新学期の大事件
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1998年のお正月、ようやくママの家族が全員そろった。そう、年末におじいちゃんが退院してきたのよ。10ヶ月近くも入院していたことになる。「あけましておめでとう。昨年はいろいろお世話になりました。今年はいい年になりますように。」 おじいちゃんがそう言って、皆に杯をわたした。ママたちも 「今年もよろしくお願いします」 とか言って杯をいただいている。これがママの家族のお正月の儀式らしい。私は何か不思議なものを見るような気持ちだったわ。 「今日はお祝いなんだからノエルにもお刺身やれよ。」 突然おじいちゃんが言い出した。ママも意外にあっさりと、 「うん、そうだね。お醤油つけなければ大丈夫だよね。」 と言って、私の食器にお刺身っていうものを入れてくれたの。 ドッグフード以外の食べ物なんてめったに食べたことのない私は、わくわくして、大喜びでかじってみたんだけど、なんだかがっかりしたわ。ちっとも美味しくないんだもの。私、生のお魚っていやだな。あれは猫さんが食べるものだわ。 私がお刺身を迷惑そうに鼻で向こうへ押しやったので、ママもおじいちゃんもがっかりしていた。 親戚の人が来たり、ママのお友達が来たりして、お正月は楽しく過ぎていったの。ママの妹のはるちゃんはお店に勤めているから、元日の午後にはもう出勤だったけど、ママは年末から1週間くらいもお休みが続いたのよ。私、もう二度と学校へは戻らなくていいのかと思ったくらいだわ。 でも残念ながら、やっぱり学校へ戻るときがやってきた。また更衣室で待たされるばかりの毎日なんて、考えると憂鬱になったわ。 でもね、私忘れてなかったのよ、フォローアップのときのこと。ママだって好きで私を待たせてるんじゃないものね。いつだって私のこと心配してくれて、時間ができたらすぐに来てくれるんだものね。だから私学校に戻っても前みたいにハウスでバタバタしたり、そこらにおいてあるものを齧ったりはしなかったの。 学校に戻って三日目に、アイメイト協会のTさんから電話がかかってきた。Tさんもやっぱり私がまた悪い子になってないか心配したんだわ。 「ええ、うまくいってます。ありがとうございます。はい、いい子にしてます。」 ママが電話に向かって嬉しそうに答えていた。 2
生徒たちが学校に帰ってきて、新学期が始まった。年が変わっても、学校はほんとになんにも変わらない。このままずっとずっと同じような毎日が続くのかなと思ってたんだ。ところが、新学期が始まって十日もしないうちに、突然すごいことが起きたのよ。なんと、私更衣室から出られることになったの! 改修工事をやっていた校舎が完成して、狭いところに押し込められてた人や物が、新しい教室に入るんだって言ってた。ママは2階にあるテープライブラリーというお部屋の責任者だったから、私も一緒にそのお部屋にお引越しすることになったんだ。学校中どこへでも自由に行けるってことにならなくてちょっと残念だけど、男の先生が着替えをする場所に1日一人でいるよりはずっといいわ。 テープライブラリーというのは、目の不自由な生徒たちのために、テープやCDに録音された図書がおいてあるところ。だから休み時間なんかには、生徒たちもやってくるの。 教室移動作業の日、ママは私をリードだけで引いて、階段を上がっていった。ちょうどさっきまでいた更衣室の真上くらいにあたる部屋に入ると、窓際の机の傍に私のハウスを作ってくれた。ちっちゃなカーペットも敷いてくれたし、お日様ポカポカで、お昼ねには最高の場所だったわ。 その日から、ママは授業のない時間を私と一緒にライブラリーで過ごした。昼休みには生徒たちも来て声をかけてくれた。私が一人になるのは、ママが授業に行くときだけ。どこにでも出入りできるようになった今はうそみたいな話だけど、そのときは本当に、夢じゃないかって思うくらい嬉しかったのよ。 3 新しいお部屋での生活は、本当に良かった。机に向かってお仕事をしているママの足元でお日様の光を受けながらうとうとしているのって最高なんだから。テープを借りにきた生徒は、必ず私に挨拶してくれて、遊んでるうちにチャイムが鳴ったりして、結局テープは持たずに帰っていくなんてこともあったわ。 その事件は、ライブラリーに移ってからちょうど1週間目に起こったの。 窓の外は雨。おまけにママは忙しいのか、ほとんどお部屋に帰ってこなかった。お昼過ぎに、ちらりと帰ってきたけど 「ノエちゃん、いい子にしている?ステイしててね。お仕事だからね。」 なんて言い残して、またバタバタと走ってどこかえ行ってしまった。1時間、2時間。午後の時間が驚くべきスローテンポで過ぎる。