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 しんがあそんぐらいたあ

 ホッペとも別れ、また数日が過ぎました。
 ピョン吉は見晴らしの良い、大きな岩の上に立っていました。 それはピョン吉の体の何百倍もある大きな岩で、 もちろんピョン吉にとってこんなに大きな岩は初めてです。 岩の上から下の森に目を移すと、森の中には至る所に人間の家が建っています。 清里のように密集してではなく、ポツンポツンとまばらではありましたが。
 ピョン吉は不思議に思いました。 昨日の夜もほとんど同じ場所にいたのですが、 森の中に明かりは全然見えなかったからです。 清里の町では夜になっても昼間のように明るく、 人間や自動車のざわめきが絶えませんでした。 ところが下の森に広がる人間の町には、人間の姿も自動車も全く見られません。 まるで死んでいるかのように、町全体が静まり返っているのです。
 ピョン吉は知りませんでしたが、そこは人間の別荘地で、 避暑地として使われていたのです。 夏の間は人間も来ていましたが、もう秋も深まっていましたから、 別荘の家々は戸締りをして冬ごもりに入っていたのです。
 パタパタパタパタッ!
 山の静寂を破って、けたたましい音が聞こえてきました。 しかもその音は自動車とは違って、空から聞こえてくるのです。 ピョン吉が空を見上げると、何やら奇妙な形をした大きなものが近付いてきます。 鳥にしてはおかしいな、と思っていましたが、 近付くに連れてその正体が分かってきました。
 バタッバタッバタッ!
 音の正体はヘリコプターで、近付くに連れて爆音はさらに大きなものになりました。 ヘリコプターについてはバリトラじいさんから聞いていたので、 ピョン吉はその存在を知っていました。 でも実際に目にするのはこれが初めてです。
 最初にヘリコプターの話を聞いたとき、 ピョン吉はバリトラじいさんの言うことを全然信用しませんでした。 だってそんな大きなものが空を飛ぶなんて、どうしても考えられませんでしたから。 ところが今、現実に目の前に現れたのです。 ピョン吉は改めてバリトラじいさんの豊富な知識に驚きました。
 パタパタパタパタ
 ヘリコプターはピョン吉の頭上を通り過ぎ、 爆音も小さくなって山の彼方に消え去りました。 ピョン吉は岩の上でのんびりとながめていました。 ヘリコプターは恐ろしい音を出すけれども、 決して襲ってはこないことを、バリトラじいさんから聞いて知っていたからです。
 ヘリコプターが飛び去った方向は、 これからピョン吉が行こうとしている方向と同じでした。 ピョン吉は、空が飛べたらいいのになあ、と思いました。 空が飛べれば森も谷も越えて、すぐにでもお母さんの所へ行けるのですから。 ピョン吉は、悲しそうな顔をしているお母さんの姿を思い浮かべました。 いつか見た、タカに子供をさらわれたお母さんと同じように、 ピョン吉のお母さんも悲しんでいるに違いありません。 ピョン吉は、早く帰って元気な姿をお母さんに見せなければ、と思いました。
 岩の上から見える遠くの山々は、見たことの無い山ばかりです。 まだまだ遠い道のりなのかも知れません。 ピョン吉は大岩から降りて、森の中へと歩いて行きました。

 その晩は適当なねぐらが見付からず、寝付かれないままに木の下で休んでいました。 すると月明かりに照らされて、何者かが空を飛んでいるのが見えました。 その飛行物体は木から木へと飛び移っており、 フクロウにしてはおかしな飛び方です。
『モモンガもんもん、モモンガもんもん』
 聞いたことのない、おかしな声も聞こえてきます。 どうやらその飛行物体が、声を出しながら空を飛んでいるようです。
『もんもんモモンガもんもんもん』
 暗闇の中から声が近付いたかと思うと、 ピョン吉がいる近くの木に、パサッと何かが止まりました。 目を凝らして良く見ると、それはリスに似た動物のようです。 ピョン吉は声をかけようとしましたが、 その時にはもう木の高い所まで登ってしまいました。
『モモンガもんもん、モモンガもんもん』
 またさっきの言葉を言いながら闇の彼方へ飛んで行きましたが、 ピョン吉にはどこへ行ったのか見えませんでした。 しかしその動物には行先が見えているはずですから、 相当夜目の利く動物に違いありません。
『モモンガ・・・?』
 ピョン吉はその動物が言っていた言葉を思い出しました。 どこかで聞いたことのある言葉だったからです。 ピョン吉はしばらく考えていましたが、間もなく思い出しました。 以前ホッペが言っていた、変わり者のモモンガなのかも知れません。 モモンガは木から木へ飛び移ることが出来るのですから。
 ピョン吉はモモンガに会ってみたかったので、再び近付いてくるのを待ちました。 その動物と話をするためには、 何としてでも飛び去る前に声をかけなければなりません。 ピョン吉は全神経を空に集中し、その動物が近くに飛んでくることを祈りました。
『モモンガもんもん、モモンガもんもん』
 来ました!月明かりでその姿もはっきりと見えます。 しかもおあつらえ向きに、ピョン吉がいる木に向かって、 真っ直ぐ飛んでくるではありませんか。
 チャンスです!ピョン吉はありったけの大声を出しました。
「やあっ!」
 ゴツン!
