フォローアップ


写真: サンタクロースの帽子を頭にのっけたノエル
1

 ママと暮らす毎日はすごくいろんなことがあって楽しい。
 初めての旅行は1泊で熊本へ言ったの。と言ってもそれはママが研修会に参加するための旅行だったから、私はずっとママの足元でダウン(伏せ してるだけだったんだけど。でも私が皆の会議の邪魔をしないで大人しく待っていたから、他の参加者たちは、すごい犬だねってびっくりしたのよ。
 旅行の次の週末には、ママのところにお客様が来たの。東京の大学生で、名前は美智子さん。私も美智子さんのことはよく憶えてたわ。訓練のとき、大学の研究のために私たちのことを取材に来ていたんだもの。卒業して2ヶ月、私とママがどんな風に暮らしているか見たくて、はるばる宮崎までやってきたみたい。
 アパートの真ん前の停留所に止ったバスから美智子さんが降りてきたときは驚いたわ。本当にそれが美智子さんだって分かったとき、私嬉しさのあまりピョンピョン跳ねたの。そうしたら美智子さんも驚いて
 「わぁ!ノエルちゃん変わりましたねえ。こんなに感情をストレートに表現するなんて!」
って言った。いつも喜び方が大げさ過ぎるってママにも言われるんだけど、どうにも止められないんだよね。
 それから海も見にいったのよ。大きくて、ちょっと怖かった。だって、生まれて初めて見たんだもの。
 12月が来て、街がクリスマスツリーやイルミネーションでいっぱいになった。道を歩いてる人もなんだかうきうきしてるみたい。商店街のスピーカーからキャロルが流れる。
 「ノエル、ノエル」
 確かにそう歌ってた。
 「皆がノエちゃんのこと呼んでくれてるみたいだねぇ」
 ママも嬉しそうだった。そうか、私の名前って、クリスマスという意味だったものね。なんか変な気分。

2

 いろいろなところへ出かけたり、楽しい経験をしたり、私はママのパートナーになれて本当に良かったと思うわ。だけど、たった一つだけ、私がどうしても克服できない問題があったの。たった一つといっても、毎日のことだからママもすごく悩んでいたみたい。
 その問題っていうのは、もちろん学校での私の生活のこと。9月の終わりに宮崎に来て、もうすぐ1997年も終わろうとしているのに、状況はまったく変わらなかった。私は相変わらず1日中男子更衣室でステイをしていたわ。
 暖かい宮崎でも、さすがに12月ともなれば冬がやってくる。寒がりのママには、昼休みのお散歩は辛いみたいだった。しかたがないので、日の当たる渡り廊下で遊んでみたりする。小学生や中学生の子供たちが周りに集まってきた。皆私のこと、すごく可愛がってくれたから、私もすぐに皆が好きになった。だけど、楽しい時間が増えれば増えるだけ、一人でステイをするときの寂しさも大きく、耐え難くなってきちゃったんだ。更衣室を使った人がドアを開けっぱなしで去っていく。開いたままのドアから、いろいろな人がこちらを覗き込んでいった。人が来るたびにママかも知れないと思って顔を上げては、人違いにがっかりしてよけいさびしくなる。しまいにはストレスで、お腹の中のフードを全部戻したりしたわ。
 1ヶ月、2ヶ月と経つうちに、そのストレスは限界に近くなった。いやなことや、悲しいことがあると何でもいいから齧りたくなる私の悪いくせが、私の中でムクムクと首を擡げてきて、ついに暴れだした。
 私がステイをしている場所からすぐのところに机があった。その上にときどき紙袋や書類を置き去りにしていく先生がいたので、私はまずそういうものを齧ったの。
 そのうち皆私に齧られないように、机にものを残していかなくなったわ。だから今度は自分のハウスに強いてあるマットやバスタオルを引き裂いたんだ。せっかくママが、私に寒い思いをさせないようにって敷いてくれたのに、ほんと悪いことしちゃったわ。
 机の傍に、引き戸のついた戸棚があった。私はその戸棚も口でこじ開けて、中の書類を引っ張り出してビリビリ破いたの。その書類は、学校の大切なファイルだったのに。だからママはすごく、その書類を管理する係りの先生に謝らなくちゃならなかった。本当にいけない子だったわ、私って。
 私が戸棚を開けないように、ママが戸棚のドアをガムテープでふさいでしまうと、ついに私の周りには齧るものがなんにも無くなった。いよいよストレスのはけ口が見つからなくなって、私はママが更衣室から去ってしまうと声をあげて鳴くようになったの。そうすると誰かが来て
 「おお、よしよし。いい子だから待っててねぇ」
とか言ってくれるからね。ときにはママが聞きつけて「静かにしなさい」って言うこともあったけど、とにかくママが来てくれただけで嬉しかったんだ。

