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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・

19、イタリア、好き?(DUE CHIACCHERE)

  『Ciao! Chika, Mi Fai Accendere?(チャオ、チカ。 タバコに火着けてくれる)』

  午前11:45、シルビアが来た。

 シルビアが朝、顔を見せるときは大体この時間で、その名目はいつもタバコ。 ある時はタバコをねだり、火を着けてくれて、またある時は火をねだり、タバコをくれる。 サンドラがいた時の癖だと思うが、サンドラ無き今でも、いつも、こう言って訪ねて来る。 ひとつだけある問題は、この時間帯にあって、第一、今はひとりで仕事している訳だから、昼食開始の1時間前にあたるこのころは、ネコの手を借りてもやり切れない程、仕事があるし、お喋りや、タバコ休憩なんてものはもってのほかであるはずなのだが、そこは当然すべてを忘れて、ホイホイ彼女に付いていってしまうから大変。 実際始めのころは、よくなにかを焦がしていたもので、"チャオ"とかわいい笑顔に見送られた後はいつも、頭を抱えて自分のだらし無さを嘆いたものであるが、最近、慣れてきたから少なくとも火は止めてから、厨房を出れるように進歩した。 時折、午後4時に夕方の彼女の出勤の前、つまり僕に時間がたっぷりある時に、コーヒーを飲みに降りてきてくれることもあったが、大抵はやっぱり朝で、僕はいつまでもこうして彼女と話をしていたい、という欲求と、朝が弱いために、必ず遅れ、追われがちの仕込みをしないと、ヤバイ、とい2重のジレンマに駆られながらも、結局は彼女が自分から帰るまでは仕事は手につかず、そんな時は、誰か近付く人に怪我すら負わせかねない慌てようで、働くハメになるのが毎度のことであった。

  とにかく、彼女のこと、お馴染みの素敵な頬や鼻に飾られた一輪のピアス、いつも隈がかって疲れて見えるが、笑うと大きく開くその目等など、全てが好きだったのだが、特にお気に入りだったのは、彼女が僕の名を呼ぶときのその言い方。 大体、この辺りはピサ県の一部なのだが、その話される言葉の癖には、フィレンツエ風の響きがあり、"C"の発音が苦手な彼らは、例えば"コカ・コーラ"のことを、"ホオカ・ホーラ"みたいに発音する(ちなみにイタリアでは"H"の発音は存在しないから正確にこうではないが)。 よって、僕の名"CHIKA"を彼女が呼ぶときは、"シーカ"みたいになり、とても、聞いててかわいらしい。

  『Chika, Cosa Vorresti Fare Per Futuro?(チカ、将来どうしたいと思ってるの)』 分からない、今は目の前をことを一生懸命にやることしか、思い浮かばないけど、そうだねえ、子供のころから持ち続けている夢はアメリカに行くことかな。

  ーーーそう、これが僕の夢であった。そこそこの大学で英米文学を専攻していた僕が、何故、イタリアに来て料理なんかやってるかは、人生の妙としか言いようがないが、僕も多くの男たちの例にもれず、特製仕立てのスーツに身を包み、シャンパン片手にニューヨークの摩天楼を覗きおろし、色とりどりの花々と、きれいに刈り取られた芝生に覆われたガーデンが映える、白くて大きなその郊外の家では、素敵な妻に、最低3人の子供たち、そうね、やんちゃな男の子を間に挟んだ2姉妹が理想かな、と、大きなイヌが、僕の帰りを待っている。 そして、手に様々なお土産、息子に有名ススターのサイン入りバット、長女には彼女の好きな絵画のセット、次女には彼女よりも大きいクマのぬいぐるみ、イヌにはモップの代わりをするスリッパ、そして妻には、結婚記念日を祝うダイヤが隠された薔薇の花束を持ち、玄関を開ければ、車の止まる音を聞き付けた末娘に率いられた皆が、怪獣のお面をかむって僕を脅かそうと待っていたりする。 それで翌日の日曜日にはみんなでお揃いのヤンキースの帽子を被り、4WDのファニリー・カーで乗り付け、ビール片手に試合観戦に明け暮れ、その後は3D映画館でポップ・コーン片手に空を掴みあう、みたいなことを夢に持ち続けるうちの一人なのである。ーーー

  『Ma, Americani Mangiano La Pasta Ghiacciata del Giorno Primo. Non Capiscono Niente.(でも、アメルカ人なんて、前日の冷たくなったパスタなんか食べたりするのよ。なんにも分かっていないのよ)』

