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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・


17、決別(UNA FAVOLA)

  『Sandra, Chika, Anche La Cena,"Arista"?(サンドラ、チカ、夕食もまた"アリスタ")』 アリーシェが不満そうな声を上げている。

 さて、ここの食事のシステム、というか原則は、先にお話ししたように、アンティパストはなし、プリモ、セコンドは二者択一方式で、要するに厨房側としては、常に、2種類のプリモ、セコンドを用意しなければならない。それゆえに、毎日食べる我らが子供たちのために、当然メニューは毎度替えるのだが、例えば、今日、この火曜日みたいな日、昼食に地元の小、中、高生、夕食に50人の遠足組プラス我々の子供たち、と一日の客数が150人を越えるような日は、朝は遠足組のお弁当を用意しなければいけないし、掃除のほうも一番大変な曜日でもあるから、効率を良くするためにも、ふたつのセコンドのうちのひとつは"アリスタ"で統一していまえば、地元の子供たちと、遠足組の子供たちに関してはまったくダブらない。そして昼、夕食ともに食べる我らが子供たちには、もうひとつのセコンドはきちんと替えて、しかも凝ったものを作るようにしていれば、違うものを選択出来る。 それに、だいたいタダニエレみたいに、"アリスタ"大好物の子供もいる、と言う訳で、問題があるとは思わなかったから、そうしたところなのだが、たった今、アリーシェから、この一言を戴いてしまったわけだ。 まったく、そんなにグチを垂れるようなことだろうか。

  『Non Dire a Me. Alice. Dirlo a Chika. Vero, Chika?(私に言わないで、アリーシェ。 チカに言いなさい。 そうでしょ、チカ)』 それはそうだけど、サ、サンドラ、どうしたの、いったい。 それを聞いた僕は当然、アリーシェまでもがビックリ。 だって、そういう事を言う人ではないはずだから。 アリーシェも頭の鋭い娘だから、心配そうにサンドラの顔を覗き込んでいる。

  『E Poi, Chika, Lasagne Che Hai Fatto Te Oggi, e Shocca(それにね、チカ。 あなたが今日作ったラザーニャね、塩が足りないわ)』 ちょっと、待ってよサンドラ、ホントに、第一、塩加減は正しいよ。

  『Si?, Ma Secondo Me, e Shocca(そう、私には味が薄いわ)』 サンドラ、僕に何か言いたいことでもあるわけ、 『No! T´Ho Gia Detto Tutto.(いいえ、もう全部言ったわ)』 と、逃げるサンドラに、顔を見合わせる僕とアリーシェ。 絶対に、おかしい、サンドラらしくない。 とにかく、このごろイラダチを僕にまでぶつける。 他にも"バターを使い過ぎる"、"塩がキツイ"、"トスカーナではこう料理しない"等など、なにかと手厳しいし、どうも、思い当たらないことも多い。 それに僕も彼女に負けず"頑固"なところがある人なので、ついつい、言い返してしまう。 "でも、子供たちは食べてる"だとか、"塩加減は絶対に間違えない"だとか、悪い癖である。

  翌日の昼食の後、サンドラに夕方に用事があるから遅くなるけど、彼女担当の料理はちゃんと来て作るから残しておいて欲しい、と言われたので、その通りに、自分の仕込みだけをを済まし、サンドラが来るのを待っていたけれども、30分前になっても来ないし、電話すらもかかってこない。 もう10分待ち、間に合わないと判断して、彼女の分の仕事も済ませギリギリで終了、さあ、夕食の時間、まだサンドラは来ない。 15分ほどして、全員が食事を取り終えた頃にやっと来て、聞けば、元の旦那と会っていた、と言う。 それなら仕方ない、でも電話くらいして欲しかった。 更に翌日、木曜日も同じようなことを言っては、昼食後の掃除もせずに消えて、やはり、夜、現れない。 来ないものと、予測がついていた僕は、ひとりで全て仕事を終わらし、彼女を待っていた訳だが、この日はなかなか現れない。 パオロや、子供たちに彼女について質問しても、皆、知らないと答える。 こうして夕食が終わり、片付けを始めようとしていた時に、やっとサンドラから電話があり、連絡出来なくて申し訳ない、遅くなってしまったから、今夜はもう来ないけど、明日はちゃんと来るからと言う。 また、元の旦那さんと会っていたのか、聞いたら、しばらくの沈黙の後"ああ、そうよ"みたいな返事が帰って来た。 なんとなくおかしい、と思いながらも受話器をかけると、僕を待っていたのは明かりの下げられた、ただっぴろいホールに佇む閑散とした静けさと、対照的に暗闇の庭園からやかましく響く虫の泣き声。 洗い場には、散々に置かれたお盆や食器の数々、サンドラが絶えず休ませずに働かせることを自慢にしていた"食器洗い機"は悲しげに、"運転準備"のランプに照らされ、後ろを振り返れると、そこに広がる、その時初めて"広かった"ことに気が付いた、厨房では幾つもある冷蔵庫が唸る音、この時々、しゃっくりのように突然跳ね上がったり、いびきのように無造作に変化を遂げる、を響かせ、永遠に止むことを知らない協奏曲のように聞こえる。 ああ、初めてなんだ、ここにひとりでいるのは。 悪くないかもね、こういうのも、そう、たった一日くらいのことなら・・・。

