その日の手芸部は、いつになく神妙な面持ちで始まった。


友晴「みんな、ちょっと聞いてくれ。」


3人は、一斉に視線を友晴に向ける。


友晴「実は・・・いままでみんなに黙ってたことがあるんだ。」

熾亜「黙ってたこと?」

ミカ「なんでしょうか?」

友晴「実は俺、ある病気にかかってるんだ。」

美央「病気?」

友晴「そう。原因不明の病気。」

熾亜「どんな病気・・・?」

友晴「正確な病名はないけど、医者が言うには・・・”突発性断片記憶欠落症”」

ミカ「それは・・・?」

友晴「言葉通りの病気。それ以外に言いようがないんだってさ。」

美央「つまり・・・どういうこと?」

友晴「あるとき突然、記憶の一部がなくなるんだ。なんの前触れもなく・・・ね。」

熾亜「突然・・・記憶がなくなる?」

友晴「そう。中学に入ってからは一度も起きてないけど、この病気のせいで今まで友達もできない状態だった。
   だから、あんまり人と関わらないようにしてたんだ。
   いつ、どこで、どんな記憶を失うかも、ぜんぜん予測もできない。」

熾亜「そう、だったんだ・・・」

友晴「でも実際、みんなは俺となんらかの関わりを持ってる。だから、伝えておかなきゃいけない。
   明日になったら・・・いや、ヘタしたら、こうして話してる間にも・・・
   みんなのこと、部活のこと・・・なにもかも忘れてしまうかもしれない。」

熾亜「私とのことも?」

友晴「そう。全部忘れてしまうかもしれないんだ。」

美央「そんな悩みを抱えていたなんて・・・先生はそのことを知ってるの?」

友晴「星崎先生には、俺の口から伝えてある。
   俺が気を失って病院に担ぎ込まれたら、真っ先に星崎先生のところに連絡が行くよ。」

熾亜「なにか前兆とかはないの・・・?」

友晴「どうやら、記憶を失くす直前に気を失うらしい。それ以外は、何も。」

ミカ「治療方法や対抗策はないんですか?」

友晴「あらゆる医学・生物学の権威が研究中らしいけど、残念ながら。」

熾亜「なんで・・・なんでもっと早く言ってくれなかったの!」

友晴「し、熾亜?」

熾亜「私を治す前だったら、ミカさんの力とか・・・それこそ、私の中のある力を使ってでも、直せたかもしれない!
   なんで、教えてくれなかったの? トモ君は、私との思い出は大事じゃないの!?」

友晴「そんなワケないだろう!!」

熾亜「っ!?」

友晴「俺だって、好きでこんなんになったワケじゃない!」

ミカ「ふ、二人とも落ち着いてください・・・」


ミカが仲裁し、二人は落ち着きを取り戻す。


友晴「・・・ごめん、熾亜」

熾亜「ううん、私こそ・・・」

友晴「熾亜の秘密も、観神の正体も・・・あのときに知ったばかりなんだ。
   今から熾亜を治すっていうときに、そんな自分勝手言えるわけないだろう・・・
   そもそも、あのことがなければ、ずっと黙っていようと思ってたんだ。
   余計な心配、させたくないし。」

熾亜「そう、なんだ・・・」

友晴「でも、今思えば、黙ってたら熾亜は何もわからずに悲しむことになるかも知れないんだよな・・・
   たしかに、もっと早く言うべきだったかもしれない。
   今まではまだよかったけど・・・今は、忘れたくない思い出がある。」

熾亜「トモ君・・・」

友晴「とにかく・・・今のところ有効な対策は何もない。記憶を失わないことを祈るだけだ。」

熾亜「私も、祈ってる。」

美央「発病、しないといいね。」

ミカ「及ばずながら、私も祈っています。」

友晴「元・天使に祈ってもらえるとは、心強いな。」

美央「・・・あ」

熾亜「え?」

美央「ミカさん、ちょっと・・・」

ミカ「な、どうしたんですか?」

美央「ちょっと、外に。」

ミカ「なんなんです?いったい・・・」

美央「ヤボなこと聞かないの。ほら、早くするっ!」

熾亜「え? 美央? ミカさん??」


美央は、理由も言わずにミカを引きずって部室を出て行ってしまった。


友晴「・・・まったく、妙な気ぃまわしやがって・・・」

熾亜「え? えぇ?」

友晴「・・・二人っきりにしてくれたんだよ。周りを気にせずに話せるように。」

熾亜「そ、そうなんだ・・・」


友晴はヤレヤレといった表情だ。
そのときちょうど、部室が茜色に染まり始める。


友晴「もう、この時間か・・・」

熾亜「早いね・・・」

友晴「熾亜」

熾亜「は、はぃ?」


一転、真剣な表情を見せた友晴に、熾亜の声が上ずる。


友晴「・・・クサいセリフだけど、よく聞いてくれ。」

熾亜「・・・はい。」

友晴「もし、俺が記憶を失って、お前と付き合ってたこと全部、忘れても・・・
   そして、そのことを思い出せなくても・・・」

熾亜「うん・・・」

友晴「待っていてくれ。俺、必ずお前をもう一度好きになるから。
   俺が好きになるのは、お前だけだから。・・・約束する。」

熾亜「・・・うん。いつまでも待ってる。
   私も、私が好きなのはトモ君だけだから・・・だから、絶対・・・」

友晴「うん。」

熾亜「私からも、約束。トモ君が、私のこと・・・私との思い出ぜんぶ忘れても・・・
   もう一度、私のこと好きになってもらえるまで・・・私、泣かない。
   記憶を失くした人を混乱させちゃだめだから・・・寂しくても絶対、泣かない。」

