とある物語・・・
INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・
13、スコール(IL TEMPOLARE)
翌週になると、やはり同じ系列であるらしい、隣町"サン・ジミニャーノ"のカルチェレの厨房の工事があるとのことで、2週間ほどの間は毎日、うちらと向かいのカルチェレのシンチアのところで分けて料理を作り、それを取りにくる向こうの従業員たちに渡すことになった。
これはあのクラウディオが取って来た仕事だから、それが故に顔を出すことの少なかった彼が頻繁に現れるようになったのもそうだが、なによりもまして、シンチアとパオラの2人がカルチェレの厨房は小さいから、との理由でこちらに入り浸るようになった。
シンチアはまだ24才と若いのに責任者として任されているみたいだが、どうやら2年ほど前からサンドラの元で、今のロベルタのようなかたちで手伝いとして始めた人らしく、その料理の腕前は申し訳ないけど、ひどいものがあり、パオラは34才で、それだけ主婦の経験がある訳だが、ここでの経歴は浅いし、気の強いシンチアに押されておとなしく彼女を手伝っているにすぎず、やはり同じこと。
とにかく、50人前の昼食をエキストラで作るわけだがら、朝はそれなりにやることがあるのだが、やはり、女性4人が集まると、お喋りの時間も長くなり、より色々な話を聞かされてしまう。
しかも、こういう時の話題って誰かの悪口になってしまうのですよね、大抵は。
その名誉ある被害者はパオロ、話によると、パオロがここのホテル長に任命されたのは、ここ数カ月まえのことで、ここに来る前は7年間、例のキャンプ場の責任者(現責任者はアルベルト)をしていたとのこと。
それは、パオロからも聞いていて知っていたが、なんとその前のここの責任者はあの冴えないエドであったのが驚きで、個人的に彼のことは好きだが、片言の英語も分からず、判断力に欠け、サンドラの操り人形としか思えない彼が元ホテル長。なるほど、パオロは彼と違い、実力と行動力とタフさ、そして力のある人との友好関係を兼ね備えていて、明らかに彼と比べて、歴然の適任性があるから、サンドラも一歩後退を余儀なくされ、つのる不満もあるのだろう。
しかし、パオロが来る前のことがたやすく想像出来る。 結局エド゙は今と大して変わらぬ仕事をしていて、事実上の長はサンドラであったのに違いない。
それはそれで楽しかったのだろう。 サンドラも今より幅が利いて、居心地は最高だったのだろうが、今だって充分楽しいではないか。
結果として、クラウディオによるこの人事異動がうまく行きつつあるのは誰の目にも明白だから、サンドラもおとなしくせざるを得ないところが現状だろうが、悪口がこれだけ日増しにエスカレートするはどうもねえ。
確かに僕にもある、パオロに対してカッとなることが、しかも少なからず。 いつも飲んでるし、都合よく消えることも多い、頻繁に爆弾発言もするし、あまりにも自己中心主義だから、後ろからけり飛ばしたくなることも確かにある。
でも、僕にしてみればそういう事って、多かれ少なかれいつでも付きまとうものだし、結局は彼のこと好きだから問題はないが、まあきっと、相性の問題なのだろう。
ただ、驚くのは、このサンドラという人の傑出した知的さである。 この辺りの田舎育ちなはずなのに、あまり放言は使わず、実に正しいイタリア語をはっきりと話し、その芸術的なものすら伺える話し方には、論理の展開の順序、構成がしっかりと根ずいていて、一番見事なのは、結論を自分で言わず、誰かを巧みに言葉で導いてその誰かに言わせるところ。 こういう時、大抵の場合、その結論を言い当てた方は自分の手柄だと思い、サンドラと対等に会話をしてる、自分もそれだけ賢いのだ、と勘違いするのがオチだが、事実は単に誘導されているだけのこと。 そんな彼女の言う事を聞いていると、パオロが前科10判の悪人のように思えることが当然であるから怖い。 シンチアなんて、パオロと係わることはまずないのだから、パオロが彼女に恨みを抱かせるようなことがあったとは思えないけど、見てると、まるで先祖代々に積み重る怨念を持っているかのようで、すっかり切り込み隊長のよう勇ずき、仮に戦争が起きたら真っ先に特攻しかけるだろうね。 