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イタリアン・スタイルで行こう




 このコーナーは私の「イタリア体験」に関する個人的なお喋りが書き連ねられたエッセイです。時には「日常的な何気ない事柄」、またあるときは短編的な「料理修業体験記」、さらには「食材」や「可笑しな人物との出逢いのエピソード」などであったりする、「楽しい話題」を中心に展開されていきます。第一回にあたる前回だけは、プロローグとして、一人の「凄い男」との出逢いについて書かせて頂きましたので、興味がおありでしたらご覧になってみて下さい。



 第二話 働くマンメたち

 厨房で働くこと、それは重労働である。

 かのフランスと並び、世界で最も美しい食文化を持つことで有名なこの国「イタリア」。それだけに、「料理人」という仕事の重要度も高く、多くの若い世代が「スター・シェフ」を目指して、スコーラ・アルベルギエ―ラ(Scuola Alberghiera)というホテル学校を経て現場に辿り着くわけですが、やはり、ヨーロッパを代表する「観光国」であるだけあって、その需要の特に多い、4ツ星、5ツ星クラスの巨大ホテルへそのうちの大半は流れるものです。個人的には、「巨大ホテルの料理」というものが、「味よりも見かけに重点を置かれるパーティ料理」に映ってしまうために(あくまで”意見”です。攻撃ではありませんので聞き流して下さい。)、興味が薄く、実際に働いた経験もありません。とにかく、一流ホテルの厨房では、まさに帽子が歩いているかのような若造がうじゃうじゃ、黙々(といっても、イタリア人に”黙って仕事をする”事は出来ないので、これはそれぞれが自分の与えられた仕事のみをひたすら行っているという意味)と各々の義務を遂行しているものです。

 ところで、イタリアにおいて、ガイド・ブックにその名を連ねる「有名リストランテ」というもののほとんどは、「ド田舎」に位置しています。それ故に、「キャリア」を目指す外国人(といってもここ数年来は80%位が日本人ですが)が「研修先」に選ぶものは、人里はなれた人口100人程度(しかも、子供かお年寄り)の小さな村であったりして、要するに「寂しい」ところです。やはり、と言うか尚更と言うか、イタリア人の若者の多くは「寂しい」ところが大嫌いなのが常なのに加えて、田舎の有名リストランテには、研修層派遣制度の整った(つまり、タダ働きが”法的に”まかり通っている)ところが少ないので(中には、「40人の客に20人位の修行僧」が溢れているところもありますが)、ほとんどの場合は人材に苦しみ、「10人の客にひとりの料理人、又はそれ以下」というのが相場です。当然、仕事一つ一つの比重は高く、人間一人一人の消耗度も激しいもので、そんな環境では大抵、限られた人数で限界に近い量の仕事をこなさないといけないために「昼番、夜番体制」は存在せず、労働環境としては確実に「一流ホテル」のそれよりかは厳しくなります。
そして、世界各地からの修行僧の場合ですが、多くは突然現れては、3ヶ月位でまた突然と次なる修行先へと消えて行くので、お手伝い以上の仕事を任せるわけにはいきません。ですから、中核をしめる人物は「仕事として、生きるお金を稼ぐ為に割り切っている人」、つまり、よって、頭でっかちな若造よりも、「労働」として考えて働ける「地元のママさん」が主体となってきます。

 さて、ここで一般的な「イタリアの田舎のママさん」について、話をしてみましょう。イタリアの家庭というものは、「ママさん」抜きには語れません。当然、日本においても家族の世話に従事するのは一般的に「ママさん」ですが、その度合いが違います。なぜかと言うと、まず「イタリア」と言う国は「子供に異常なほど過保護」な国だと言う事を念頭に置かないといけません。「愛のムチ」だとか「愛する我が子を崖から突き落とす」といった感覚のかけらもないこの国。それに付け加え、「男性はグータラ」なのが国民性なので、尚更タチが悪いのです。

 ママさんたちは朝から市場へ出かけ、その日の食卓にのぼる材料の買い込みを全てひとりで済まし、いくつもの手鍋を火にかけては、生パスタを打ち始める・・・、そんな美味しい家庭料理が築き上げてきた「イタリアの古き良き伝統」は非常に微笑ましい美学に包まれ、幸せな家族生活の原点を成す大切な要素ですが、女性も働くこの現代、時々見てて可愛そうに見えることもあります。ママさんが買い物と調理にせわしく体を動かしている最中に、それぞれの「好き勝手な遊び」を終えた子供達(ちなみに20代、時には30代)の発する言葉は「むちゃくちゃお腹すいた」、そして、仕事のお昼休みに一杯引っ掛けてはくつろぐ旦那達は「まだかよー」と煽る。そんな中、食卓を整え、パンを切っては、チーズを摩り下ろし、そして絶え間ないおしゃべりに彩られ「2時間」に及ぶ食事においては、アンティパストからデザートまで、その度ごとに腰をあげては、「あれはヤダ、これは嫌い」とウソみたいにワガママな家族の要求をひとりで抱え込む。世代の交代と共に、ここイタリアでも数が減りつつあるとは言え、やはり「存在」するこの種のママさんたちの「機動力」というものは、本当に計り知れないパワーに溢れているものです。

