YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2009年11月


2009/11/05  2009 文化祭

長〜い間お休みしていたダイアリーですが、またボチボチと再開して行きたいと思います。お時間のある時にのぞいて下さいね〜
さて、昨年は抽選に漏れてしまい、出演できなかった文化祭ですが、今年はめでたく出演がかない、10月31日に無事舞台を終える事ができました。
有志13名の約2ヶ月に渡る苦闘?の練習の成果が出て、本番が今までで一番よかったと思います。
関係者の皆様、また個人的にいろいろと力を貸して下さった方々、見にいらして下さった方々、そして頑張ってくれたメンバーに、心より感謝申し上げます。

客席からメンバーの踊りを見ていて、改めて舞台の魅力や、不思議なパワーを実感しました。
リハーサル中は、何とか一人一人が最大の力を発揮して欲しいとの想いで、ある初参加メンバーに「大人になって初めて!というくらい怒られた」と言わしめ、チームとしてのまとまりが今ひとつの気がして、不安のあまり若干?の説教魔神と化した私でしたが、最後には一人一人が成長・進化してくれて、一の力を十にも百にもするとてもいいチームワークを発揮してくれたように思います。
観ているとあっという間、でもその準備期間にあったいろいろな苦労が打ち上げ花火のように、パッと昇華し、「舞台」と言う魔法のエッセンスが加わったメンバーの踊りが、お客様に何かを残してくれていればいいなと思います。

今までのスタジオの公演も「ポジティブバイブレーション」そして文化祭もいつも「ポジティブクラブ」とチーム名で参加していますが、舞台を見て下さった方に、ほんの少しでも何らかの想いや明日からの前向きなエネルギーを発信できるように、これからも頑張って行きたいと思います。

そして次の舞台までに、最もその人らしい、その人が一番輝ける力を発揮できる「踊る身体」と「表現力」をつけるべく、皆と一緒にまた精進していきたいと思いますのでよろしくお願いします。


2009/11/06  「上がる=緊張する」

緊張する事を「上がる」といいますよね。「上がっちゃって上手くいかなかった」とか「上がり症で人前で話すのは苦手」とかよく使います。
皆さんの中でも多くの人が、舞台の本番前に「上がってしまってどうしよう〜」という経験をした事があると思います。
この「上がる」ですが身体的に見ても文字通りいろいろなものが上がるわけで・・・
「上がる」というのは交感神経が優位になった状態で、心拍数が上がり、血圧も上がり、血糖値も上がります。体温の上がりを押さえるために身体は変な汗をかき、呼吸は不安定になってみぞおちのあたりがふわふわして、肩も「上がって」います。(眼もつり上がっているかもしれません)

余談ですが、英語では「have butterflies in one's stomach」と言うそうで、直訳すれば胃の中で蝶々が何匹かいる状態で、まさにみぞおちあたりがざわざわする感じですよね。

踊りに限らず緊張し過ぎると足元がふらつき、身体に力みが生じ、パフォーマンスの質は低下する事が多くなります。
昔からの言い伝えでは、「手のひらに人という文字を書いて飲む」なんて言いますが、心理的作用で落ち着くというのはあるとしても今ひとつ科学的に納得のいく対処法ではないですね。(飲み込む振りでも唾をのむからいいのかしら?)

では、具体的に上がってしまった時にどうしたらいいのかという対処法をいくつか調べてみたのでご紹介しますね。

緊張をほぐす方法としては色々とありますが 医学的に副交感神経を優位に働かせる方法としては、
・眼球圧迫
(眼を押す?!)
・頸動脈圧迫
・冷水で顔を洗う
などが知られているそうです。
(ただしメイクしちゃったら冷水で顔を洗うとかは無理ですね)

深呼吸で呼吸を整える方法も医学的に勧められています。
・まず大きくため息(息を吐いてから)をしてから深呼吸を続けてみます。
息を吸う時・・・身体は緊張→交感神経優勢
息を吐く時・・・身体は弛緩(しかん=ゆるむ)→副交感神経優勢
浅い呼吸をする・・・身体は緊張→交感神経優勢
深い呼吸をする・・・身体は弛緩→副交感神経優勢
なので深呼吸はそのバランスを整えるのによいのです。
(よく言われる事かもしれませんが、確かに効きますよ)
みぞおちに指を軽く差し込んで、息をズーッと吐いていくことでも同じような効果があるとの事です。
・力を抜こうと思ったら まず思いっきり力を入れてから 抜く。
(肩下げる時によくやるあの動作ですね)
・大勢の中で一人になるという状況が緊張を生む→全体の一体感 雰囲気を気にする
(これは舞台などでは「カツ入れ」で円陣などを組んで一体感で緊張をほぐすのがいいという理屈ですね)
・両手を胸の前で交差し、各手はそれぞれ上腕の中ほどの外側を触っている状態をつくる。
触られている側(腕)を意識するのがこつだそうです。
(多分腕の外側にあるツボに関係すると思います)
・徹底的に練習して体が覚えていれば自然と動く
(これこそ、私が最も言いたかった事です!緊張してもしなくてもよい結果が望めるわけで〜)
実際に、私の友人はその昔、緊張で頭は真っ白になって振りつけが飛んでしまい、袖に戻ってきて悔しさのあまり泣いていたのに、後でビデオを見たら、ちゃんと動いていたという事がありました。身体が覚えていたんですねー

というわけで、これこそ秘策!というわけではありませんが、皆さんも上がってしまった時にはぜひ試してみて下さいね〜・

「舞台の前に教えてよ!」って?