3

 12月も終わりに近いある日、突然家のチャイムがピンポンと鳴った。私はお客様が大好きだから、張り切ってお出迎えしようと、ハウスで耳を澄ましてたの。
 「おじゃましま〜す」
と入ってきたその人を見て、思わず目が点になったわ。だって、私の目の前に現れたのは、アイメイト協会のT指導員だったんだもの!
 訳が分からないまま、私はハーネスをつけられて外に出た。二人は私に次から次へと不思議なことをやらせた。歩道の、とても気が散りそうなところで服従訓練をしたかと思えば、しばらく歩いて、今度はいきなり「ステイ」って歩道上に置き去りにされる。通りかかる人たちがときどき私を撫でたり何か話し掛けたりしていったけど、私は完璧に無視を決め込んで、びくとも動かなかった。ステイが得意なわけじゃない。でも誰だってあんなところにおいてかれたら、不安で固まって、動かずにいると思うわ。そんな私の気持ちも知らず、20分くらいしてから二人が戻ってきた。
 「ちゃんと待てるじゃないか。正直言ってもっとハチャメチャになってるのかと思ってたよ」
 Tさんが言った。何てことを言うのかしら、失礼しちゃうわね。
 「そうなんです。こういうところでなら大丈夫なんですよ。ただ周りに物があると、もうダメなんですよねぇ。」
 ママが応えた。  (ははぁ、分かったわ。ママったら、私が学校にいるときに、ステイが苦手で、すぐに近くのものを齧り壊したりするから困って協会にフォローアップをお願いしたのね。ってことは、ここで私がへまをすれば、それみろとばかり叱られるんだわね。その手には乗りませんよ〜だ。)
 その次に連れていかれたところは、家から車で5分くらいの文化公園だった。美術館、図書館、県立芸術劇場に囲まれた公園内には芝生があって、お天気がいい日には皆がそこでピクニックしたりするみたい。中にはとてもマナーの悪い人がいるらしく、自分の食べたお弁当の容器なんかをほったらかして行ってしまうんだわ。そんなものがいっぱい散らかっていれば、私にはもちろんすごく誘惑になる。だって、お弁当の容器って、それはそれはいい匂いがするんだもの。Tさんとママは、公園でも一番たくさんお弁当のごみが落ちていそうな場所を選ぶと、私に「ステイ」と言い残してどこかへ行ってしまった。
 10分。20分。心細さと、魅力的な匂いに囲まれて、私はじっと待っていたわ。30分もしたころ、やっと二人が戻ってきた。
 「やるなぁ。彼女、ちゃんと分かってるんだよ、僕たちが試してるって。」
 Tさんが言った。きちんと待てたのでママがいい子いい子してくれて、訓練は終わりになった。
 (ああよかった!ぼろを出さずにうまくやれたわ。)
ほっとして、ふ〜〜っとため息が出た。