 ここトスカーナという、そんな「伝統」が根強く残った大地において、沢山の「ママさん」たちと一緒に働き、多くの「スーパー・ママさん」と出逢いましたが、中でも「ガンベロ・ロッソ」時代の「ラウラ」だけは、きっと生涯忘れることが出来ないほど印象に残っているので、お話させて頂きます。

 さて、この「ラウラ」という、背の小さく、いつも前かがみで、絶えず、つんのめりそうに駆け抜けていく「歩く」ことを知らないおばさん。「ガンベロ・ロッソ」の開店(20年ほど前)とほぼ同時期にお皿洗いとして仕事につき、そのあまりの「速さ」にコックに昇格した人です。イタリアでは一般に「コック」は料理だけ作って後は終わり、な場合が多いのですが、少数精鋭主義であり、さらに「シェフの私だけがコックで、アトは皆ただのお手伝いだ」と断言するシェフの下では、そういう訳にはなかなかいかないもので、要するに、目に付く仕事はたとえ「皿洗い」でもこなしていた「ラウラ」。そういえば、僕がこの店にお邪魔した最初の年は、スペインからの研修生が来た7月までは僕と彼女とフルビオ(シェフ)の3人で、いつも走り回っていたのを覚えています。

 まず、この人、朝着いた時から既に帰ることを考えています。一見「やる気のない人」と勘違いされてしまいそうですが、そうではなく、「家庭の仕事」を山ほど抱えている為に、そのくらいの気持ちで働かないと、終わらない、つまり帰れないことを知っているからなのです。この店のシェフ、フルビオ・ピエランジェリーニ氏は、「自分の料理は自分で作る」、今時いない有名シェフで、「味」に関することは誰の手にも任せません。「人を信頼する」ということを知らず、5年働いたイタリア人のコックや、数年働いたフランス人のコックが、「味」に手を出そうとする度に「お前に俺の料理の何が分かる」とこき下ろしていた人です。でもこれが、おそらく彼をイタリア・ナンバー・ワンにまで押し上げた理由なのでしょう。彼の手は「魔法」です。決して、テクニック的に難しい訳ではないのですが、どんな状況下でも「間違わぬ集中力」はそれまでに見た料理人たちとは比較にもならないどころか、紛れもなく最高レベルのものです。それに付け加えて「究極の秘密主義」である彼に必要なのは、「やる気に満ち、その秘密を探り、そして料理を作りたがるコック」よりも「ただ、彼の指示のみを着実に果すお手伝い」であって、その点「ラウラ」は、彼の料理の「秘密」など、これっぽっちも気に掛けていなし、もし仮にその「秘密」を探り出しても、それをどこで実演するでしょう。そんな訳で、「数字によるレシピのあるもの」、つまりドルチェの生地やクリームなどを唯一知っているのは彼女だけで、その「レシピ」をお手伝いの人間に教える権限を持っていないために、全てが彼女の仕事になります。ですから、デザートの提供はお手伝いの人間が行うにしても、その仕込みの大半、「プティ・フール・セック」全てのベースや各種クリームなどなど、基本的に彼女がやらねばならぬことになります。まず、ランチの営業、各種ドルチェの仕込み、数々あるラビオリの仕上げ、そして時には魚の骨抜きすらしますし、挙句の果てには「お皿」までも洗います。そんな「ただの一時たりとも」じっとしていない彼女の状況が分かって頂けたかと思いますが、とにかく、並大抵のコックなら、日が暮れても終えられぬ仕事の量です。それでも、彼女は終わらせます。何故かって?ディナーの営業前にたとえ一瞬でも家に帰って、子供達の料理を作らないといけないからです。そう言えば、よく彼女に僕はこう言っていたことを覚えていました。

 「10代じゃあるまいし、ほっとけば自分達で何か作るさ。」 少なくとも、それくらいは容認されても良いはずです。でも彼女は、いつもこう言い返していました。

 「私が作りたいのよ。お手製のラビオリを食べさせてあげるのよ。」 全く、なんて素晴らしい。頭が下がるどころか呆れてすらしまいます。おそらく、家では家族全員が食卓すら整えず、彼女の帰りを待ちわびているのでしょう。

 ただ、彼女のように、「言われた事だけをする人間」には欠点があって、それは何かというと、「考えない」ことと、「言われてないことはしない(出来ない)」こと、そして「秘密を盗まぬように教えられた」せいによる調理過程への無関心さです。当然、いつも誰かが「勝手な判断」によりシェフの許可を得ることなく間違いを犯した時に、「・・・だと思って・・・」との言い訳に対し、「考えるな、そんな頭ないんだから」とか、又は、何者かが「言われていない事」をした時に「誰がそれをやれと言った」と暴言を吐き散らしてきたシェフのせいもあります。だけど、時と場合によりけりです。何も、シェフが火の上に忘れたソースが目の前で黒焦げになっているのに「自分の仕事ではない」と見逃す事もないし、調理過程がの終了しているかいないかぐらいかは、よく考えれば分かるはずです。
 
