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とある物語・・・

   INCANCELLABILE・・・消し得ぬ想い・・・


11,大成功(E SUCCESSO)

昨日の朝に2人で、配達された材料を整理している時に、サンドラが、「これは私の分」とかなりの量のアサリ、ムール貝等を、キープしていたのが不思議に思えたが、今朝サンドラに今夜のメニューを尋ねた時にやっとその理由が分かった。
 今回のパーティは既に説明されていたように、120人のハンター達の企画な訳だが、イタリアでハンティングに精を出す男たちの中には、狩りをするだけでは足らず、その獲物を料理するのが大好きな人が多いらしく。しかも今夜のそれの代表者は、まさにこの辺りのプロも頭が下がるほどの権威で、それにかなり高慢ちきなために、「厨房に入って来て指図しまくるに決まっている」と、主導権を握るためにも、と賢いサンドラが前もって、アンティパストとプリモ・ピアットに彼の分野ではない、海の幸の料理を入れることを勧め、既に承諾させておいたとのこと。
 それにしてもキレル人だ、サンドラだけは何があっても敵にしないでおきたいな、とすっかり感心していた僕に、相手はそれだけ手ごわいけど、私たちのほうがプロだってことを見せつけてあげようね、と気合の入ったことを言うサンドラに思わずドキッとする。 とにかくサンドラが味方で良かった、彼女に比べたら、どんな猛者が相手でも赤子の手を捻るようなもの。
 さて、サンドラと2人で最終的なメニューの打ち合わせに入るが、ふたつのプリモ・ヒピアットのうちのひとつ、とふたつのセコンドのうちのひとつは彼の指揮間にあり、彼が来るまで読めないとのこと。 そしてやはり、ふたつめのセコンドも既に決まっているが、これは料理上手で有名だったというサンドラのお母さんの十八番であったというため、指揮権は彼女にあるという"プロシュット・アッロースト"。 だがなんとこれ、そこんじょそこらのトラットリアで見かける即席のまがい物ではなく、伝統に従って、骨付きの生の豚の股肉丸ごとに塩と香辛料に塗してから、可能な限り低温のオーブンで一晩蒸し焼きあげた逸品で、実は昨日の夜のパーティの後、2人で仕込み終え、今もまだオーブンの中で、今夜の栄光の舞台にむけてその秘めたパワーをジワジワと旨みへと変化させている。 これで残るは、アンティパスト、1種類のプリモ、そしてデザートだが、アンティパストは相談の末、欠かせない"トリ・レバー"、サンドラ得意の"サーモン・チーズ"お約束の"ブルスケッタ"そして僕の提案で、唐辛子風味のイカのムースを塗ったパンを焼き上げたものと、ムール貝のむき身とマスカルポーネを合わせたクロスティーニで決まり。お次ぎはプリモ、残る材料を眺めながらの2人の意見はすぐさま一致。昨夜の成功が記憶に生々しい"スパゲッティィ・アッロ・スコッリョ"これしかない。
 さて、デザートだが、ここでサンドラが、私にまかせて、こんな時に打ってつけの伝統の一品を教えてあげるわ、と豚足を煮込み出す。 ちょっと待って、デザートに"豚足の煮込み"と、開いた口の塞がらない僕にニヤニヤしているサンドラさすがあなたでもこれは知らないはずよ、と伝授してくれたものは"ミリアッチ"と呼ばれる、いわや、牛乳の替わりに豚足からとったブイヨンを用いた"クレープ"で、パルミジャーノを振ればアンティパストにもなるが、今回は粉砂糖を振り、少し現代の嗜好に合わせて、昔は欠かせなかったと言う"豚の血"を省き、替わりにバターとオレンジ・リキュールを加えたもの。 確かにこれは知らなかった、とサンドラに感謝。 さあ、こっちの準備は万全、後は猛者どもの襲撃を待つのみである。
 子供たちとの、楽しい昼食が終わり、彼女らの大部分が家路に向けて旅立つころ、一台のトラックが外庭につけ、顔付きと服装から一目でハンターと分かる4人の猛者どもが血のしたたるバケツを両手に入り込んで来た。 バケツの中身は、既に皮を引かれ、断片に刻まれているため認識しずらいが、お約束の猪と、何と禁猟だという野生の鹿との報告。 いきなり端から強きのリーダーの指図により始まった調理を、ここは我慢と手伝うサンドラと僕だが、どうやら、イノシシはこの地、定番のプリモ"パッパルデッレのイノシシのラグー・ソース"になるらしく、生まれて初めて見たその綺麗な赤み肉が眩しいシカは、噂には聞いていた、中部トスカーナの伝統料理"サルミ"に変わるみたい。 しかし、その作り方の豪快なことといったら、この人たちはどうしてもひとつの鍋で調理を済ませないと気がすまないらしく、入り切らない肉を蓋を使って押し込んでいる。 それを見るや、あのやり方はいけないわ、と僕にすかさず耳打ちするサンドラが何故か、かわいい。 本当にこの道に生きる人皆、意地っ張りみたいですね、当然、僕も含めてだけど。
 さて、彼らのふたつの鍋はコトコトと湯気を立て、後は火の通りを待つのみ、いよいよ、うちらの番、とは言え、気の通い始めてきた僕とサンドラのコンビ、サクサクと仕事を片付け、残るのは120枚の"ミリアッチ"の調理。 ロベルタが、これなら私も得意、と叫びだしたので、3人横一列で誰が一番生地をひっくり返すのが上手いか競技。 まあ、誰が勝ったかはおいといて、楽しいよね、こうやると。
 とにかくこの仕事もあっと言う間に終わり、準備万端でディナーの開始を待ちながら客の入り方を眺めていると、ひとつ不思議なことに気が付く。 幾つかの顔触れは先週のディナーと同じにもかかわらず、進み方が先週のそれとまるで違う。つまり、今回は明らかに夫たちが張り切っているのが一目で分かるので、それをサンドラに報告すると、"日本ではどうか知らないけど、男ってこういう生き物よ。 自分の獲物を自慢しあって、都合がいい時だけ、家事を手伝ってる振りをし威張るのよね"とキツイ一言。そういえば、日本でも"父の日曜日カレー"ってのがあるかな。"でしょ、でしょ、やっぱり、男ってそういうものよ"と、勢いの増すサンドラ。とりあえず、うなずいておくほうがいいかな、今日のところは。
 さあ、アンティパストがすぐさま片ずいて、次ぎなる一皿"スパゲッティ・アッロ・スコッリョ"の提供が終わりと、帰ってくる空の皿を運びながら、いつもながら絶好調のパオロが叫んでいる。

