『潜水体験談』(沖縄・小浜島にて) 9期 難波
私がダイビングを始めてから、早くも3年の月日が過ぎようとしています。
その3年間に数々の魅力的な経験をする事ができましたが、
その中で最も印象に残っているのは、昭和51年の春の沖縄・南西諸島・小浜島への潜水行です。
当時1年生だった私は、まだまだ潜水経験も浅く、(今でもまだまだですが・・・)
しかも、サンゴ礁での潜水も始めてのことでしたので、今考えると恐ろしくなるような事もいろいろと経験する事ができました。
ある日の事です。
小浜島は西表島を目の前にし、その両島を隔てる水道はとても流れが速く、特に大潮の日は激しい流れが出現します。
その日はたぶん大潮に近かったのでしょう。
ベースにしていた民宿の前の海でも水道の流れに影響されて、かなりの流れがありました。
ところで、小浜島は小さな島ではあるけれども、豊富な海の幸に恵まれ、観光の島というよりも、むしろ漁師の島といった面を持つ島です。
特に民宿のある地域は漁をして生計を立てている人がほとんどで、
私達もその中に混じって魚などを獲って来て食べるのも大きな楽しみの一つでした。
その日は仲良しになった漁師の船に乗せてもらって前の海へ素潜りを楽しみに出かけました。
もちろん魚を突いてくるのも目的の一つでした。
前の海は水深が浅く、1kmほど岸から離れても水深は2〜3mしかありません。
その日、エントリーした場所は水深2〜3mで大きなサンゴが散在する場所でした。
私達(私たちというのは、私、今村君、安藤君、二期先輩の中江さんの四人でした。)を降ろすと船は何処かへ行ってしまい、
私と今村君はバディーを組んで潜り始めました。
潜り始めてすぐにヤスを使ってサンゴの下に潜っている"ツノマン"(テングハギ)という魚を仕留めました。
ツノマンという魚は、穴に入るとあまり動かないので突きやすい魚ですが、穴の中で突くと取り出すのが難事です。
その時もだいぶ手間取りました。
流れも速く、途中で諦めていればあんな苦しい思いをする事もなかったでしょうが、経験の少なさから来る大胆さといいますか、
なかなか諦め切れずに、とうとう獲物を手にするまで頑張り通してしまいました。
その頃には、一層流れは強まっており、「もうこれ以上は無理だ」と判断して(今考えると少し遅すぎたようですが)、
とにかく岸との中間にある岩まで行こうという事になり、泳ぎ始めました。
ところが、一生懸命泳いでも、なかなか前へ進みません。
下のサンゴを見ていると、それこそアリのはうような速さで後方へとゆっくりゆっくり流れて行きます。
魚突きに夢中になっていて気が付かなかったのですが、相当な流れです。
人の事を気遣う事も忘れて、それこそ無我夢中で泳ぎ続けました。
苦しくて泳ぐのを止めたくなるような時間が長い間続きました。
泳いでいたのは10分位だったとは思いますが、1時間も2時間も泳いでいたような気がします。
やっとの思いで岩場にたどりついて後ろを見ると、今村君がほんの4〜5mのところにいます。
しかし、強い流れに押されてなかなか近づいて来ません。
持っていたヤスを伸ばして、今村君を引張り上げると、二人で話す事もせず疲れきった体を休ませようとしました。
この時、突然に残りの二人の事を思い出して心配になり、あわてて二人を捜し始めました。
捜すほどなく、すぐに二人は岩場の岸寄りの方で見つかりました。
女といえどもさすが中江さん、流れが速かったので、すぐこの岩場へ来て遊んでいたそうです。
(しかし、人の事はあまり心配せず、遊び呆けていたとか?!)
もしあの時、体力が尽きるとか、足がつってしまうとかいう事があったなら、沖へ流されてそのままサヨナラとかいう事になっていたかもしれません。
何とも危ないことをしたものです。しかし、あの時の事は良い経験になって生き続けています。
小浜島では、ゴシキエビをたくさん獲ってきて腹一杯食べたり、刺網をかけたり、無人島で楽しい時を過ごしたりなどなど、
楽しかった事や、海の青さ、サンゴ礁の素晴らしさなど、数々の思い出があります。
でもあんな事だけはもうこりごり。
沖縄の海の楽しさと恐ろしさを知った潜水行でした。
これからも機会あるごとに、日本のサンゴ礁、沖縄へ出掛けてみたいと思っています。
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