『何故潜水するのか』   1期 村岡


 何故潜るか?と聞かれても非常に困るんだよネ。ここ数年間、ほとんど潜りたいと思った事は無いのよ。

初夏を迎え、半袖シャツが快適で、水で手を洗う事がとても心地良いような爽やかな日に、そうだね、年に2〜3回ぐらいかな、

きれいな、暖かい海で、しかも水深10mぐらいまでなら潜りたいと思う事があるけど、勿論遊びでだけど。


 だから、どうして潜らないか?と答えた方がこれ自然ね。


 まあ、僕も初めはみんなと同じ素人さんの潜りだったわけ。

それで、シートピア計画を切っ掛けに、現在のサルベージ会社でしばらく職人潜水夫さん達と一緒に潜るようになってしまったのネ。

で、潜れば潜る程、潜水が恐ろしく、又、嫌いになってくるわけよ。

そして、終いには金をくれなければ潜りたいなんて思わなくなってしまったんだ。


 そもそも、何で潜り始めたかなんて一口で言うと実に簡単なのよ。

小学校2〜3年の頃、「青い大陸」とか「沈黙の世界」とか言った水中もんの映画が上映されたわけ。

それがとても強烈な印象だった。

何がどのように強烈かなんて今でも解らない(とても不思議ね、自分で自分の気持ちが分析できないんだから)

けど、今まで見た事も無い世界を目の前にして、その魅力に引きずり込まれたと言った感じ。

アマチュアで潜っているアミーゴ達にはこれで小生の気持、充分に理解されちゃっていると思うけど。


 その映画を見た頃は、泳ぎも出来なかったんだけど、翌年の夏休み、小学校のプールでジャボジャボやって遊んでいて、

ジャボジャボの水遊びに飽きてきて、青い大陸ごっこをやったわけ、つまりスクーバを背負って潜る真似ね、

プールの水も潜って見るとなんとそこは青い大陸だったんだね。

これにはとっても感激して、スクーバごっこをしているうちに泳げるようになっちゃったわけ。

そうすると今度はプールでの青い大陸では満足できなくなってしまって、1ヶ150円の水中メガネ買って江の島に潜りに行くわけ。

しかし、海水浴場で潜ったもんで、砂ばかり舞い上がりここもとても青い大陸どころじゃない。

で、150円の水中メガネは水が入ってくるんだね。


 でも青い大陸の夢は捨てきれずにとうとう高校1年の秋になってしまった。

遠足で真鶴に行った時、ここなら青い大陸が有るかも知れないと思って次の夏を待ったわけ、その頃は素潜り。

スクーバの道具なんかもデパートで一般的に売られるようになっていたので高校2年の夏から真鶴で素潜りを始めたのね。

そして大学でアミーゴとクラブ創って、スクーバ始めて青い大陸を探したんだけど、見つからず、

潜りさんになれば見つかるかも知れないと思ってやったんだけど、これが全く違う世界なんだね。


 日本海洋産業や自衛隊の様なアメリカの技術を近年導入したようなところは別にして、

日本の潜りさん、又は潜りの仕事というのは僕のような漠然とした目的は、しばらくすると粉々に吹き飛ばすぐらいの厳しさとか、

現実的とか言ったもので迫ってくるんだ。


 例えば、「南部潜水夫の記録」という、種市潜水夫の記録を残す会が発行した非売品だけど、優れもんの本から引用する。


「正海は技術が未熟な為、急上昇して口の中に血を出すことがあった。当時これは潜水夫達の一番恥とすることだったという。

正海は兜を脱ぐ時は、その血唾をそっと人に知られぬように兜の中に吐いたという」、

「"潜り"は男の仕事だと種市の人達はいう。体力と勇気と技術がいる職業である。中略。ところが潜りには決定的な弱さがつきまとうのである。

潜水病がいつ自分を瞬時にして廃人にしてしまうかへの恐ろしさである」、

「この様に潜水病対策を正面きって打ち出したことは当時としては大英断であり冒険でもあったのである。

当時シビレを口にすることは禁忌とされている風潮があったからである。

『あいつはシビレだ』ということはその人が廃人であることを意味するばかりか一種のさげすみのひびきを持っていたのである。

潜りは勇名をはせるものであり男の仕事であるという気概は、醜態をさらしてはならないもののように考えられていたわけである。

だから『俺はどんな深海にもぐっても潜水病にかからない男だ』という誇示をしたのである。

その裏をかえせばこの姿勢は潜りという自分の特技の売り込みであったとも言えよう」


と言うような記録が見られ、

実際に接した潜りたちも決して潜水が恐ろしいなんて言った事はないし(でも個人的に話すとこわいと本音を吐く人もいる)、

皆んなベンズの経験者で、ふかし(水中減圧)は素人のやる事、シビレなければ一人前の潜りじゃないという風潮がとても強かった。

本当に恐ろしいんでね。(深場を潜るようになって大分変わってきた)

経済的な苦しさからの脱皮の為、潜水という職業に体を張って従事してきた歴史は今も重くのしかかっている。


 大学4年の時、当時、日本アクアラングに勤務していた浅見氏に「本当に潜水が好きなら職業では潜るな」と助言を受けた事を覚えている。

私の場合は全くその通りであった。


 スクーバ潜水はスポーツとしては、他のそれに比較して底の浅いものであり、潜水自体は手段と断定する。

従って、具体的な目的のない者が潜水に接した時、最初は好奇心、優越感に浸りながら次第に白化してゆき、職業潜水に直面した時、

ついに嫌気となる。


 以上、主観的、体験的に告白したけど、何しろ情熱を持つ、恋をする事は大事なこと。

潜水に恋している諸君、大切に育てて欲しい。



         


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