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 初めての狩り

 何日かが過ぎ、ピョン吉の体はまたうずうずしてきました。 やっぱり外へ出たくて仕方が無いのです。お母さんも、 子供たちに狩りの仕方を教えなければならない時期が来たことを知っていました。 いつかは子供たちも独立し、ひとりで生きて行かなければならないのです。 そうなれば自分の力だけで狩りをして、 獲物を捕えなければ食べ物を手に入れることは出来ません。 小さかった妹たちもしっかりと歩けるようになったので、 お母さんは子供たちを連れて狩りに行くことにしました。 もちろんピョン吉は大喜びです。
 お母さんは出掛ける前に注意事項を言って聞かせました。 絶対にお母さんから離れないで後ろから付いてくること。 自分勝手に行動しないこと。おしゃべりをしないこと。 どれも簡単なことばかりですが、お母さんは心配でした。 最初は言い付けを守っていても、 夢中になると忘れてしまうことを知っていたからです。 特に今年はピョン吉がいるので、なおさら大変です。 ひとときも目を離せないことになるでしょう。
 ピョン吉はうれしくて仕方ありません。 どんなにこの日を待ち望んでいたことか。 待ちに待った狩りの日がとうとうやってきたのです。 張り切って出発したピョン吉は、お母さんのすぐ後ろにぴったりと付いて行きました。 のんびり屋のお兄さんは、一番後ろからゆっくりと歩いてきます。 ふたりの妹はその間を歩きながら、相変わらずおしゃべりをしています。
 ピョン吉は思いました。
『女はどうしてこんなにおしゃべりなんだろう。 もうお母さんの注意も忘れちゃって、全く困った連中だ』
 でもピョン吉だって偉そうなことは言えません。 お母さんが立ち止まっても、ピョン吉はどんどん先へ行きそうになるからです。 その度にお母さんはピョン吉の頭をたたいてしかりました。 しかしいくらしかってもピョン吉には効き目が無いので、 そのうちにお母さんはしかるのをあきらめてしまいました。 前をチョロチョロするので邪魔にはなりますが、迷子になる心配はありませんから。
 ピョン吉は巣穴を出るとき、絶対一番最初に捕まてみせるぞ、と決心していました。 だってお兄さんはのんびり屋だし、妹たちはまだ力が弱いのですから。 お母さんは自信満々のピョン吉を押え、後ろからついてくる子供たちを確認し、 危険が無いか周囲に注意を払いながらゆっくりと歩いて行きます。
 しばらくするとお母さんは立ち止まり、 前方をにらみながら静かに腰を下ろしました。 どうやら獲物を見付けたようです。 ピョン吉はうっかり前に出そうになりましたが、 お母さんにしかられる前に止まって、同じように腰をかがめました。 後から来たチコとピコ、そしてチョロ吉もお母さんの隣へ行き、 家族全員が横一線に並んで前方に注目しました。
 お母さんはじっと前を見たままです。 ピョン吉も同じように前を見ているのですが、何も見付けることは出来ません。 他の兄妹たちも見付けることが出来ないようで、盛んに首を動かしています。 やがてお母さんは少しずつ、少しずつ、音をたてないで前進を始めました。 子供たちは息をひそめ、お母さんの動作を見守っています。 あんなに張り切っていたピョン吉も、体がこわばって全然動くことが出来ません。
 本当の狩りは今日が初めてでした。 今までにも、お母さんが捕まえてきた弱っている動物を、 兄妹がカを合わせて仕留めたことはあります。 その時にも興奮しましたが、今目はもっと興奮して心臓がどきどきしています。
『どこにいるんだ、獲物は何だろう』
 ピョン吉は何とか相手を見付けようと、懸命にお母さんの前方を見詰めました。 しかし相変わらず見えるのは大きなシラビソの幹とクマザサ、 そして名前も知らない草の葉だけです。 ピョン吉は次第にいらいらしてきました。 そしてお母さんに話しかけようとした瞬間、クマザサが揺れて何かが飛び出しました。 ネズミです。
『お母さん、ネズミだよ!』
 ピョン吉は急いでお母さんに知らせようとしました。
「チュウ、チュチュウ、チュウ」
 鋭い悲鳴が響きました。 ピョン吉が知らせるよりも早く、 お母さんはネズミに飛び掛かって捕まえてしまいました。 だってお母さんは、ずっと前からネズミを見付けていたのですから。
