『先輩と後輩のエピソード』 11期 奥島
私は、元来ビールは嫌いではないですが、あれ以来私の喉は頑なにその侵入を拒み続けています。
昭和52年4月28日木曜日三軒茶屋池田屋にて新入生歓迎コンパが催される。天気晴朗なれど脈拍高し。
私の大学生活におけるはじめてのコンパだった。そして、またそれは、大学生活におけるはじめての醜態でもあった。
酒が好きな先輩が多いのもさることながら酒をすすめるのが上手な先輩も多いようだ。
そのすすめかたが、巧みなものでついつい飲みすぎてしまった。
コンパもそろそろピークをすぎたころになるとダウンしているものが目立ってきた。
明日は我が身と思い極力コントロールしたが、ときすでに遅く、気がつくと私の顔はビニールの中に没していた。
まずは、先輩とのはじめての交流であった。
私は元来釣が好きでよく磯釣に出かけるのですが、あの恐怖の偶然が、某氏と私をひき合わせた時以来久しく御無沙汰しています。
昭和52年4月30日土曜日東京竹芝桟橋より神津島へ向う。竹芝で、東海汽船の船が遅れたため、桟橋の広場は混雑していた。
新島でサーフィン大会が開催されるらしく、サーファーがたくさんいた。相変わらず汚らしい格好をしている。
どうも私は、あの不潔さが我慢ならない。
とそんなことを考えながら回りを見まわしていると、サーフボードのはるか彼方にタンクをもちズタ袋をさげてレイバンをかけた男約一名を発見した。
その男こそだれであろうリーダーの永井先輩であった。私が、挨拶をすると先輩も驚いていた。お互いあまり綺麗な格好ではなかった。
先輩は、新島へ潜りに行くという。もうすでに数人の先輩は島にわたっているということだった。
さらに驚くべきことは、私と同じ船で行くそうである。船の中でまた会いましょうということでその場は別れた。
しかし、船内も混雑しており会うことはできなかった。朝、大島について船を降りた時再び会うことができて新島まで一緒だった。
その間、私の差入れたおむすび約5ケ、もののみごとにたいらげてしまった。
新島へ着くと他の先輩が桟橋までむかえにきていた。皆私の顔を見て驚いていた。
永井先輩は、新島で下船し、船は一路式根島、神津島へと出航した。皆桟橋から船の私に手をふってくれた。
その間約5分以上は、手をふっていたと思う。あとで先輩にたずねるとやはりかなりしつこかったと思われたそうである。
まずは、偶然とは恐ろしいものだなと感じた。
私は、元来体育部だった為、言葉づかいに気を使う習慣がしみこんでしまいその為いろいろなことがあったと思います。
昭和52年某月某曜日あるコンパの席で、私の態度が堅すぎると数名の先輩にいわれて驚いたことがあった。
私自身にそんなふうにみられていたとは意外なことでいささかショックであった。
しかし、SDCというクラブで活動していくうちにクラブのファミリー性というものが、だんだんわかってきて、
やはりそんなものだったなと自己反省などしてみた。
しかし、自身気をつけているつもりなのだが、どこかアンバランスでよく先輩などに外面硬派とかいわれるが、
私自身硬派とかいわれるが、私自身硬派でも軟派でもなく、ごく普通一般的な人間なつもりなのである。
私は、元来ファミリー的なことが好きで、合宿など大好きです。
しかし、あれ以来その自分の気持ちにある種の疑問がわいてきました。
昭和52年8月17日より大島で合宿を行う。気候に祟られて思うように練習ができなかった。
その反動かキンカンの洗礼をうけるはめになった。
あるものは、連日の夜襲でまいって寝込むものもでてきてどうなるのかと思ったが、先輩の努力によりボンベをつけることができてよかった。
感謝!感謝!練習は少なかったが先輩たちと話す機会もありクラブの実態を知る良いチャンスだった。
逸聞
合宿のコンパの時、吉川さんが夜中いきなり戸をはずして入ってきたのはどこからなのでしょうか?
フロ場から入った形跡はないし、裏窓はしまっていたのに、天から降ったか地からわいたか、SDC七不思議の一つです。
(参考 奥島回想日記)
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