 ドサッ!
 ピョン吉の頭の上に、その動物が落ちてきました。
「何すんだよお!びっくりするじゃないか!」
 落ちてきた動物は、思ったより小さな感じでした。
「ごめんごめん、驚いたかい?」
「当たり前だ、これを見てくれよ」
 言われるままに頭をなでて見ると、おでこに大きなコブが出来ていました。 恐らくピョン吉の声にびっくりして、 着地に失敗して木の幹に頭をぶつけたのでしょう。
「全く非常識な奴だなあ」
 まだ怒っています。 大きな目を真ん丸にして、ピョン吉をにらみながら言いました。 余程腹にすえかねたのでしょう。
「知らなかったんだ、許してよ」
 ピョン吉はひたすら謝り続けました。 こんなに大きなコブが出来るなんて、ものすごく痛かったに違い無い、と思ったからです。 でも、その動物が怒っている本当の理由は、実はそうでは無かったのです。
「ところで君はモモンガだろう?」
 相手の興奮が少し治まったので、ようやく気にしていたことを聞くことが出来ました。
「そうさ、名前はモモタンって言うんだ。知ってるんなら驚かさないでよ」
 ピョン吉は返事に困りました。 確かにモモタンの言う通りなのですが、そんなに驚くとは思わなかったのです。 でも目的は達成出来たので、まずは一安心です。
「ところで、このことは絶対秘密だぜ」
 モモタンが本当に怒っていたのは、着地に失敗して落ちたことを、 ピョン吉に見られてしまったからなのです。 モモタンはようやく飛行に自信が付いてきたときなので、 その失敗をだれにも知られたくなかったのです。
「うん、ぽくはピョン吉って言うんだ。だれにも言わないよ」
 ピョン吉はモモタンと約束しました。
「約束したのだから、いつまでも大きな目でにらまないでよ」
 ピョン吉は最初に会ったときから、 モモタンの真ん丸で大きな目が気になっていたのです。
「ふん、余計なお世話だね。大きな目は生れつきさ」
 モモンガに限らず、夜行性の動物は真っ暗な夜でも良く見えるように、 大きな目をしている場合が多いのです。 特にモモンガの場合には体が小さいので、 元々大きな目が一層大きく感じられるのかもしれません。
「失礼な奴だなあ、君は。もう何も話したくないね」
 モモタンはそう言って木に登り始めました。 高い所までまで登ってから、また別の木に飛び移るつもりです。
「ごめんよ、知らなかったんだ。降りてきてよ」
 ピョン吉はあわてました。今度飛ばれてしまったら、 もう戻ってきてくれないでしょう。 地上を走って追いかけても、追い付けるはずはありません。
「何言ってるんだい、ぼくがモモンガだって知ってたくせに」
 ピョン吉はホッペから聞いて名前を知っていただけで、 実際にモモンガに会うのは初めてでした。 モモンガについての詳しいことは知らないのですが、モモタンはそんなことは知りません。 早くピョン吉から逃げ出そうと、どんどん上の方へ登って行きます。
『モモンガもんもん・・・』
 ぐずぐずしていては飛ばれてしまいます。 なんとかモモタンを引き留めることは出来ないだろうか・・・ そうだ!名案がひらめきました。
「ねえ、それ教えてよ」
「ぼくは頭悪いからね、教えることなんか何も無いよ」
 モモタンはまだ機嫌が悪いようです。
『もんもんモモンガ・・・』
 いよいよ飛び出す態勢になったようです。
「それだよ、それ。もんもんを教えてよ」
 ピョン吉の言葉に、モモタンの動きが止まりました。
「君はぽくの歌が分かるのかい?」
「うん、覚えてみたいな」
 ピョン吉は『もんもん』が歌だとは知りませんでしたが、 何とかモモタンの機嫌を取らなければなりません。 『もんもん』を話題にすれば、引き留めることが出来るかも知れないと考えたのですが、 作戦は大成功でした。
「いいよ、教えてあげる」
 モモタンはパッと飛び出しましたが、大きく旋回して戻ってきました。
 ゴツン!