2009/11/07  大漁〜♪

先日テレビを見ていて、某ちびっこ天才演歌歌手が、芸人(イケメン〜がネタ)に歌唱指導をするシーンで、ピカッ・と来た事がありまして〜
まず彼女による発声練習は、仰向けになって、お腹の上に重しになる本などを置いて声を出すと言うもの。
それでその後すぐ立って歌うと前より大きな声が出るっていうの。
フームなかなかよく出来てる訓練じゃんと思っていたら…

次の訓練は、歌にメリハリをつけるためにキャッチボールをするというもの。
最も強く表現したいフレーズを、ボールを投げる時に歌う。
ボールをキャッチして「大漁〜♪」と投げる。またキャッチしては「大漁〜♪」これでピカッ!

実は私もちょっと前によく、踊りの表現で、手を出しながら遠くに視線を送る時なんかに、タオルを投げてもらったりしていたのです。
タオルを投げて、投げたタオルを追うように見ると、どんな人も自然に放物線上に視線が行くし、前に気持が出るんだよね。あれと一緒じゃん!・
かねてよりいろんな事で思ってたんだけど、表現するもの(歌でも踊りでも)は、何でも一緒なんだな!(今度またタオルを投げて貰おう!)

「天才」の彼女がすごいのは、何度投げても、全く同じ強さと音質の「大漁〜♪」が出る所。
強さは当たり前としても音質、音の雰囲気・色合いに至るまで全く一緒の「大漁〜♪」!ウームこれがプロって事?
すごいとは思ったんだけど、その精緻さは、まるでエンドレステープみたい。はい、スイッチオン、「大漁〜♪」って感じで。人間が表現する良さは、もう少し隙間がある事なんじゃないの?ってちょっと思ったくらいでした。多分彼女も一曲歌うとなれば、あそこまで機械的には歌わないんだろうけど。

ちょっと話はそれましたが、今回の文化祭でも「表現を前に出して」貰うために散々怒鳴りまくり、「大声を出しながらダッシュ」練習なんて言うのをやってもらったりした私なので、何かどっかで一緒な気がして、一人「やっぱりな」とほくそ笑んだのでありました。

ただその後、頭の中で「大漁〜♪」のフレーズがこだまし、ちょっと困っているのですが‥



2009/11/09  ツチヤの新刊(文庫)

文庫の(ハードカバーは重いからよっぽど好きな人の本しか買わない)新刊が出るとつい買ってしまう私の「中毒性?」の作家はいろいろいるのですが、(元々一冊面白かったりすると、同じ人の本を買い続けるタイプなので…)最近またその「リピーター」の一人「土屋賢二」の文庫が二冊ほど、書店の新刊コーナーに並んでいます。
「貧相ですが、何か?」と「人間は考えても無駄である」です。
二秒?!ほど考えて結局買ってしまいました。
未読の方もタイトルで想像がつくとおもいますが、思いっきりふざけた、でもれっきとしたお茶の水女子大学の哲学の教授のエッセイと対談集です。

勝手な私の感想を言えば、「貧相ですが…」の方はちょっとギャグや切り口がマンネリ化した感があるかも?
最初の頃の「われ笑うゆえにわれあり」とか「われ大いに笑うゆえにわれ笑う」(読んでない方、笑えるよ!電車などで読むのにオススメ、ニヤニヤしちゃって変な人になるかも)とか「人間は笑う葦である」などの、秀逸なギャグセンスと視点のオリジナリティーに私の方が慣れてしまったのか?イマイチ残念でしたー

「人間は考えても…」は各分野の方と土屋教授の対談集。
これは内容もありなかなか面白かった。
様々な土屋教授の「茶々」の嵐にも負けず、何とか話の本筋に戻し対談を続けようとする対談者(時には教授に負けない茶々)、その大量の茶々の嵐の隙間に、珍しく真面目な土屋教授の意見が見えたりしたのが面白かったです。

最近の効率主義的な大学教育の流れに対して、
「文学や哲学を切り捨てる方向は間違っていると思う。人間がどこまで愚かになりうるか、どこまで勇敢になりうるか、どこまで残酷になりうるか、状況がどこまで人間をを変えうるか、そういった事を教えて視野を広げないと、人間の事も自分自身の事も理解できないし、賢明な選択はできない。それを教えるためにも文学は必要なんじゃいかな」
私もまさにそう思います。
文学が想像力を養い、人間の幅を広げるんだと思います。
だから若い人にはどんどん本を読んで欲しい!(前から言ってるけど)

下らない本ばっかり読んで〜と言う文句も頭の堅い大人はよく言うけど、私は何だっていいんだと思う。
まず自分で本屋へ行って本を選ぶうちに、本の世界で遊ぶ楽しさを知るのが第一歩だもん。

さて、さすがに土屋教授、「人間は…」のあとがきではまたお得意のおとぼけで笑わせて貰いましたー
「本の価値は読む人の知的レベルによって決まる。物理学の論文を評価できるのは物理学の知識のある人だけだ。本書についても同じである。本書を読んで高く評価できない人は、もっと賢くなる必要がある。この本を高く評価できる人は、それ以上に賢くなる必要がある」



2009/11/10  アメジストセージ

街でふと見かけたきれいな花。調べてみたらアメジストセージと言うみたいです。

学名Salvia leucantha   花言葉は家族愛

まるでビロード のような衣に包まれた花
近くで見るとアメジストの宝石のようなきれいな色、そしてふわふわしたビロードのような衣を着ているのがわかります。
実はこの衣は萼片でその先についている白や淡桃 赤紫の小さなものが花なのだそうです。

ハーブの一種「セージ」の仲間で、サルビア属になるそうです。
salvia(サルビア)とはラテン語のsalvare(治療)salxeo(健康)salvare(治療)から来ており、古来より万能薬として用いられ 消化や殺菌 精神安定に効く薬草を意味するそうです 。


