『何故、海に潜るのか、何故惹かれるのか?』 8期 渡辺
ここは某大学某学部のたまり場である。
「誰か、明日潜りに行かねえか」
「俺、明日一日暇なんだ、行こう行こう」
こんな気楽に海が傍らに、海が身近にあるなんてナントスバラシイ人たちだろう。
そうSDCと海そして俺たち。
我々SDCの学生ホールでのできごとである。
我々にとって海とは、海だけでなく水とは何か。
母なる海、生きるための水。
我ら魚もどきは生命の根源である海を愛し、魚を愛し、そして人を愛する。
漣の聞こえる浜に居ると快い風が頬を撫でる、目を閉じると潮の匂いが鼻をくすぐる。
絵になる情景が脳裏に
○月×日(ある高校生の日記より)
今日はキャンプをはじめて第1日さっそく海岸へ出た。
ここは壱岐、鬼の足跡、断崖絶壁である岩をつたって海面まで降りてみた。
夏だというのに水が冷たい。
午後より水中メガネと足ひれとスノーケルで潜ってみた。
ショックだった、というのは海の中に色とりどりの魚や海草があった。
あのブルーの魚はなんという魚だろう。
サザエがとれた、生まれて初めてとったサザエでとてもおいしかった。
今日は素晴らしい一日だった。×××××
これは僕が高2の夏のことであった。
それから約2年の月日が過ぎた。
「今回の合宿は一年生の基本の総仕上げとSCUBAの基礎のための合宿なので一生懸命にやるように」。
このような主旨の言葉を聞いたときにはもう海の魅力にとりつかれていた。
そして、海との出逢いから早5年の月日がたっている。
その中でもはっきりと思い出されるのがあの時のことである。
1976年 夏
「良皮、おまえ全日空のスカイメイトとったの、俺らみんな日航だぜ。どうすんのォ!!」
「グェ〜ッ、ホント、ホント、どうしよう。」
この事件のあと全員で羽田を飛び立った。
DC-10でサンドイッチやお菓子が出てきた。
「これタダ、ホント?いっぱいもらっても?」と良皮君。
この他に葉瀬側、津下、銛多、干乃、そして主役の私、綿鍋。総勢6名あとから棚蚊台助なる若干1名が増えるのである。
那覇着陸後またまた良皮、場内アナウンスで呼び出され、スカイメイトの千円を支払ってないと取られた。
場面は船に変わる。
玉龍に乗ることになった。
ナナナント、港の真下にアカククリやハタタテが見えるではないか、ギョエー。
沖縄の自然には驚かされた。
石垣へ着き、船をチャーター。
ここで銛多君登場。
ウエイト5kgを腰に巻き、舟と港の岸壁に横一文字。
ところが舟は岸壁から少しづつ離れて行く。
しかし残念なことに海には落ちなかったのである。
「落ちネェでやんの!!」と葉瀬側。
小浜にて
やっと着いた比嘉荘へ、着いたのはいいのだが、俺達が寝泊りするのはどこだろう。
内心すごく心配だった。
目の前にあるのはドアも障子もふすまもなにもないあけっぴろげの畳の敷いてある小屋が一軒。
(確かに表には"比嘉荘"と書いてあったのだが)。
この悪夢のような予感が、心配していたことが的中してしまった。
その"小屋?"が民宿で、我々がそれから2週間いる場所だったのである。
しかし、住めば都。
蚊にさされ、ヤモリの鳴き声に寝られずの悪条件を乗りこえて、西表へ、新城へ、黒島へ、そしてカヤマ島へ。
サメを求めて、トウカムリを求め、野うさぎを求め。
ウニを葉瀬側が採ってきて一人で食べていた。
俺も俺もと採ってきたらなんと舟の先端はウニだらけ、アリストテレスは何と言うだろうなど思い、そこはかとなくおかしけれ。
この日からウニ責めにあった。
こんな日々を送っている間も何故潜るのかなどと考えたことはなかった。
何故海に惹かれるのか。
世界の海、数多く名がつけられ多くの海流、海溝、大洋がありながら1つである海、
潮風に、太陽の日差し、男のロマンを掻き立てる雄大な海これが惹きつけられずいられるわけがない。
何故もぐるのか、我らは魚モドキであり、海に魅了され、曳きずり込まれてしまっている。
我々は彼女のとりこになっている。
海に接するのに「何故」などの理屈がいるだろうか。
海は何も言わず受け入れてくれているではないか。
潜りたいから潜る。
冒険とロマンの第1歩としてこれ程のものが他にあるだろうか。
我々が魚モドキである以上彼女からはなれることは不可能にちがいない。
あとがき
前にも書いているが海との本当の出逢いは高2の夏。
以来ぞっこんほれこんでしまった。
この間柄はこれからも変わることはないと思う。
永遠に魚モドキを続けて行くつもりである。
冒険とロマンと海に乾杯!
昭和52年11月23日
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