『合宿の思い出』 9期 安藤


 昭和五十年八月、我がスチューデント・ダイバーズ・クラブへ入部してから最初の合宿である。

竹芝に集合している時の上級生のジョークのもの凄さに、私の恐怖心は募るばかりであった。

あの夕暮れの魔のスーツ洗い。

ヤブ蚊の大群に襲われ、ヒグラシの物悲しい声と、先輩の大声に怯え、やけに夕陽が赤々と燃えていた三佳の洗い場。

そしてボンベを初めて装着した時の感激、潮に流され必死に泳いでも前へ進まないあの大自然の恐怖。

さらにあのおぞましいボディーペインティング、ねむたくはないのかと思う根性!?

でも、一番大切な、海とはどういうものかを教えてくれた先輩たち!! 嗚呼・・・・・・。

と、まあこれが、私の一年の最初の合宿でした。

合宿で同じカマのメシを喰い、一年生同志お互いが理解でき、SDCというものがわかりかけてきた。


 今思えば、あの頃が一番楽であった。

だが!!学年が進むにつれ、責任が重くなり、悩みが増し始めた。

二年の時、一年生から初めて先輩と呼ばれ、とまどいながらも一生懸命頑張った。

少々顔がほころびもしたが。

三年生からは二年としての自覚が無いと言われ、怒りと自分自身の情けなさに合宿中悩み続けたといっても言いすぎではなかった。

でも一生懸命やった。

一緒に寝起きして一年生の事が少しでも解りかけてきたのが、せめてもの救いであった。


 そして、二年次の春合宿、来年度は俺達の代だと持てるすべてのものをつぎ込み、一年を自分自身を教えて来た。

自分の力の無さにガクゼンとした時もあった。

今思い出しても情けない。

ただ、ただ、情けない。


 でも水中パーティーは楽しかった。

波と潮が強すぎて海では行えなくなったが、タイドプールでやった。

バナナを食べ、海水?の混じったコーラを飲んだ。

中にはパンとソーゼージに挑戦したやつもいた(その名は、天下のヨゴレじゃ〜!)。


 だが、一年生に四月からは二年生だぞという事を教えるのはたいへんだった。

ただ、ただ、たいへんだった。


 そして永井も、一人別室で明日の予定を立てていた。時計の針が十二時を過ぎる事もしばしばである・・・・・・。


 昭和五十二年八月、三回目の夏合宿である。

一年生の素潜りの完成と、二年生の熟練へと的が絞られる。

が、しかし、それ以外にも問題はある。

一年生同志の和、一・ニ年との和。

一年生にしてみればクラブへなじむための期間でもある。

あの魔のスーツ洗いで一年生同志がまとまってくれれば、と、そう願った。その答えは・・・・。


 天候に振りまわされ、まともに潜れたのが数えるほどしかなかった。

病人、ケガ人も出た。

一年生にボンベを装着させてだいじょうぶだろうか、私の心に不安がよぎった。

でも、我々上級生の強力なバックアップにより成功した。

一年生の顔は一部の未装着者を除き、喜びに満ちあふれていた。

私もこの合宿で初めてこらえきれない喜び、充実感が湧いてきた。

だが、合宿は私は失敗だと思う。

天候の不順による潜水回数の不足は、どうしようもなかった。

海況を見て来た永井の言葉に、クヤシサと残念さで胸の中がモヤモヤとして、やたらイライラして来た。

どんなに落ち着こうとしても、だめであった。

それに一・二年同志の和という問題も後を引いて、コンパも少々ヤケ気味であった。


 そして今、春合宿を前にして私はひさびさに燃えて来た。

一年生に海をもっと教えてやろう。

『めざせ、水棲人間!!』

合宿、嗚呼合宿。

苦しくもあり楽しくもあり。

酒と怒鳴り声と、涙と笑いとマジック。

夕焼けとヒグラシとヤブ蚊の大群。

クシャミの寒さと空腹。

嗚呼合宿。

今思い出すにつれてその時の事が頭に浮かんでくる。

その時、その時を悔いが無いようにやってきたが実際は・・・・・・。


 三月の沖縄合宿では、我悔いなし、と言えるようにしなくては。

一九七八年は、おまえ達の年だ。

上野、吉田、壁谷、智、寿美、奥島、迫田、大竹、長藤、和地、友廣、藤代、稲葉、桜井、後は頼んだぞ!!


昭和五十二年十二月十日 一二七教室にて。



          


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