2009/11/11  つぶ餡vsこし餡

甘いもの、或いは和菓子自体が苦手な方以外は、「どちらかと言えば…」という意見も含め、アンコは、「こし餡派」と「つぶ餡派」に分かれる気がします。

昨日、レッスン後、Mさんが、「来週旅行なのでお休みします。」と言ってきました。
「どこいくの?」
「名古屋方面です。お土産買って来ますね〜」
「あらありがとう」
そこで、名古屋方面→お土産で私の脳裏に、お土産の定番とも言われるある和菓子の記憶が…「赤福」です。
あの銘菓は、名古屋方面のお土産で頂く事も多く、またファンも多いと思います。
がしかし、一旦その場で封をあけると、お饅頭のように個々での持ち帰りは厳しく、ヘラでアンコをすくいその場で食べきるに適し、しかもアンコはたっぷりこし餡。
私は和菓子洋菓子、甘いものは大体好きなのですが、どうもこし餡は苦手でして、せっかく買って来て頂いた「赤福」をかなり苦労して頂いた、苦い、(違った「甘い」?!)何度かの記憶が蘇り、つい、
「私、赤福ってちょっと苦手なんだよね」 とちょっぴり唐突な発言。
すると、そばにいたYの、
「えーっ!何で〜あんな美味しいのに、どうしてですか〜」
意外なまでの「赤福」擁護発言。

「こし餡が苦手でさ…」

「えーっ!アンコは絶対こし餡!つぶ餡がいいってそんな人がいるんですね!」

ここに来て私もちょっと不安?になり、その場全員にわざわざ確認。
すると、私以外は、「どっちも好き」も含め、皆こし餡派だったのです。
私としては結構びっくり!&ちょっと仲間外れ感。

「こし餡の何か粉っぽい感じがちょっと苦手でさ…」ブツブツ言う私に、
「つぶ餡の方が何かひっかかる感じがします」
(うーむ、そう言われれば…そっか)
「わかった。多分豆が好きなんだよ」
「へぇ〜そうなんですか」

(が、後でよく考えれば煮豆自体はそんなに好きじゃない)

それにしても「つぶ餡」の小豆の豆感は愛らしく美味しい。
お饅頭を二つに割った時に顔を出す、ところどころに存在する濃い紫色の粒々の可愛らしさ。
たい焼きや今川焼の中で熱くなったホカホカの「つぶ餡」。
また私の大好物の一つであるソフトクリーム(アイスクリームよりもソフトクリームです)との相性も抜群です!和風のパフェなどで見られる絶妙なマッチング。
小豆の形が残った(ここが重要)熱々のお汁粉&お餅のハーモニーも捨てがたい。
そうそう、あんパンだって、迷わず「つぶ餡」!ちょっとパンを潰してアンコとパンを均等にして…という食べ方もいい。

…と、考え出したらキリなく、「つぶ餡」への愛が溢れる私なのでした。

さて、「あなたは「つぶ餡」と「こし餡」どっちが好きですか?」


2009/11/12  “This Is It ”
今日、マイケル・ジャクソンのライブリハーサルを映画にした“This Is It ”を見て来ました。
感動しました!

失って初めてその偉大さを改めて知るという意味では、美空ひばりさんと同じで、運良く同じ時代に生きていたのに、もっと触れておけばよかったと後悔するくらい、「天才」でした。
やはりマイケルはすごかった。

映画は始まったとたんにグイグイ引き込まれました。
マイケルとステージに立つ事を夢見て世界中から集まってきた気持悪くなるくらい沢山のダンサーからオーディションで選ばれた十一人。
テクニック、センス、容姿、華、全てを兼ね備えたダンサー達。
でもひとたびマイケルがそこに加わったとたん、そこはマイケルの宇宙になってマイケルしか目がいかないのです。
マイケルの中から音楽、リズムが溢れ、ダンサー達はマイケルの宇宙の一部となる。
沢山動いているわけでもないのに、誰よりも大きく、余計なものが一切なくてどこにも力が入ってなくて、シンプルなのにシャープで力強いマイケルの動き。
全てがお腹の中から、深層部の小さな力に引き出されているみたいな。
マイケルの中にある宇宙から産み出される動き。
ダンサーだけでなく、舞台に関わる全て、照明も、映像も、バックのミュージシャンも、コーラスも、全体が、一人一人がマイケルに力を引き出されて、その宇宙の一部となり輝きだす。
客席に伝えるには、何をどうしたらいいのか全てを把握して、リードしていくマイケル。
映画の中でも誰かが言っていた通り「まさに王」なのに、ピュアで謙虚で全てに愛が溢れているのですー
マイケルを取り巻く沢山のスタッフ一人一人がマイケルの愛を受け、輝き、心から信じマイケルの宇宙をつむきだした時、客席もまたマイケルの宇宙に引きこまれ愛に溢れる…

マイケルが亡くなってしまった事が心から残念でなりません。
全てのメンバーが力を尽くしていたあのライブを実現する事なく、マイケルを突然失ってしまった周りの人達の喪失感は、例えようもない大きさだったと思います。

全ての中心だったマイケルについて、映画の中で、バックのあるミュージシャンは、「彼ほど内側の深いところから表現する人を他に知らない」と言っていました。
マイケルの奥底には、エネルギーの源であり同時に周りのエネルギーを引き出すような、真空みたいなスポット、ブラックホールみたいなものがあって、その奥底からあの音楽も踊りも芸術、愛の全てが溢れていて、最期にはそのブラックホールにマイケル自身が吸い込まれて行ってしまったような気がします。
自己存在の全てをかけた「深い所からの表現」を思った時、もちろんマイケルとは次元は違うのですが、私自身がそんな風に踊りと向かえあえたかもしれない瞬間を思い返してみました。
天才と比べる気もないのですが、百パーセントピュアに真摯に向かいあって、奥底からの表現はきっと何らかの力は出すに違いないと思いました。
ただ自分が与えられた力を全て活かし、あれほど真摯に向かいあっているのかと日常を振り返ると、些細なものでも自分のできる精一杯を尽くさねば〜という改めての反省みたいな想いと、それが常にできる事、が既に「天才」なんだな…と思いましたー