 ドサッ!
 再びモモタンがピョン吉の上に落ちてきました。
「あいたたたっ、やっぱり旋回飛行はうまく行かないや」
 またもや失敗したのに、今度は納得している様子です。
「旋回って難しいの?」
「当たり前じゃないか。うそだと思ったら君もやってみなよ」
 そう言われても、ピョン吉には空は飛べません。
「でも、もうちょっとだったね」
「そうなんだ、原因は分かってるんだ。 右手がちょっと下がり過ぎていたようだから、この次は絶対に成功させるさ」
 モモタンは自信たっぷりで話しています。 飛行の腕前が上達して行くのが、うれしくて仕方がないようです。 ピョン吉にもその気持ちは良く分かります。 ピョン吉だって狩りの腕前が上達するのはうれしいことですから。
「ぼくの歌が気にいったのかい?」
 ピョン吉の計略通り、モモタンは上機嫌になりました。
「うん、まあね」
「ちょっと難しいかもしれないけれど、覚えられるかい?」
「自信は無いんだけど・・・」
 実を言えば、ピョン吉は歌は苦手だし、とても覚えられるとは思っていないのです。
「まあいいや、良く聴いて覚えてね」
『モモンガもんもん、モモンガもんもん』
 モモタンは得意げに歌い始めました。
「さあ、ぼくのまねをしてここまで歌ってみてよ」
 ビョン吉は無理だなあと思いましたが、少しくらいは歌わなくてはなりません。 全然歌わなかったら、モモタンはすぐに飛んで行ってしまうでしようから。
『モモンガもんもん・・・』
 ピョン吉は仕方なく歌い出しましたが、やはり思うようには行きませんでした。
「駄目駄目駄目!君は下手だなあ」
 途中でモモタンがさえぎりましたが、ピョン吉は自分でも下手だと思っていたので、 モモタンを怒る気はありませんでした。
「ここは簡単なフレーズなんだぜ。この後はもっと難しくなるんだ、大丈夫かい?」
「うーん、心配だなあ」
「ぼくが歌うから、しっかり聴いててよ」
 モモタンはまた歌い出しました。
『もんもんモモンガもんもんもん』
 ピョン吉にとっては、どちらも同じように聞こえます。 難しさに変わりはありません。
「どうだい、ちょっと難しかったかな?」
「ちょっとどころじゃ無いよ!」
「そうかなあ。でも試しに歌ってみてよ」
 ピョン吉は迷いましたが、思い切って歌い出しました。
『もももんもん・・・』
 案の定、今度も丸っきり歌になりません。
「あーあっ、駄目だねえ、君は!」
 ピョン吉の歌を聴いていたモモタンは、もうお手あげだ、という顔をしています。
「そう言わないでよ。でも君は本当に上手だねえ」
「そりゃあそうさ。だってぼくは『しんがあそんぐらいたあ』だからね」
 モモタンは胸を張って答えましたが、ピョン吉にはその言葉の意味が分かりません。
「しんがあそんぐらいたあ?」
「そうだよ」
「なんだい?それ」
「えーっ、君は『しんがあそんぐらいたあ』を知らないの?」
 モモタンは大きくて丸い目を、さらに丸くして驚いています。
「うん、聞いたこと無いよ」
「古いなあ、君は。ぼくが歌を作って、ぼくが歌うことさ」
「ふーん、君はすごいんだねえ」
 ピョン吉は半分は感心していますが、 半分は会語を途切らせないために話しているのです。
「それにしても君は下手だなあ。お母さんに似たのかい?」
 お母さんのことを言われてピョン吉はむっとしましたが、 それと同時に『しめた!』とも思いました。 これで歌から話題をそらせることが出来るからです。
「実はね、ぼくはお母さんとはぐれてしまったんだ」
「なんだってえ、君は迷子だったのかい?」
 またもや大きな目が真ん丸になりました。
「うん、まあね。それで今は帰る途中なんだ」
「へえぇ、見かけより苦労してるんだねえ」
 ピョン吉はモモタンにも全ての出来事を語しました。 ピョン吉は池を目標にして帰ろうと思っていたので、 この付近に池が無いかたずねました。
「ねえ、この辺りに池は無いかなあ」
