事すら終えずに時間が来たから帰っていた訳じゃない。 シンチア、お前みたいに一日7時間働いて、後はピーチクパーチクやっていた訳でもない。 エド、お前見みたいにいつも誰かの顔色伺って、うんうん言ってなんか決してなかった。 毎朝、早く起きて、客や我らが子供たちの朝食を一人で全て済まし、夜は夜で、いつもお皿やグラスを片付け、ホールを全部一人で掃除してたのは彼だし、ホテルの客の管理も一人で全てして、もし、夜中に上で騒ぐ者があればそれを押さえていたのも彼だし、大切な家族を家に残して毎晩ここで寝ていたのも彼だ。 お前たちに出来るか。 出来ないだろう、なら出てけ。 仕事の邪魔だけはするな。

  『Non Ti Permetto di Parlare Con Questa Maniera!,(そういう口のききかたは私が許さないわ)』 お前は黙ってろ、シンチア。 お前はここの人間じゃないし、そんないい脳みそ持ってないんだから、自分のことだけ、考えてろ。

  『Oh, Chika, Sei Proprio Un Bastardo!(おい、チカ。 お前って奴は、本当に汚いやつだ)』 クラウディオ(シンチアの彼氏)、お前ここになんの関係がある。 何様だと思っているんだ。 さっさと、お前のお喋りな彼女連れて帰れ。

  『Ti Ammazzo!(殺してやる)』 ここで泣き出したシンチアの仇打ちに、クラウディオが突っ掛かってきて、取っ組み合いの大乱闘が始まった。 女性全員が彼を羽交いじめに押さえ、僕はエドに押さえられながらも、お互いが口から切れる息と滴る血に喘いでいたが、そんなことでは、煮えたぎった血は収まらない。 クラウディオが叫んだ。

  『Ti Ammazzo!』 おい、クラウディオ。そういえば、パオロの罪状の中に"脅迫"ってあったっけ、いいさ、もし僕のこと殺したいんなら、やってみな。 だけどな、これから本当の脅迫するからよく覚えとけよ。いいか、お前だよ、後ろには気を付けなきゃいけないのは、分かったか。  こうして彼らは帰っていった。

  "やり過ぎだよ"と僕の口から流れる血を拭きながら囁くアリーシェに、なんとか一言だけ言うことが出来た。
 

 少なくとも、祝賀会だけはこの目で見ずに済んだ、、、、、。
  

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