そして、いつまでもピーターパンのように、純粋な、愛溢れるピュアな存在であり続けたマイケルの凄まじいまでの孤独と哀しみ、だからこそ燃え続けた例えようもない力、に終止符が打たれた事。
神様から与えられたギフト「才能」を神様に返す時が来た事は、やはり決められた時だったのかなと思いましたー
世界中の人達に感動を与えた「マイケル」いう宇宙の終焉に、心から哀悼の意を捧げたいと思います。



2009/11/13  メタボなお巡りさん

昨日、都心の繁華街を歩いていたら、妙に警官が多かったのです。あちらにも三人、通りを曲がったら、また二人。そういえば前日も警官を沢山見たっけ。何かあったのかしら?誰か犯罪者が逃げたとか?市橋容疑者はもう捕まったしな。テロの予告があったとか?
ちょっと不安になりました。
するとちょうど一人の外国人に、人の良さそうなかなり太ったお巡りさんが、
「オバマ大統領が来るからね〜」
と話しているのが聞こえました。
なぁんだ、そうか。それで警戒体制なわけね、と附に落ちました。

でも今のお巡りさんもかなり太ってたし、さっき見たお巡りさんもかなりメタボでお腹がでっぷりで制服のズボンがキツそうだった。

皆、何かあって追いかける時とかちゃんと走れるのかな?
大体制服のお巡りさんって肉体訓練とかないのかしら?
もしかして普段は、運転免許試験場の係とか(イメージで)であまり運動しなくていい部署だとか?テレビの刑事ドラマだと、何か問題を起こした刑事は、運転免許試験場に左遷されちゃうんだよね。(かなりいい加減な情報ですが・・・)
そんなにメタボだと、もし手柄立てても走れないから、刑事にして貰えないよ。(…とこれも刑事ドラマからのイメージでした。)



2009/11/14  捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)

まだ記憶にも新しい市橋容疑者の事件…報道によれば逮捕後、拘置所でお茶以外は口にせず、未だに事件については口をつぐんでいるらしい。

父母ともに医者という両親が、マスコミに出てきてたけれど、あまりの冷静な語り口にちょっぴり唖然としてしまいました。

「何でそんな事したんだと言っても仕方ない」
とキッパリ言ってたお父さん。
そりゃそうかもしれないけど。
両親も人違いするほど痩せて…という事なので、逃亡した息子が心配じゃなかった訳もないだろうし、当然感情的には割りきれない様々な想いが、無いわけはないんだろうけれどねぇ。…にしても…。

さて、この事件には一千万円!の懸賞金がかかっていた訳で…ご存知でしたか?
懸賞金と言って私がイメージしたのは、西部劇とかの酒場の壁に、貼り紙で、お尋ね者「Wanted」と斜め書きで、後は「○○$」ってアレですよね。

しかしながら、現代この我が日本において、同容疑者のクビには2007年6月から警察庁が懸賞金をかけていたそうです。
これは、警察庁が同年5月に導入した「公的懸賞金制度」というのに基づくもので、逮捕の足がかりがつかめなかった今年6月、上限の1000万円まで金額を引き上げられた、との事。
トータル2年7カ月の逃亡生活を続けた市橋容疑者は、懸賞金が1000万円になってからわずか半年で逮捕。
何も懸賞金めあてって訳ではないだろうけどねぇ。

逮捕の最有力情報は、来院を通報した名古屋市内の医院。鼻をさらに高くする2度目の手術を受けたところ。(最初の手術をしたのは誰だ!)さらに、大阪潜伏中に住み込みで働いていた茨木市の建設会社の従業員、決定打の通報をしたフェリー会社の社員が候補。千葉県警がこの3者で情報の貢献度合いを考慮して、比率分配、というのが有力説だそうで…

警視庁のホームページのぞいて見たら、他にもいっぱい懸賞金事件、捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)についてが載ってました。(原則として、百万円か三百万円で、市橋容疑者の一千万円は、最高額)その中には、
上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件
H12.12.31 (あの大晦日に起こった痛ましい成城の事件)もあり、
詳しい事件の概要や、情報が載ってます。ちなみに懸賞期間は原則一年間との事でした。

事件現場から裸足で逃げた犯罪者が、二年半も逃げ通したあげく、民間の通報によって逮捕、なんてある意味、警察の威信にかかわるのかもしれないけど、どうせ民間の眼を利用するなら、もっともっと上手に広報活動した方がいいのでは、とちょっと思いました。



2009/11/15  「007」

キム・ヨナ選手のショートプログラムの「007」超カッコイイです!
この前のフランス大会で見た時から大好きなプログラムだけど、今回のアメリカ大会で最高得点をまた更新。
私はスケートの詳しい事は分からないけど、あれはもう「踊り」として見て完成されてますね。
ジャンプの助走もちゃんと気持がつながって必然性があるし、視線の抜けてるところが一切ない。
最後のポーズは、個人的には前回の方がビシッと決めてて好きですけど、今回はちょっぴり力抜けてる感じで、あれはあれでよかったかな。
魅せてますね。いいなー。

大体「スパイもの」は好きで、二回目のポジティブ公演の時にも創って、自分も踊っちゃったし、三回目のソロでは、「スパイ」じゃないけど“ルパン”で拳銃出したし、あぁいう世界は好きですね〜。
私もあの振り踊りたいって感じです。(スケートは全く滑れないけどね)



2009/11/16  失敗した時に

今日も昨日に続いて、フィギュア、アメリカ大会。
が、しかし、キム・ヨナ選手のフリーは、世界最高得点へのプレッシャーにやられ、かなり残念な出来でした。
彼女が、あんな風に何度も転倒するのを初めて見ました。
もちろんその表現力はやはり素晴らしく、ダンスで言えば、いわゆる“スロー”のナンバーの繊細な表現もまたよかったのですが、何と言ってもダンスじゃなくてスケートなので、あんなにジャンプを失敗して、何度も転倒しちゃったのは、かなり気の毒でしたね…
もちろん昨日の断トツのショートのおかげで、それでも見事に大差をつけての優勝でしたが。

