YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2007年1月


2007/01/04  謹賀新年

皆様、明けましておめでとうございます。
どんなお正月をお過ごしでしたか?
私は、月並み?に初詣に行ったり、映画を見に行ったり、TVを見たり、食べたり、(お酒は飲めないので、お茶を)飲んだり、たっぷりのんびりしました。(まだしていますが・・・)
初詣は、浅草寺に行ってきました。
最近の中では、かなり暖かい穏やかなお正月だったので、各地の人手も多かったようですが、浅草寺も、昼時になるとかなり混雑してきました。
そしてお昼ご飯は、行列で有名な天丼屋さんの長〜い行列に、初トライ!
その行列の最中、外国人の美人な女の子が、何の行列が尋ねて来たので、
「テンプ〜ラ!」
と大きな声で教えて上げたら、
「OH!Tempura!」
と喜んでいました。うん!国際交流☆

映画は、今年は、「エラゴンー遺志を継ぐもの」を見てきました。
映像のスケールが大きくて、なかなかよく出来ていました。
原作も、今3部作の3部を執筆中との事ですが、映画の方のラストも、それにならってか、思いっきり“続く・・・・”といった終わり方で、ちょっぴり苦笑。
ドラゴンの赤ちゃん時代が、とても可愛かったよ〜!!
動物?も人間も、赤ちゃんはものすごく愛らしい!

今年も、自分にできる事に一つずつ向かい合って、大切に過ごして生きたいと思います。
どうぞ、皆様、本年もよろしくお願い致します。m(--)m



2007/01/07  きりっとしたお正月

今年も、元旦には、日比谷界隈に映画を見に行き、某“T国ホテル”でお茶をしてきました。
日比谷界隈は、官庁街だけあり、休みの日は、人通りも少なく、静まりかえり、きりっとした“むかしのお正月”の風情がありました。
私の子供の頃は、24時間コンビニなんかなくて、正月休みは、ほとんどのお店がお休みでした。
しーんと静かな、でもどこか気分の引き締まるような、そんな感じがお正月の街の雰囲気だった気がします。
今は・・・といえば、逆にほとんどのお店で“年始セール”が盛んで、人手もいつもより多く、賑やかで、それはそれで、寂しくはないけれど、厳粛な感じはあまりありません。
“正月休み”というものが、新しい年を迎えるという意味よりも、ゴールデンウィークや、夏休みと同じただの休日化しているのでしょうかね・・・・。

さて、街としては、結構、きりっとしていた日比谷ですが、当のT国ホテルといえば、何故か、セレブか何かのお坊ちゃま?!お嬢様?!のお子様が溢れ、それほど静かではありませんでした。
年末に、“有頂天ホテル”の映画で、ホテルで働く人達のご苦労を察する私としては、内心、“ご苦労様です”と言った感じもありました。
映画の冒頭で、灰皿を小皿代わりに使ってしまっているお客様に、恥をかかせないために、他のテーブルの全ての灰皿を違うものに変える、というシーンが出てきましたが、実際何度も、(これは、小皿だろうか?灰皿でいいのだろうか?)と内心迷った経験のある私は、T国ホテルの立派な灰皿を見ながら、ちょっぴり可笑しくなってしまいました。
(だって、白くて結構大きなサイズの丸い灰皿って紛らわしいよ・・・)

2007/01/11  映画「オーロラ」

映画「オーロラ」を観て来ました。
オペラ座のドキュメント「エトワール」のニルス・タヴェルニエ監督作品。
主役の王女は、まだオペラ座学校の学生、マルゴ・シャトリエ、相手役の画家は、オペラ座エトワールのニコラ・ル・リッシュ。
振付は、カロリン・カールソン。
踊りが沢山見れるバレエ映画だろうなと思ったし、ファンタジー仕立てと聞いていたので、最初からストーリーなどは、まぁ特に期待もしないで行ったのですが、はっきり言って映画としては、近頃珍しいくらい、失望しました。

