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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・


18、お肉がよろしいですか、それとも・・・(I BALLERINI)


  『Ha,Ha,Ha・・・(ハッハッハッハッ)』 今日もパオロの笑いが高々とホールに響いている。 サンドラが去って以来、ただでさえ元気な彼がますます、その勢いを上げている。 もともと、サンドラがいた頃も、別に彼女の事を毛嫌いしていたことは、まずなかったが、彼女の回りを取り巻いていたもの、シンチアやグラツイエッラ、エドなどはやはり邪魔であったみたいで、それが今や、彼らなどは中心人物なしでは"蚊"ほどの存在にすらない、と公言して、今度は肩を払う、どころか、足で踏み潰す振りをしては、揚々と勝利の凱旋をしている。
 ともあれ、サンドラほどの重要人物の退社は少なからぬ影響を及ぼし、僅かな体勢の変化が見られた。 まず、シンチアだが、僕には"いつでも手伝いが必要だったら呼んで"と言っていたが、必要ないし、個人的にパオロは当然、僕も好きではないので、呼ぶことはなかったから、その姿を見せることはまずなくなった。 エドは夏期、開店のふたつのバーの工事に忙しく、ホテルの客も増えていることから、掃除の仕事の比重も増し、ノロマなグラツイエッラはひたすら一日掃除(お喋り防止のパオロの策でもある)に専念することになり、食堂の掃除、厨房の簡単な手伝いには新しく"ミラ"というブラジル人女性を雇って、対処。 クラウディオもほぼ常時いるようになり、なんと、イザベラまですっかり居座り、まるでサンドラの替わりは私よっとでもいいたげに、子供たちのお姉さんやくを努めようと、躍起になっていた(パオロはあんまり、感心していなかった)。 とにかく、この様に、ホテルの方は問題なく、どころかますます順調で、厨房の方も、まあ実質僕ひとりきりなので、休憩時間は減ったがやる気はあったため、やはり上手くいっていた。

 さて、ある4月の第3週の金曜日のこと、パオロが役所から帰ってくるや、一冊の小雑誌を取り出して僕に見せる。 何かと思い覗き込むと、なにやら学校給食の献立表みたい、早速パオロに説明を求めると、まったくその通りとの返答。 今までは役所が送り込んでくる小、中学生への献立はうちらの好き勝手で、選択の2種ともしっかりと作られたパスタ、リゾット、ズッパに、"お肉のロースト"というのがしきたりであったが、どうやら、児童栄養センターみたいなものの方に、不満があるらしく、正確なカロリー計算により打ち出された理想の献立を新しく設定したとのこと。 開けて見てみると、カロリー数値どころか、ご丁寧に調理法まで、詳細を記してある。 なんで、そんな面倒臭いことを、僕がここの責任者になった途端、始めたのかと疑問はあったが、内容に興味もあったので、更によく読み進めると、何だか心配になってくる。 何故かと言うと、これまでサンドラと共に作り続けてきたパスタは、例えば、"トマト・ソース"、"ラグー(肉)・ソース"、"ボスカイオーラ(茸のソース)"、"アマトリチャーナ(パンツエッタ、タマネギとトマトのソース)"、"アッラビアータ(トウガラシ風味のトマト・ソース)"等などを基本に、ツナやら海老、サルシッチャ(トスカーナ風ソーセージ)を筆頭にありとあらゆる具を使い、挙げ句の果てには生クリームだって使いまくっていた。 セコンドにしても同じことで、しかも100%肉料理だった。 要するに、レストランの味でやっていたわけで、決して病院患者用に作っていた訳ではないから、この献立に従って、"パスタ、又はリーゾ・アル・オリオ(茹でたパスタやお米にオイルをかけたもの、パルミジャーノすらなしで)"や、ツナ缶をただ開けたもの、ただの茹で卵、スティックに切った人参なんてものを選択の権利を与えず、強制的に出した日にはストライキでも起きそうで怖い。 我らが子供たちなら、僕の首に賞金でもかけそう。

 イタリアに来て、しかもずっとこのトスカーナに居座ったまま4年もの歳月が流れた今でさえも、この問題は実に難しいが、おそらく、小学生の低学年に関しては、100%、役所の考え方が正しいのであろう。 "イタリア料理"というものに様々な形、様々なレベルで携わり、数々の体験を通して、料理をするひとりの者として五感を鋭く磨き澄まされ、頭だけでなく身体までもがこちらのものに"良い意味"で馴染んでいる僕自身がこの手のことに、とても敏感になってしまい、当時は美味しく食べることが出来た料理が、いまや、イタズラに炒め続けられた香味野菜や、火の通り過ぎた油、下手に調理されたことから生じる好ましくない臭いに、吐き気を起こしたり、体調を崩し、その後一日じゅうその臭いに苦しめられることも少なからず、調理されない素材を口にすることを好むようになっている。 故にヘルシーな料理というものへの興味が唯ならないこのごろ、当時の自分の"感覚"が正しかったのかは自信がないが、やっぱり、子供というもの、特に成長の盛りものには"こってりとしたお肉料理"というものはパワーの元になるものであろうし、自分もそうであったことをよく覚えているから、異常なまで、子供に"肉"を与えることに執拗していたサンドラの子供の成長を考える気持ちも分かるような気がする。