こういうサンドラの力が普段の子供たちとのやりとりの時には、光り輝いて見えるのに、この場合にはやっぱり、あまり好ましくないもの、に変わる。 ただ、どうです、世の中の常として、こういう力って、雄弁な政治家たちが世界を平和にする代わりに私腹を肥やすのと同じで、悪い方向に向くときにこそ生きるものだと思いませんか。 とにかく、僕とサンドラの仲だから、考えられないことだけど、この世の中で一番敵にしたくない人は彼女だね、ダントツに。 まあ、笑い話として済んでるからいいけど、これが、ただのお喋りであることを祈ろう。 突然、そんな話の真っ最中にパオロが入ってきて全くをもって余計な一言を言って、火に油を注いでしまったものだから、もう、パオロって本当にタイミングの悪い人で困る。 ああ、ロベルタとシンチアがまるで燃え広がり圧えきれない山火事のように荒れている。
『Non Ce La Faccio Piu, Non Ce La Faccio Piu, Con Un Stronzo Come Lui.(もう、我慢できないわ、彼みたいなアホには)』 まだこの時は、皆、笑いで済んでいたのだけど・・・。
今回のエキストラの仕事も半分ほどが済んだ、ある3月の第2週のこと。 この頃、もはやロベルタは、客室などホテルの掃除を明らかに手を抜く、若しくはサボる行動が目立つようになってきて、替わりに女性たちのお喋りに花が咲く、厨房に入り浸るようになっていた。 それは明らかにシンチアと一緒に騒ぎ過ぎてしまったことの影響が、悪い方に向かってしまっていたのだと思う。 度々、パオロに忠告されていながらも、刃向かう傾向が出始め、何度かは、パオロがその仕事を替わりに引き受けていたが、業を煮やしたパオロがこの日のロベルタの良からぬ態度に腹を立てて、廊下一面に響き渡るほどの大声で怒鳴った。
『Ma, Che Cavolo Credi di essere. Te Sei Qui Mica a Cucinare. Sei Qui
a Spazzare. Pulire a Terra. Mi Capisci? Non Hanno Bisogno di Te in Cucina,
Non Ti Preoccupa! Pensa Tuo! (一体、何様のつもりでいるんだ、お前がここにいるのは、料理するためじゃないぞ、床を掃いて、磨くためなんだよ、分かるか。
厨房では誰もお前のことなんか必要としてないのだがら、心配するな、自分の仕事をしろ)』
それは強烈な一言で、そして、正しかった。 普通に生活をしている人にとっては、一生のうちに直接こうもはっきりと言われることは、ない、若しくはあっても1度くらいであろう(先述したかのF氏と仕事をすると、これの10倍はひどいセリフを絶えず耳にする羽目になるが)。
ロベルタが泣いた、そして、ホテルを飛び出し、2度とその姿を現すことはなかった。
他人事ながら、シンチアは荒れ狂って怒り、パオラはひたすらそれにうなずき、そしてサンドラはただただ、沈黙を守っていた。
事の正当性はパオロにあることを充分に分かっていたためか、口を開くことが出来なかったのだろう。
ただ、その目にやどる憎悪に満ちた怒りは僕の目には明白で、話かけることすら出来なかったし、もともと、話かけるべき言葉なんかなかった。
遂に起きてしまった、好ましくない"事故"が。 今、"事故"と言ったが、それは一般的には"偶発性"を持つもののことを指し、そこに、"計画性"やら"意図"が入り込んで来ると、その時点でもはや"事故"とは呼べなくなる。
今回の悲しい出来事は明らかに"事故"で、神様の気まぐれな悪戯でもなければ"連鎖性"のあるものではない。
それならば、僅かばかりの時の流れがまた、僕らの楽しい生活を戻してくれるであろう。
そうに違いない、激しかったが、短くもあったスコールが通過しただけのことさ。
こうして迎えた初めての言葉少なな寂しい夕食は、ここに来てからちょうど1カ月、最後に全員が揃ったあの"女性の日"のパーティから1週間が過ぎ去った3月半ばの静かな雨の降る金曜日のことであった。
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