『やっぱりお母さんはすごいなあ』
 ピョン吉は改めて感心しました。 兄妹たちもぼうぜんとして見詰めています。 やがて我に帰った子供たちは、一斉にお母さんの所に駆け寄りました。 でもその時には、お母さんはすっかりネズミを食べ終わっていました。 ピョン吉たちは出掛けるときに、自分の分は自分で捕まえる、と約束していました。 だからお母さんが全部食べてしまっても、何も不平を言うことは出来ないのです。 でもそれほどおなかはすいていないし、 獲物を捕まえるには十分な力は残っているので心配はいりません。
 お母さんにはお母さんの考えがありました。 獲物を捕まえるには満腹のときよりも、 少し空腹のときの方が良いことを知っていたからです。 空腹になれば、子供たちも真剣に獲物を捕えようとするに違いありません。
 お母さんは上の方にある岩場に行ってみようと思いました。 狩り場として適当な広さがあり、 獲物のネズミが一杯いて捕まえやすいと思ったからです。 ただ、一つだけ心配なことがありました。 それは上部が開けているために、 タカやワシ等の空からの襲撃に注意しなければならないことでした。
 一行はお母さんを先頭に、再び歩き始めました。 大木の茂る原生林の中を通って行くので、晴れた日の昼間だというのに薄暗い道です。 子供たちにとっては初めての道でした。 必死にお母さんの後をついて行くと、やがて先頭のお母さんが立ち止まりました。 また何か獲物を見付けたようです。
 今度は子供たちにも獲物をすぐに見付けることが出来ました。 大きなしっぽが揺れていたからです。リスです。 夢中で何かを食べている様子で、まだピョン吉たちには気付いていません。 お母さんは誰に行かせようかと子供たちを見回しました。 一番近くにいるのはピョン吉です。
『ピョン吉に捕まえられるかなあ』
 お母さんはあわて者のピョン吉の性格を知っていたので、 うまく捕まえられるか心配でした。 でも最初は失敗しても仕方ありません。 お母さんだって初めての狩りでは獲物に逃げられてしまったのですから。 お母さんはピョン吉に合図を送りました。 ピョン吉は大喜びで、いきなりリスに向かって突進して行きました。
『捕まえたぞお!』
 勢いよく飛び出したピョン吉は、最後に大きくジャンプして大きく口を開け、 後ろを向いているリスに飛び掛かりました。
 ドッスーン!
 ピョン吉は頭から地面に突っ込みました。 突進して来るピョン吉に気付いたリスは、素早く木に登ってしまったのです。 後ろではお母さんと兄妹たちが笑っています。 ピョン吉はくやしくて仕方ありませんが、悪いのはピョン吉なのです。 お母さんのまねをしてそっと近付けば良かったのに、遠くから走って行ったのですから。 これではリスだって気が付いてしまいます。
 思い切り頭をぶつけたピョン吉ですが、幸いなことに怪我はありませんでした。 運良くそこが柔らかい地面だったからです。 お母さんは心配そうに近寄ってきましたが、元気なピョン吉を見て安心しました。 でもピョン吉の顔は泥だらけになっていたので、 それを見てもう一度大笑いをしてしまいました。
 ピョン吉はぶつぶつ言っていますが、一行は前進を再開しました。 妹たちは声にこそ出しませんが、今にも噴き出しそうな顔をしています。 ピョン吉がそばにいなかったら、大声で笑い出していたに違いありません。 チョロ吉はいつもの通り表情を変えず、だまって顔の泥を落としてくれました。 ピョン吉は少し離れて、一番後ろから付いて行くことにしました。

 やがて空が明るくなり、目的地の岩場に着きました。 そこには大きなシラビソの木は一本も無く、 青く広い空も白い雲も、まぶしいくらいの太陽も見ることが出来ます。 その空は巣穴から見ていた空よりも、ずっとずうっと広く感じられました。
『空ってこんなに広かったのか、すごいなあ』
 子供たちは初めて見る明るい空に驚き、感嘆しながら見上げています。 でもお母さんは、油断無く周囲に気を配っています。 こんなにも無警戒なときに敵に襲われたら、ひとたまりも無くやられてしまいます。
 お母さんはもう一度子供たちを集め、念を押して注意事項を伝えました。 タカやワシに注意しなさい、と何度も言っているのですが、 子供たちにはピンとこないようです。 しかしそれも当然のことです。まだ一度も見たことが無いのですから。