しかしながら演技の後に、凹んだ様子はほとんど見せない彼女の芯の強さは、一級品です。
涙など一切なくて、微笑みさえ浮かべ、インタビューに対しても、冷静な自己分析。
先立ってのフランス大会との結果を比較検討し、グランプリファイナルに臨みたいとの事。
さすがだ〜
たまに、演技の途中から失敗に引きずられ、顔が強張り、ラストのポーズまでおざなりで、涙する選手とかを見ますが、大違いです。
(そんな演技を見ると、どんな出来でも、お客様がいるんだからちゃんと魅せろ〜とイライラします。)
やっぱり自己コントロール、精神力の差なんでしょうね。
逆境にあってこそ、その人の真価が出るんだね。
勉強になるな〜
後、インタビューで話すのを聞いていると、その人の知性、成熟度がある程度わかりますよね。
キム・ヨナ選手が、自分の意志をしっかり持って目標達成に向かっているのが、話し方、話す内容でもわかります。
うーんすっかりファン?
スポーツの世界大会などになると、かなりの身びいき、国粋主義的になる私なのですが、どうもキム・ヨナ選手だけは別格のようです。
(もちろん浅田選手のスケートも大好きで、応援してるし、何とかスランプを脱出して欲しいのですが…)



2009/11/18  「半島へ、ふたたび」

人は、物事が上手くいかなかった時に、パッと諦めて転換し次の道を探すタイプと、諦めずに何とかしようとしつこく踏ん張る二つのタイプに分けられる。
拉致被害者蓮池薫さんの著書「半島へ、ふたたび」にそんなくだりがありました。
ちなみに蓮池さんは、前者のタイプで、そういった思考タイプは、学生時代の野球経験で養われたそうです。
そして一般にアスリートには、前者のタイプが多いのではないか、との事。
うーん確かに。
結果がどんどん要求されるアスリートには、済んだことをいつまでも悔やんでこだわっていたらやっていられない部分がありますよね。
とりあえず、次!みたいな。
そして、諦めがいいタイプだからこそやってこれた部分と逆に損をした部分がある、との事。

この本は、拉致帰国後、翻訳家としての仕事は執筆の仕事をされている蓮池さんの、韓国への取材旅行での旅行記やエッセイをまとめた本で、この一説は韓国へ旅行した際に、見学許可がすぐに降りなくてパッと諦めかけていたら、程なく許可が降りたというエピソードで出てきます。
もう少しで見られずに損をする所だったと。
でも、蓮池さんはある意味、諦め、転換が早いタイプだったからこそ、拉致被害生活にも耐える事ができ、新たな人生をたくましく切り開いているのだと思います。
(前に曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんの本も読んだのですが、彼もやはり前向き、精神的にタフだな〜と思いました。)

蓮池さんは本当に文章が上手く、韓国への旅行記、比較文化的なエッセイとしてなかなか深い、楽しめる本ですが、赤裸々に北朝鮮時代の生活に触れてある本ではありません。
前を向いて自分の「現在」を生きている蓮池さんならではの視点の秀逸さや、公平、誠実な人柄がよくわかり、それは今の自由の尊さを噛み締めながら出てくる彼ならではのものだと思いました。
まだ終わっていない拉致被害が全て解決する事を心から祈り、書くに書けない部分についても、いつの日にか精算することができた時に、また、蓮池さんの見た拉致被害についても読んでみたいなと思います。



2009/11/19  チビデブ自動販売機

街で見かけた飲み物の自動販売機。
横長で背丈がとっても小さい。
中身は普通によくある飲料なんだけど、見慣れたものが、違った形をしているだけで、妙にカワイイ感じです。
耐震防止装置付とか書いてあったけれど、この形自体どっしりと安定感あって、でもちょっととぼけた感じがいい味出してます。
縦のものをちょっと横にしただけで、印象がこんなに変わる。
発想の転換ですね〜。

発想が柔軟な「柔らか頭」は、産業・技術革新のみならず、科学、そして芸術、あらゆる分野において重要です。
根が真面目で頑張り屋(私?)の人は、気がつかないうちに何かの思い込みにとらわれている事もありがち。
力みが抜けた瞬間、「へー何だ、これってこんなのもありじゃない?」
と新しい何かのアイデアや感覚がふっと入って来る…
縦のものを横にしたり、ひっくり返したり、離れて上から見てみたり、好奇心と前向き思考で、冒険していたいなと思います。

2009/11/22  ちあきなおみ

一つお知らせが。
先に行われた市民文化祭の広報のビデオに、我らが「ポジティブクラブ」の三曲めの映像の一部(何カットか)が使われる事になりました。
・明るい楽しげな感じと色彩感がよかったのかな?
皆さん有り難う。

さて、昨晩、帰ってきたら母がBSのテレビで、ちあきなおみさんの特集を見ていました。
もう終わりの方で残り二曲だったのですが、「喝采」と「紅とんぼ」が聞けました。
下手をすると、コロッケのものまねの方しかよく知らない、なんて若い人も多いのかもしれませんが、久しぶりに聞くとゾワッとする程ホントにうまい!!

