『クラブ内での先輩後輩のエピソード』 3期 小柳
私が入部したのは昭和44年、当時は、まだ長い大学紛争の影響が残っており、授業は休講が多く、
右も左も解らぬ一年生の私にはクラブをやりに学校へ行ってるような日々であった。
さて、先輩のエピソードについて記せとのことですが、個々の先輩のエピソードについて文章とする事は、おそれ多い事であり、
最も印象深い44年の夏合宿(私には初めての合宿)について述べてみましょう。
場所は大島、合宿所は"黒潮小屋"、期日は1週間、費用は3千円、参加者は14〜15名だったと記憶している。
黒潮小屋は民宿と違い、板の間に貸しブトン、食事は自炊である。当然の事ながら昼の潜水を終えてから当番が食事の用意をするのである。
ちなみにメニューを紹介すると
初日 こげごはんにカレーライス
2日目 おかゆにカレーライス
3日目 ボソボソごはんにカレーライス
すごいメニューにも負けず、私達の食欲は旺盛であった。
第1日目の潜水。(当時は素潜りだけでSCUBAは行っていなかった)
型どおりの注意が終り、潜水前の準備体操、しかし、朝のトレーニングと違い水田先輩の様子が変なのです。
落付きがなく、興奮していて・・・・おかしいとは思いながらもバディの打合せ。
あとで聞いた事ですが、水田先輩は海を目前にすると心がはやるあまり、陸上の事がおろそかになるとか・・・・
なるほど"海の子"と言うにふさわしい、水田先輩の一面を見たような気がして、うれしく思いました。
その日の私のバディは服部先輩であった。あのヒゲ面に黄色いピノキオのマスクが似合って、その潜水たるや、まさにクジラであった。
朝のランニングの時とは別人のような生き生きとした動きである。
1週間を3千円で過ごせるとは、当時としても驚異的なことであり、合宿の中盤にかかるとほとんど全員が金欠病となり、
タバコも『ハイライト』から『いこい』へ、さらに『ゴールデン・バット』へと変わっていった。
終盤には一本のタバコを2〜3人で吸うありさまであった。
黒潮小屋の近くに動物園があり、そこのサル山のサルに客がキャラメルを投げ入れていた、そのキャラメルをサルから取りあげて
食べた者が居るとかいないとか・・・・ まるで終戦直後のような話も聞かれる程でした。
金のない合宿ではあったが、名物のうちあげコンパの酒だけは充分に出るから不思議なものである。
酒の肴は、あまったジャガイモから作ったポテトチップスをはじめ、得体の知れぬ物がかなり混じっていた。
なにはともあれ酒があれば幸せなのである。宴もすすみ、したたかに酔った私達は外に出た。広い芝生の庭は酔っぱらいの天国のようである。
突然、某先輩のかけ声でひとりの先輩を皆が襲った。襲われたのは2年生のA先輩であった。
たちまち裸にされたA先輩は気が狂ったように逃げ回り闇の中に消えた・・・・
修羅場は続き、私もパンツを押さえて逃げ回る一人となってしまった。
次の朝、早く目がさめた私はなにげなく庭を見た。するとA先輩が裸でうろついている。
前の見にくい所を手で隠してはいるもののなんとも言えない姿である。ゆうべのパンツを捜しているようだ。
あのパンツはたしか某先輩が木の上に投げ上げたような記憶がある。してみるとA先輩は、一晩まる裸ですごしたのだろう。
パンツを取ろうと木に登るさまは人類の祖先を見るようで、二日酔いも忘れて笑いころげていた・・・・。
愛すべき愉快な先輩と海、そして二日酔、すばらしい私の初合宿、バンザイ。
先輩後輩のエピソードは、すべて合宿やコンパの中から生まれている。
10周年を迎えたSDC、これからも昔とすこしも変わらない、すばらしいバカに会える事を楽しみにしています。
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