 お母さんの注意事項はたくさんあるので、 とてもピョン吉には覚え切れません。 お母さんの話はなおも続いていますが、ピョン吉の隣で話を聞いていたチコが、 突然ぐぐっと頭を上げ、前方の狭い岩の間をにらみました。 お母さんも話を止めて後ろを振り向き、岩の方に視線を移しました。 狭い岩の間でちょこちょこっと動いているのは、どうやらネズミのようです。 ピョン吉もすぐに見付けることが出来ましたが、 最初に見付けたのはチコですから、狩りをする権利はチコにあります。
 チコはひとりでは心細いので、ピコと一緒に追いかけることにしました。 ふたりともお母さんの言い付けを守り、両側からそっと近付いて行きます。
 突然ネズミが走り出しました。気付かれてしまったのです。 チコとピコは急いで追いかけましたが、ネズミは狭い岩の間を逃げ回っています。 ふたりが協力して追いかけているので、 ネズミもなかなか追跡を振り切ることが出来ません。 チコがひとりだけだったら、もうとっくに逃げられていたでしょう。
 ネズミは逃げながら必死に潜り込む穴を探しています。 狭い穴に逃げ込んでしまえぼ、もうオコジョは追ってこられません。 ネズミはあせってきましたが、ようやく逃げ込める穴を見付けました。 ほっとして穴に飛び込もうとした瞬間、何者かに食いつかれ、 地面に押し倒されてしまいました。
 ネズミを倒したのはチョ口吉でした。 チョロ吉はネズミが逃げてくる方向を見定め、先回りして待ち伏せをしていたのです。 チコとピコも追い付いてきました。 最後に捕まえたのはチョロ吉ですが、 チョロ吉ひとりのカだけで捕まえたのではありません。 みんなで仲良く分けて食べることにしました。
 お母さんとピョン吉もやってきました。 お母さんは溝足そうな顔をしていましたが、ピョン吉は不機嫌な顔付きです。 自分が一番最初に捕まえてみせると言っていたのに、先を越されてしまったからです。
『ふん、ネズミはのろまだから捕まえられたのさ。 ぼくの獲物はすばしっこいリスだから逃げられてしまったんだ』
 ピョン吉は自分で自分をなぐさめました。 でもこのままではくやしくて帰れません。
『絶対にひとりで捕まえてやるぞ』
 兄妹に先を越されたピョン吉は、少しあせってきました。 何としてでもひとりで獲物を仕留めてやろうと思い、岩場の上の方へ歩き出しました。 ピョン吉に気が付いたお母さんは戻るように声をかけましたが、 ピョン吉はどんどん上って行き、 やがてその姿は岩や草がじゃまをして見えなくなってしまいました。
 チョロ吉たちは夢中になって、初めて自分たちで捕まえたネズミを食べています。 食べることに神経を集中しているため、周囲に対する警戒は全く忘れています。 こんなところをタカやテンに襲われたら逃げようがありません。 お母さんはピョン吉も心配ですが、この場所を離れる訳にはいかないのです。
 ピョン吉は獲物を探すのに夢中で、お母さんに注意されたことはすっかり忘れていました。 空には地上の獲物を探して、怖いタカやワシが飛んでいることも。 それでも生れついての本能とでも言うのでしょうか、 ピョン吉は岩陰から岩陰へと身を隠しながら進んで行きます。 これなら空を飛んでいるタカでも、そう簡単にピョン吉を見付けることは出来ないでしょう。
 なかなか獲物が見付からないので、ピョン吉はだんだんあせってきました。 いつの間にか、お母さんたちがいる所よりも、ずっと高い所まで上ってしまいました。 夢中で上ってきたビョン吉ですが、やっぱりまだ子供です。 スタミナの配分を考えずに走り回ったので、すっかり疲れてしまいました。 ピョン吉は岩陰に寝そべって、一休みすることにしました。
『どうしてかなあ』
 岩陰から空を見上げながら、ピョン吉はふとお母さんの注意を思い出しました。
『空には隠れる所が無いんだから、タカやワシがいても下からは簡単に見付けられるのに。 それから隠れたって間に合うさ』
 ピョン吉には、お母さんがどうしてあんなに心配しているのか分かりませんでした。 目の良いタカやワシは、オコジョよりもずっと遠くから獲物を見付けることが出来るのですが、 ピョン吉はそんなことは知りませんでした。 ピョン吉が空を見ながら考えていると、カサカサッと小さな音がしました。 素早く音のした方を見ると、そこには一匹のネズミがいました。