4

 ステイの訓練はもう終わりだと思っていたのに、なんと翌日も続きがあったの。しかも、前の日は試されてることちゃんと見抜いた私だったのに、その日はまんまと二人の作戦にはまっちゃったのよ。
 午後1時頃、電話がかかってきたかと思ったら、突然ママが学校へ行くよと言い出した。その日は休みをとってたはずなのに。
 学校へ着くと、さっそく、私はいつもの更衣室にステイさせられた。冬休みに入っっているので生徒が来ていないし、先生もお休みをとっているのか、ちらほらとしかいないみたい。それでママがドアを閉めて行ってしまうと急にしーんとしてとてもさびしくていやな感じになった。しばらくは黙ってうずくまっていたのだけれど、5分もしないうちに我慢ができなくなっちゃった。私は立ち上がって全身をブルブルと揺らしてから、ハウスにママが敷いてくれたタオルを咥えて振り回した。ますますせつなくなる。少し声を出してみた。そしてタオルを力まかせにビリッと引き裂いた。鳴いてはビリッ、鳴いてはビリッ…。だんだんタオルをちぎることに没頭していく。かなりのめり込んできたころ、突然ドアが開いて
 「ノー!
」  (あれあれ、どうしてばれちゃったのかな?どこかで聞いていたのかな?きっと、たまたまここの前を通りかかって、私がビリビリやってる音を聞いたんだわ。)
 ママはしばらく一緒にいて私と遊んでくれた後、また「ステイ」と言ってどこかへ行ってしまった。
 再び耐えがたい静寂。
 (こんなの、もういやだ!!)
 今度はママの足音が聞こえなくなるとすぐ行動開始。ブルルと身体を揺らしてから周りを見回すと、都合よくつくえの上にビニール袋があったので、それを引っ張り下ろして引きちぎった。
 「ノー!」
 いきなりすごい衝撃。いや、衝撃というより大音響か?ママがスリッパを手に立っていた。大きな音の正体はそのスリッパだったんだ。私はママを見上げた。
 (何かおかしい。さっきも今も、すごいタイミングで悪戯を見つかって叱られてしまったわ。やっぱりママはどこかで私を見張ってるのかも。)
 「ノエちゃん!いい子にしないとだめでしょ!」
 そう言っている厳しい声とはうらはらに、とても悲しそうな顔をしている。今にも涙がぽろりとこぼれるんじゃないかと思うような表情。それを私に知られまいとするように、まるで逃げるみたいに、ママはまたもや「ステイ」と言って出ていった。
 (おや?ママが出ていくとき、ほんのかすかに別な人の匂いがしたような…)
 私は一人になってからも、しばらくじっとしていた。静かな校舎。
 隣の部屋から、ボソボソと人の話し声が聞こえた。一人はママだママは泣いているみたいだった。そしてもう一人は、Tさんだ!やっぱりTさんが来てたんだ!
 「元気出してよ、AMIさん。ノエルに対してそのくらい優しい気持ちがあれば大丈夫だよ。」
 私は耳をすましたまま、身動きもせずに待っていた。10分ほどしてママが戻ってきた。もとの位置に伏せている私と、きれいなままのハウスを確かめたママの顔が輝いた。
 「グッド!!グッド!!すごい、良い子だったねぇ!」
 そして私の首に腕を回して頬擦りをする。私も夢中でママに身体を押し付けて尻尾を振り回し、ママの顔をペロペロした。
 (ママ!私分かったよ、。さびしかったのは、辛かったのは私だけじゃないんだって。)
 「さぁ、帰ろうか?」
 ママが言ったのでうれしさのあまりハーネスの輪の中に自分から飛び込んだ。
 外には車が止まってた。ママは何も言わなかったけど、私はどんどんその車のドアへとママを誘導していった。
 「やっぱりノエルにはちゃんと分かってるんだよな。」
 中からTさんが笑って言った。
もちろんよ。私には何でも分かるわ。私に訓練だってばれないように、Tさんが隠れてママに指示を出してたことなんか、ちゃんと知ってるわ。でも赦してあげたの。だって私嬉しかったんだもの。ママが本当にわたしを大切に思ってくれているってこと、私がさびしい思いをしてるときにママも一緒に苦しんでいてくれたんだってことを知ったから。


「ノエルの足跡」のトップへ

次へ
トップページへ