「喝采」と言う曲は当時(今でも、ものまねされるくらい)流行っていたし、私の父なんかは宴会で披露するために、レコードを買ってエンドレス・で練習していました。
そのためメロディも歌詞も入ってるからと私もカラオケで歌ったりした事もあるんだけど…
当たり前なんだけど、「うわー失礼しました!ゴメンナサイ」って感じ。
ちあきなおみはストーリーの中の女性そのものとして生きて、そこに存在している。
ドラマが見えてくる。
そして周囲の空気までその世界に変えちゃう。
CGでもないのに、映像が見えてくる感じ。
「ひなびた教会」が見えてくる!
残してきた恋人の死の知らせを聞きながら、「いつものように幕があき」舞台に立つ歌手が、ちあきなおみと一致してきます。
歌の力で映像を見せるってすごい!
美空ひばりさんの歌も「川の流れのように〜」と歌うと私は大河が見えて来るんだけど、同じくらいすごい!と思います。

「紅とんぼ」では、一人芝居のセリフのようで、歌詞で、新宿にある居酒屋が閉店する日に、常連の客に語りかけるママが表現されます。
セットもないのに、確かに、「紅とんぼ」最後の日の店の情景、呑みながら騒ぎながら、寂しさをこらえきれない常連客とママの姿が浮かんできます。
浮かんで、なおかつその世界に連れていかれる。
みんな、ありがとう。店をたたみ、故郷へ帰るけれど、「時々でいいから思い出してね」と歌いながら、ちあきなおみの目には涙が…
私の目にも思わず涙が…

例えば、踊りで、ある世界を見せるまでは出来たとしても、その世界に観客をワープさせ、世界に放りこみ、感情を揺さぶるって並大抵ではない気がします。
感情を表現するだけじゃなくて、共感させ、揺さぶる。
例えば、悲しい踊りを踊って、自分がその世界に入り本当に悲しくなるまではあったとしても、そして、「あぁ、あの人は悲しいんだね」と判らせたとしても、観ている人を泣かせるためには、もっと強い、仮想を現実化させるパワーみたいなものが必要な訳で…

もちろん踊りは言葉がないから、もともと視覚的、抽象的で、だからこそ歌とは違った形で世界がストレートに見せやすい部分と、観客の気持を連れて行きにくい部分があるのかもしれませんが。

バレエなんかで、お話の設定がわかっていて、しかも世界的な踊り手、例えば森下洋子さんが、ジゼルを踊ってお墓に戻るシーンなんかは泣いちゃったけどね〜
うーん。
何だかいろいろ思ったらいよいよ分からなくなって来たけど、とにかく心に染みる歌でした!



2009/11/23  踊りで笑わせる

昨日はちあきなおみの歌に泣いた話から、踊りで人を泣かせる、感情を揺さぶる事に発展していった私の想いですが、感情は泣くだけではないわけで…
演劇の世界などでは、人を泣かせる→笑わせる→怖がらせるの順に難しいと言う人もいるそうです。
踊りではどうなんだろう?

笑わせるという事では、私は、ずいぶん昔に踊りのライブを見て大笑いさせて貰った事があります。
もともとコミカルを意識した作品で、生活に疲れたオバサンそのものの衣装(割烹着に古くさいスカート)の数名の踊りで、曲、振り付け自体は大真面目なスローなんだけど、一人ずつソロでハタキを持って踊ったりしちゃうシーン。
でも一番笑ったのは、踊っていないあるダンサーで、曲の始まりから、ひたすら大根をおろしてるんだよね。
正座して、大根おろして、布巾で包んでその絞った汁を飲んじゃうの。
その様子がもうそれはリアルで、持っていない大根が見えてくる!
私だけじゃなくてそのうちにその狭いライブ会場が、クスクス笑いの渦に…
明らかに踊っている人じゃなくて「大根おろし」に笑ってる。
その存在感は、凄かった。
ただ、踊っている人にとってはちょっと迷惑だったかも。
でも、あれは「踊り」じゃなくてマイムか?!
それとライブ専用の小屋で狭い空間だからこそ生きる、手元の動きだったというのもありますね。

踊りの動きで人を笑わせるといえば、トロカデロなんかはお手のものですよね。
観客も“笑おう”と思って見てる部分もあるけど、やっぱり上手いと思う。

今回の文化祭で、三曲目にやった作品は、私としては一部コミカルな部分があったんですが、振り付けの段階で、それを踊るダンサー諸君からちょこっと笑いが起きた(先生、本気?みたいな?)程度でしたね。
背中向きだったし、前で別な振り付けを踊っている人もいたし、基本、笑いを取るまでは思ってなかったけど。
ただ自分の中で、踊って人を笑わせるというのは、かなり興味のある分野です。
「笑い」が「泣」きより難しいかも知れないのは、笑いのツボは、泣きより千差万別で、振り付けを受ける側に同じフィーリングがないと難しいだろうな…
そこは演出、指導力か…

何にせよ、ドタバタしたわざとらしいものより、音と動きの融合でクスッと笑っちゃうみたいのは、いつかまたじっくりやってみたい世界ではありますね。



2009/11/25  〜ケチ

昨日、新聞に酒井順子さんのコラムが載っていて、久しぶりにちょっとクスッとしました。
酒井さんは私と年齢も大体同じ位で、世代的に同感できる事も多く、何しろその視点のユニークさ、淡々とすっとぼけている感じが結構好きで、前々からエッセイを愛読している作家の一人です。
今思えば、彼女が高校生だった頃、雑誌「olive」に連載してたデビューコラムも好きで読んでました。
「負け犬」の流行語で大ブレークしたのでご存知のエッセイストです。

さてそのコラムは“〜ケチ”がテーマ。

人はその“〜ケチ”ポイントがそれぞれ違うというお話。
酒井さんは“歯磨き粉ケチ”と“ティッシュケチ“だそうで、歯磨き粉は“もったいなくて”ちょこっとしかつけないし、ティッシュは、一度使った紙を使える限り何度も使うとの事。(来た!酒井順子の赤裸々な告白!)
えっ!
大きな声では言えませんが、実は私も人が歯磨き粉をつけているのを見て、
「そんなにつけるのー?!」
とびっくり!した事あるし、
ティッシュは、乾いている使用済みのものをまた使ったりした事何度もあります。
(私も赤裸々な告白!でもいつもではありません。もちろん衛生的ではないので、私は、手持ちがない非常時だけですよ…と言い訳)

