光のように

写真: イングリッシュ・セター サリー、1歳2ヶ月

1

 宮崎に来た次の日は日曜日だった。昨日の曇り空はどこへやら、カーテンの向こうにはすごく眩しいお日様と、とっても高いお空があったの。こんな高い空を見るの、生まれて初めてだったわ。人間はこういうのを「抜けるような青空」なんて言うのかしらね。
 さっそくハーネスをつけて出かける。大通りから、細い裏道に入ってどんどん歩いていると、ママの知り合いらしい人に会った。
 「あ、とうとうワンちゃんが来たんだねぇ。いい犬だこと!」
その人はにこにこして言った。
 「そうでしょ?もう、私のパートナーに他の犬なんて考えられないくらい!」
 「へぇ!もう親ばかになっちゃってるんだ?とにかく良かった良かった。私あなたのお母さんの友達よ。よろしくね。」
 その人は私にも挨拶をして、どこかへ歩いて行ってしまった。
 ママはそのまま歩き続けて、しばらくすると、道路の右側の建物へ入るように言った。そこは教会っていう所だったわ。
 「いらっしゃ〜い、ノエルちゃん。」
たくさんの人が私を出迎えてくれる。
 そこでは牧師先生という人が聖書のお話をしてた。皆はそれを聞いたり、讃美歌っていう歌を歌ったりしてたわ。この集まりは、礼拝っていうものなんだって、私は何日も後になって分かったんだ。
 牧師先生はご夫婦だった。奥さんのほうの牧師先生が、私の頭を撫でて言った。
 「ノエルか、ほんとにいい名前だねぇ!」
 ノエルという名前を教えられたとき、そういえばママもすごく感激してたんだけど、その訳は、教会に行くようになってやっと分かったの。実はノエルっていうのは、フランス語でクリスマスのことなんだ。クリスマスって、日本の人たちはたいてい、デートをしたりパーティーをしたり、プレゼントをもらったりする日だと思ってるみたいなんだけど、本当は、イエス・キリストという方のお誕生日なんだって。教会は、この方をとっても大切に思っている人たちの集まりなんだね。もちろんママもその一人。
 「イエス様はね、人間を罪から救うために来られた方なの。暗い人間世界に、光となってくださった方なのよ。」
いつかママがそんなことを言ったことがある。
 「ノエちゃんも私の光だもんね。ほんとにいい名前だね!」
そうか!私は、目の不自由な人を助けるために生まれてきたんだもの。確かに「光」だわ。ノエルって、ほんとに良い名前なんだなぁ。
 教会の皆はすごく私に優しかったから、私はすぐにその集まりが大好きになっちゃった。今だって、ママが
 「教会へ行こう。」
って言ったら、もういても立ってもいられないほどなのよ。

2

 礼拝の後は、ママと二人でバスに乗った。東京にいたときと同じつもりで、バスの前のほうのドアから乗り込もうとしたら、ママがあわてて止めた。
 「あっ、ここでは後ろから乗るのよ。」
 (あらら、バスの乗り方も違うのか、びっくりだな。)
びっくりといえば、昨日から、出会う人皆がおかしなしゃべり方するのには驚いたわ。ママまでが、東京にいたときとは違う人みたいなしゃべり方するのよ。宮崎弁っていうんだって。
 「おりこうさんな犬やねぇ。何年ぐらい一緒に生活してなさると?」
 バスの中で、知らないおばさんが話しかけてきた。ママが、昨日訓練から連れて帰ってきたばかりだと言ったら、その人は目をまぁるくして驚いてたわ。
 (ふふふ、当然だわ、だって私もうプロなんだもの。)
 バスを降りると、私たちは左へ曲がって坂道を上り始めた。すごく長くて急な坂で、しばらく歩くとママが少し苦しそうになった。
 「ちょっとゆっくり行こう。私、あんまりこういうの得意じゃないんだ、ごめんね。」
 (そうか、ママって案外強くないのかな?)
 私は元気ピンピンだったけど、ママに合わせてゆっくり歩いてあげることにした。だんだん上へ行くにつれて、なんだか高い空の中まで上っていきそうな気持ちになる。
 ようやくてっぺんにたどり着いて、右手の古い家の門を入ると、昨日空港に迎えにきてくれたおばあちゃんが玄関で待っていた。私はママに足を拭いてもらって、ハーネスもはずして家の中へ入った。
 家はすごく日本的な作りになってて、お部屋は畳ばりだった。でもなぜかその畳の部屋には似合わないダイニングテーブルが置かれている。そして、そのテーブルに向かって椅子に座っている男の人がいた。
 「おお、来たねぇ。じいちゃんだよ。なんて名前だったかねぇ?」
全身から喜びを溢れさせて私に話しかけてきたその人が、ママのお父さん、つまり私のおじいちゃんだった。
 「よしよし。ほ〜、お目目が大きいねぇ。可愛いねぇ。」
頭をいい子いい子しながら目を細めているおじいちゃん。ママも私を自由におじいちゃんのほうへ行かせてくれたので、嬉しくなって思わずその膝に手をかけようとした。
 (あれっ?)
するりと手が滑った。おかしい。
 「じいちゃんの足、ここまでしかないとよ。」
ほんとだ。おじいちゃんの足は、膝までしかない。それに、良く見たら、おじいちゃんが座っているのは車椅子だったわ。こんな和室にダイニングテーブルが置いてあるわけが、やっと分かった。
 「ちょっとノエルに庭とか見せてくるから」
そう言ってママは、私にリードだけをつけて外へ連れ出した。