ストーリーは、いわゆる全幕物のバレエのような、おとぎ話的な、現実感のない、言いようによっては、まぁ、「ファンタジー」です。
踊る事を禁じられたとある国の、踊りに魅せられた王女が、悪者の側近の策略に振り回される父、王によって、政略結婚させらせそうになる。母、王妃は、毒殺されてしまい、恋に落ちた画家は、処刑されてしまう。まぁ、悲劇的な寓話なんですが、王女は、天に上って行って、雲の上で画家とめぐり合い踊る。
踊ることを禁じられている、という事が表すある意味での束縛からの解放、自由、とかそういうテーマなんでしょうね。
まぁ、バレエ、踊りとして舞台で見る分には、「ありえない〜」という設定も、展開も、全く気にならないのですが、セリフのある映画としてあまりにスローなテンポで長々進む展開は、先が読めるだけにちょっとイライラ・・・。

しかも、ここが一番言いたいのは、肝心の踊り!!
踊りの映画なら、踊りを楽しませて欲しいのに!
変に、映画として撮っているので、肝心の踊りのシーンに、主人公の顔を撮っていたり、情景を撮ったりして、続けてなかなか踊りが見られない。
その踊りも、振付が、私は、どうも好きじゃない・・・。
バレエの人が創る「コンテンポラリー」にありがちな、中途半端な感じ・・・。
音楽も、ドラマチックでないので、印象に残らない。
あまりに異様だった、設定日本(ジバンゴ)の王子(竹井 豊)の暗黒舞踏のシーンの方が、印象に残って(かなり気持ち悪かった・・・)います。

ロマンティックなファンタジーものならもので、どんなに荒唐無稽な話でも、主人公を初めとする登場人物の性格や人間性なんかに感情移入できたり、その世界の細部までの丁寧な描き方で、いくらでも厚みのあるものはあると思う。
踊りを描く映画なら、もっと踊りのシーンを中心に大切に撮ってほしいし、踊りに感動したかった。
つまりは、どっから見ても、中途半端なんですねぇ〜。
何をしたかったのかわからない。
まぁ、マルゴ・シャトリエは、かわいらしいし、肢体も美しいし、バレリーナの卵としてはなかなかいいとは思うけれど、ダンサーとして見たらまだまだ未熟だし、王子様然としたニコラ・ル・リッシュ(かなり年の差が・・・)とはやはり雰囲気が合わない気がします。

と、文句ばっかり書きましたけど、もちろん個々かしこに、オペラ座のダンサーの素晴らしい踊りも見られることは見られるし、(群舞が妙にばらばらで、存在を主張するのは、若干うるさい)これだけ、文句を聞いた後に見れば、逆に、「それほどでもないじゃん」と楽しめるかもしれないので、お時間があって、興味のある方は、ぜひご覧になって下さい。



2007/01/14  ペコちゃんは泣いている

皆さんもご存知のように、洋菓子の不二家のシュークリームに期限切れの牛乳が使われていた事実発覚のあと、全国の不二家チェーン店は、休業しています。
実は、私の家の近く、駅を降りてすぐにも、不二家の洋菓子店があって、シャッターが降りたまま。
今日、気が付いたらそのシャッターに謝罪文が貼ってありました。
お詫びと品質管理の徹底と再発防止などを謳った文章がワープロで書いてあったのですが、その余白に、何やらいろいろな筆跡の寄せ書きが・・・。
「再開を楽しみにしています!負けずに頑張って!」
「たった一日の賞味期限切れだもん、頑張れ」
「不二家のお菓子のファンは多いと思います。待っています。」
と何とほとんどが好意的なもの。
へぇ・・・・。そうなんだ・・・・。
かなり、軽い・・・。

確かに、不二家の洋菓子のファンは多いと思います。
約一世紀を生き抜いてきた押しも押されぬ大企業であるわけですが、やはり私は、たった一日(なんですか?よく知らないけど)だろうが何だろうが、(常習的にやってたみたいね)その事実を雪印の二の舞を恐れて隠蔽した事が、特に許されないと思うし、徹底的に反省してもらいたいし、残念です。

