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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・


16、終焉へのプレリュード(IL PRELUDIO)


  『Graziella, Cosa Ci Racconti Stamattina.(グラツイエッラ、今朝はどんな話を聞かせてくれるの)』 4月に入ったある朝、サンドラがグラツイエッラの持ち込むパオロに関する新ネタを聞くのを待ち通しにしている。 この頃、戦争は止まることを知らぬ勢いで激化していて、状況は12対1、つまり、我らが女の子全員、シンチア、パオラ、グラツイエッラ、エド対パオロひとりで、サンドラ側がその大勢力を誇りに優勢を示していた。 クラウディオは不明、アルベルト、僕は中立、我らが男の子たちは"そんなことはどうでもいい"と、いった感じで、どっちつかずの状況を保っていたが、驚いたのはグラツイエッラ、彼女はパオロによって引きいられた人だから、初めのうちは沈黙で通し、どぢらかと言ったら、パオロ側であったたが、ここに来て2週間が経ち、馴染みが出てくるやいなや、情勢を見てとったか、その様は急変。 もはや、シンチアが特攻隊長なら、彼女は親衛隊長といった感じで、何を聞かれなくても、自らベラベラ喋るようになっている。

  『Ascolta Sandra, Non Puoi Immaginare Nemmeno・・・(聞いて、サンドラ。 想像もできないと思うけど・・・)』 どうやら、今朝はパオロの個人部屋を掃除させられ、しかも、彼女が言うには"わざと、目の付くところに置いておいたのよ"という履き古しの下着を、拾わざるをえなかったらしい。

  『Faceva Schifo, Mi Faceva Anche Vomitare(うんざりしたわ、吐き気さえしたくらいよ)』 まったく、どこまでが真実だか、この・・・め。 さて、そんな形勢の中で、パオロは何をしていたか・・・肩のうえに纏わる埃を、まるでおはじきを飛ばすかのように指を構え、パン、とそれを払う振りを、左右1回ずつ、ついでに腰も捻りながら下唇を突き出してあざ笑いながら、したかと思えば、

  『Non Fa Niente.(なんてことはないね)』と、いつでも払い捨ててやるよ、みたいな顔をして、声高々に笑っていた。 本当に大丈夫ですかね。さあ、今度は僕の番。 何をしていたでしょうか。 まず第一に、人の喧嘩に参入するのは好きでないので、先程も言ったようにあくまでも中立を守りながら、のんきに在庫管理にはまっていた。 そして前もってサンドラに許可を得て、既にここ数カ月の請求書に目を通して割り出しておいた食材の原価表を片手に、すべての冷凍物、缶ズメ、パスタ等の在庫物をチェックしてあったことと、そこから生まれた大体のねらい、つまり、上から支出が多い、と言われた時に、その直後の月に買い物を可能な限り減らし、数字上2カ月通した時に、差が出ないように調節すれば、結局、上の人たちも黙る、という説を承諾させて、僕も馴染んできていたために、おおまかな客入りは把握ずみであったことから、サンドラに週間の予定メニューをつくる案("何を作る"かは、今まで通りその場のノリを大事にするが、"何を使う"くらいは決めておこう、ということ)を提唱して、賛成、称賛してもらっていたので、注文をする際、実権はすっかり僕が握るに至っていた。 もし、僕とサンドラとの信頼関係が"一風特別"な、お互いの仕事を尊重しあって、友達としてもウマがあっていたもの、でなかったならば、明らかに生まれていなかった権利の交替であっただろう。 今思えば、果たしてこれで良かったのかどうか分からない。 何故かというと、この時点で在庫を把握している人間は僕だけであるから、サンドラが何かしようと思う時に、僕に聞く必要がある。アレはあるか、コレは使っても良いか、といったことを。 要するに、厨房内における"指揮権"を僕に預けてしまっていた訳であり、事実上のシェフが"僕"であったことを意味するのである。

  『Chika, Che Pasta Prendiamo Questa Settimana?(チカ、今週はパスタは注文する)』 何もいらない、巧く繋げば、今週どころか、来週までももたせることができるよ、今あるものを。念のため"トルテッリーニ(肉詰めのラヴィオリ)"だけとっておこうか。

  『Carne di Manzo Prendiamo, Vero?(牛肉はとるでしょ)』 いや、牛肉は小口買い出来ないからね、今週はなんとか我慢して来週にしておこう。 こうすれば、今月の帳簿から、400、000リーレ(約3万2千円)省けるし、これはデカイ。

  『Ma, Lunedi Vengono 50 bimbi della Gita, Lo Sai?(だけど、月曜日に50人の遠足組が来るの知ってるわよね)』 当然、だから今ある分をそれのために残しておいて、我らが子供たちのためには、手を掛けたものを作ればいい。"ポルペッティーネ(肉タダンゴ)"だとかね。 豚肉は売るほどあるし、スカンピ海老は冷凍庫の中でジャマなほどある。と言う訳で、クリスティーナ、以上で今週の注文は終わり。

  『・・・Solo Questo?(これだけ)』 そう、これだけ。

  『Ma, Chika, Sei Sicuro Che Ce La Fai?(だけど、チカ。 本当に大丈夫)』 120%大丈夫。 ここで驚いたクリスティーナがサンドラの顔を伺い、彼女も同意見か尋ねると、