 『Siete Bravi Davvero, Nessuno Ha Lasciato Nemmeno Uno Spaghetto!(凄いよ、君たち。 ただ"一本"のスパゲッティを残す人すらいないよ)』 手を高く交わし合う僕とサンドラ。 順調に"パッパルデッレ" の提供も終わるが、残されて帰って来る大量のパスタを見て、パオロ、ジョバンニ、ミンモが口を揃えて、

  『Se La Cucinavi Te, Mangiavano Tutta!(もし、君が作っていたら、全部、空だったろうに)』 とサンドラを称賛。 きっと、そうであったのだろう。 今度はサンドラと一緒に"パッパルデッレ"を作りたいものだ。 そこそこの出来栄えであった"シカのサルミ"の後は、いよいよ、サンドラのお母さん秘伝の"プロシュット・アッロースト"。 既に僕が切り始めていた分をのせたお盆をパオロが客に配りはじめ、残りは今回もホールでのエンターテイメント。

  『Vai! Forza Chika, Sei Grande!(出番よ、ガンバレ、チカ。 あなたなら出来るわ)』 サンドラに思いっきり背中を叩かれての出陣。 再び、子供たちに囲まれての晴れ舞台であったが、前回と違い、僕の事を見慣れたためか、黙っていない。

  『Sai Fare "KARATE"?(空手出来る)』
  『Sei Amico di "RAMMA"?("らんま(高橋由美子さんの大ヒットマンがの)"のお友達)』
  『Mi Fai "SUSHI"("お寿司"つくって)』
  『Hah,,,Yha!Yha!Yha(ハー、イヤッ、イヤッ、イヤッ)』 と少し、うるさいが、やっぱりかわいらしくてしょうがない。

 デザートの提供も、大反響のうちに終え、すっかり疲れ切り、しかも酔っ払っている男性たちに替わり、奥様たちからの絶えぬ拍手に囲まれてのフィナーレを迎える。

 『Complimenti a Vostra Cucina!(素晴らしかったよ、君たちの料理は)』 相手のリーダーの以外にも素直な祝辞に驚きながらも、それが"事実"である、との実感、そして充実感に支えられた今日の成功をサンドラと抱き合って喜んだ。

 ロベルタにくすぐられ、ミンモにはやきもちを焼かれ、ジョバンニに"サンドラが世界一番のコックだ、"と説教された、楽しくも過ぎ去った掛け替えのない一時に、明日からのことなどまったく忘れて考えてもいなかった僕を誰もいないバーにパオロが呼び付けた。