  翌日の昼食が終わると、いつの間にか、皆の姿が見えない。 クラウディオ、パオロ、子供たち、そしてなんと、ホールの掃除をするはずのグラツイエッラすらいない。 唯一、居残っているのは、片足の不自由なエドの奥さんで、厨房に来ては腰掛けて、僕に"リゾット・アッラ・プリマヴェーラ"が美味しかったとかなんやら話している。 この前代未聞の事態を不思議に思い、彼女に何が起きてるのか質問すると、なにやらの"会議"をしている、という。 "会議?" 子供たちまで含めて? どうも、この一週間、何かがおかしい。 一体、皆何を僕に隠しているのか。 しばらく、半分ヤケになって、ホールの整頓をしていると、サンドラだけが降りてきた。 サンドラ、皆で上で"会議"をしていたってのは本当のことなの。

  『Si, Vero.(ええ、そうよ)』 その"会議"とやらの内容はなんだったわけ。

  『Lo Vuoi Sapere, Veramente?(本当にそれ、知りたいの)』 当たり前だ。

  『Anche Se, Insopportabile?(それが例え、耐え難いものでも)』 いい加減にしろ、サンドラ。 君のことが耐え難いよ。

  『Si、 Va Bene! Allora Te Lo Dico, Si Stava Parlando Male di Te(分かったわ、それじゃ言うわ。 あなたの悪口を皆で言っていたのよ)』 まったく、サンドラ、君って人は、どこまでふざければ気が・・・。

  『Ohu, Chika. Non Mi Puoi Parlare Con Questa Maniera eh! Non Mi Fai Incazzare Per Favore!(チカ、そういう口の聞き方は許さないわ、私を怒らせないでもらえる)』 そういう君が僕を怒らせてるのさ。

  『Va Bene! Te lo Dico Tutta La Verita! Mi Sono Rotto Le Palle! Non Sopporto Piu Anche a Te! Non Ce La Faccio Piu! Sai Cosa Faccio Adesso? Me Ne Vado, Vado Via! Ho Trovato Lavoro Che Mi Fa Guadagnare di Piu. Allora, Sei Contento? Sii! Sai Questa Cucina e Tutta Tua! Fai Come Cazzo Ti Pare! Hai Capito! Adesso!(いいわ、全部教えてあげる。 もう、キレたわ。 耐えられない、あなたにもね。 これ 以上は、やってられないわ。知ってる、今どうするか。 辞めるわ、出て行くわよ。 もっと稼げる仕事見つけたしね。 どう、満足? そうよね。 分かるでしょ。 全てあなたのものよ、ここの厨房は。 どうにでもあなたの好きにして頂戴。 どう、これで分かったわよね)』 じょ、冗談だよね。

  『Invece No! Tutto Vero!(ところが違うわ、全部、本当のことよ)』 そんなこと出来ないさ、だって、君は子供たち皆のお母さんみたいなものじゃないか。 そんなこと絶対、

  『Che Cazzo Me Ne Frega a Me! Tu Sei Loro Fratello, Va Bene!(私の知ったことじゃないわ。 いいじゃない、あなたは彼らのお兄さんでしょ)』 ちょ、ちょっと待ってサンドラ、そんなこと、