1ヶ月前ならそれがあたりまえだったのに、一旦ママとかなりの時間一緒に過ごす生活に慣れてしまうと、なんだか耐え難い。しかも、こんな長時間のステイは、この部屋では初めてだった。 (ああ、つまんないよ〜。ママ何してんのよ〜?) だんだん気持ちがソワソワしてきた。 (ママ、ほんとに帰ってくるのかしら?) 信じていたはずなのに、心がゆらゆらと頼りなくなってくる。ちょっと声を出してみた。 「ひ、ひ〜〜ん」 自分で出した声だけど、すごくさびしく、誰もいない廊下に響くので、ますます機が滅入ってきた。ぐるりと見回すと、ちょうど私のハウスの後ろに、古ぼけた戸棚が、こちらに背中を向けておいてあった。板が剥がれかけている。 (齧ってやろう。) 久しぶりの衝動に駆られて、私はその剥がれかけた板の端を咥えてちから任せに引っ張った。バリッ!と音がして、簡単に板が取れた。 (粉々に噛み砕いてやる。ママが私をほったらかしにするからいけないんだわ!) あのフォローアップのときの熱い気持ちはどこへやら、一旦始めるともう止まらない。今度はつくえのほうを見てみた。つくえの物入れからママの折り畳み傘がのぞいていた。垂れ下がっている持ち手のストラップを咥えて引っ張り出して分解し始めた。傘はなかなか分解できなかった。木製の持ち手がけっこう噛み心地いいので、ゴリゴリ齧っていると、やがて砕けて傘からとれたので、これは私が食べてしまった。持ち手のなくなった傘をさらに弄び、生地を引き裂いたりしていたら、だんだん気分が悪くなってきた。私は傘を投げ出してハウスに横になった。 (ママ、何をしてるの?さびしいよ…) ママはそれから30分もしたころ、やたら疲れた様子で戻ってきた。 「ごめんね、ずっと一人にして」 そう言ってこちらに近づいてくる。私は気分が悪いのも忘れて、さっと顔を上げて、せいいっぱい尻尾を振った。すると次の瞬間。お腹の中で何かが暴れだしたの。むかむかと吐き気がこみ上げてきて、私はハウスのカーペットに戻してしまった。 ママは一瞬何が起きたのか理解できないみたいだった。 「ノエ!ノエちゃん、どうしたの?」 ぐったりしている私。ママが恐る恐るカーペットの上を触って 「あ!」 と叫んだ。 「ノエちゃん、何を食べたの?大丈夫?」 私が戻したものの中には、粉々になった戸棚の板のくずがいっぱい混じっていたのよ。それからママはハウスの周りを調べて、無残な姿の折りたたみ傘を発見して、またまた悲鳴をあげたの。でも、私を叱らなかった。どんなに叱られてもしかたないと覚悟していたのに。 「ごめんね!ごめんね!あんまり長いこと一人にしたからだよね。途中で帰ってきたときも、ほとんどかまってあげなくて、他の人もいないし、心配になったんでしょ?ごめん!」 ママは本当に後悔しているみたいだった。 4
その日の夕方、ママは私を病院に連れていった。私がナイロンや金属まで飲み込んでいたらたいへんなことになると心配したからだわ。私が傘をダメにしたので、ママは雨の中で濡れながらバスを待っていた。私だけがレインコートを着ている。 (ああ、ほんと悪いことしちゃったなぁ。) 「あの、これよかったら使ってください。」 通りがかりの知らない人が、車の窓から傘を差し出した。 「え?でも…」 「いいんです、差し上げますから。それとも車にお乗せしましょうか?」 さすがにまったく知らない人の車に乗せてもらうのはちょっと心配。それで傘をありがたくいただいていくことにした。ほんとに、こんな親切な方もいるのね! 病院に行くと、ママが私のやったことを先生に話したので、先生がびっくりして 「ほぉ、ノエルちゃん、やってくれたねぇ」 と言いながら、私のお腹のレントゲンを撮る準備を始めた。バリウムっていう、どろりとして、ちっとも美味しくないものを飲まされて、10分おきに5枚撮影した。 「胃の中に木片みたいなのがありますねぇ。これはしばらくしたらお尻から出てくるでしょう。ナイロンや金属はないみたいです。ナイロンのくずくらいはあるかも知れないけど、それくらいは問題ないですよ。」 ママがようやくほっとした顔になった。 レントゲン代は8500円だった。それから、木片などが胃腸の壁を傷つけないようにってことで、その日のご飯はミルクに浸した食パンだったの。すごく美味しかったわ。あんまり美味しかったので、うれしくてママの膝に頭からつっこんでじゃれ付いた。 「まったく。悪いことして、余計なお金使わせて、そのうえ好物を食べさせてもらったなんて、何て子なんでしょう!この、悪いノエルめっ!」 ママは怒ってわたしの体を押さえつけるようなしぐさをしながら、いつのまにか力いっぱい抱きしめてくれていた。 次へ 「ノエルの足跡」のトップへ トップページへ |