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SS突撃兵(SS上等兵)
SS-Sturmmann

〈第3SS装甲師団『トーテンコープフ』所属〉


 

 武装SS『トーテンコープフ(髑髏)』師団の前身は、政治犯を収容する強制収容所(KL)の看守・警備兵として創設された『SS髑髏部隊(SS−TV)』で、後に髑髏師団初代師団長となる、テオドール・アイケSS大佐(当時、収容所所長)によって創設されました。
 ヒトラーが国防軍総司令部(OKW)を設立し、自ら国防軍総司令官の地位に就くと、国防軍の手前、治安警察程度の兵力だったSS−TVや他のSS部隊は兵力を増強し、“第4の軍隊”と呼ばれる『武装親衛隊〈Waffen−SS〉』へと規模を拡大しました。
 1943年10月22日付で装甲擲弾兵師団から装甲師団へと改称された『髑髏』は、1945年3月5日発動された『春の目覚め』作戦による、ブダペスト救出作戦で戦力を消耗し、ウィーンで防衛戦を展開しますが、4月15日に撤退。リンツ付近で米軍に降伏しました。
 
 エリートと位置付けられた戦車兵は、それを象徴するかのように、プロシア時代の軽騎兵を踏襲したデザインの黒い搭乗服〈パンツァーアンツォイゲ〉(黒はドイツではエリート部隊の象徴とする伝統があった)を着用しましたが、黒色は油汚れが目立たないという意図もありました。襟の縁のパイピングは兵科色を表し、ピンクは機甲科を示します。
 髑髏も又、プロイセン時代からの古い伝統であり(プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の葬儀の際、第1,第2近衛連隊が王を偲んで着用した黒服と共に、帽子に飾った髑髏章が発祥)、ドイツではエリート部隊の象徴でした。
 武装SSでは、将兵のエリート意識を高める為、殆どの部隊が所属部隊名が入った袖章(カフタイトル)を左袖口に付けましたが(左画像)、国防軍でも『グロース・ドイッチュラント(大ドイツ)』師団等、一部の部隊が右袖に付けました。


補足
 カフタイトル=SS部隊でも、名誉部隊名を与えられなかったSS師団や、部隊名はあるものの、カフタイトルを与えられなかった部隊もありました。戦時中、SS長官ヒムラーは、勲功によってカフタイトル授与を選定したらしく、例えば純粋なドイツ人部隊である、第17SS装甲擲弾兵師団『ゲッツ・フォン・ベアリッヒンゲン』がカフタイトルを与えられたのは、編成されてしばらく後の事でした。尚、カフタイトルは転属の際は新しく所属する部隊のものにしなければいけませんでしたが、その部隊にカフタイトルがなければ、前所属のカフタイトルの使用が許可されていました。