  ---ひとりの料理人として、おそらく爆弾発言かもしれないが、僕は冷めたパスタ(スパゲッティでなくてはならず、"トマト・ソース"か"ミート・ソース"に限定しての話だが)が大好きである。これは、母親に好物のものはなんでも弁当に入れさせていた幼年期のもたらした習慣で、実際、当時も食べた後に必ず胸につかえていたのをよく覚えているのも事実だが、困ったことに、いまだに好きで、そのせいで仕事中にお腹が空いた時に、ついつい昼食の残りをつまんでしまうものだから、同僚のイタリア人によく"吐き気がする"って言われたりしてしまうのである。さて、この"食事の文化"を大切にすることで、かのフランスと並び、事実、その"美しさ"と"頑固さ"で他を寄せ付けないイタリアは"トスカーナ"の人達、もし、突然、ジャンク・フードや、各種多様のインスタント食品、出てくる料理は熱すぎるか冷たすぎる、口を麻痺さす激辛カレーとコーヒーの理解しかねるセット、科学調味料の塊の中華スープに擦り卸された生ニンニクの檄薬に近い代物、沸かされただのアルコールと化したお酒、なんてものの溢れる東京などに放りだされてしまったら、胃腸科の病院の常連患者になってしまうのではないのだろうか。 そして、その"食事"というものを楽しむことも大事にする彼らにとって、3分で済む立ち食いそばや、30分待ったうえに、一言の会話もなされずに、10分で食べ終え、再び仕事場へ向かう日本の人達は、とても人生の大切な部分を捨て去っているように映るのであろうし、彼らなら、お喋りへの欲求から胃炎になり、今度は、定期券を買わざるを得ないはめになるであろう。 そう、ここでは病院は必要ない、食べ過ぎ用の胃腸薬さえあれば。
  だが、良いことばかりではない、 楽しいお喋りも度が過ぎれば害である。 大体イタリア人ってのは、これだけ公共機関の働いていない国、ひとつの郵便物を送るのに最低30分、銀行口座の新設は半日かかる、に生きていて、"待つ"ということに慣れているはずなのに、そうでもない。 やはり、黙っていることが出来ないみたいで、声高々に文句を言い始める。 そういう場合は料理が出来た時点で既に気が立っているから、見方が厳しかったりするし、ひとつでも府に落ちないことがあると、食べずに残したりする。 言い訳を聞いてみると、"塩が足りない""今日は生クリームはお腹が受けつけない""ママの味と違う"挙句の果てには"暑いから"とか"お腹が空いてない"とも言い出すこともある。 塩は自分で入れればいいし、生クリーヌ・ソースのものを絶賛してた昨日の彼はは幻ではないと思う。 それに皆一人一人のお母さんにはなれないし、神様の決めることには逆らえない。 第一、何故お腹の空き具合に料理を目の前にしてから気が付く。 それを盛る前に質問したではないか、どれくらい欲しいかって。 やっぱり、神経性胃炎の薬も必要かもしれない。ーーー

  『Aproposito Chika, Hai Trovato Qualche Ragazza Che Ti Piace Piu di Me?(ところでチカ、誰か私よりお気に入りの女の子見つけた)』 まったく、シルビアまで。 そんなこと無いって、分かってて言ってる。 そうね、でもお気に入りの子ねえ、ひとり僕に求愛してくれてる子がいるかな、その名は"ジャーダ"、軽く巻かれた明るい栗色の奇麗な髪の毛に、青い瞳をした挑発的なかわいらしい女の子で特に気に入っているのは、顔にまったく似合わないその、とてもゆっくり話されるしゃがれた声。不思議なものだ、イタリアに来たころはどうしても女性の声とその話方がどうも、聞き苦しかったのに。 さて、お気に入りは見つけたわけだが、問題はある。 それは彼女が5才なこと。 彼女は例のカルチェレのパオラの次女で、よく長女のクリスティーナ(10才)と一緒に、遊びに適したここの庭に来るのだが、母親に紹介された始めの頃は僕のこと怖がっていたのに、今や、すっかり暇つぶしの遊び相手にされてしまったみたいだ。

  『Chika, Cosa Fai?(チカ、ナニシテルノ)』 みんなのご飯を作っているんですよ。

  『C´hai Tanto da Fare?(イッパイ、ヤルコトアル)』 そうねえ、あるかな。

  『Allora, T´aiuto!(ジャア、テツダウ)』 危ないからダメだよ。

  『Aiuto a Chika!(テツダウ、チカヲ)』 ふう、分かりました。

 『Taglio Questo!(コレキルヨ)』 ダメー、危ない、包丁置きなさい。

  『No(イヤ)』 分かりました。 でも、一緒にやろうね。

  『Siamo Bella Coppia, Vero? Chika.(ワタシタチオニアイダヨネ,チカ)』 そうだね。

  『Perche Non Ci Sposiamo? Chika.(ジャアケッコンシヨウヨ、チカ)』 出来ないよ、まだ君は小さいからね。

  『Io Non Sono Bambina, So Anche Da Dove Nasce Bambino.(ワタシ、コドモジャナイワ、コドモガドコカラウマレルカダッテシッタルシ)』 !!!分かった。君は子供じゃない。

  ---忙しいから困るし、相手するのが大変で物凄く疲れるけど、やっぱり、かわいらしくてたまらないのかな。ーーー

  『Insomma, Chika. Ti Piace Italia?(結局のところ、チカ。 イタリアのこと好き)』 どうやら、今日も学校をサボったアリーシェが僕らふたりに気が付いたらしい。 2階から、迂闊にも教えてしまった日本語で叫んでいる。

  『アイシテル! アイシテル!』

  『Ciao! Alice. Ma,Chika, Cosa Sta Dicendo?(チャオ、アリーシェ。 だけどチカ、何て彼女言ってるの)』

 何でもないさ。 あっ、シルビア、さっきの質問の答えだけど・・・・イタリアのこと好きみたいだね、僕。

  

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