『クラブ運営について』   3期部長 小柳


  私が部長を務めた昭和46年当時はSDCの歴史の中でも最も苦しい時代であったと思う。

当時活動する部員は6〜7名であり、今日のSDCからは考えられないほどの部員数であった。


 この小人数で合宿を行うのである。いつの合宿か忘れたが、総員4名という合宿があった。

この合宿が示すように私の時代は実に家族的なクラブと言えるものであった。

個人の意見が充分反映され、かつ、クラブ内の統一はとれていた。

むしろ統一が取れていたというよりは、クラブ内を統一するという事すら考える必要はなかったのである。

この時代を知る一人に田沼君がいる。彼が部長となる頃には、爆発的に部員が増えたのである。

今では語りぐさとなってしまった総員4名のあの合宿は、思えば今日の隆盛を生む踏み台であったのかもしれない。

しかし、歴代部員の努力によって今日の隆盛があることを思うとき、後輩を作り、育て、指導することの重要さを

現役部員は各人が考えなければならない。


 いろいろな面で先輩は後輩の「カガミ」であり、又、後輩は先輩の「カガミ」でもある。

現役を退いて数年後のクラブの現状には言葉はなくとも、強い責任をもつべきであろう。


 すばらしい先輩に指導を受け、頼もしい後輩に囲まれて過ごした私のSDC生活、SDCは私のふるさとであり、

今後とも、クラブの発展を微力ながら見守っていきたいと思っております。


        


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