『何故潜水をするのか』 11期 藤代
「なんでダイビングなんかやるんだい?」よく知人に聞かれる。
そんな時はいつでも「海が好きだからさ」とか、「海がおれの恋人だからさ」などとカッコつけて答えている。
海が好きということは本当のことだが、実のところまだ自分にもなぜ潜水をするのかよく判ってはいない。
今でも時々祖母に言われる。
「あんなに水を恐がっていたおまえがなんで毎週海なんかに行くんだろうねぇ、不思議だねえ」
本当にその通りである。
僕が泳げるようになったのは実は中学2年の時である。
その時初めてプールで25mを平泳ぎで泳ぎきった。
うれしかった!しかし、まだ海にはいるという事への楽しさを見いだせないでいた。
だからその年の海水浴は相も変わらず、妹や弟と砂のお城をせっせと築いていたのである。
そして、僕にダイビングの道が開かれたのはその次の年、中学3年の夏休みの8月末のことである。
僕と友達2人は受験生であるというのに千葉県への1泊旅行へ旅立った。
その時の友達の1人がマスクとシュノーケルを持って来たのである。
そこでダイビングのまねごとをした僕は、すっかり海に魅了され、ずるずると海の世界へ引きずり込まれていったのである。
その後、クストーの「沈黙の世界」を見た僕は完全にノックダウンしてしまった。
あの海底の色のすばらしさ。
想像を絶する魚の群れ。
ダイバーが浮上してゆく時のシルエットの美しさ。
どれをとって見ても驚きと興奮の渦であった。
それからはもう、映画やテレビでも海洋関係のものを貪欲に探し求めるようになっていた。
しかし、まだその頃はダイビングという物と自分とを結びつけて考えてはいず、ダイビングはまだまだ未知の世界のことでしかなかった。
だからボンベを使って水中で活動するなんて、とんでもないなどと思っていたのである。
僕とダイビングが結びついたといえるのは、中学3年の後半に、今のダイビング仲間でもある水野君と出会ってからであろう。
彼の水中でのすばらしい話しを聞き、僕はこの時初めてダイビングというものを身近に感じた。
そして、自分でもスキューバ・ダイビングができるんではないか。そう思いはじめていたのである。
その後、スキューバに対する知識は少ししかもっていないのに、彼にたのんで高1の春、初めてボンベをつけさせてもらった。
もう夢中であった。
その時おぼえている物といったら、手の平大のヒトデ1匹である。
極度の緊張と興奮で僕の12リットルのボンベはたった30分でからになってしまっていた。
リザーブ・バルブがついていなかったらどうなっていたか判らない。
そうして僕はダイビングを通して知った海への興味から、日本大学農獣医学部水産学科へ進んだ。
そして、当然と言えば当然スチューデント・ダイバーズ・クラブへ入部したわけである。
こうして、僕のダイビングの道のりをふり返ってみると、自分でこの道を切り開いて来たというよりも、
なにか不思議な力によって導かれて来たという方が適しているように思われてならない。
かっては水中で生活していた生物が母なる大海からあがり、陸上生活者として今日まで生きてきた。
そうして母から旅立ってきた人類の中に、いまだに母のぬくもりが忘れられず、
少しでも長く母の胸にいだかれていたい、と思う人間達がいても不思議ではない。
僕はきっとそういう本能をいつのまにか呼びおこしてしまった人間の中の1人なのであろう。
そして、この血が母を求める限り、僕は潜水をし続けることをやめないであろう。
文集もくじ