正直、食の安全については、「知らぬが仏」みたいなところがあって、事実がわかったとたんに、ヒステリー反応みたいに具合が悪くなる人がいたりして、そういうのもどうかと思うけど、だからこそなおさら、信頼関係なんだと思うし、裏切られると悲しい。
不二家排除みたいに、生菓子以外の製品も嫌われて、スーパーなどから撤去されてしまい、私の好きなLOOKチョコも、見かけなくなりました。
考えて見れば、ミルキー、アンブレラチョコもハートチョコも、ホームパイも、子供の頃から不二家のお菓子、そしてペコちゃんにはさんざんお世話になってきました。
皆の好きなペコちゃんは、今泣いていると思います。



2007/01/15  朝の待合室で

最近は、暖房の入った待合室が駅に出来て、電車を待つのも暖かくて、とても有り難いのですが、そんな待合室はいつも結構いっぱいです。
昨日、朝の待合室でのこと。
「だから、お母さんに切符渡すとイヤなのよ!」
ふいに、甲高く響く、女性の声。
ベンチに座って、暖をとっている乗客は、みなその声の持ち主をつい見てしまいました。
中年の女性と、老婦人の二人連れ。
どうやら、母親らしき老婦人が切符をなくしてしまった模様。
「よく、見たの?その辺に落ちてるんじゃない?ちゃんと持っていられないんだから、もう渡さない!!」
畳み掛けるように、ぽんぽんとなじる娘さんらしき女性。
(何も、そんなにキツく言わなくたっていいのに〜)
私を含め、周囲の人はみなそう思ったと思いますが、多分、身内ならではの逃げ場を与えない物言い。
おろおろとあたりを探す老婦人に、いたたまれない思いで、向かいの私も、となりの席の人も、いっしょになって、あたりを探しました。
しばらくして、向かい側の私の隣の席の人が、
「あった!!ありましたよ。」
と切符を見つけ出し、老婦人に手渡しました。
(あ〜よかった・・・)
それでも、娘さんは、その切符をひったくるように老婦人から奪うと、
「もうお母さんには渡さない。」
老婦人は、もごもごと、
「大丈夫だから、ちゃんと持っているから・・・」
と言っていたのですが、娘さんは機嫌が直らない様子。
そうこうしているうちに、電車が来たのですが、他人事ながら、なんだか私までおろおろしてしまいました。

子供の頃は、絶対であった親が、年と共にだんだん弱り、頼りなくなってくると、その事実がなかなか受け入れられなかったり、不安もあり、ついキツクあたってしまう・・・。
幸い、私の場合、母親はまだまだかなりしっかりしているのですが、まだ父親が生きていた頃、ちょっと物忘れなどすると、感じた不安感を思い出すと、分かる気がします。
しかし、公衆の面前で、娘さんが特に病的というわけでもない(認知症などの病気ならなおさら、怒ってもダメなんだけど)無抵抗な親御さんをやりこめてしまうのは、あまり感じのいいものではないな〜と思いました。
年をとるに従って、親と子の立場は逆転してくるのかもしれないけれど、できる限り、親の人格を認め、接していければいいなぁ〜と、今だから思えるのかもしれないけれど、なんとなく自戒してしまった出来事でした。



2007/01/22  大荷物のおばあさん

先日のこと。
ウチの母が、JRの駅で見かけたおばあさん。(後に、母と同い年である事が判明なんだけど・・・)
ショッピングカートのようなものをうんとこしょと持ち上げて、よろよろしながら階段を上ろうとしていたそうです。
母は、思わず「お手伝いします」と駆け寄り、その荷物を二人で持ち上げようとすると・・・。
それが重いのなんのって!!
(いったい何が入ってるの?)
と思いながらも、乗りかかった船。
仕方がないので、うんうん言いながら階段を上りかけていると、知らない女の人(母の談によれば、若い女の人、でしたが、私くらい、との事です。(^.^;))が、よっと持ち上げると、エレベーターのないその駅のホームまで階段を上り、そして下り、運んでくれたのだそうです。
「それはよかったね。でも、自分だって年なんだから、あんまり無理しないほうがいいんじゃないの?」
・・・ととりあえず、よかった、エレベーター作ってほしいね、と終わる話だと思ったのです。
ところが・・・。