友晴「うん、ありがとう。」

熾亜「約束の・・・証・・・」

友晴「証・・・?」


熾亜は目を閉じ、顔を少し上に向ける。
友晴は、その意味を理解した。

二人とも、初めての・・・
唇を合わせるだけの、とても優しい、キス


熾亜「・・・しちゃったね。」

友晴「・・・そうだな。」

熾亜「はじめて・・・なんだよ?」

友晴「俺もだ。」

熾亜「本当に、約束だよ?」

友晴「あぁ、もちろんだ。」


どちらからでもなく、そっと抱き合う。
茜色の輝きも薄れていったそのとき・・・


美央「二人とも〜、そろそろいい〜? もーそろそろコッチ限界!」


勢いよくドアを開け放ち、美央がミカと一緒に入ってくる。
二人はあわててお互いを離し、背中合わせになる。


美央「あれ? どうしたの二人とも・・・」

ミカ「なにかあったんですか?」

友晴「いや、べ・・・別になにも・・・な、熾亜?」

熾亜「う、うん!」

美央「アヤシイな〜・・・何をあわててるのかなぁ?」

友晴「なんでもない! なんでもっ!」

ミカ「顔・・・真っ赤ですよ?」

熾亜「それは・・・ぅ〜・・・」

美央「まぁ、イジワルはここまでにしますか。」

熾亜「美央、ヒドいよ・・・」

美央「まぁまぁ。」

ミカ「しかし、困りましたね・・・」

熾亜「どうしたの?ミカさん・・・」

ミカ「いえ、先ほど天界との交信を試みたんです。」

熾亜「なんで天界と?」

ミカ「雲衣さんの不可思議な病のことで、なにかわからないかと思って・・・」

友晴「・・・それで?」

ミカ「・・・交信できませんでした。どうやら、本当にただの人間になっているみたいです。」

友晴「そうか。」

ミカ「すみません・・・」

友晴「観神が謝ることじゃない。そもそも、原因もわかってないんだし。
   ウィルスなのか、毒なのか・・・生まれたときからなのか、そうじゃないのか。
   俺のために、ありがとうな。」

ミカ「はい。」

友晴「熾亜だって天使化の不安を抱えながら、あんなに明るくしてた。
   いざ治すっていうときも、ちゃんと自分を信じてた。
   今度は・・・俺の番だ。俺も自分を信じる。」

熾亜「うん、その意気だよ、トモ君!」

美央「じゃぁ今は、手芸部の仕事しよ。」

友晴「そうだな。」

ミカ「何をすればいいですか?」

友晴「あ〜・・・ちょっと手芸部の分野から離れるけど、エッチングをやろうか。」

熾亜「え、エッチング・・・?」

友晴「そう。」

熾亜「み、みんなで・・・?」

友晴「・・・? もちろん。」

熾亜(どどど、どうしよう・・・さっきキスしたばっかりなのに、いきなり・・・?しかも、4人でって・・・)

友晴「道具は揃ってるから、みんなでできると思う。」

熾亜「ど、道具!!?」

熾亜(手芸部にはそんな道具まであるの〜!? それに、トモ君も、恥ずかしげもなく・・・)

美央「あ〜・・・」

ミカ「どうしたんですか?」

美央「熾亜の考えてること、なんとなくわかったわ。」

友晴「じゃぁとりあえず、道具取ってくる。」

熾亜「ま、待って!」

友晴「さっきからどうしたんだ・・・熾亜・・・」

熾亜「わわわ、私まだ、こっ心の準備がっ・・・!
   あと、それはちょっと手芸から外れすぎてるというかなんというか・・・」

友晴「・・・銅版画に心の準備が必要なのか?熾亜は・・・」

熾亜「そ、そんなのあたりまえ・・・って、銅版画?」

友晴「・・・なんだと思ってたんだ・・・?」

美央「・・・どーせ、変な想像でもしてたんじゃない?w」

熾亜「そ、そんなこと! 銅版画でしょ?銅版画!」

美央「・・・怪しいw」

熾亜「違うもん! と、トモ君。なにを準備すればいいのっ!」

友晴「えっと、そこの箱に入ってる銅版と、この引き出しの針。
   あとは薬品使うんだけど・・・あぶないからそれは俺が用意するよ。」

熾亜「うん、わかった。」

友晴「それで、やり方だけど・・・黒くしたい部分を、その針で削るんだ。」

ミカ「わかりました。」

友晴「あとで薬品使って腐食させるから、そんなに強く削らなくてもいい。
   軽くこすって、表面の膜を削り落とす感じがいいかも。
   深く削ったところは、版画にしたときに強い線になる。」

美央「どんな絵でもいいの?」

友晴「任せるよ。今日だけじゃ終わらないと思うから、とりあえず銅版を削って。」


熾亜の勘違いも助けとなって、暗い雰囲気はすっかり消えていた。
おかげで4人は、何の不安も感じずに作業に没頭した。


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