『しめた!今度は逃さないぞ』
 絶好のチャンスです。ピョン吉は今度は用心深く近付いて行きました。 ネズミはまだ気付いていません。 しめしめと思いながら更にもう一歩進んだとき、 ネズミの向う側に何か動くものを見付けました。 それは見たことの無いオコジョでした。まだ子供です。 ピョン吉と同じように狩りの練習をしているのでしょう。 そのオコジョはどんどんネズミの方に近付いて行きます。
『こら、ぼくが先に見付けたんだぞ』
 ピョン吉は大声を出しそうになりましたが、 ここで声を出したらネズミが逃げてしまいます。 そんなピョン吉の心も知らずに、見知らぬオコジョはネズミに突進して行きます。 先程のピョン吉とまるで同じです。
『そんなに急いで行ったら、逃げられちゃうぞ』
 もうピョン吉は、気が気でなりませんでした。 どうやらそのオコジョはピョン吉には気付いていないようで、 一直線にネズミに向かっています。 このままではせっかく見付けた獲物を横取りされてしまいます。
 チョロ吉たちはすっかりネズミを食べ終えていました。 お母さんはそんな彼らを急いで岩陰に入れました。 いつの間にか、空には一羽のタカが飛んでいたのです。 お母さんは長い経験から、タカが音も無く飛んでくることを知っていました。 だから決して空に対する警戒を緩めたことは無いのです。
 お母さんはピョン吉の事が心配になりました。 経験豊富なお母さんでさえ、 狩りに夢中になると空に対して無警戒になってしまうことがあるのです。 きっとピョン吉はタカのことは忘れているに違いありません。 お母さんは何とかピョン吉に知らせようと大声を出しましたが、 聞こえたかどうかは確認出来ませんでした。
 ピョン吉はもう我慢出来なくなり、生意気なオコジョをこらしめてやろうと思いました。 しかしそれよりも早く、オコジョの接近に気付いたネズミは逃げ出し、 その生意気なオコジョはあわてて後を追いかけました。
『ほーら見ろ、逃げられた』
 ピョン吉は自分が同じ失敗をしたことは、もうすっかり忘れています。 それにしてもくやしいので、そのオコジョの後を追いかけることにしました。
 その時です! 岩陰から飛び出そうとしたピョン吉の頭上を、黒い影が通り過ぎて行きました。 その影は前方に降りたかと思うと、 悲鳴をあげているオコジョをがっしりとした足でつかみ、 あっと言う間に大空に舞い上がりました。
 ピョン吉は何が起きたのか分からず、ぼうぜんとしたままです。 獲物のネズミが逃げ込む穴を探してウロチョロしているのも、全く目に入りません。
 ピョン吉のお母さんも、ぼうぜんとして空を見詰めていました。 タカが子供のオコジョを捕まえて飛んで行ったのを、 はっきりと見てしまったからです。
『やっぱり岩場には来なければ良かった!』
 お母さんは猛烈に後悔していました。 狩り場が森の中だったら、獲物を捕まえるのも難しいけれど、 タカに襲われる心配は無かったからです。
 残った子供たちは、心配そうにお母さんの顔を見ています。 この子供たちは安全に巣穴まで連れ帰らなければなりません。 お母さんは決心しました。 共同作業とはいえ、子供たちだけで獲物を捕えたのだし、 これからは森の中で狩りをしようと。
 何が起こったのか分からなかったピョン吉にも、ようやく事態が飲み込めました。 そしてタカの恐ろしさを身にしみて感じました。 やっぱりお母さんの言うことは正しかったのです。 もしピョン吉がネズミを追いかけていたら、 今頃はあの恐ろしいタカに食べられていたでしょう。
 ピョン吉はひとりぼっちでいるのが急に怖くなってきました。 早くお母さんの所へ帰らなければなりません。 この岩場を下へ降りて行けばお母さんに会えるはずです。 でも、ピョン吉は獲物を探しながら夢中で上ってきたので、 お母さんのいる所が分からなくなってしまいました。 大きく背伸びをして見ても、岩や草がじゃまをして見通しが利きません。
 いつまでも迷っている訳にもいきません。 ピョン吉は、見通しが利くような大きな岩の上からお母さんを探す決心をしました。 でも岩に上がれば空から丸見えになってしまいます。 ピョン吉は用心深く空を見回し、慎重に安全を確認してから岩に上がりました。 そうして念のため、もう一度空を見上げました。大丈夫です。 ピョン吉は視線を下に移し、お母さんの姿を探しました。 タカに見付からないうちに、素早く探さなければなりません。
