チリ通信―14(2005年10月16日)
皆様いかがお過ごしでしょうか。私は元気です。
日中は暑くなり、夏近しの今日この頃です。
今回のチリ通信は少し遅れましたが、読者の皆様は首を長くして待っていたでしょうか。
といいますのはムラタの種苗生産と栄養学の講義と準備で毎日12時間くらいは大学で過ごしていますが、
その上にチリの自動車免許取得が入り鬼のような日々を送っていたためです。
まずはムラタの種苗生産です。
私の海洋牧場計画ためには種苗生産の成功は不可欠で、かなり真剣に取り組んでいます。
がしかし、これが餌を食べず死ぬのです。斃死魚を目の前にして呆然とする日々でしたが、
初期生物餌料であるワムシの前に植物プランクトンを与えることで解決できそうです。
残念ながら産卵期は終わり大量種苗生産にはいたりませんが、知見をまとめて休暇前には大学に提出する予定です。
下は私が組み立てた種苗生産ラボです。
次は大学で教えている水産栄養学です。
前記のごとく日中は種苗生産に時間を費やし、夜は講義の準備をしていました。
しかし実習が夕方の7時から1時間入り、さらにニックキ自動車免許試験のため朝まで半睡眠状態で準備をしました。
それでも教材が足らず、話題をアフリカに振るという苦しい展開もありました。
とはいえ魚より表情豊かな人間に触れるということは楽しいことです。
私の授業の教材はブログに貼り付けてあります。
これは生徒に予復習を自由にしてもらうためですが、他の教授の授業と区別するためでもあります。
内容や写真はほとんどオリジナルで、今までの私の知見が元になっています。
写真は実習中のものですが、場違いなオジサンがすっかり浮いています。
最後はチリの自動車免許取得です。
プロローグ
国際自動車免許を国内の免許に切り替えるために9月中旬に交通局に行き、翌週の試験の予約をしました。
ちなみに国際免許は国内免許に切り替えるのを前提としているため、有効期間は1年間です。
受付のオバチャンによると"アンタ初めてだから筆記と実技の試験をしないとだめネー"と言われ、
これは容易ならぬことになったと思いました。
試験当日、まずはメディカルテストで視力監査や、
"これができたら100万円"にでてくる電気バチバチのような決められたコースの上を針でなぞるテスト(うまく表現できず申し訳ない)をしました。
これはドクトールと日本の話をしながら軽くパス。
用紙を持って支持された受付に行くと免許発行の手続きをしてくれ、
"あんたは切り替えだから試験はしなくていいの"と言われホッと胸をなでおろしたのでした。
第1章 幻のレセンシア
翌週に指定日に免許の引き取りに行くとまだ手続きが終わっておらず、明日来るように言われました。
"ここは日本じゃないし、マー1日くらい仕方ないか"と翌日に出直しました。
そこにはフォノグラムに輝く、新しい私の免許がありました。
"ここにサイン、それから古い免許を提出して"とオジサンに言われ国際免許を見せると"!"となり、
私の免許を持ってヘフェ(責任者)の所へ行ってしまいました。
いやな予感がする。
結局ヘフェによると初めて国内免許を取得するには筆記と実技の試験をしなければならないとのことで、
全くチリ人と同じ試験を受けることとなりました。
ちなみに日本でも国際免許の切り替え時には試験がありますが英語・スペイン語・中国語・韓国語から選べ、
設問も基本的な10問だけです。
ヘフェに自分は30年も無事故で自動車を運転しているし(チョット嘘)、スペイン語は良く解らないし(読み書きはまるでダメ)、
すでにチリで8ヶ月問題なく運転している(ほとんど本当)などとはかない抵抗をしましたが、
問題集を買ってかんばるように言われました。
第2章ナイトメーアー
仕事の合間を見て問題集を購入し、内容を見ると法規は日本と似ており選択問題でした。
これなら何とかなるかと辞書片手に二日間、夜の2時までかかって全問を問いてみました。
正解率は50%位で、これは個々の単語は理解できるのですが文章になると訳が解らなくなるからです。
簡単に言えばスペイン語が解っていないと言うことです。自慢ではないが大学のスペイン語講座も追試で通してもらったしだいで。
回答もいやらしいことに、似ている回答から選ぶだけでもないようです。
こうなれば傾向と対策として択一問題と絵や写真のある問題を先にやることとして、辞書持込で試験に臨みました。
久しぶりの試験でいささか緊張し、まずは老眼鏡をかけて始めました。
答えを覚えている問題もありましたが、問題を理解できなければ覚えることもできません。
35問中6問までは間違ってもOKとのことで、30分の所を50分に延長してもらい四苦八苦して終了ました。
隣のトッツアンは30分もかけずに終わり早々と実技の予約をしていますが、私は悪夢を見るようでした。
結果は14問不正解で再テストは2週間後、まずはヘフェに相談するように試験官のオネーサンに言われました。
ヘフェ曰く"あなたは読めないようなので次回は特別に口頭で試験をしましょう"と言われました。
しかし文章が理解できないのが問題で、2週間で語学が上達できるわけが無いと思い、
"友人の生徒に英語に直してもらえれば大丈夫でしょう"と提案しました。
第3章蛍雪時代
ミルトン君は英語が堪能な学生で、彼の力を借りて早速試験勉強に取り掛かりました。
しかし彼も授業や試験のある身で、授業の終わった夜8時から勉強を始めました。
私もちょうど実習で8時までは詰まっていたのでいいのですが、家に帰り着くのは12時頃でこれが毎日続きいささか堪えました。
彼の訳を聞くといかに自分が文章を理解してないのかがはっきりし、赤面の限りです。
再試験の当日に英語に訳してもらい試験を受ける旨申し入れると、
上役のヘファが"それはならぬ、事故があった時カラビネーロ(警官)にどう説明するのか"と言い出し、
来週にカスティジャーノで(スペインで使われているのがスペイン語、中南米のスペイン語はカスティジャーノだそうです)試験を受けることとなりました。
再びミルトン君の助けを借り、今度は私の知っているカスティジャーノの単語に直して問題集に取り組みました。
このころは大事な種苗は毎日死に続け、授業の準備に追われ、心身ともに最低の日々を過ごしていました。
これもニックキ試験官のせいなのですが、このあたりがチリを仕事場に選んだ理由です。
なぜならばチリはラテン系とは言え厳しい社会で、反面安心して仕事ができるからです。
ちなみに私がかつて仕事をした某国でも筆記試験を受けましたが奥の手を使い、
書き込まれた解答用紙にサインをするだけでOKでした。
試験当日さすがに試験官やヘフェも英語で説明をしても良いと言ってくれましたが、
私は意地になって問題の意味を現地語でミルトン君に聞きながら片付けました。
結果は4問間違いで無事パスできました。
エピローグ
実技試験は楽勝で試験官と四方山話をしながら合格となり、明日には免許証が入手できるはずです。
ここでは手の中に握るまでは安心できませんが、峠は越えたようです。
ムラタの種苗も餌を食べ始め、いい風が吹き始めたのでしょうか・・・?
そんなこんなで暮らしています。
かしこ
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