『先輩・後輩の思い出』 6期 丸尾
先輩や後輩の思い出と言うと、恵まれた環境(?)にいたせいでしょうか、
一冊の本ができあがってしまうのではないかと思うくらいいろいろな経験をする事ができました。
赤提灯のドブロクの味、パチンコ、麻雀、南の島の海のかなたに落ちる夕日、イルカと競争した南の島の航路、
合宿の苦しさの後のあのビールの味、恋をし、恋を失ったのも、先輩の胸をかりて前後ふかくになるまで飲んだお酒の味も、
もちろんダイビングクラブですもの、海の底の、あのファンタジーも、みんなみんな私の青春であり、
そしていつも、いつも仲間と一緒でした。
後輩、後輩と思っていた男の子がいつのまにか厚い胸を持ち、遠く海を見つめている目に出会うと、
みょうに胸が高鳴って私がテレてしまったり、彼女ができたと聞くと、まるで恋人をとられたみたいにユーツになったり、
あの潮風とともにみょうになつかしく、鼻先に臭います。
初めてわたしが合宿に参加した一年の夏、男の人の中に寝るなんて芸当がまだまだの頃、
私はとうとう一睡もせず甲板で夜の星と一緒に一晩過ごしました。その後沖縄石垣に行く航路から見た、
南の空の流れ星にもおとらず、その夜の星空は何とも形容しがたく、すばらしい眺めでした。
そして現在考えると何とまあ私も幼かった事か、イエ騙されたと言うべきか、甲板で一緒だった一学年上のN先輩の話しに、
自分の未来がものすごく大きなものになるのではないかという、みょうな感激をうけたものでした。
(その後、その先輩の話しを聞く時は話の3割がた信じる技術を身につけましたから、自分がスーパーマンかシンデレラだなんて感じて、
その後の、エネルギーがどっと脱けでてしまう様な病にはかからなくなりましたけど。)
話は違いますけど、これ読んでいらっしゃる方で擬似ソクラテス病にかかってる憂鬱な紳士は会ってくるといいですよ。
新幹線代を出したって安いもんです。つかのま『スケールの大きな人間』になったような気分になれることうけあい。
何しろ話のランクが一桁違うんですから。大島で30cm〜40cmのネコザメに会った時だって、
1トン程のジョーズと戦ったような武勇伝になっちゃうんですから。
船中で寝る事も出来なかった私も、合宿中に病気で寝ている後輩の体を拭いたり、パジャマを替えるほどの成長ぶりを示し、
それとともに後輩の方も随分変わっていきました。
合宿中にヒラヒラたなびく赤や黄、青のブリーフに「ヘエー、たいしたもんだなぁ!」と感じたり。
女の私が「ちょっと貸してくれない」と言ってもおかしくないような化粧セット。
「ブラバス?違いますよ先輩、僕のはジェットですよ、『ジェット』、マックスファクターのですよ」。
「ヘエー」
こっちは、気をきかして洗濯物をとりこんだつもりのネグリジェ、「あまっちゃった・・・・?」
女の子の部屋にポツンとおかれたブルーのネグリジェもどき・・。
「先輩、僕のナイトウェアー知らない?」
「ナイトウェアー?」
「あっ、それですよ・・・」
「ヘエー」
歯ブラシしか持ってこなくて、歯ミガキ粉は後輩のをぶんどり。つけたことのない整髪料を、ここぞとばかりプンプン匂わせ。
夜はパンツ一丁で寝ているような、ハイジャッカーまがいの、我が"同期の桜"を横目で見ながら、
私は、やっぱり色とりどりのブリーフを眺めながら「ヘエー」と言っていました。
歌の文句じゃないけれど、青春て過ぎてしまえば、みな美しい。
4年間、私はすばらしい仲間にめぐりあえ、おろかな事もしたし、体が震えるくらい素晴らしい事も経験できたけど、
今、それらを整理してみると、いつも真剣だったように思えます。
たとえ中途半端な生き方しかできなくとも、遊びだって、仕事だって、やることは何だって真剣でありたいと思うようになりました。
ある人が私に書いてくれたノートの中に、
『まったくもって人間の生き方はどうなっていくものやら、一寸先は全くわからない、明日誰に出会うか、誰にもわからない。
平凡な、波風立たぬ静かな海のような一生を送る者と、波乱万丈の一生を送る者と、どちらが良いかも何とも言えない。
私としては、当然後者を強く押したいが、いざ、もし自分が親であったなら、我が子に特に娘にそれを行わせるか、
という質問には言葉なく考えてしまうと思う。(結果は定まっていても)』
こんなのがありました。
でも、私は女として、娘として、クラブでの4年間の生活で、傷つき、苦しみ、笑い、泣き、そのもろもろ中にころげまわった自分は、
幸福な人間だと思っています。
そして、そんな仲間に出会った事が、かけがえのない私の一生のなかの、一編のポエムでさえあると思うのです・・・・。
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