後、私の“〜ケチ”は、抜群に面白い本に出会った時、もったいなくて一気読みできずに、努力(そこそこの本と並行読みしたり)して、ケチケチとちょっとずつ読んだりする事。
新しい服は、日を選び、天気のいい日とか、なかなか下ろせない事。(これはケチじゃなくて貧乏性かな…)

ただしこうした“〜ケチ”は節約しようという殊勝な心がけからではなく、本人の自己満足、変な癖、“貧乏揺すり”のようなものかもしれない〜とコラムは続きます。
癖かも?と自覚する事と周りの人は、癖なんだなと許してあげる事ではないでしょうかと。

うーん確かに。
歯磨き粉やティッシュは、誰が見ても“エコ”や“節約”ではなくて“変な癖”の域だと思いますが、テレビなどで紹介される「節約達人」みたいな企画でも、「それってもはや自己満足でしょ?」という時、多々ありますね。

そして、自覚する事と許してあげる事と言うのは、“〜ケチ”に限らず、円滑な人間関係の基本、「なくて七癖」だからお互い様という事ですね。

きっと誰にでも、ちょっと変わった“〜ケチ”はあるのでしょうね。
さて、アナタの“ケチ”ポイントは何ですか?



2009/11/26  事業仕訳に思う事 その1

最近、事業仕訳人として蓮舫議員らの活躍がメディアに多数取り上げられています。
各担当者との攻防戦が、連日報道される中で、その集中したやり取りに国民の関心も高まっています。
政治オンチの私などでも、これは画期的な事だと実感する毎日です。

私の亡くなった父は、今では残念な意味で取り沙汰される事も多い「農水省」の官僚でして、トップの不祥事などが明るみに出るごとに、我が家では、
「パパが生きてたら気が気じゃなかった」から、
「亡くなった後でよかったね〜」
と嘆いていました。
お分かりとは思いますが、農水省にも国の農政をひたすら真面目に考えて、私利私欲なしにただただ働く官僚だっていっぱいいるんですよ。

さて、父が生きていた頃は、予算編成時は毎晩徹夜続きで、政治に実感の全くなかった私は、単なる年中行事の一貫として、
“パパがめちゃめちゃ忙しい時期”
くらいにとらえているだけでした。
お歳暮戦線で忙しいデパートとか、そんな感じの意識です。
父が徹夜続きだった予算編成時と言うのは、農水省対大蔵省(当時)の中での話で、世の中的には、特に取り沙汰される事もないベールの中での事、父親が国の政治に何らかの形で関わっている意識は、私にはゼロでした。

今、話題の事業仕訳が、その予算編成、削減のためのもので、万が一、父があの場に出たりなんかしたらどうだったんだろう、なんて想像するとドキドキします。
(父は決して弁が立つ方ではなかったし、私に似て?神経が細いタイプ。
あの蓮舫さんにズバズバ言われたら、例えどんなに正当性があっても、ストレス性でお腹が下っちゃうかも…)
そんな訳で、報道で、健闘虚しく「削減」「廃止」となってしまった事業の担当者や、バシバシやり込められている担当者を見ると、あの人の家族はさぞハラハラしただろうと余計な想像をしてしまうのです。

さて肝心な仕訳作業についても、思う事はいろいろ〜長くなりそうなので、続きはまた明日。



2009/11/27  事業仕訳に思う事 その2

さて、連日話題の事業仕訳について。
マスコミに取り上げられた、蓮舫さんとの攻防戦で印象的だったのは、国立女性教育会館の館長さんとの論戦。
矢継ぎ早の質問に、「私の話も聞いて下さい!」「話も聞かず一方的に質問されるのは心外です!」と感情的に声を荒げてしまったシーン。
あそこだけ見ると、いかにも蓮舫さんが年上知的なキャリアのある婦人をやり込めているようで、不愉快に感じた人もいるかもしれませんし、逆に冷静さを欠いたように見えた館長を残念に思った方もいるかもしれません。
私は、多分あれは、一時間しかないのに、会館の目的、何故女性かと言うところから、長々と(失礼)話を始めた(そうなんだそうです)館長の“プレゼン”の“作戦ミス”だと思います。
目的はどの事業も素晴らしいはずだし、それより今、効果がどれだけ上がっているのか、国の予算でやるべきなのかと言うのを仕訳人は聞きたいわけですから。
もっと言えば、「立場的に」、仕訳人は、先ず無駄を洗い出すのが目的だから、先に結論ありき、で、担当者はそれをいかに効果的に阻止するかを考えて話さないとならない訳で…
蓮舫さんなんかは、多分ある意味「ディベート」として仕訳任務を遂行していて、「無駄を洗い出す」という立場が決まっている中で、いかに効果的に相手を論破するかの観点で、瞬発力に燃えているような気がします。
たった一時間での仕訳作業そのものの是非は、ひとまず置いておいても、ディベート技術の問題、館長の時間配分がちょっと甘かったのかな…

科学・技術方面の予算も大きく削られた事を受けて、ノーベル賞受賞者達が、首相に直訴したのも報道されましたね。

確かに仕訳人の「世界一になる必要性は?」という質問は逆に突っ込まれやすいかもしれない。(かなり危ない言い方だったかも)
ノーベル賞受賞の方々はさすが、反論もシャープですね。
ただ、各事業の重要性はそれなりに調査し、承知した上での、優先順位をつけるための公開の場なのですから、益川教授の「科学がわかってない女の子にとやかく言われたくない」発言は、やはり個人攻撃的で、ルール違反じゃないかと思います。