 でも、面白いものですよ、例えば、20年間まったく変わらぬ「ある仕込み」があり、それは、煮上げたタマネギに塩、コショウ、そしてアレとコレを入れて沸かせたらおしまいという物だとしましょう。シェフが調理を終えたか終えていないかは「色と煮詰まり具合」で分かるものです。うちのシェフには調理の終えたものをそのままガス代の脇にほって置く癖があって、時々調理の終えていないものも、同じようにほって置くものですから、一見「調理済みか否か」の判断がつかないのも確かです。

 「チカ、コレ終わってる?」 ラウラが僕に聞いてきます。始めのころは冗談かと思ってさえいました。何も自分がやらなくて良い仕事とは言え、20年毎日見続けてきたものに対し、これほど無頓着になれるはずがないからです。

 「チカ、コレ終わってる?」 ・・・・。結局、3年間というもの、毎日のように同じ質問をされていました。

 「・・・・当然。」 僕もお約束のようにこう答えていました。

 「ガンベロ・ロッソ」では、”リチャード・ジノッリ”の定番の白皿の他にも、数種の色皿が数セットずつほどあります。基本的にアンティパストはこのお皿、プリモ・ピアットにはあのお皿、という具合に決まっているのですが、お客の注文次第によってはその規則が崩れてきます。ひとつのテーブルに2度同じ色のお皿を提供しないことも原則にあって、それぞれの色皿が十数枚しかないために、誰がどのお皿で何を食べたかということまでを知る必要があるのに加えて、時々「8、9種の料理」を食べるテーブルもあったりするので、これだけでも「考えない」で仕事をする人達には大変なことです。サービス全般の流れを説明すると、アンティパストは基本的にラウラ、プリモは僕、セコンドはそれぞれがその料理を担当し、そこにいくつかの「シェフが作らなければいけない料理」が入り混じるわけですが、要するに、ひとつのテーブルがアンティパストの一品とプリモの一品を注文する際には、僕のラウラで同時に料理を同じお皿で提供することになります。「子鳩のカッペッレッティ」という、10年以上は存在するプリモ・ピアットがあって、平皿で提供されるのですが、彼女にはどうしても「子鳩のカッペッレッティ」は「平皿」ということが覚えきれないみたいで、毎度毎度、どんなに忙しい時でも、

 「チカ、深皿だったっけ?」 と聞いてきます。やっぱりコレも当初は冗談かと思っていました。
 「チカ、深皿だったっけ?」 そうだって、昨日も同じ質問したの覚えていないの?
 「チカ、深皿だったっけ?」 絶対、わざとしてるでしょ、その質問。
 「チカ、深皿だったっけ?」 ・・・・・・・・・・・・・・・。結局、3年、いや10年掛かっても覚えきれないみたいです。

 他にも面白かったのは、「ラヴィオリ」の仕込み。その仕上げは彼女の担当で、その詰め物は僕かシェフが、大抵の場合はランチの営業終了後に仕込むために、その「生パスタ作業」は夜の営業寸前の夕暮れに行われる場合が多数です。要するに彼女にとっては、一番追われている時間帯、つまり家に帰れるか帰れないかの瀬戸際の大仕事です。一方、全ての仕込みのスケジュールや大まかな来客数を予定してのその量などを管理している僕は、例えば、20本あるズッキーニを今夜の営業に欠かさないために、10本使用して、7人分の詰め物を用意し、あまりは他の料理用に残すように計算したとします。さて、詰め物を仕込みました。くどいようですが「7人分」です。僕が他の仕込みにせわしくする中、やはり慌てふためいているラウラの様子を伺ってみると、なんと、ラビオリがいつもより大きい。・・・・ラウラ、何人分出来た?

 「5人分だけど。」 ・・・だろうね、こんなに大きいラビオリを作ったら。どうやら、よほど家に帰りたかったらしい。やれやれ・・・。

 今現在、僕の手伝いをしているおばさん二人もかなりのものです。パーティー料理の際に人数分のお皿を広げるように指示して、僕の5倍の時間をかけながらも、ただの一度も正しい数を用意した試しがないし、ふたつの仕事は絶対に同時には出来ない。たった、6種類しかないデザートのどれに粉砂糖が掛かるか、永久に覚えれないだろうし、前日教えた基本的な仕事を再び翌日繰り返し教えなければいけないことにも慣れました。一番最近のヒットだったのが、「このサラダはひとつまみだけをお皿の真ん中に乗せるんだよ」と、わざわざ見せながら教えても、5つ目の皿位からサラダが何故か端っこに、そしてこんもりと盛られていたこと。どうやら、既に指示を忘れているらしい。まったく・・・。


 厨房で働くこと、それは重労働である。但し、こと「イタリア」の場合、時々楽しくも、頭の痛いものでもあります。


                                      2001年7月12日     土居 昇用

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