「池?なんだい、それ」
 モモタンは目を丸くして聞き返しました。 ピョン吉の期待に反して、モモタンは池そのものを知らないようです。
「池と言うのはね、水が溜まっていて川よりずっと広いんだ」
 ピョン吉はモモタンに池のことを教えました。
「本当かい?本当にそんなに水があるのかい」
 モモタンが池のことを知らないのは、この付近には池が無いからでしょう。 したがってピョン吉が育った所は、まだまだ先の方ということになるようです。
「役に立てなくてごめんよ。でも、きっと帰れると思うよ」
「うん、ありがとう。君と会えて楽しかったよ」
 ピョン吉はそう言ってモモタンと別れようとしました。
「ところでさっきの話に出てきたヒミズなんだけど・・・」
 モモタンはまだ用事があるようです。
「名前はホッペと言わなかったかい?」
「そうだよ、知ってるの?」
 ピョン吉はホッペの名前が出てきたので驚きました。
「知ってるとも。あいつは変わり者だからね」
 おやおや、立場が変われば言うことも逆転です。
「それにあいつの歌は品が無い。君も聴いただろ」
「えっ、何を?」
「ほらっ、『穴掘りエッホ』という品の無い歌だよお」
 ピョン吉も『穴掘りエッホ』の掛声には随分悩まされましたが、 まさか歌だとは思ってもみませんでした。
「えーっ、あれは歌だったのかい!」
「君もそう思うだろ!ぼくの格調高い歌とは雲泥の差さ」
 ピョン吉には『モモンガもんもん』が格調高いとも思えませんが、 そんなことを口に出す訳には行きません。
「君の歌は誰か知ってるのかい?」
「もちろんさ、ホウホウじいはぼくの歌のファンなんだぜ」
 モモタンは得意そうに話しています。
「やっぱりモモンガなの?」
「違うよ、彼は向こうの森に住んでいるフクロウのじいさんさ」
「へえ、フクロウが君の歌を知ってるなんて不思議だなあ」
「何言ってんだい。音楽は共通さ」
 モモタンはご機嫌ですが、ピョン吉にはやっぱり不思議な気がしました。
「あっ、そうだ!」
 モモタンの目が、また真ん丸になりました。
「ホウホウじいは物知りなんだぜ。何でも知ってるんだ」
 バリトラじいさんもそうでしたが、年寄りには物知りが多いのかも知れません。 ホウホウじいがピョン吉が住んでいた所を知っている可能性だってあります。
「池のことも知ってるかなあ」
「絶対に知ってるさ。ホウホウじいの知らないことなんて無いんだから」
 モモタンは大きな目を輝かせています。 どうやらホウホウじいに対する信頼には、特別なものがあるようです。
「会えるかなあ」
「うーん、それが難しいんだ。何しろホウホウじいは気まぐれだからね。 毎日居場所が決まっていないんだ」
 いくら物知りでも、会えなければ話は出来ません。
「どうしても会いたいんだけど・・・」
「保証は出来ないけどさ。 ホウホウじいは向こうの森にいることが多いから、とにかく行ってみたら?」
 その森というのは、ピョン吉が昼間岩の上から見た、谷の反対側の森のことです。
「そうだね。どうせあの森は通らなければならないし・・・」
「もし会えたらさ、ぼくのこともよろしく伝えてよ」
「分かった、約束するよ。君が着地に失敗したことも絶対にしゃべらないからね」
「あれはもう忘れてよ。じゃあぼくは行くからね」
 モモタンはそう言って木に登り始めました。
「しっかりお母さんを見付けなよ」
「ありがとう。元気でね」
 モモタンはもう高い所まで登り着き、 目標の木も見付けて飛び出す準備が出来たようです。
『モモンガもんもん、モモンガもんもん』
 歌と共に、モモタンの姿は闇の中へ消えて行きました。 ピョン吉はまたひとりぼっちになってしまいました。 でも何と無く、もうすぐお母さんに会えるような気がしてきました。

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