  『Se Chika Dice Cosi, Va Bene.(チカがこういうなら、大丈夫よ)』と、答える。 その前の週は笑顔で僕を褒めていたが、この週はなんだか面白くなさそなう顔をしていたような気がし、実際、そうであったのだろう。少なくとも、僕が彼女の立場なら、あまり気持ちのいいものではない。きっと、こうあるべきではなかったのだろう。 仕事にマジメになり過ぎて、彼らなりの"しきたり"を無視してしまっていたのかもしれない。

  4月も第2週に入った頃、自分でも信じられないことだが、初めてサンドラに対し、声を上げて怒鳴ったことがある。 それは説明するのもバカバカしいことが原因で起きてしまった"事故"なのだが、ある重大な"転機"を示すものであったのかもしれないから、説明するべきであろう。 さて、先にお話しした4人のギリシアの女学生の中に、マリアという名のとても"変"というか"頭のイッテしまった"娘がいて、そのあまりにも異常を奇した行動、例えば、昼食の時、クラウディオの言った冗談に物凄く大きく、しかも怪しい笑い声を上げてしばらく這い回っていたかと思えば、ただでさえ迷惑を掛けまくっていた横のテーブル、何と小学生の子供たちの付き添いの先生がいたところだったのだが、の近くで突然、吐いてしまったり、一日に2回階段から滑り転げたり、夜中に"オオカミの遠吠え"が聞こえて怖くて眠れない、と大騒ぎして僕とパオロ、子供たち数人を起こしたうえに、僕がトイレに用を足しに、パオロが下へ眠り酒を取りに行き帰って来ると、嫌々ながら彼女をなだめていたアリーシェの膝の上で響き渡るイビキとともに爆睡して、動けぬアリーシェを呆れかえさせたりと、とにかく、ハンパじゃなく絶えず我々を笑わせるか怒らせるかしていた。 その娘がある日の昼食の後、身体の調子が悪いと訴え続けたあげく、どうやら"便秘"らしいという結論に至り、冗談でパオロが、そういう時は、エキストラ・ウヴェルジネ・オリーヴ油、ただそれは"ヴィッラ・マーニャ"のものでなくてはいけないが、を浣腸すると治る、と言ったら、やってほしい、と言い出して、パオロが"それ"を本当にやった・・・・いまだに"それ"を終えトイレから帰ってきた時のパオロ、まさに身体じゅうの穴という穴から煙りを吹いていて、込み上げる興奮に爆発しそうになっていたのだが、の姿は忘れられない・・・・。 ことがあったのだが、それはそれは、とてつもない笑いの渦を巻き起こし、久しぶりの愉快過ぎる出来事に一種の"連帯感"みたいなものを感じて、あのパオロとサンドラが、この戦争の生んだ"境界線"を忘れて肩を叩きあい、皆、一緒に腹を抱えて喘いでいた。 アリーシェとマリア(我々の)が跳びはねて喜び、エルシリアが真っ赤になりながらウソみたいに大きな声を上げていたり、ガブリエラがあまりのおかしさに呼吸困難で動けなくなっていたと思えば、ダニエレが壁を叩いてその笑いを静めていたり、そういう皆の姿を見るのが、一体どれほど嬉しかったか、一体どれほど我々に欠けていたか。 だが、パオロや子供たちがその場を離れるやいなや、突然、サンドラが口を開いた。

  『Chika,Porti Giu La Tua Macchina da Fotografica(チカ、カメラここに持ってきてよ)』 ???。

  『Prendi Quello!(それを撮ってよ)』 笑いながら彼女が指差したものは、パオロがバーに置き忘れた、彼は町へこの話を語りに凱旋していたのだが、例のもの、つまり浣腸器(それはとても大きかった)であり、言われるがままにそれを写真に収めた僕が、"楽しい記念の写真だね"と、サンドラに言うと(すっかりそういう理由で写真を撮らせたと思っていたから)、既に笑いを忘れ、パオロの悪口を言う時お馴染みの悪意に満ちた表情で、

  『No, Chika, Lo Mando a Direttore della Ditta! e Bello Vero? "Un Coso" al "Bar".(いいえ、チカ。 本部の責任者に送るわ。いいネタだと思わない、"その道具"が"バー"に飾ってあるって)』 と、ニヤニヤしている。 思わず耳を疑った。いや、おそらくそんな暇さえあったかどうかも良く、覚えてない。 僕の中の"何か"がチギれた。

  『BASTA! SANDRA, CHE CAZZO SEI!(もう、沢山だ、サンドラ。 イッタイ何様だ、君は)』 誰ひとりとして口を開くものはいなかった。 瞬きをするものすらいない。 それまで"彼が何か言う時は、常に彼が正しい"と言われていた男が、遂に、"ボス"サンドラの"非"を責めたのである。 どれほどの時間が経っただろうか、10秒、それとも10分、サンドラが口を開いた。

  『Dai, Chika. Sai, Scherzavo. Non C´e Niente Altro.(どうしたのよ、チカ。 分かるでしょ、冗談よ。他になにがあるって言うの)』 一体、なんてことをしたんだ、僕は。 あの"頑固"なサンドラを折れさせるなんて、

  『Chika, Ti Dimentichi Quello Che Ti Ho Detto.(チカ。 忘れてよ、今言ったこと)』 5秒ほど顔を見つめ合ってから、握手をして和解した。 でも、僕は知っている。 サンドラが冗談を言っていたのではないことを、シンチアとクグラツイエッラが僕を警戒の目で見つめていたことを、そして、サンドラの心の中に潜む"誰か"と彼女自信が激しいを葛藤していたことを・・・・。
  


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