一時間で国家予算編成を仕訳できるのかと言うのは、今、仕訳人達が最もその問題点を感じているのだと思います。
いろいろ問題はあるでしょうが、とにかくも「誰かがやるもの」だった政治が「みんなでやるもの」として、ベールを剥いで見えてきた事、国民の目をきちんと意識しながら動き始めた事は、何と言ってもすごい「チェンジ」の一歩だと思います。
私を含め、日本人は、とかく慣例が好きでその安心感に頼りがちな所があるけれど、今まで通ってきたものを一回揺すってみて、考え直す作業は大切だと思います。
削減についての各反論、課題も含め、とにかくも始めなければ何も始まらないわけですから、仕方ないと止まっていたものが動き出している瞬間に立ち会えている事、他人事だった国家予算が身近になっている今は、なかなかいいんじゃないかなと思っている私です。



2009/11/28  ディベート

事業仕訳作業も終わり、蓮舫さんの、かぶせ“ツッコミ”も当分見られないのが、ちょっぴり残念です。
前半戦では、ほとんど毎日のようにテレビ画面に登場。
仕訳人って“蓮舫さんとその仲間達”なの?というくらいだったのが、後半戦は、他の人の露出度がややアップし、逆に彼女は若干おとなしい感じ…
あれって各方面から叩かれた(実際、ネットとかではかなりの言われようだったみたいで…)結果の当局の方針に違いない、と勝手に推測しています。
それとも最初からシナリオで、「前半戦で、人の目をひきつけるための悪役」として設定されていたのかも…

私としては、役どころを理解し、熱心に務めあげた彼女には「がんばったで賞」をあげたいな。
ただ、科学・技術方面においてはちょっぴりやり過ぎて、揺れ戻しが大き過ぎたみたいですが。

さて、いわゆる討論、ディスカッションではなく、(一般的にはごっちゃに使われてる場合もありますが、)ディベート(立場を予め決めて論証テクニックを磨く)技術というのは、実は奥が深いらしい。

日本で教育の場でこうしたディベートが盛んになったのは90年代以降らしく、私なんかの頃は、ディベートより、「弁論」。
弁論大会とかがよく学校でありました。
私は大昔は、人前で屁理屈?をこねるのが大好きなタイプで、弁論大会も出た記憶あるし(単なる目立ちたがり?)、学級会、ホームルームに張り切っちゃうタイプでした。
その後だと(法学部なんかだと専門的にやるのかもしれないし、部活動や、社会人サークルなんかも今は盛んらしいですが)私が、ちゃんとしたディベートと言うのをやったのは、英会話スクールで(今は何も喋れません、念のため)、英語を使ったもの。
テーマは、「死刑が是か非か」で、自分の意見とは関係なく、資料を使って、二つに分かれて喋くり合う、というもの。
かなり面白かった記憶があります。

中高などの教育の場でディベートが行われるメリットとしてあげられているのは、

問題意識を持つようになる。

自分の意見を持つようになる。

情報を選択し、整理する能力が身に付く。
論理的にものを考えるようになる。

相手(他人)の立場に立って考えることができるようになる。
幅の広いものの考え方、見方をするようになる。

他者の発言を注意深く聞くようになる。
話す能力が向上する。

相手の発言にすばやく対応する能力が身に付く。

などだそうで、いいことずくめじゃない!?
ただし、ただでさえ今の若者は口が達者な子が多いから、これ以上論理的になって、レッスンにおいて指導した時などに
「私の身体の構造上そのご指摘は如何なものかと思われます。その根拠としては…」
なんて来られたら困るけどね。

さて、その後の私。
踊って目立ちたがりは解消されたのか、昔は人前で話すのが好きだったのに、何故か今は、不特定多数の前での発言はできれば、勘弁して〜という引っ込み思案?になり、内輪での挨拶でさえまとまらない始末。
しかしながら、説教だけは、クドイというイヤなパターン??

(誰か違うと言って〜)



2009/11/29  テレプシコーラ第2部三巻

山岸涼子さんの「舞姫 テレプシコーラ」新刊、第2部の三巻、読みましたよ!
この漫画は、言わずと知れた?かの「アラべスク」や「日出処の天子」を書いた彼女が、手塚治虫漫画大賞を受賞した「テレプシコーラ」の第二部です。
バレエ漫画ですが、バレエやダンスをやってない人にもファンは多いし、情報のあまりのリアルさにダンス関係者も納得の作品だと思います。

我が家では、私と一部、本の趣味がかぶっている母親が、テレプシコーラに関しては、何となく「買う係?」になっていて、
「新刊出てたよ、もう読んだから」
と渡してくれました。
(ここからは読んでいない人はごめんなさい。)

今はローザンヌコンクールの最中で、主人公六花ちゃんは、プロポリスのおかげで何とかしのいでいた(外国産の方が苦くて効くって?)喉の痛みでしたが、数々の無理がたたり、とうとう悪化、最悪の体調の中で本番を迎えています。

(しかしながら、ジゼルのインプロヴィゼーション(即興)で六花ちゃんが振り付けたコンテンポラリー、何かカッコイイ。(めちゃくちゃ難しそうだけど)
山岸涼子って振り付けもできそう…)
(ボレロの音で、リズムを無視して優雅なワルツを踊るという発想も面白かった)

私の予想だと、(多分皆も?)六花ちゃんは、世界的な振り付け師になって、ローラー・チャンはやっぱり整形した空美ちゃんで、六花ちゃんの作品を踊るんだと思うんだけど、それまでの紆余曲折(若干引っ張りすぎだけど)、六花ちゃんの天才を示すエピソードや、ローザンヌの詳細なんかが面白いです。
ダ・ヴィンチという雑誌に連載中だそうですが、私は連載漫画は、ある程度まとまってから買う方が好きなので、続きはまた第4巻が出るまでお楽しみだな〜

ただし、いつも思うのですが、山岸涼子の描く人物は、はっきり言って、ちょっと不気味で怖いです。
絵を見てると、ただのブスなのか何か魂胆のある悪人なのか、美女なのか悪女なのかがちょっとわからなかったりするんだけどな…



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