3

写真: ポインターのベル、生後6ヶ月

 おじいちゃんとおばあちゃんのお家の庭には、たくさんの木や花があった。でも、ところどころに、土を掘ったような跡も見える。
 「これはね、サリーたちが掘ったんだよ。ここにいたワンちゃんなんだけどさ。」
 ママがそんなことを言いながら裏庭へ回り込むと、なるほどそこには空っぽの犬小屋があった。フードを入れるお皿が二つ、まるでそこの住人の帰りを待っているみたいに、そのままになっている。興味をそそられて犬小屋の臭いをくんくんしてみると、微かに誰かの臭いがした。ワンちゃんは2頭いたらしい。
 「サリーちゃんとベルちゃん、どうしてるかなぁ?」
ママがなんだか少しさびしそうな顔をして呟いた。実は、ママの家族には、とても悲しい出来事があったんだ。
 おじいちゃんは昔から、猟犬を訓練するのが上手で、よく犬たちを連れて野山を駆け回っていた。だからママは生まれたときから、犬たちと一緒の生活をしてきたんだ。私が初めてママに会ったとき、すごく犬をよく知ってる人みたいだなって感じたのはそのためだったんだね。
 この家に最後に飼われていた犬がサリーとベルだった。私がやってくる、つい半年前までここで暮らしていたんだって。
 それよりさらに2ヶ月前、つまり1997年の2月なんだけど、突然おじいちゃんが倒れた。心筋梗塞っていう病気で、しかも重症だった。大手術をしなければ命が助からないほどにね。
 でも手術はうまく行ったんだ。ママも家族の皆もすごくすごく喜んだ。すぐにおじいちゃんがもとの元気を取り戻して、またサリーたちと駆け回るときが来るって、誰もが信じていたんだわ。
 なのに、その日はついにやってこなかった。せっかく心臓にちゃんと血液が回るようになったのに、今度は足に血液が回らなくなったんだ。血液が行かなければ、足はだんだん死んでしまうわ。お医者さんがどんなに手を尽くしても、おじいちゃんの足は元に戻らなかった。おじいちゃんが助かるためには、二つの足をあきらめるしかなかったんだ。そう、足を切ってしまうしか…
 おじいちゃんは足を失って、犬たちと再び野山を駆け回る夢も失ってしまったわ。おばあちゃんでは、元気の塊みたいなサリーとベルの面倒を見続けることはできなかった。ついに4月のある日、2頭の新しい飼い主が決まって、トラックで迎えにきたんだ。大好きなおじいちゃんにも会えないままに、2頭は行ってしまったんだわ。
 「だから、じいちゃんはノエちゃんのことすごく待ってたんだよ。じいちゃんの力になってやってね。」
ママがそっと私に言った。おじいちゃんはそのときまだ病院にいて、1日も早く家に帰ろうと、リハビリをがんばっていたんだ。訓練を受けに行ってたママが私を連れて帰ってくるというので、その週末は外泊願いを出して帰ってきてたんだ。
 「ノエちゃんが来てくれたんだもの、これからは私たち家族にも楽しいことがあるよね。だってノエちゃんは私たちの光なんだからさ。」
 そうなんだ。私は本当に、ママやママの家族にとって光なんだ!それは、目の悪い主人の支えになるってこと以上の意味があったんだ!
 「ノエちゃん、ほんとに家の子になってくれてありがとうね。」
ママは一瞬私をぎゅっと抱きしめてから、
 「さぁ行こう」
と、リードを握って立ち上がった。


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