『大島合宿の思い出』 11期 和地
時、夏にして熱帯性低気圧大島上空接近のもとに我々「SDC」の夏期合宿が行われた。
私目にとっては入部したばかりで初の合宿となったわけであります。
先輩(二年生)から合宿の練習について少々聞いてみましたところ、なにやら"シゴキ"の合宿!?だとか。
しかし、"ホンネ"はわからずとも"タテマエ"はいちおう「一年生の素潜りの完成」が目的。
大島へ行ける。
という期待と"シゴキ"の恐怖との混じり合った、たいへん不安な気持ちでOB、四年生諸氏のお見送りのもと、豪華客船??「さるびあ丸」へ乗船。
乗船後、荷物の整理、席の確保 etc と別に何事も起こらなかった。
だがしかし何もないということはないことナノダ!!
私目は船内に居たのだけれど、ふと外の空気が吸いたくて、展望室の方へ行ってみた。
階段を昇っていくと何やら騒がしいではないか。
展望室の中で誰か騒いでいる。
近寄って中を見るとナント「SDC」の面々ではないか。
何故か知らず、酒が入っていた。
先輩からの差し入れだそうだ。
なんだかわからぬうちに私目も中に引きずり込まれ、無理矢理に仲間に入れられてしまったような気がした。
何時間そうしていたかわからなかった位騒いでいたようだった。
さて寝ようかと思ったら、場所がなく仕方なしに窓の「サン」の上に寝た。
意味もないのに、クマコマシの名が付いてしまった。
こんな具合に第一日目が終り、少々先行きが心配となりました。
次の日の一日は、たいへんたいへん長かったこと。
『日本でいちばん長い日』だったのかも知れません。
朝の五時半頃に港に着き、朝食の時は何故か夕食でもとっているような心持ちでした。
結局この日は待機のまま潜らずじまいで何か残念な気持がした。
そして三日目、念願の大島の海に潜れる時が来た。
感想からいうと、"シゴキ"の合宿ではない(自分にとってのみ)ことと、期待しすぎたせいか、大島の海もさほどきれいとは感じなかった。
ただ閉口したのは少々波が高かったため胸やけを起してしまったことだ。
一年生も大半が波酔いのため岸に上がった時はさすがにぐったりとしていた。
熱低の影響で二・三日潜れない日もあったけれど合宿も半ば、早朝ダイビングを経験した。
夏といっても朝の六時頃はやはり裸では寒かった。
この日のエントリー数。
実に7回。
この記録はクラブのタイ記録だそうだ。
このころから少々"シゴキ"のたぐいが加わった。
"シゴキ"と言っても、さほどきついものではなくて先輩がボンベを使用している間、我々一年生だけの特訓。
遠泳ダッシュや平行潜水など。
きつかったのは平行潜水で、二〜三十mの距離を往復潜水。
これにはさすがの私目もまことにまいりました。
合宿も中間頃になると、肉体的にも精神的にもそろそろ疲れはじめ、
始めのうちは一年生の仕事である食当、スーツ洗い、部屋の清掃、ふとんの上げ下げなど、ついめんどうくさくなりがちで、
他人を頼る事もしばしば、それでも幸か不幸か熱低のおかげで肉体疲労の方はどうにかおさまり、
早いもので合宿も後半となり、ぼちぼちと夜の方も活発となっていった。
何が活発になったかというと、
夜襲だ!!というかけ声と共に、マジックあるいは赤チンを片手に、
我々が眠っている上から馬乗りで、腹、背中と、ところかまわず塗りまくる有様、やはり合宿にはつきものの行事なのか?
特にすごかったのは最終日の前日。
皆総出で一人に寄ってたかって描き放題。
結局一人残らず描かれてしまったわけである。
その時の様子は、書くまでもない事。
想像を絶するそれはそれはすさまじいもの。
とだけ書いて置く事にします。
やはり、熱低の影響か、この"シゴキ"の合宿もさほど苦しい合宿とはならず、むしろ楽とさえ言える合宿となってしまったが、
天候に左右されやすい活動としては仕方のないことであった。
さて、最終日。
待ちに待ったボンベを着けられることとなった。
あいにくと波が高く、もしや、と思ったが、さすが先輩。
タイドプールを見つけて下さって潜らせていただいた。
そして夕方からは恐怖のコンパ。
ビールをかけられるという噂どうり、みごとにビール漬けとなってしまった。
苦しい事より楽しかった事の方が多かった。
そして練習も少なかったように感じるけれど、しかし合宿をしたことの成果はあったと思う。
(皆それぞれに色々と感じ、考えそしてこれからのクラブをより良くするために頑張っていくことと思う。)
一夜明け、
昨日の酒がまだ残っていたけれど「いちおう合宿を終えた」という征服感で、民宿『三佳』で記念撮影をした後、一路帰路に着いた。
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