『なぜ潜水するのか』   9期 今村


 誰かの恋愛論にこのようなことが書いてあった。

恋をしている人に「なぜ好きなのか」と聞く。

これに対して「やさしいから」とか、「男らしい(あるいは女らしい)から」とか答える人がいる。

このような人は、ほんとうには恋をしていないか、嘘をついているかのどちらかだ。

「わからない」というのがほんとうの気持だろう。

恋愛というのは、相手のどこが好きとかいうのでなくて、なぜかわからないがともかく好きだ、というようなものだ。


 この言葉は特に気の利いたものでもないが、一つの心理だとは思う。

僕のダイビングに対する気持もこのようなものだ。

単に美しいとか神秘的とかいうのだけでない。

ほかに訳のわからないものがある。


 いつも潜っている所で小さな崖を見つけ、下から見上げて感動したり、

なんにもない砂地に一人でぽつんと居て、何もない回りを見回して感動したりする。

また、大きな魚を見て絶句した自分に感動し、その魚を見たバディーが叫ぶ声が水中で聞こえたことにまで感動してしまう。


 このような気持というのは誰にでもあると思う。

今挙げた例は他人とはあまり共有できないもののようだ。

珍しい生物を見たとか、美しい魚、大きな魚を見たとかいうような時の気持とは少し異質なもののようだ。

僕は、共有できる感動も好きだが、共有できない、なんとも言い知れない感動がより好きだ。

だから、一人で潜ることに強烈にあこがれる。


 今僕は沖縄行きを目前にしている。

わくわくしながら目に浮かぶ光景は、あの素晴らしい珊瑚礁の海であるが、この胸の高鳴りの原動力はそれではないようだ。

今回は一人で行くので、他人の心配をする必要はない。

好きな時に、好きな所で潜れる。

水中で何処へ行こうが、また同じ所にエアーが切れるまで居ようがバディーに気兼ねする必要はない。

今回の目的は写真の練習だが、被写体の前で考え込むこともできるし、同じ被写体の写真を何枚でも撮れる。

また同じ魚をいくらでも追いかけ回すことができる。

一人で潜った経験など数える程しかない自分にとって、これは限りない魅力だ。


 断っておくが、今は一人で潜ることの是非を論じているのではない。

又、一人で潜ることそれ自体に魅力を感じているのでもない。

他人とは共有し難い感動を得るには、一人で潜るのが都合がいいと言っているのだ。


 沖縄へ行って、その感動を誰かと分かち合いたい気持もあるが、

この分かち合えない素晴らしさを、バッチリと写真に焼きつけてくるぞ。




         


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