 さて、話を当時に戻そう。 今回の献立改革だが、ただひとつ良いところがあって、それは簡単で安上がりなこと。 それに、役所が我々に支払う金額を考えると、これで正しいし、サンドラのやり方では、実際、損しかかっていた。 だけど、それは既に終わってしまったことなので、忘れて、自分のこの献立に対する意見だけをパオロに説明すると、我らが子供たちの分はともかく、小、中学生に関しては従わなければいけないと言う。 仕方がない、月、火、水曜日の昼間だけのことだし、やってみましょう。 さて、第1週目。 僅かばかり遅れて来る我らが子供たちの分を隠しながら、まず、引率の先生に選択方式でなくなった事情を説明しての提供開始だったが、この週はまだ献立のほうも、それまでのものと大差なかったため、なんとか擦り抜ける。 さあ、問題の第2週、今度は少し覚悟の必要な内容、プリモが"リーゾ・アル・オリオ"で、セコンドが"ゆで卵"、コントルノが"人参スティック"である。 まったく、誰が決めたこの組み合わせ、なにもよりによって問題になりそうなものを一日に集中させなくても。 さて、先生が入って来たが、ヤバイ、先週一番ダダこねてた、僕の一番苦手な人である。

  『Cos´e Questa Roba?(これはなんなのですか)』 "米のオリオ和え"に"ゆで卵"に"人参スティック"です。

  『Vedo! Ma, Devo Ripetere La Domanda?(見れば分かるわ。 質問を繰り返さなきゃいけないかしら)』 いいえ、つまり、これは先週お話ししたように、役所のほうで決められた、あなたたちのための献立です。

  『Non Ci Posso Credere, Questi Sono Il Menu Per Noi?(信じられないわ、これが私たちへのメニュー)』 申し訳ないですが、事実です。 もし、なんでしたらご覧になれます、ホラ。 こんなこともあろうかと、後ろに隠し持っていた献立表を見せると、もうひとりの先生、そして子供たち全員でそれを覗き込んでは、"オオー"との歓声を上げてる。

  『Scusi, Ma, Siamo Mica In Ospedale, Io Non Ammetto Queste Cose!(すいませんがね、いくらなんでも病院にいる訳じゃないのだから、私は認めませんよ)』 僕に言われても困ります。 他に用意もしてないし、役所に言ってください。

  『Ma, Questo e Per Chi?(じゃあ、この料理は誰のため)』 なんのことです。 『Quel Contenitore Che Ha Coperto.(その蓋を被った入れ物の中のことよ)』 これは、後から来る高校生用です。

  『Io Non Lo Ammetto! Bimbi! Quale Volete Mangiare. Pasta o Riso?(私は認めませんよ、みんな、どっちが食べたい。 "パスタ"それとも"リーゾ")』 なんてことを。

  『PASTA!!!(パスタ!!!)』 ヤバイ。 なんと、全員、ドンドン調子を合わせて、足を踏み鳴らしている。

  『Uova o Carne?("卵"それとも"お肉")』 ちょっと、ねえ。 あなた先生でしょ。 率先して足踏んでどうする。

  『CARNE!CARNE!CARNE!CARNE!・・・(お肉!お肉!お肉!お肉!・・・)』 ウワー、助けてくれー。

ドンドンドンドン・・・

  『Ma, Chika. Che Diavolo Sta Succedendo?(チカ、イッタイゼンタイ何が起きてるの)』 騒ぎに驚いた我らが子供たちを代表してアリーシェが、足を踏み鳴らす子供たちの間をかき分けてやってきた。 さすがのアリーシェもビックリしてる。

  『Madonna Santa!(なんてこったい)』 アリーシェ、悪いけど、ちょっとパオロ探してきてくれる。

  ドンドンドンドン・・・

  パオロ、なんとかしてくれ。 そんなにビックリ仰天してないで、先生の説得に挑戦してよ。 -おそるおそる先生に歩み寄るパオロー

  ドンドンドンドン・・・

  おそらくあの角刈りのババア、向かうところ敵なしだろうな。 ホラ、パオロですら腰が逃げてる。 -ヨワヨワしく引き下がってくるパオロー

 ドンドンドンドン・・・ ヤッパリな、、、。

 『Ho Perso.(負けたよ)』 らしいね。 どうしようか。

  ドンドンドンドン・・・・

  『Ce L´hai Carne Per Loro?(彼らの分のお肉ある)』 なんとかするさ。

  ドンドンドンドン・・・

  『VA BENE! MANGIATE CARNE!!!(わかった。 お肉食べてもいいから)』

  イエーイ、イエーイ・・・・

 ところで、いったいこの世の中に、こんな目に遇ったコックって何人いますかね? 自慢すらしたい気分ですよ。 えっ、もう一回だって、お断りです。 次からは子供には最初っから、お肉出しますよ。

 さあ、ヴィナッペティート!

  


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