 いましたいました、すぐに見付かりました。 お母さんもこちらを見ています。 ピョン吉は思わずほっとしましたが、ちょっと様子が変です。 だってピョン吉がお母さんと別れたのは、もっと下の方だったからです。 それに方角だって反対です。
 ピョン吉は急いで駆け降り、隣の岩の上に移動しました。 近寄ってもう一度よく見ると、それはピョン吉のお母さんではありませんでした。 そのオコジョはとっても悲しそうな顔をしています。 さっきタカにさらわれたオコジョのお母さんに違いありません。 お母さんの後ろに隠れてこちらを見ている子供も、 とっても悲しそうな顔をしています。
 そのお母さんも、子供がタカにさらわれてしまったことをくやんでいたのでしょう。 そんなとき目の前にピョン吉が現れたので、 もしかしたら自分の子供では、と思ったに違いありません。 でもピョン吉を見て自分の子供ではないことに気付き、 あきらめるしか無いと思ったようです。
 一緒にいる子供はひとりだけでした。 大勢いたはずの他の子供たちは、みんな食べられてしまったのかも知れません。 その親子は向きを変え、静かに森の中へ入って行きました。 それはピョン吉が今までに見たことの無い、寂しそうな後ろ姿でした。
 ピョン吉のお母さんも心配しているに違いありません。 ピョン吉はもっと下へ行こうと決心しました。 念のためにもう一度空の安全を確認し、岩陰を伝わって下って行きました。 もう同じ失敗を繰り返すことは無いでしょう。
 ピョン吉は手頃な岩を見付けては駆け上がり、素早く周囲を見回しました。 でもお母さんの姿はどこにも見えません。 用心深くなったピョン吉はすぐに岩から降りますが、 何度も繰り返しているうちにだんだん心細くなってきました。 探す元気のなくなったピョン吉は、岩の上から森に向かって大声で叫びました。
「お母さーん」
 返事はありません。
「お母さーーん」
 今度はもっと大きな声で叫びました。
 森の中を歩いていたピョン吉のお母さんは、 ピョン吉の声が聞こえたような気がしました。 最初は空耳かと思ったのですが、その声は子供たちにも聞こえたようです。 一行は立ち止まり、物音を立てないようにして聞き耳を立てました。
「お母さーーん」
 今度ははっきりと聞こえました。間違いなくピョン吉の声です。 お母さんは子供たちを木陰に入れ、 お母さんが戻ってくるまでこの場所を動かないように言い聞かせました。 そして子供たちが納得するのを確認すると、急いで岩場の方に戻って行きました。
 ピョン吉は今にも泣き出しそうな顔をしていました。 初めて来たこの場所から、ひとりで巣穴まで帰れるはずがありません。 ピョン吉はまだ知りませんが、いつまでも大きな声でお母さんを呼び続けていると、 その声を聞き付けてテンがやってくることもあるのです。 老かいなテンになると、叫び声を聞いただけで、 それが迷子のオコジョであることを見抜いてしまうのです。
 でもいまのピョン吉には、お母さんを呼び続けることしか頭に浮かびません。 もう一度大声を出そうと思ったときです。 下の森から何かが顔を出しました。オコジョです。 今度は間違いなくピョン吉のお母さんでした。
「お母さーん」
 ピョン吉は夢中で駆け寄って行きました。 ピョン吉はしかられると思っていましたが、お母さんは黙って迎えてくれました。
「良かった良かった、本当に良かった」
 お母さんは本当にうれしそうな顔をしていました。 死んだと思っていたピョン吉が、怪我ひとつなく戻ってきたのですから。 お母さんはピョン吉の頭を軽くなでると、 急ぎ足で子供たちが待っている場所に向かいました。
 チョロ吉も、チコもピコも大喜びです。 家族全員が揃ったところで、お母さんを先頭にして歩き始めました。 ピョン吉もようやく心が落ち着いてきましたが、それに連れておなかがすいてきました。 獲物を捕れなかったピョン吉は、今目は朝から何も食べていなかったのです。
 でも大丈夫です。 ピョン吉が巣穴に着くまでに、 きっとお母さんが何か獲物を捕まえてくれることでしょう。

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