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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・


14、黄金時代2(I TEMPI D´ORO 2)

 4月が近付くに連れて、町が活気ずいてきた。 散歩に出れば、首からカメラを下げたお父さんに率いられたドイツ人の家族の姿をチラホラ見かけるようになり、上空から聞こえてくる、通りを挟んでの洗濯物を干しながらのおばさん同士のおしゃべりも、当たり前のことに思えるようになったこの頃、車でドライブすれば、そよぐ爽やかな風に揺れる小麦の草穂の間に忍ぶ、あと一月も経てば、辺り一面を赤や黄色に飾り付け始める花々たちの芽が、その時を心待ちにしているのが感じられ、足を延ばせば、やはり発芽に向けて用意万端のヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノの木々を眺めることも出来る。 おかしなもので、寒い冬の間は何もかもが、その姿をどこやらに隠し、見つけたくとも出来ないのに、果敢にも心臓破りの起伏をサイクリングに励む老若男女や、時間に追われ気の急いたドライバーたちのすべての希望を奪い、胃炎にまで追い込みかねないノラクラ転のキャンピング・カーたちが、パスクワを間近に迎えたこの頃になると、まさに、ツクシの芽のように次から次ぎへとニョキニョキと現れてくる。 さあ、トスカーナに春が来た。 観光シーズンの到来である。
 ホテルの方には、パオロの取り次ぎで友好関係のうまくいっている町役所から、幾つものグループをドシドシ放り込まれるようになり、2泊3日の計画でほぼ毎週訪れる、利ヴォルノやピサの小学生の遠足の団体、訳の判らないドイツ人バック・パッカー、倹約家の家族たちや美術を学びにくる苦学生等が入れ替わり立ち代わりしていた。 そうそう、ひとつ、4週間もの間、滞在したギリシアからの4人の女学生のグループがあったが、ただ、何回質問しても、彼女らが一体、何をしに来たのか理解不能で、説明によると、まあ、イタリアの文化を身を持って学びに奨学金で政府から送られたとのこと、何て政府だ、だっていつも昼近くまで寝てるし、勉強はしてない、門限は守らず問題ばかり起こす、まあ、いいか、とても愉快な娘たちだったし。 さて、そういう訳で、かなり忙しかった。 だって想像してみてください、遠足の一団は大抵月、火、水曜日にくるから、この間は朝から晩まで子供が溢れることになる、とは言え、遠足組の昼食は朝に手渡しするお弁当だから、基本的には、地元組と重なることは無いのだけれど、雨が降れば、実際、2度ほど起こったことだが、わざわざ帰ってくるために、ホールで120人の子供が飛び交う始末になる。
 ロベルタの一件はつらかったが、何しろ悲しんでいる暇はなく、パオロが求人を始め何人かの面接を済ました後、グラツイエッラという35才位の中肉中背、黒髪のオカッパ頭のとてもおとなしい女性を選んだ。 口答えの激しかったロベルタがいなくなった後は、目の上のタンコブを消し払ったかのように、清々とし、ますます調子に乗っているパオロが言うには、若いと遊び気を起こすし、奇麗だと色気が問題を起こす、そしてお喋りだと不快だから、彼女を選んだそうで、しかも、彼女は事故で足の骨を折って働けない銀行マンの旦那の分も稼がないといけないらしく、こういう理由がある人はガッツがあるから良いとのこと。 まったく正しい見解であったので、経験不足で、ノロマ、物わかりのかなり悪いところは大目に見ることにして、気長に教えながら仕事を覚えさせて、何とか、先に進んでいた、いや、進むよりほかはなかった。
 さて、僕とサンドラのコンビだが、全てがうまく行っていた。 仕事仲間としてと言うよりも、友達として、僕としてはますます、この素敵な女性を慕うようになっていた。 一緒にフェルナンドのサッカーの試合を観戦しにも行ったし、野生アスパラガスの探索に出かけて、山のように刈り取ったそれを二人で調理したりもした。 既にすっかり詳しくなっていたこの辺り一帯でどこから見下ろす夕日が一番奇麗か、またそして何故かをお互い譲らずに議論したことも楽しい思い出であるし、クラウディオやその若い20才の彼女イザベラたちと、近くの小さな村にあるおしゃれなオステリアに出かけて、ちょっと高価なワインを嗜みながらカード・ゲームをした夜も、実に素敵なものであった。
  ひとはその人生のなかで、いったい何人の"本当に素晴らしい人"に出会うことが出来るであろう。 この場合の"素晴らしい"の定義は、性別を問うものではないが、恋愛に必要な要素、つまり、かわいい、かっこいい、奇麗などは当然、例えそれが恋愛に結び付くものでなくても、容姿にまつわるもの、他にも天性の才能からくる創造性みたいなものは除いて、人間としての知性、理性、感性、そしてそこからくる思考、行動などの性格に関するもの、つまり、自分もひとりの人間としてこうありたい、といった理想、憧れのことを言っているのだが、僕にとって彼女、サンドラはまさに、そんな人であった。 さて、そんな人に出会った場合、果たしてどうしたらいいのだろう。 憧れているからひたすら付いて行くのか、自分に欠けているものを持っていて妬ましいから叩きつぶすのか、それとも自分という人間を信じる事にして、公正、正直でいることを努めるのか、若しくは結局のところ他人だから遠くから眺めて過ごすのか、あえて、それに対する自分の意見は書かないが、ひとつだけ、とても大切な事が。 例え僕が、これから起こることの中で、サンドラという人について何か批判的、または、嘲弄的なことを書くことがあったとしても、ここで確認しておきたいのは、僕にとってサンドラは生涯忘れることの出来ない"本当に素晴らしい人"、しかも、確実にその頂点に立つうちの一人であったということ。 それを明確にしないことには、どうもこれより先に進んでよいのか判らなくなってしいそうで・・・・・。

 

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