この話には、その後があって・・・。
母がその後、ホームで電車を待っていると、先ほどのおばあさんが近づいて来たのだそうです。
「先ほどは、どうもありがとうございました。」
そうお礼を言う彼女は、特に変わったところのない人に見えたそうです。
「この荷物重いでしょう?実はね、ウチの近所の人が、ウチをいつも覗いているの。昼も夜も、何をしててもよ。それで、家に置いておくと、盗られてしまうから、大事なものを全部どこに行くにも持ち歩いているんですよ。」
(!!!)
「それってちょっとヤバイじゃ?」と思わず母に合いの手をいれると、母も大きく意味ありげにうなずき、
「でしょ?さからうのもいけないって言うから、“そうなんですか。大変ですね。”って言っておいたけど、どうもかなりの妄想があるみたいなんだよね・・・」
「まぁ、もしかしたら、万が一、ホントにその隣の人がストーカーかもしれないけどね・・・何、それで降りるまでその人とずっと話してたの?」
「だって、向こうがずっと話しているんだもの」
やれやれ・・・それはそれは・・・。

この世には、いろんな人がいて、ちょっとずれてしまった人も、枠の中に入れない人も、病気の人も、はじき出すことのなく、皆いっしょに暮らせる社会は、確かに理想なのだし、私は、差別をするつもりも、隔離をするべきだとも、全く思っていなかったのだけれど、最近の世の中は、下手な犯罪小説よりも、もっと凄惨なものすごい事が次々起こる。
そして、凄惨な犯罪を犯しても、精神鑑定で無罪になってしまうケースや、有罪になっても仮釈放で出てきて、再犯を犯したり、精神に障害のある人が予兆もなく、いきない子供を投げ捨ててしまう事件が実際に起こったりする。
もちろん、だから、どうだという結論を下すには、この問題は私には大きすぎるし、障害があるわけでもなく、今まで何の問題もなかったエリートの女性が、殺人を平然と犯し、遺体を切り刻んでしまったりもしているけれど、いずれにしても、そんな恐ろしい世の中だから、何気ない他人との触れ合いにも、気を使い、心配のあまり、母に対しても、
(その人は危ないから、あんまり関わらない方がよかったのに・・・)
と思ってしまう自分がいて、情けなくもあり、ちょっぴり悲しい気がしたのでした。



2007/01/28  われに短歌ありき

何となく見たTVで涙が止まらなくなってしまいました。
「われに短歌ありき〜ある死刑囚と窪田空穂〜」というドキュメンタリー大賞をとった作品。
飢えに耐えかねて農家に強盗に入り、殺人を犯した死刑囚が、周囲の愛情に支えられ変わって行く姿を描いたもの。
学生の頃、ただ一度褒められた絵の先生のことをずっと大切に覚えていて獄中から書いた一枚の手紙、そしてその奥さんの勧めで始めた短歌。
新聞に投稿するようになって出会った歌人、窪田空穂との出会い。
真摯に罪を悔い、自分の命を見つめ、正直に向かい合った彼の短歌は、短歌なんてほとんど読んだことのない私に、何故かダイレクトに響いてきました。
「温もりの残れるセーターたたむ夜 ひと日のいのち 双手に愛しむ」
「甘ゆべき母のなき獄 青布の夜具をかぶりて悲しみに耐ふ」
「縋れよと(すがれよ)歌を詠めよと云いたまふ 九十の師のふみあたたかし」
「この澄めるこころ在るとは識らず来て 刑死の明日に迫る夜温し」
最後のは、処刑前夜の歌だそうです。
このような心に到達できた彼の、和歌や温かい人との出会いの奇跡。
人が他の魂を受け入れ、認めることの力。
そして命というものの愛おしさ、だからこそ自分の命を持って奪った命を償うことの重さ、人は変わるということ、心から真摯に彼に向かい合って来た人達・・・・・。
いろいろな事が心にあふれ、涙になってしまいました。

まとまらないのだけれど、罪を犯した人にただ判決を下し、更生プログラムもおざなりに懲役をさせ、あげくその人が仮釈放になり、再び罪を犯してしまう再犯率が高いなどと聞くと、何かが違う〜とあらためて思ったりもしました。



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