  『Adesso Basta! T´ho Detto Che Me Ne Vado!(もう、充分だわ。 出てくって言ったでしょ)』 そのセリフをサンドラが言い終えた途端に大粒の涙が頬から零れ落ちた。 振り絞る声が声になっていたかは、自信がない。 ・・・ダメだよ、、サンドラ。絶対ダメだって。 じゃあ何? 僕が子供たちから"ママ・サンドラ"を奪い取ってしまったわけ。 君はここにいなきゃいけないよ。 僕のためじゃなくて、子供たちのために。 僕はここに来てはいけなかったんだ。 すぐさま出て行くべきだったのに・・・・申し訳ない。 彼らにあわす顔がないよ、彼らにかける言葉が思い浮かばない、彼らのために君の代わりなんて僕には出来ない。 僕は君みたいに素晴らしいひとではないからね。 僕は君みたいに輝く笑顔を持っていないからね・・・。 そのまま、地面にうずくまることが精一杯で、顔を上げることすら出来なかった。 しばらくの間があってから、サンドラも泣いているのがその声から分かったが、彼女は強かった。 きっと、ここ数週間の、もしくは数カ月の鬱憤が晴れたのだろう。

  『Chika, Ascolta Mi Bene. Adesso Io Non Trovo Nessun´spiegazione Per Me. Non So Per Niente Se era Giusto Quello Che T´ho Detto. Anzi, Penso di No. Insomma, Unica Cosa Che Ti Posso Guarantire e Che Non e Colpa Tua. Tu Hai Fatto Solamente Tuo Dovere. Sai, Non e Nemmeno Colpa di Paolo. Non So Se Mi Spiego. Io Ho Deciso di Andare Via Perche Claudio Mi HaDetto Che Tu Sei Piu Bravo di Me. Poi, Sai, e Vero. Tu Sei Piu Bravo di Me. Lo So Io, Anche Tu Lo Sai. Chika, Di Nostri Bimbi・・・・Non Sono Piu Bambini Come Pensi Te. Non Hanno Bisogno di Uno Come Me. Dai! Chika, Ce La Farai! Anche Se Non Ci Sono Io. Perche Tu Sei Simpatico・・・・

 (チカ、よく、聞きなさいね。 今、私は自分のことが全然分からないの。だから、あなたに言ったことも果たして正しいのかまったく分からないわ。 いいえ、正しいとは思わないわ。 とにかく、今、あなたに保証してもいいのは、"あなたのせい"ではないっていうこと。 あなたはあなたの"義務"を行っただけで、分かるかな? それに"パオロのせい"でもないのよ、実は。 いい、私が出て行くのを決めたのは、クラウディオがあなたの方が私よりも"優秀"だって言ったからなの。 それでね、そうなのよ。 あなたの方が私よりも"優秀"なのよ。 私は分かっているし、あなたにも分かっているわよね。 チカ、子供たちについてだけどね・・・、あの子たちはあなたが考えているほど子供ではないのよ。 お母さんの代わりなんて必要としてないのよ。 チカ、あなたなら出来るわ、例え、私がいなくてもね。 だって、あなたとても魅力的な人ですもの・・・)』


 そう言い残して、サンドラは出て行った。  ひとつ、大事なこと。 サンドラがあの"黄金時代"にふと、呟いたセリフが頭の中に突然蘇る。

 『Chika, Non Fare Troppe Cose Nuove(チカ、あんまり"新しいこと"ばかりしないでね)』

  おそらく、警告であったのだろう。 この事態を予期していたんだサンドラは、それにを僕は気が付かなかった。 調子に乗って好き勝手ばかりやっていた訳だ。 "事故"ではないのだ。 これは、僕が招いてしまった"結果"なのだ。 どうしたら良いのだろう、これから、どうしたら・・・。


 『Chika! Ma, Te Stai Piangendo? Dai! Coraggio.(チカ、まさか泣いてるの。 何よ、勇気だしてよ)』 と、突然現れたアリーシェが何事もないかのように笑ってる。

 『Aproposito, Cosa Fai di Buono? Stasera.(ところでさ、今夜はどんな美味しいもの作ってくれるの)』 さあ、何だっけ、思い出せないや。

 『Se Non Fai di Buono, Ti Picchio. Lo Sai?(もし、マズイもの作ったら、ブツわよ。 知ってるわよね)』 何てこった、一番の弱虫は僕じゃないか。 分かったよアリーシェ、君には勝てない。 やるさ、しかも、これまで以上しっかりとね。 ここに来てちょうど2カ月経った、4月11日、陰気な雲の漂う金曜日の午後の出来事であった。

 

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