  『Visto Che Siete Buona Coppia eh, Sandra e Tu.(いいコンビみたいだね、君とサンドラ)』 同感。

  『Come Ti Senti? Chika.(どんな気分だい、チカ)』 最高。

  『Anch´Io, Da Tanto Che Aspettavo Un Momento Come Adesso.(私もさ、ずっと待ってたよ。 今みたいな瞬間が訪れるのを)』 何が始まるのだろうか。

  『Tra Un Po´ Comincia Stagione Da Noi. Per Cio, Avremo Bisogno di Aiuto.(間もなく、ここではシーズンが始まるから、助けが必要になる訳だ)』 つまり、どういうことかな。

  『Cio`e, Io Ti Propongo Che Tu Rimanga Con Noi Come Un Socio.(つまりだ、君が我々の仲間として、ここに残ることを提案しているわけだ)』 と、300、000リーレ(約2万4千円)をくれる。

  『Lo Sai? Io e Te, Saremmo Grandi. Potremmo Fare Tante Cose.(分かるかい、私と君、素晴らしいコンビだろうさ、色んなことが出来るよ)』 彼の頭の中に長いこと眠っていたらしい数々の今シーズンへ向けてのアイデアを語り出す。

  確かにそうかもしれない、それにもし、サンドラたちも同意見なら、きっと楽しいに違いない、どう思っているのだろうか。

  『A Voglia! Porca Miseria!(なんて事を言うんだ、ダメなはずがあろうか)』 と、すっかりトスカーナの放言を話だすと、僕を皆が片付けをしている最中の厨房に引っ張り、

  『Saresti Contenta Vero? Se Rimanesse Chika Con Noi! Sandra.(もし、チカが我々のもとに残れば、満足だよね、サンドラ)』 突然サンドラに大声で質問する。 あまりの唐突さにビックリのサンドラであったが、

  『Diamine! Si! Sarei Contentissima!(なんて事言うの、もし、そうなれば願ってもないことに決まってるわ)』 と、ロベルタと共に、何を今更、といった感じで賛成の意を示す。

  『Visto.Chika. Allora Da Questo Momento Sei Un Nostro Socio. Gia Parlato Con Claudio. Okey?(見ただろう、チカ。 今からきみは我々の仲間さ、クラウディオには既に話してあるから、いいね)』 と、ここのホテル長としての最終的そして決定的な一言。

  どう説明すればいいのだろうか、この時の揺れる気持ちを。 もし、仮に、この施設がただの"大衆食堂"であったならば、"ひとつのいい経験をした"と判断して消えていただろう。 何故なら、僕の目指していたものは"大衆食堂のシェフ"ではない、イタリアに自分の力を発揮しに来た訳ではなく、それを育てに来た。 そして、日本で見つけることの出来なかった、料理をすることの"楽しさ"に出会ってみたかったことと、この道に生きることに感じていた"疑問"をきれいさっぱり吹き飛ばし、その替わりに"自信"と溢れる"情熱"で満たしてみたかったからである。 実際、そのためにどうすべきかなんてこれっぽっちも分かっていなかったが、ここに残ることが良いことかは決めかねていたために、それまでパオロに"残りたい"と意思表示したことはなかったし、出来なかった。 ただ、不思議なことというより他にないが、1年後にイタリアNo,1との噂も高く偉大すぎる、かのF氏の伝説のレストランへの入門を許可された(実に、かなりの長期間をここに捧げることになり、僕にとってある意味では"運命"とも言える)時でさえ、この瞬間ほど嬉しくはなかった。『No』と言えようか、ここでの議題はレストランの質ではない。 素敵なママ・サンドラ、悪戯好きで妹みたいなロベルタ、少しばかり自分本意だが愉快なパパ・パオロ、アリーシェ、マリア、ガブリエラ、エルシリア等、我らがかわいい子供たち、そして・・・シルビア、つまり"生き方の質"の問題である。

  『Dai! Chika, Cosa C´e Da Pensare?(どうしたの、チカ。 何を考える必要があるって言うの)』 笑顔のサンドラ。

 彼女の言うとおりだ、考えてどうする。

  『Ohu! Chika, Coraggio! Non Ci Vuoi Bene?(チカ、勇気だして、私たちのこと嫌いなの)』 今度はロベルタ。

 そうさ、既に分かっていたはずだろう、チカ。 君はここにいたいのさ。

  『Dai! Chika(さあ、チカ)』


       『Piacere di Nuovo, Mi Chiamo"Chika"(あらためてはじめまして、僕の名は"チカ"です)』
 


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